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番外編2 ある役者の恋
しおりを挟む「ちょっと、焼きすぎよ! 半熟がいいって言ったでしょう!」
「あ、ごめんなさい」
「まったく、食事の用意もろくにできないなんて」
彼女は目玉焼きに手を付けず、ガチャン! と乱暴にフォークを置いて立ち上がった。
「今夜は上客が入ってるの。帰りは何時になるか分からないから、掃除しといてよね」
「うん、いってらっしゃい」
甘ったるい香水の匂いをまき散らし、一張羅のドレスに身を包んだ彼女は僕を横目で睨みつけて出ていった。
「僕は固いのも好きだけどな」
彼女が残してくれたお陰で、僕の夕食が一つ増えた。固くなったパンを火で炙って玉子を載せて頬張る。
「ベーコンがあったら最高なんだけど」
よほど彼女の機嫌が良くなければ、口にすることはない。
一人になった居室で、時々彼女が持ち帰ってくる客が置いていったという新聞を広げる。これは三日ほど前のものだ。
字が読めない彼女は、僕に記事を読ませるのを気に入っていた。片隅に乗っている小説の連載が特にお気に入りだ。時々仕事の募集なんかも熱心に聞いてくる。
「――野外演劇?」
紙面を捲ると飛び込んできたのは、街の劇団が主宰する野外演劇の広告。
古典をアレンジして市民にも楽しんでもらうというコンセプトのようだ。
「へえ、これをやるのか。懐かしいな」
学園に通っていたころ、演劇部が発表していたのを観たことがある。あの時は古典劇そのもので、客入りも悪く閑散とした舞台だったけれど、彼らの情熱がヒリヒリと痛いくらい伝わってきて、感動したのを覚えている。
「観に行こうかな」
どうせ彼女は、今夜は帰らない。僕が出かけても文句は言わないだろう。
急いでスープを飲んだ僕は、軋んだ扉を開けて、そっと夜の街へと潜り込んだ。
*
「――わあ、すごい」
大きな公園にある野外劇場は、満員だった。周囲には出店もちらほらあり、酒を飲んだり食事をしながら楽しんでいる客の姿もある。
てっきり有料かと思ったけれど、無料で誰でも観られるようになっていた。
円形の舞台を階段状の座席が取り囲み、夜の暗さを最大限に生かした照明や舞台美術が観客の高揚感を煽る。役者の一挙手一投足に声が上がり、時折その声に応えるようなアドリブを見せる役者たち。互いの興奮が場の空気を盛り上げていた。
「すごい、あの長台詞をあんなにきれいに発声するなんて」
美しい所作で淀みなく、どこにいても聞き取れる声のボリュームと発音。手にするランタンを効果的に動かしながら、演者の美しさを闇夜に浮かび上がらせている。
「あの場面をこんなふうに解釈するのか。でも全然違和感がないなんてすごい。脚本家はどんな人だろう」
「――この作品が好きなの?」
「わっ!」
夢中になって周囲が見えていなかった僕に、突然背後から声を掛けられた。
驚いて振り返ったそこには、真っ黒な髪を美しくまとめ、赤いジャケットとスカートを上品に着こなす女性が立っていた。
「ごめんなさい、驚かせてしまったかしら」
「あっ、いえ……」
(また、独り言を言ってたんだ)
彼女以外と話すことがほとんどない毎日を送る僕は、いつも独り言を言っている。そうしないと、自分の声を忘れそうだから。
「す、すみません、すぐに退けます」
身なりから、身分のいい人物のようだ。夢中になりすぎて、立ち入ってはいけない場所に入り込んでしまったのかもしれない。
「ねえ、さっきの長台詞の解釈、あなたはどう思う?」
けれど彼女は何も気にすることなく、舞台へ視線を向けたまま僕に質問をした。
「え……、っと」
「私はもう少し激しい感情があるように思っていたのよね。だからなんだか物足りなくて」
腕を組みながら首を傾げた彼女は、じっと舞台を見つめている。
「――あ、ほら、今の台詞。どう?」
「あ、ええと……、言葉を選んでいる感じ、ですね」
「そうよね。でも彼はもっと激情型だと思うのよ」
「そうですね……。でも、選んでいる言葉はすごく……強い印象です」
「強い?」
「はい。優しい言葉のはずなのに心を揺さぶられるのは、あの役者の方の演技もそうですけど……現代語に訳した方の想いが、凄く込められてる気がします。もしかしたら伝えたい相手が、いるのかもしれないなって」
「……」
言ってから、はっと我に返る。
(わ、調子に乗りすぎた)
「す、すみません、生意気なことを」
「いいえ、ありがとう。そう言ってくれるのはとても嬉しいわ」
いつの間にか僕のことをじっと見ていた彼女と目が合う。夜の闇と舞台の明かりが、彼女を夜の女神のように美しく浮かび上がらせているようだ。
「――きれいな人だな」
「まあ! ありがとう!」
彼女は一瞬目を丸くして、あはは、と声を上げて笑った。その様子に、自分が今、思ったことを口にしてしまったことに気が付く。
「あっ、いや……! す、すみません!」
(ダメだ、すぐに言葉にしてしまう!)
我ながら厄介な癖を身に着けている。
さすがにその場を去ろうとする僕を、彼女の手が引き留めた。
「あれは私の夫が書いた脚本なのよ」
「え?」
「夫が生前、どうしても古典劇を、親しみを持てるようにしたいって言って、取り組んでいたものなの。あなたのように感じ取ってくれて、きっと喜んでいるわ」
「そうなんですね……」
「ねえ、演劇に興味あるようだけれど、もう少し近くで観てみる?」
「えっ」
「舞台美術も素晴らしいのよ」
ホラ、と彼女は僕の手を引いて舞台裏へと向かった。
*
「ビルギッタさん!」
「お疲れさま、みんな。素晴らしかったわ」
舞台近くで観劇をさせてもらった僕は、そのまま彼女に手を引かれて楽屋へと通された。
たった今、舞台上で演じていた役者が衣装姿のまま、わっと彼女の周りに集まってくる。
「凄い手応えでした! 楽しかったー!」
「本当に! あんなに観客の生の反応を感じられて、すごくよかったです!」
興奮冷めやらない彼らは、次々と彼女へ感謝の言葉を口にする。
(すごいな、みんな幸せそうだ)
みんな笑顔で互いを称えあい、興奮と感動を共有している。
(いいな……、うらやましい)
僕にも夢中になれることがほしい。
こんな、人に飼い慣らされているような僕ではなく、僕らしく、好きなものを見つけたい――。
「――で、その子は誰?」
突然、一人の役者がそう発言した途端、視線が僕に集まった。
「えっ、あ、あの」
ドッ、と心臓が大きく音を立てた、こんなに人に見られるのは久しぶりだ。顔に熱が集まってくる。
「今そこで脚本について話していたの。古典に詳しいのよ」
「へえ! それは感想が聞きたいな!」
「あ、いや僕は……」
「ていうか、ずいぶんきれいな顔した子だなあ。役者にならない?」
「えっ?」
「そう、私もそう思ったのよ」
僕の手を掴んだままの彼女は、振り返ってにっこりと美しく笑った。
「私はこの劇団の後援をしている、ビルギッタ。ビルギッタ・ラトゥリ・バーンズよ。あなたのお名前は?」
(バーンズ……、バーンズ侯爵家の人だ!)
相当な高位貴族だ。僕なんかが、話ができるような人ではない。
そうじゃなくても、今はこんな身なりなのだ。
恥ずかしくなり、掴まれていた手をサッと引いて頭を垂れた。
「アーロンです。ただの、アーロン」
下を向いて飛び込んでくるのは汚い革靴。ぼんやりと、せめて磨けばよかったなと頭の片隅で思う。
「アーロン」
黒い革の手袋をした手が、そっと僕の頤に添えられて上を向かされた。
美しい琥珀色の瞳と目が合う。
「これからみんなで打ち上げをするのよ。よかったら一緒にどう?」
このときもうすでに、僕は美しく、けれど優しい笑顔を見せる彼女に、心が囚われたのだと思う。
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