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しおりを挟む「本日からこちらで補佐をさせていただきます、エリカ・リーベルトです。よろしくお願いいたします」
翌日、王太子妃補佐室で初顔合わせを行った。
皆の前に立って挨拶をする私を、無遠慮にジロジロと見る視線はどこでも同じ。
よろしく、と返してくれる人もいれば、真顔のままなにも言わない人もいる。
どちらかと言うと、後者の方が多い。
(予想はしていたけれど、これは……)
完全に、歓迎されていない。
私は以前、”田舎者の令嬢が、身体で初心な貴族を落とした”と、噂されたことがある。これが意外と根強く噂として残っていて、いまだに偏見に満ちた眼差しで見られることがあった。それでも、私の婚約が解消となった記事が出てからというもの、そんなことも少なくなったのだけれど。
(仕方ないわ。期間限定のことだし、真面目に仕事に取り組むだけよ)
私が補佐業務を行っている間、欠員を募集するらしい。後任が決まれば、私はまた元の部署へ戻るだけ。せめてここで仕事をする間だけでも、波風立てずにいたい。
「午後から王太子妃殿下へ挨拶に行きます。それまでは、前任者の引き継ぎ書に目を通して、業務を大体でいいから把握しておいてちょうだい」
「承知しました」
王太子妃補佐室の室長であるベルタ室長に席を案内してもらい、腰掛ける。机上に置かれた引き継ぎ書の分厚さに、少しだけ怯んだ。
「すごい厚さよね」
隣の赤い髪の女性が苦笑しながら話しかけてきた。
「はい、でもすごく丁寧に書かれていて、とても助かります」
「前任の子はまじめだったから。実家の領地を継ぐことになって、急に帰ってしまって困っていたの。来てくれて助かったわ」
彼女は優しそうな緑の瞳を細めて手を差し出してきた。
「アルギッタ・ハートよ。アルギッタって呼んでね」
「よろしくお願いします、アルギッタ。私のことも、どうぞエリカと」
「ふふ、よろしくね」
(よかった、いい人そうだわ)
引き継ぎ書に目を通しながら、分からないところは彼女に聞いて、なんとなく全体の業務を把握する。ベルンハルトの担っている業務と被ることが多く、理解しやすかった。
「――さすが、ヴィルツ補佐官の下にいるだけはあるわね」
アルギッタが感心したように声を上げた。
「補佐官をご存じですか?」
「もちろん! 彼はここで結構人気なのよ」
「え?」
アルギッタはそっと身を屈めて、内緒話のように声を潜めた。
「王太子ご夫妻と学園時代の学友で、しかも今は宰相補佐官で将来有望。実家は子爵家で、堅実な領地経営で有名だし、なによりあの見た目でしょう。彼を狙っている人は多いのよ」
「へ、へぇ~……?」
「婚約者がいないっていうのもポイントよね」
(それはそうです結婚しているので……!)
彼が人気のある人だとは感じていたけれど、まさか狙われているなんて思わなかった。
そのままひそひそと話を続けるアルギッタの様子に、聞いている私も思わず身を寄せて息を潜めた。
「王太子妃補佐室って貴族令嬢ばかりでしょう。結婚相手探しに本腰を入れている子が多いのよ」
「そ、ソウデスカ……」
「私はもう結婚しているから関係ないんだけれど、近衛騎士もそういう目で見てくる人が多いわよ。あなたは美人だし、気を付けてね」
(そういう目ってなんですか……!)
それはもう、公認で婚活をしているってことでは?
「ちょっと、私語はやめなさい!」
そこへ、背後から厳しい声が掛けられた。振り返れば、金色の髪の女性が腰に手を当ててこちらを睨んでいる。
「引継ぎをしているだけよ、テッサ」
「噂話の引継ぎ?」
フン、と鼻で笑った彼女は、私をじろりと睨みつけた。
「あなたの噂は聞いているわ、リーベルト。また失敗しないように、ここでは身の丈に合った振る舞いをすることね」
「失礼よ、テッサ!」
アルギッタの叱責を気にすることなく、テッサは踵を返して自席へ戻っていった。その後ろ姿を見ながら、アルギッタはため息をついて小さな声で囁いた。
「――あの子はテッサ・ストラスト伯爵令嬢。補佐官を狙う筆頭令嬢よ」
「は、はは……」
(嘘でしょう……!)
期間限定のはずなのに。
なんだか嫌な予感しかしなくて、ため息を吐き出さずにはいられなかった。
*
「あなたがエリカね! 急なことなのに引き受けてくれてありがとう」
午後、室長と向かった王太子妃の執務室で、妃殿下が両手を広げて歓迎してくれた。
「恐れ入ります、エリカ・リーベルトです。妃殿下のお力になれるよう尽力させていただきます」
「あらあら、そんなに固くならなくていいのよ」
優しく笑う彼女は、ベルンハルト曰く才女。とても賢く有能な人だと言っていた。
「妃殿下、早速ですがリーベルトに訪問の行程について確認してもらいましたので、ご確認をお願いします」
「ありがとう」
ベルタ室長から書類を受け取った妃殿下は、すぐに真剣な表情で書類に目を通し始めた。
目の前で確認が始まって、緊張に背筋を伸ばす。
「――すごいわ、今日来てすぐ作成したの?」
真剣な表情で書類に視線を落としたまま言う妃殿下の言葉に、内心ほっとする。
「はい、ヴィルツ補佐官の元で似た資料を用意していましたので、多少補足させてもらいました」
「隣国の文化についてしっかり把握しているのね。詳細が分かって助かるわ」
「文化の違いもありますので、料理の見直しも若干必要かと思います」
「そうね。料理長と打ち合わせをするから、あなたに同席してほしいわ。あとは室内の誂えも配慮が必要ね」
「色と形を伝統的なものに変えた方がよろしいかと思います」
「行程も、こことここ……、そうね、移動時間の設定が甘いわ。見直しましょう」
そこへ、扉をノックする音が響いた。外から近衛騎士が面談を知らせる声が響く。
「ごめんなさいね、今日は来客が多くて。この書類に目を通しておくから、明日また相談させてくれる?」
「承知しました」
「それから」
顔を上げた妃殿下は、私を見てパチン、とウィンクをした。
「ヴィルツ補佐官から、あなたのことを頼まれたわ」
「!」
ちらりと室長を見れば、彼女も少しだけ笑って頷いた。
「ここでは私とベルタだけが知っているわ。まだ機ではないというあなたの気持ちも分かるから、しばらくは黙っていましょう」
「あ、ありがとうございます」
「それにしても、あのベルンハルト・ヴィルツが女性に夢中だなんて、昔を知る身としては喜ばしいことだわ」
(そ、それはどういう意味でしょう……!?)
ベルンハルトとは長く上司と部下だったので、彼について知らないことは多い。
モテたであろうことも、騎士だったころの話も、あまり知らないのだ。
私の動揺を見抜いたのか、妃殿下はおかしそうに笑った。
「彼の話は今度ゆっくりしましょう。もちろん、仕事抜きで」
「は、はい」
(それはなんだかすごいことだわ……!)
笑顔の妃殿下に一礼をして退室した私たちは、他の打ち合わせがあるというベルタ室長と別れて、一人、補佐室へ戻ることにした。
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