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24 悪女と騎士団長
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何度目か分からないため息を吐きだして、緊張した気持ちを落ち着けるために白ワインをひと口飲む。
ほんのり甘い香りが鼻腔を擽り、冷えたワインが喉を通る。
ここは、王都中心部にある高級宿泊施設だ。
貴族や他国の来賓を招いた際に利用される施設で、広々としていて充実した設備を誇る。
高級家具で揃えられた部屋、マントルピースの上に飾られた絵画に、美しい花瓶に活けられた花。真っ白なタイルが貼られた浴室は、手入れが行き届き清潔だ。中央に置かれた金の猫脚のバスタブには、甘い香りの香油とバラの花びらが浮いている。
先に到着した私はまず湯浴みをして、エイデンさまから贈られたドレスに着替えた。お化粧も、王都へ来てからというもの毎日のように侍女たちに施されて、自分でもそこそこできるようになった。
今回、隣国からの来賓のために王都中の宿泊施設が軒並み満室になったけれど、この一室だけは押さえることができた。
それは、叔母さまの力添えがあってのことだけれど。
エイデンさまと二人で話す場所を探しているという私に、叔母さまはレストランでは話せないこともあるだろうと、この場所を提案してくれたのだ。
ドレスにも着替えられるし、応接室があるここは、要人の会談でも使用される部屋だ。
「後悔のないようにね、アレックス」
叔母さまはそれだけ言って、私の背中を優しく撫でてくれた。
(私が何をしようとしているのか、分かっているのかしら)
すべて知られていると思うと恥ずかしい。けれど、いつだって私の気持ちを尊重してくれる叔母さまには、本当に感謝しかない。
立ち上がり、窓辺へ近づく。
日が傾き、西の空が段々とピンクに染まり始めていた。
エイデンさまは今夜、晩餐会へ参加するだろう。王族の方たちにその勝利を称えられて、あの隣国の王女とも交流を深めるはず。
だから、これが最後の恋愛指南だ。
(さあ、ちゃんと悪女になり切るのよ、アレックス)
恋多き悪女、アレックス・ラトゥリとして、彼に最後の恋愛指南を行うのだ。
*
コンコン、と少し急くようなノックの音が響いた。
「どうぞ」
返事をすれば、すぐに扉が開いて大きな身体の彼、エイデンさまが現れる。急いできたのだろう、やや乱れた隊服に少しだけ息が上がった彼は、ふうっと深く息を吐き出して静かに室内へ足を踏み入れた。
「――アレックス」
「エイデンさま。お忙しいのに、お呼び立てして申し訳ありません」
「いや……」
彼はそこまで言うと、口元を片手で覆った。けれどその視線は私をまっすぐに捉えている。私は両手を広げて、少しだけおどけたように肩を竦めた。
「どうですか? このドレス」
「とても似合っている。――美しい」
「まあ。ありがとうございます」
どうぞ、とテーブルへ招けば、彼は静かにそれに従い、椅子へ腰かける。バケツに氷と共に冷やされたワインボトルを見て、ふっと口元を上げた。
「先に飲んでいた?」
「ええ、少しだけ。エイデンさまの勝利を祝っていたの」
「では、一緒に祝ってくれ」
「ええ、もちろんよ」
彼の前に置かれたグラスへワインを注いで、自分のグラスを持ち上げる。
「この度の勝利、おめでとうございます、エイデンさま」
「ありがとう。――あなたへ捧げる勝利だ」
「まあ。嬉しいわ」
グラスを合わせ、ひと口飲んでまっすぐに彼を見た。
やや緊張した顔つきのエイデンさまも、私をじっと見つめ返す。
「エイデンさま、これは最後の恋愛指南です」
「最後?」
彼が眉間にぐっと力を入れた。切なく揺さぶられる気持ちをぐっと堪えて、にっこりと笑顔で彼を見返す。
「ええ。私は王城での晩餐会へは参加しないわ。あなたはそこで、自分に相応しい婚約者を見つけなければならないから」
「アレックス! 俺は……っ」
「しっ」
腕を伸ばしてその唇に人差し指を当てる。彼はぐっと言葉を飲み込んだ。
「私には私の、生きる場所があるの」
それは、エイデンさまと重なることはない。
「エイデンさま、あなたはとても素晴らしい、素敵な男性だわ。もっと自信を持って? 必ず、あなたを素敵だという女性が現れるから」
「それはあなたではない?」
彼は口元を押さえていた私の手を取り、サッと私の前に跪いた。
「エイデンさま」
「俺はあなたがいいんだ、アレックス。他の女性なんてどうでもいい。あなたが俺のことを、不器用でどうしようもない男だと思っているのなら、あなたに相応しい男になるために俺は変わる努力をする」
「そんな必要はないわ」
私を見上げる彼の頬を両手でそっと包んだ。
彼はその上に自分の掌を重ね、まるで逃すまいというように、ぎゅっと力を入れる。
「あなたはそのままで素晴らしい人だわ。変わる必要なんてない」
「なら、なぜ」
そこまで言って、彼はぐっと唇を噛んだ。
「――アレックス」
エイデンさまは、椅子に座る私を囲むように両手で椅子の背もたれと座面を掴んだ。
「俺はあなたを愛している」
「――っ」
その言葉に息が止まる。
「俺は、初めからあなたしか見ていない。恋愛指南なんて、あなたに近付くための口実だ」
「エイデンさま……」
「初めて二人であの現場で出会って、話をして……それからずっと、あなたのことが頭から離れない。あなたを愛しているんだ、アレックス」
その言葉がどれほど嬉しいか。この気持ちを伝えられたらいいのに。
「嬉しいわ、エイデンさま」
けれど、それでは駄目なことも知っている。
王族の血が流れる彼が隣国の王女殿下との婚約を調えることが、国にとってどれほど大切なことか。貴族の端くれである私ですら、その重要さはよく分かる。
田舎の領地で管理を担う男爵令嬢の私なんて、不釣り合いもいいところだ。
住む世界が違う。
恋や愛で、まかり通すには無理がある。
(それが分からないほど、盲目になれたらいいのかもしれないけれど)
恋愛小説のように都合よく話が進むわけがないことを、現実の私は知っている。
「――エイデンさま」
両手で挟んでいた彼の頬を、親指でするすると撫でれば、彼は気持ちよそうに目を細めた。
(ふふ、かわいいわ)
こんな彼を、私じゃない誰かにも見られるなんて、それはとても残念だけれど。
ふっと、強張っていた身体から力が抜けて、自然に身体を屈めて彼の唇へ自分の唇を押し当てた。
ふわりと触れて離れ、彼を見ると、目を見開いて私を見上げている。
「エイデンさま、――抱いてくれるのでしょう?」
私を抱いて。
あの日のように、私を強く求めて。私の願いは、それだけだ。
彼はぐうっと喉を鳴らし、まるで食らいつくように私の唇に噛みついた。
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