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18 騎士団長の事情3
しおりを挟む「なぜお前がいるんだ、エヴァンズ」
「私が呼んだからね」
王太子執務室へ向かえば、すでに事務官たちの姿はなく、なぜか第一部隊長のエヴァンズがいた。すでに葉巻をくゆらせているフランシスは、トントンと灰を灰皿へ落とす。
「君、晩餐会でラトゥリ嬢と踊ったんだって?」
「いちいち報告しなければならないのか?」
言いながらじろりとエヴァンズへ視線を向ければ、この男はふいっと視線を逸らした。
「エヴァンズを責めるな。私が彼に詳細を報告させただけだ」
「なぜそんなに俺の動向を探るんだ」
「まあ……心配しているから?」
なぜ疑問形なんだ。
「で、どうだった」
「何が」
「何がって、その後の進展だよ」
「暇なのか? フランシス」
「人聞きの悪いことを言わないでくれ。これでも一国の王太子だぞ」
「だったらもっとそれらしく振る舞え」
ため息を吐きだす俺に、フランシスは身体を執務椅子に預けた。
「悪いが、バーンズ前侯爵夫人について調べたよ」
「は?」
その言葉に顔を上げた俺に、フランシスはまあ待て、と手を前に出した。
「君の将来がかかっているからな。彼女が君の婚約者として適任であるかは調べる必要がある」
そこまで言って、フランシスはエヴァンズを促した。エヴァンズはこほん、とひとつ咳払いをして、手にしていた書類を俺に差し出す。
「それは彼女の身辺調査だ。安心しろ、特筆すべきことは何もないよ。前侯爵から相続した財産はそれほど多くないが、手離すことなくきちんと管理しているし、侯爵家とも良好な関係を築いている。日頃の生活費などは自ら事業を興して生計を立てている賢い女性だ。なぜ君にアレックスと名乗っているかが引っかかるが」
「アレックスというのは、前侯爵夫人の姪の名前です」
エヴァンズが補足するのを、フランシスはまた首を傾げた。
「姪の名前を名乗る必要なんてあるかなぁ」
「何もやましいことがないのなら別にいいだろう」
「いやでも名前だよ? 気にならないか?」
「ならん」
「え、ならない?」
彼女が俺の前でだけアレックスと名乗るなら、それは俺だけのものだ。俺だけが呼べる名前。
「――劇団の後援」
書類の中には彼女の手掛けるレストランや、慈善事業についての記載があった。その中のひとつに、劇団の名前が書かれている。
これは、あの男が所属している劇団だろう。援助している、とはあの男だけではなく劇団そのものだったのか。
「芸術関係に造詣が深いみたいだね。若い画家なんかも支援していて、後々、高評価を得て成功している作家もいる」
「彼女は芸術関係よりも馬が好きだがな」
「馬?」
エヴァンズが「そんな情報あったかな」と首を傾げる。
彼女のことで俺しか知らないことがあるのかと思うと、腹の底が自然と熱くなる。
「まあ、とにかく人生を謳歌している彼女は恋人にも困っていないし、仕事も成功していて充実した日々を送っているわけだが」
それで、とフランシスが身を乗り出した。
「どうやってアプローチしているんだ?」
「――言う必要が?」
「当たり前だろう! コワモテ鉄仮面騎士団長の名をほしいままにしている君が、恋したんだぞ!?」
「そのおかしな通り名をやめろ、フランシス! エヴァンズ、また笑ったら次の訓練は覚悟しておけ!」
「はっ!」
エヴァンズが微妙な顔で背筋を伸ばした。なんなんだ、こいつらは。
「俺のことは放っておけ、フランシス。ちゃんと彼女と約束をして会っているし、問題ない」
「ふうん、そうか……」
それなら、と彼は引き出しから一通の封筒を取り出した。
「これは今度、隣国から招いた王子と王女を交えた晩餐会を開く際の招待状だ。高位貴族と関係者しか招かないが、その場に彼女を連れて来い」
「は?」
「陛下はそこで君とアリアを会わせて話を進めるつもりだ。だが、君が彼女を連れてくればそんな話も出ないだろう」
「王族同士の晩餐会に彼女を伴えというのか」
「君はこの国の公爵家後継者だ。彼女が君と一緒になれば、嫌でもそんな機会は増える。今からそんな及び腰では務まらないだろう」
俺は、そんなことを憂いているのではない。
(まだ彼女に、俺の気持ちを伝えていない)
前回、俺は彼女と敷地内の小高い丘へと出掛けた。
そこで彼女は、もうレッスンを終えるような発言をした。
『あなたはとても魅力的だと思うわ、エイデンさま。私のレッスンなんていらないほど』
俺を魅力的だと言ってくれたことに喜び、レッスンなんていらないという言葉に激しく動揺した。
彼女はあれを、レッスンだと割り切っている。当然だ、俺が教えを乞うたのだ。親切な彼女は、不器用な俺に真摯に向き合い接してくれている。俺の下心など、知る由もない。
伝えてもいいだろうかと、つい彼女の頬に触れてその瞳を覗き込んだ。
初めて間近で見た美しいヘーゼルの瞳は、オレンジや緑が複雑にきらめき、宝石のようだった。
(美しい……)
吸い込まれるようにその瞳に釘付けになり、唇に触れた。触れてしまっては、後はもう戻れなかった。
嫌がるようならやめよう、無理はしたくない……そんな言い訳をしながら、また唇を重ねる。
ふわりと柔らかい唇は、まるで媚薬のように甘く俺を誘った。
彼女が目を閉じたことをいいことに、俺は夢中になってその唇を、肌を貪った。もう二度と誰にも触れさせたくない、早く俺のものにしたい。
そんな強い欲求が身体の中心から沸き起こり、激しい衝動に駆られた。
「――アレックス、俺の口付けは合格か……?」
思春期の子供でもあるまいし。
頭の片隅でそんなことを思いながら、だが彼女に拒まれるのではという恐怖心が胸に広がる。不安に苛まれる己が、滑稽で惨めだと思った。
「――気持ちいいわ」
彼女の赤く染まった肌、潤んだ瞳。決して俺を拒まない彼女に、腹の底がグッと痺れた。
抱きたい。彼女を、俺のものにしたい――。
「おい、エイデン」
フランシスの声にはっと我に返る。気が付けば、二人がじっと俺を見ていた。
「大丈夫か?」
「何がだ」
「いや、ずいぶんと……腑抜けたなと」
「何を言っている」
「ああ、うん、自覚がないものなんだよ、恋っていうのは」
「……」
「エヴァンズ、この後訓練場に集合だ」
「えっ、自分は何も言ってません!」
「顔が言っている」
「ひでえ……!」
そもそもアレックスを口説いていた時点で有罪だ。逃がすはずがない。
「晩餐会へは彼女を伴おう」
「そうか! 楽しみにしているよ」
せっかくだからドレスを用意したい。そして彼女に、俺の気持ちを伝えたい。
まずは彼女の屋敷へメッセージカードを送らなければ。
そう思案している俺に満足そうに何度も頷いていたフランシスは、いつもよりも大きな音で手を叩いた。
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