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番外編1 王太子殿下の事情
しおりを挟む「いやあ、まとまってよかったな、エイデン」
例のごとく葉巻に火をつけようと引き出しを開けた途端、執務室から事務官と護衛騎士たちが静かに立ち去った。
さすがに回数を重ねた自覚はある。執務中だというのに、彼らは私の合図に無意識で従うことができるようになってしまった。
「――そうだな」
この無口で無表情、鉄仮面のような男とは、もう二十年以上の付き合いになる。
真面目で実直、騎士を絵に描いたようなエイデンは、決して見目は悪くないのだが、なぜか昔から令嬢に恐れられている。
それもすべて、大きな身体とニコリともしない無表情のせいだと思われる。
縁談はすべて相手から断られ、社交界でも敬遠されるほどの無表情具合は、歳を追うごとに磨きがかかっていった。
悪い男ではない。むしろ情に厚く、女性と付き合えば、相手を大切にするタイプだ。多分。
だが、結局いい相手を見つけられないまま三十二歳を迎え、子爵位の叙爵と騎士団長昇任という、ますます近寄りがたい地位を得てしまった。
「それにしても、アレックス・ラトゥリ嬢がビルギッタ・ラトゥリ・バーンズ前侯爵夫人の姪っ子とは、ちょっと調査が足りなかったな」
「そうだな」
「姪っ子と言えば、もっと小さな子供を想像してしまうからなぁ」
「そうだな」
「しかも容姿が似ている。前侯爵夫人の代理で出席されては、確かに噂先行で、皆が彼女をあの『恋多き悪女』と思ってしまうのも無理はない」
「そうだな」
「なあ、いったいどうしたんだ、その間抜けな返答は」
あまりにも適当な返答に、エイデンの顔を見ると、彼はむっつりと口を結んだまま私を睨んだ。王族を睨む騎士団長。
「今日はアレックスが王都に到着する日だ」
「ああ、聞いてるよ」
「嫌がらせか……?」
人を殺してきた後のような迫力で王太子を睨むこの男。いつか、不敬罪で捕まらなければいいが。
「滞在先は、君の屋敷じゃなくて前侯爵夫人のタウンハウスだろう? 何時に到着するか分からないし、大体、君は勤務中だ。そわそわといつ来るか分からない婚約者を、他人の屋敷の前で待つなんて怪しすぎる」
「――そうか」
いや、待つつもりだったな。純粋って恐ろしいな。
「あまり怪しい動きをしては愛想を尽かされるぞ」
「そう、か」
(なんだ、素直な反応だな、珍しい)
これからは、彼を動かしたいときは彼女の名前を出したらよさそうだ。
「ラトゥリ家の陞爵式が決まったよ。来月になる」
「ずいぶん手際がいいな」
「そりゃあ、急がないと君の婚約がいつまでも発表できないからね。陛下の力添えあってのことだ」
「ありがたい」
「でもさ、運がいいと思うよ」
「運?」
「そう。陞爵しても所詮、子爵位だ。通常なら貴族院が何を言うか分からない。でも、今回陞爵される子爵位はクレマン子爵位だからね。クレマン家は古くから続く家柄で、田舎とはいえ、広大な領地を治めてる。国がどんなに混乱した時代であっても安定した経営を行って、王家を支えてきた。そして、貴族院では公爵家の派閥に属してる」
「ああ。文句のつけようがない。父もクレマン家との繋がりが持てると喜んでいたくらいだからな」
「これで、公爵家と繋がりを持ちたいと密かに動いていた貴族たちも大人しくなるだろう」
彼らの婚約に、王家が介入したも同然だ。表立って否を唱える者はいない。
「やれやれ、どうなるかと思ったが、収まるところに収まったな」
「フランシス」
「なんだい」
さすがに彼も、私に感謝くらい述べたいだろう。このために陛下を説得したのだから。
「アレックスがそろそろ到着するかもしれない。もう戻っていいか」
「……」
普段よりも一段と無表情だと思っていたが、落ち着かない気持ちを抑えるために、ますます顔が強張っているのだろう。
(まあ、こんな姿を見るのも初めてだし)
いつか感謝してくれる日が来るだろうことを信じて。
葉巻を灰皿に押し付けて、パンッ、と手を叩いた。
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