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第二章 王都

従者のわたし

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 朝、目を覚ますと背中にはいつものようにウルがくっついていた。

 昨日のアレは一体……?

 ぼーっとする頭で窓を見る。
 まだ外は薄暗くかなり早い時間。寝過ぎてしまってもうこれ以上寝ていられない。
 私はさっと身体を起こして身支度を整えた。


 タウンハウスの中は思った以上に広くて、昨日は到着早々寝てしまったから建物内を全然把握していない。
 取り敢えず昨日の応接室に行ってみようと足を向けると、廊下でアンナさんに会った。

「ナガセ!」

 心配そうに近づいてくるアンナさん。

「おはようございます」
「おはよう。体調はどう? 昨日は少し熱があると聞いたけれど……」
「だいじょうぶです。おくすりをのんで、たくさんねました」
「そう、よかった」

 その時丁度、私のお腹がぐぅっと音を立てた。

 はわわ、すいません!
 アンナさんはクスクス笑って私を使用人用の食堂へ連れて行ってくれた。


 食堂ではビルとフィンがすでに朝食を終えて、お茶を飲んでいた。

「ナガセ、おはよう」
「おはようございます」
「熱が出たって? お前病み上がりだから無理すんなよ」
「だいじょうぶです。おなかがすきました」
「そうか! 食欲があるなら大丈夫だな」

 ビルが私の前にお皿を置いてくれる。

「ここの料理人の飯も美味いぞ!」
「食事は美味しい、ですよ、ビル」

 アンナさんがすかさず訂正する。ビルとフィンは平民出身で、口調も砕けている。お店に来る人たちと似た話し方だなとは思っていたんだけど。
 ビルはすみません、と謝りつつも、その後も話し方は変わっていないようで。皆んなで王都のどこがオススメかとかワイワイ話しながら朝食を楽しんだ。

「おはようございます」

 そこに侍女のローザが起きて来た。ローザは私を見るなり、薄い水色の瞳を大きく瞠いて「あら?」と言った。

「今ここに来る前、閣下があなたの部屋を訪ねてたわよ?」
「えっ!!」

 慌てて朝食をかき込み、アンナさんにお行儀が悪いと注意されつつ、急いでレオニダスの部屋へ向かった。
 昨日熱を出して心配してくれていたから、様子を見に来てくれたのかもしれない!


 ――コンコン

 他の部屋より一際大きな扉をノックする。

「入れ」

 中からレオニダスの声が返ってきた。私はそっと扉を開けて中に入る。レオニダスが窓際の一人掛けのソファで新聞を読みながらお茶を飲んでいた。

 室内に侍女はいない。
 レオニダスはこちらに目をやるとふわりと微笑んで「カレン」と私を呼んだ。昨日を思い出してかぁっと顔が熱くなる。

「お、おは、おはようございます」
「おはよう。体調はどうだ」

 立ち上がり、私の頬や首に触れる。熱を計っているのだろうけど、触り方がくすぐったくて恥ずかしい!
 思わず首を竦める。

「だい、だいじょうぶ、です。たくさんねました」
「空腹で薬を飲んだだろう。あれは眠くなるから、ちゃんと何か食べてからにした方がいい」

 そうか、そうですね。凄く眠かったもんな……。

「朝食は食べたようだな」

 レオニダスは頬に触れていた手を移動させ、私の口の端に親指を当てて、すっと拭うと、指についたそれをペロリと舐めた。私を見ながら。

「!?!?!?」
「ふむ、アプリコットジャムだな」

 ぎゃーーっ!! ななななんて事を!!
 くっ口についてたのも恥ずかしいけどね!? でもそれ取るとかしなくても言ってくれたらいいのではないかしら!! ていうか舐めた!? え!? 舐めましたよね!?

 何も言えず恐らく真っ赤になった私をレオニダスは何故か満足そうに見下ろして、私の髪を耳にかけた。

「それじゃあ、準備だ」
「は、はい! きょうの、ごよていは」

 そう、ここから私は従者モード! いつまでも揶揄われて動揺なんてしていられない!
 ヨアキムさんに叩き込まれたスキルでレオニダスのお手伝いをしなくては! 見ててください、ヨアキムさん!
 ふんす、と鼻息荒い私を見てクツクツ笑うレオニダスは「そうだな」と少し意地悪な顔をした。
 ん? 何かな?

「今日はエーリクと街へ行く約束をした。だから余り堅苦しくなくていい」
「はい」

 いろんなパターンの服装も叩き込まれたからね! 今回の荷造りだって私がしたし、何を持って来たのか把握してるよ!


 この部屋は当主の部屋らしく、タウンハウスの中で一番部屋数も多い。
 今いる応接室に隣接する寝室、衣裳部屋。その奥にはお風呂もある。反対側が従者の部屋。つまり私。
 部屋は繋がっていないけど、用がある時はベルで私を呼ぶようになっている。

 なんかテレビでそんなの見たことあるなーとか思いつつ、隣の衣裳部屋へ。街歩きの時は華美にならず、でも辺境伯に相応しく。レオニダスはスタイルがいいから何着てもカッコいい。あ、服選ぶの楽しいかも。
 色々妄想してニヤニヤしながら用意をしていると急に耳元で「楽しいのか?」と囁かれた。

「ひゃぁっ!?」

 ヘンな声出ても仕方ないと思う! さっきから心臓に悪すぎる!!
 驚いて振り返ると物凄い近くにレオニダスがいてこちらを楽しそうに見つめている。
 やめてよね、耳弱いのに! あ! 分かっててやってる?

「た、たのしい、です」

 慌てて距離を取って、選んだ服をこれ! と差し出す。
 それを見て「ふむ」と頷くと、満面の笑み……いや、悪魔のような笑みを浮かべて私にこう宣った。

「では、脱がせてくれ、カレン」

 キョトンとして思わず首を傾けても仕方ないと思うの。
 え、今なんて言った? この人。
 レオニダスはほらほら、と両腕を広げた。

 ぬが……ぬがせてくれ。ヌガセテクレ?
 ぬ…??
 脱がせてくれ!?

 今度こそ首から全部、カーッと熱くなったのが分かった。
 やめてもう! 一体どうしちゃったの!? レオニダスってこんな人だったっけ!?
 もう頭がパンクしそうでどうしたらいいか分からず、目が泳ぎまくる。レオニダスの顔を見てられない。
 レオニダスはそんな私の視界に入ろうと屈んで私の顔を覗き込む。近い近い近い!

「どうした?」
「ぬっ、ぬがせるは、ヨアキムさんはいってまてん」
「そうだろうな、俺もヨアキムに脱がせてもらいたくはない」
「じ、じゃあ」
「折角久し振りに俺に従者が付いたんだ。手伝って欲しいんだが、ダメか?」

 首を傾げるレオニダス。
 ナニソレあざといのを狙ってるの!? 成功してますよ!

「わっ、わかりま、した」

 そうよ、揶揄ってるならこっちも受けて立ってやるんだから! 私意外と根性あるんだからね!?
 キッと睨みつけてやると、レオニダスはそれはそれは嬉しそうに破顔した。ナニソレ可愛い!!
 震えそうになる手を必死に抑え、平静を装いレオニダスのシャツに手を掛けた。

 一体何の時間なのこれは。

 部屋着なのかラフな装いのそれは、上質な生地で出来ていてシンプルだけどレオニダスの精悍さを際立たせる。
 私はレオニダスの腕を取って、袖口のボタンを外す。もう片方も。次に前のボタン。ひとつひとつ外していって、最後、ズボンの中に入れているシャツを上に上げ外に出す。
 その間ずっと視線を強く感じたけれど、恥ずかしくて顔は上げられない。目が合ったらオシマイダ。何が。

 はだけたシャツの隙間から、逞しく鍛え上げられた身体が見える。
 ううっ、なんて目に毒なの! じっくり見たいな!
 なるべく視界に入れないよう、次は後ろに回ってシャツを脱がせようとした時に、ふとシャツの隙間から、レオニダスの胸の辺りに傷跡があるのが見えた。

 そっとシャツを退けて、正面から傷跡を見る。
 斜めにいく筋も走るその傷は、古いものですっかり塞がっているけれど、当時の大怪我を想像させた。
 思わずそっと指でなぞると、レオニダスの身体がビクッと揺れた。
 はっとして手を離す。

「ごめんなさい」

 俯いて謝ると「……いや」と、少し震えるような返事が聞こえた。
 ホラ! レオニダスも恥ずかしいんでしょ!?
 そう思って顔を上げると、口元を片手で隠して目元を赤くするレオニダスと目が合った。

 衣裳部屋に差し込む光がレオニダスの青味がかった髪を照らし、深い碧の瞳を揺らしている。
 綺麗だな、と思ってつい見つめていると、

「カレン」

 と、レオニダスは私の名前を呼んだ。


 この世界で一人だけ、私の名前を知る人。


 レオニダスは私の腰をぐっと引き寄せ、腕の中にすっぽり収まるよう抱き締めた。レオニダスの大きな掌が私の腰と背中に回り身体がぴったり密着する。

「れっ、れお!?」
「しっ」

 レオニダスは私の肩に顔を埋める。私の心臓は絶賛爆走中。
 聞いたことがないくらいドキドキして、これ絶対レオニダスに聞こえているヤツ……! と身悶える。

「近いうち、カレンを教会に連れて行く」
「きょうかい」
「そうだ。俺の……叔父がいるから会ってもらいたい」
「……? は、い」
「その時に何かが分かるかもしれない。カレンを狙う者達が現れるかも……」
「ねらう?」
「でも俺は」

 レオニダスが顔を上げて私を見つめる。深い碧い瞳。
 鼻と鼻が触れるほどすぐそばにあって、唇をレオニダスの吐息が掠める。

「俺はカレンを絶対に手離さない」

 何があっても。
 そう言って、背中にあった手が私の頬を包んだ。

 私はレオニダスから目を離さずに、深い碧が陽の光で揺らめいて少し金色に煌めく様を見つめた。その瞳に私の瞳が映っている。

「……カレン、俺を」



 ――コンコン

「レオニダス様、アルベルト様がお見えになりました」

 応接室の扉の向こう、フィンの声が響いた。


 私は頭が真っ白になり全く動けなかった。
 レオニダスは私の肩にがっくりと凭れ、はーっと、それはもう深い深いため息を吐いて唸った。

「分かった。準備が出来次第向かう」


 扉の向こうからはい、とフィンの声がする。

 私はもう既にキャパオーバー。
 何をどうしたらいいのかさっぱり分からず、ぎゅーっとレオニダスのはだけたシャツを握った。

 レオニダスは離れる前に一度ギュッと強く私を抱き締めて解放し、レオニダスの顔で言った。

「今日の街へはも一緒に来るといい。エーリクも見せたい場所があると言っていた。俺はこれから朝食を取るから、それまではゆっくりしろ」

 返事もできない私はブンブンと頷いて、多分所作も何もかも関係なく、レオニダスの部屋を後にした。


 最後にレオニダスが言った言葉に、少し引っ掛かりを覚えながら。

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