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10 落胆と母性
しおりを挟む「まあ、王女殿下と婚約……」
明かりが灯された噴水の近くで、設置されたベンチに腰を下ろす。
彼は、はぁっと息を吐き出して頭を抱えた。
「ご事情は分かりました。赤ん坊のころから知る王女殿下と婚約するのを避けたいのですね」
「ああ……決して王女殿下が嫌なのではない。だが、まだお若い殿下が、こんな年の離れた男と必要もないのに幼いうちに婚約することに抵抗がある」
(優しいのね)
王族が、若いころから婚約するのは決して珍しい話ではない。いつか本人の与り知らないところで、政治の駒として婚姻を結ぶこともある。
でもそれを、彼は今ではないという。この平和な時代に、王女本人の意思と関係のない婚約を結ぶことに抵抗があるのだ、と。
「王太子殿下に、イーゼンブルグ卿が婚約者を紹介できればいいのですね」
「――できれば。そうしたいのだが、俺の顔ではうまくいかない」
「あら、素敵なのに」
「そ、それは……そう、だろうか。は、初めて言われたが」
(ふふ、言われ慣れていないのね)
ぎこちなく返答する彼に、急に親近感が沸いてきて、かわいいと思った。
なんとか彼の手助けができないだろうか。力になりたい。
「卿は、どのような女性が好みなんですか?」
「好み……」
ひと言呟いた彼は、両手で顔を覆い、そのまま黙ってしまった。この、黙るという間も心証がよくない原因のひとつかもしれない。
「イーゼンブルグ卿、お顔を上げてください」
顔を覆う彼の手をそっと掴んで顔を上げさせると、彼は驚いたように目を見開いて私を見た。
「女性と自然に視線を合わせるのも大事なことだと思います」
「しかし」
「あなたは怖くなんてないわ。私の反応を見ても分かるでしょう?」
「――あなたが変わっているだけだ」
「ふふっ! それはよく言われるわ!」
おかしくて笑う私を見て、彼の身体から力が抜けるのが分かった。表情も少し、柔らかい。
「――かわいらしい」
「え?」
「いや。――かわいらしく、優しい人が好ましい、と」
「そうですか」
(かわいらしい……)
ため息を吐きそうになるのをぐっと堪える。
(ああまた、かわいらしい女性が好まれるんだわ)
イーゼンブルグ卿の言葉に、思っていたよりもショックを受けている自分がいる。大きくて逞しい男性も、やっぱりかわいらしい女性が好みなのだ。
ここでも結局、私のような大きい女は対象外なのだ。
「きっと卿の好みの方が見つかります。女性と出会って、どうアプローチするか考えなければいけないわね」
「では、あなたがその相手をしてくれるか」
「相手?」
「そうだ。女性を口説くときの言葉やアプローチを、あなたを相手にするのはどうだろう。それが合格点かどうか教えてほしい」
「なるほど……?」
気になる相手が見つかるまでは、私で実践するということだろうか。確かにそれは理にかなっている……?
「次に夜会で会うときに、あなたを口説く。合格点だったかを後から教えてほしい」
(それは、なんだかすごい提案だけれど……!)
イーゼンブルグ卿の強い圧に、つい首を縦に振る。すると彼は、少しだけ嬉しそうに目元を赤く染めた。これをかわいいと思ってしまう私は今、心が麻痺しているのかもしれない。
「では、宿題ね。次の夜会で私を上手に口説く台詞を考えてきてください」
「ああ。善処する」
「善処!」
思わず笑うと、彼もつられたように少しだけ口元を緩めた。どこまでもまじめなその様子に、彼の人柄を見た気がして、ほっとする。やっぱり、悪い人ではない。
「では、次に参加する夜会が決まったら教えてほしい。俺の連絡先は騎士団で構わない」
「分かりました。手紙を送りますね」
次に参加する夜会を知らせる約束をして、私たちはバルコニーからホールへと戻った。
彼の手を取って歩いている間、あちこちから視線を感じたけれど、高身長の二人が並べば目立つのだから仕方ない。
(これで次回会ったときに口説かれているところを見られたら、大騒ぎになりそう)
彼はホールにいるアーロンの元へ私を送り届けると、「では」と、来たときよりも少しだけ軽い足取りで去っていった。
(なんだかとんでもないことを引き受けた気がするわ……)
去っていく彼の後ろ姿を眺めながら、急にプレッシャーが圧し掛かる。問題は、彼が私を叔母さまと勘違いしているということ。
私は恋なんてほとんど知らない、恋愛初心者だということだ。
(あれ? どうしよう、もしかしてこれって、まずいんじゃない……?)
引き受けてしまった内容を思い返して、胃の辺りが急にぎゅうっと縮んだ。
何も知らないアーロンに「何か食べる?」と問いかけられて、うわの空で返事をするのが、精いっぱいだった。
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