溺愛恋愛お断り〜秘密の騎士は生真面目事務官を落としたい〜

かほなみり

文字の大きさ
22 / 27

22

しおりを挟む

「おはよう、アリサ」
「おはようレジーナ! 付き合ってくれてありがとう」

 朝、いつもより早い時間に迎えに来てくれたレジーナと一緒に、ユーリおすすめのパン屋へと向かう。少し時間を早めただけだというのに、人は疎らで空気も清々しく感じた。

「いい匂いがしてきたわ」

 パン屋に近づくにつれ、焼き上がるパンのいい香りが辺りを包み込む。
 赤い扉を押し開け店に入ると、ドアベルがカランと鳴り、店の人が奥から「いらっしゃい」と声を上げた。姿は見えないけれどきっと仕込みで忙しいのだろう。小さな店内には所狭しと焼き立てのパンが並んでいる。

「私たち、一番乗りね」
「たくさん焼きあがっていて迷うな」

 レジーナも心なしか嬉しそうにパンを選んでいる。

「ユーリからもらったサンドイッチも美味しかったわ。チキンが挟んであって食べ応えもあったの」
「じゃあそれを買おうかな。甘いパンも充実してる」

 ほら、とレジーナが示したトレーには、柔らかそうなパンも並んでいる。

「どうしよう、甘いのも欲しいわね」

 無人なのをいいことに店内をウロウロと歩いていると、突然レジーナが顔を上げて店の外へ視線を向けた。素早く窓へ移動し、外を確認している。

「レジーナ?」
「――アリサ、急いで裏から出よう」
「え?」

 レジーナは店の鍵を内側からかけると私の腕を取り、レジから店奥へと移動した。

「まって、何が……」
「クソ」

 レジーナが小さく舌打ちする。
 レジのカウンターから奥へと向かう扉をガチャガチャと回し、ドン! と扉を叩いた。

「鍵がかかっている」
「さっき店の人の声はしたのに」
「店主じゃないかも」
「え?」

 その時、ドン! と店の扉が大きな音を立てた。驚き振り返ると、扉を開けようと外から誰かが体当りしているようだった。

「レジーナ!」
「アリサ、そこのカウンターに隠れて」
「テーブルで扉を押さえましょう!」
「え」

 持っていたトレーをカウンターに置き、パンが並べられているテーブルを身体で押して扉の前に移動させる。レジーナも慌てて他のテーブルや棚を移動させ、店の扉を塞いだ。

「窓は?」
「嵌殺しの窓だけど念のため」

 レジーナはカーテンを引くと、背の高い棚を移動させ窓を塞いだ。外から人の声がして、また体当たりをする音が響く。

「何人くらい?」
「見える範囲では三、四人……、アリサ」
「なあに?」

 名前を呼ばれ返事をすると、レジーナが眉間にシワを寄せ私を見た。

「――慣れてる?」
「まさか!」

 なんだかわからないけれど、よくない事態なのだと判断しただけだ。

「でもこれっていい状態ではないでしょう? これからどうするの?」
「他の護衛がいるはずだから大丈夫。しばらくここでじっとしていよう」
「他の護衛」

 二人でカウンターの中でじっとしていると、やがて外で何かがぶつかるような音とくぐもった人の声が聞こえた。ドスン、という音と剣戟の音まで聞こえてくる。

(大丈夫かしら)

 じっと耳を澄ませていると、やがて外は静かになった。

(いったい何が……)

 カウンターの中でしゃがんでいたのを立ち上がろうとすると、突然背後の扉が開いた。

「!」
「アリサ伏せて!」

 レジーナの声に素早く頭を低くすると、彼女は私の後ろに跳びかかった。男の呻き声と鈍い音が響き、這いつくばってカウンターから出る。振り返るとレジーナが自分よりも大きな外套のフードを着た男ともみ合っていた。

「レジーナ!」

 その背後からまた一人、店内に外套を着た男が飛び込んできた。

「!」
(逃げ場がないわ!)

 その人物が私目掛けて手を伸ばしたその時、更に身体の大きな人が男を蹴り飛ばした。

「アリサ!」
「ザック⁉」

 ザックは私をちらりと確認すると、蹴り飛ばされ壁に叩きつけられた人物が起き上がる前に素早く背後へ回り、首を締め固める。その腕から逃れようともがいていた外套の男はやがて白目を剥き、ぐったりと動かなくなった。
 男を床に横たえ振り返り、レジーナに加勢してもう一人の腹部を剣の柄で突く。呻き声を上げたその男はレジーナを突き飛ばし、裏口へと逃げた。

「追わなくていい!」

 後を追おうとしたレジーナを呼び止め、ザックは私を振り返る。

「アリサ、大丈夫か」
「ええ。でも、どうしてここに」
「ユーリに頼まれた」
「え?」
「レジーナ、アリサを連れて屋敷に戻れ」

 ザックは私を立ち上がらせるとレジーナにそう言って、扉を塞いでいた棚や机を退けた。

「もう外は大丈夫だ。今日は仕事を休め」
「待ってザック、一体何が……」

 ユーリに頼まれた? 何を?

「アリサ」

 ザックは私の混乱をわかっているのか、落ち着かせるように手を取った。

「あの男を信じているか?」

 灰色の瞳がじっと私を見つめる。この、落ち着いた冬の空のような瞳が私は好きだった。

「ええ」
「――愛してる?」

 時に情熱的で、まっすぐな彼といるのが好きだった。

「ええ」
「――そうか」

 彼は私の言葉を聞くとふっと瞳をやわらげ、レジーナに私を託し扉を開けた。

「今日中にユーリも屋敷には戻るだろう。その時に本人の口からちゃんと聞けばいい」
「ザック」

 先に外へ出て様子を窺ったレジーナに促され外へ出る。店の入り口でこちらを見るザックを振り返った。

「――ありがとう」

 たくさん、たくさん。
 ありがとう。

 ザックはまるで初めて会った時のように、優しく笑った。

 *

「アリサ様!」

 レジーナと共に屋敷へ戻ると、玄関では心配して外で待っていた様子のノラに迎えられた。

「早く中へ」

 レジーナに促され、ノラは急いで私の手を取り屋敷へ入る。入り口で振り返ると、レジーナはいつものように私が入るのを見届けるように立っていた。

「レジーナは?」
「私は一度戻る。アリサは屋敷から出ないように」
「ええ。気を付けて」

 レジーナが小さく頷いたのを見て、ギルバートは静かに扉を閉めた。

「ご無事で何よりでしたわ!」

 ノラは私を部屋まで連れて行くと紅茶を淹れてくれた。毎朝飲むものとは違う、落ち着く香りの紅茶だ。

「レジーナがいたから大丈夫だったのよ」
「何をおっしゃっているんですか! 普通は怖くて仕方のないことなのですよ?」

 ノラは憤りブツブツと文句を言っている。
 確かに、パン屋にいただけなのに突然外套を着た男たちに襲われたのは怖いし、何故なのかとか何が目的なのかとか思うけれど。

(ユーリはすべてわかっていて私にレジーナをつけたのね)

 レジーナは他の護衛、とも言っていた。
 私に護衛がついている。
 レジーナも護衛ということだ。

(ユーリが何かに巻き込まれている)

 けれどそれは私に何かできることがあるわけでもなく、ただ彼を信じて待つだけだ。

『あの男を信じているか?』

 ええ、信じているわ。
 ただ、何もできず歯痒い思いを抱えて、彼の身を心配しているだけ。

「――お風呂をご用意しましょう!」

 ノラが突然パンッと手を打った。

「はい?」
「新しい香油もご用意したので、試すのにいい機会ですわ」
「いい機会」
「落ち着かない時はリラックスできることをするのが一番です! そうしましょう、ギルバートに伝えなければ」
「ノラ、こんな時間にいいわ、みんなに悪いもの」
「いいえ! アリサ様は気持ちを落ち着ける必要があります!」

 それは私じゃなくて多分ノラだと思う。

「ドレスも昼前には届きますし、湯から上がったら袖を通してみましょう!」
「ねえノラ?」
「せっかくですからお化粧も施してみましょう!」
「あの」
「私、一度でいいからアリサ様をこれ以上ないくらい着飾ってみたかったのです!」
「そ、う?」
「こちら召し上がって、少々お待ちくださいませね!」

 ノラは私の前にケーキを置くと、急いで階下へと降りていった。
 呆然と閉ざされた扉を見つめ、テーブルの上のお皿に視線を移す。余程動揺していたのか、お皿だけでカトラリーがない。
 
(ノラの気持ちが落ち着くなら、お風呂をいただいた方がいいかもしれないわね)

 仕事を休んでこんな早い時間にお風呂をいただくなんて、贅沢極まりない。
 大変な目に遭ったけれど、ちょっと得した気分になったのは、彼女には黙っておこう。 
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

初恋をこじらせた騎士軍師は、愛妻を偏愛する ~有能な頭脳が愛妻には働きません!~

如月あこ
恋愛
 宮廷使用人のメリアは男好きのする体型のせいで、日頃から貴族男性に絡まれることが多く、自分の身体を嫌っていた。  ある夜、悪辣で有名な貴族の男に王城の庭園へ追い込まれて、絶体絶命のピンチに陥る。  懸命に守ってきた純潔がついに散らされてしまう! と、恐怖に駆られるメリアを助けたのは『騎士軍師』という特別な階級を与えられている、策士として有名な男ゲオルグだった。  メリアはゲオルグの提案で、大切な人たちを守るために、彼と契約結婚をすることになるが――。    騎士軍師(40歳)×宮廷使用人(22歳)  ひたすら不器用で素直な二人の、両片想いむずむずストーリー。 ※ヒロインは、むちっとした体型(太っているわけではないが、本人は太っていると思い込んでいる)

コワモテ軍人な旦那様は彼女にゾッコンなのです~新婚若奥様はいきなり大ピンチ~

二階堂まや♡電書「騎士団長との~」発売中
恋愛
政治家の令嬢イリーナは社交界の《白薔薇》と称される程の美貌を持ち、不自由無く華やかな生活を送っていた。 彼女は王立陸軍大尉ディートハルトに一目惚れするものの、国内で政治家と軍人は長年対立していた。加えて軍人は質実剛健を良しとしており、彼女の趣味嗜好とはまるで正反対であった。 そのためイリーナは華やかな生活を手放すことを決め、ディートハルトと無事に夫婦として結ばれる。 幸せな結婚生活を謳歌していたものの、ある日彼女は兄と弟から夜会に参加して欲しいと頼まれる。 そして夜会終了後、ディートハルトに華美な装いをしているところを見られてしまって……?

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

愛の重めな黒騎士様に猛愛されて今日も幸せです~追放令嬢はあたたかな檻の中~

二階堂まや♡電書「騎士団長との~」発売中
恋愛
令嬢オフェリアはラティスラの第二王子ユリウスと恋仲にあったが、悪事を告発された後婚約破棄を言い渡される。 国外追放となった彼女は、監視のためリアードの王太子サルヴァドールに嫁ぐこととなる。予想に反して、結婚後の生活は幸せなものであった。 そしてある日の昼下がり、サルヴァドールに''昼寝''に誘われ、オフェリアは寝室に向かう。激しく愛された後に彼女は眠りに落ちるが、サルヴァドールは密かにオフェリアに対して、狂おしい程の想いを募らせていた。

虐げられた出戻り姫は、こじらせ騎士の執愛に甘く捕らわれる

無憂
恋愛
旧題:水面に映る月影は――出戻り姫と銀の騎士 和平のために、隣国の大公に嫁いでいた末姫が、未亡人になって帰国した。わずか十二歳の妹を四十も年上の大公に嫁がせ、国のために犠牲を強いたことに自責の念を抱く王太子は、今度こそ幸福な結婚をと、信頼する側近の騎士に降嫁させようと考える。だが、騎士にはすでに生涯を誓った相手がいた。

不器用騎士様は記憶喪失の婚約者を逃がさない

かべうち右近
恋愛
「あなたみたいな人と、婚約したくなかった……!」 婚約者ヴィルヘルミーナにそう言われたルドガー。しかし、ツンツンなヴィルヘルミーナはそれからすぐに事故で記憶を失い、それまでとは打って変わって素直な可愛らしい令嬢に生まれ変わっていたーー。 もともとルドガーとヴィルヘルミーナは、顔を合わせればたびたび口喧嘩をする幼馴染同士だった。 ずっと好きな女などいないと思い込んでいたルドガーは、女性に人気で付き合いも広い。そんな彼は、悪友に指摘されて、ヴィルヘルミーナが好きなのだとやっと気付いた。 想いに気づいたとたんに、何の幸運か、親の意向によりとんとん拍子にヴィルヘルミーナとルドガーの婚約がまとまったものの、女たらしのルドガーに対してヴィルヘルミーナはツンツンだったのだ。 記憶を失ったヴィルヘルミーナには悪いが、今度こそ彼女を口説き落して円満結婚を目指し、ルドガーは彼女にアプローチを始める。しかし、元女誑しの不器用騎士は息を吸うようにステップをすっ飛ばしたアプローチばかりしてしまい…? 不器用騎士×元ツンデレ・今素直令嬢のラブコメです。 12/11追記 書籍版の配信に伴い、WEB連載版は取り下げております。 たくさんお読みいただきありがとうございました!

姉の婚約者の公爵令息は、この関係を終わらせない

七転び八起き
恋愛
伯爵令嬢のユミリアと、姉の婚約者の公爵令息カリウスの禁断のラブロマンス。 主人公のユミリアは、友人のソフィアと行った秘密の夜会で、姉の婚約者のカウリスと再会する。 カウリスの秘密を知ったユミリアは、だんだんと彼に日常を侵食され始める。

約束破りの蝶々夫人には甘い罰を~傷クマ大佐は愛しき蝶を離さない~

二階堂まや♡電書「騎士団長との~」発売中
恋愛
令嬢エレナはグアダルーデの王太子妃となることを夢見ていた。しかし王族としての美の基準を満たせなかったことを理由に、王太子の花嫁選びで令嬢アンネリーゼに敗北してしまう。その後彼女は、祖国から遠く離れた国ヴェルイダの‘‘熊’’こと王立陸軍大佐ドゴールの元へと嫁ぐこととなる。 結婚後は夫婦で仲睦まじく過ごしていたものの、自身を可愛いと言うばかりで美しいとは言わない夫に対して、エレナは満たされない気持ちを密かに抱えていた。 そんな折。ある夜会で、偶然にもエレナはアンネリーゼと再会してしまう。そしてアンネリーゼに容姿を貶されたことにより、彼女は結婚の際ドゴールと交わした約束を破る決意をしたのだが……?

処理中です...