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しおりを挟む「おはよう、アリサ」
「おはようレジーナ! 付き合ってくれてありがとう」
朝、いつもより早い時間に迎えに来てくれたレジーナと一緒に、ユーリおすすめのパン屋へと向かう。少し時間を早めただけだというのに、人は疎らで空気も清々しく感じた。
「いい匂いがしてきたわ」
パン屋に近づくにつれ、焼き上がるパンのいい香りが辺りを包み込む。
赤い扉を押し開け店に入ると、ドアベルがカランと鳴り、店の人が奥から「いらっしゃい」と声を上げた。姿は見えないけれどきっと仕込みで忙しいのだろう。小さな店内には所狭しと焼き立てのパンが並んでいる。
「私たち、一番乗りね」
「たくさん焼きあがっていて迷うな」
レジーナも心なしか嬉しそうにパンを選んでいる。
「ユーリからもらったサンドイッチも美味しかったわ。チキンが挟んであって食べ応えもあったの」
「じゃあそれを買おうかな。甘いパンも充実してる」
ほら、とレジーナが示したトレーには、柔らかそうなパンも並んでいる。
「どうしよう、甘いのも欲しいわね」
無人なのをいいことに店内をウロウロと歩いていると、突然レジーナが顔を上げて店の外へ視線を向けた。素早く窓へ移動し、外を確認している。
「レジーナ?」
「――アリサ、急いで裏から出よう」
「え?」
レジーナは店の鍵を内側からかけると私の腕を取り、レジから店奥へと移動した。
「まって、何が……」
「クソ」
レジーナが小さく舌打ちする。
レジのカウンターから奥へと向かう扉をガチャガチャと回し、ドン! と扉を叩いた。
「鍵がかかっている」
「さっき店の人の声はしたのに」
「店主じゃないかも」
「え?」
その時、ドン! と店の扉が大きな音を立てた。驚き振り返ると、扉を開けようと外から誰かが体当りしているようだった。
「レジーナ!」
「アリサ、そこのカウンターに隠れて」
「テーブルで扉を押さえましょう!」
「え」
持っていたトレーをカウンターに置き、パンが並べられているテーブルを身体で押して扉の前に移動させる。レジーナも慌てて他のテーブルや棚を移動させ、店の扉を塞いだ。
「窓は?」
「嵌殺しの窓だけど念のため」
レジーナはカーテンを引くと、背の高い棚を移動させ窓を塞いだ。外から人の声がして、また体当たりをする音が響く。
「何人くらい?」
「見える範囲では三、四人……、アリサ」
「なあに?」
名前を呼ばれ返事をすると、レジーナが眉間にシワを寄せ私を見た。
「――慣れてる?」
「まさか!」
なんだかわからないけれど、よくない事態なのだと判断しただけだ。
「でもこれっていい状態ではないでしょう? これからどうするの?」
「他の護衛がいるはずだから大丈夫。しばらくここでじっとしていよう」
「他の護衛」
二人でカウンターの中でじっとしていると、やがて外で何かがぶつかるような音とくぐもった人の声が聞こえた。ドスン、という音と剣戟の音まで聞こえてくる。
(大丈夫かしら)
じっと耳を澄ませていると、やがて外は静かになった。
(いったい何が……)
カウンターの中でしゃがんでいたのを立ち上がろうとすると、突然背後の扉が開いた。
「!」
「アリサ伏せて!」
レジーナの声に素早く頭を低くすると、彼女は私の後ろに跳びかかった。男の呻き声と鈍い音が響き、這いつくばってカウンターから出る。振り返るとレジーナが自分よりも大きな外套のフードを着た男ともみ合っていた。
「レジーナ!」
その背後からまた一人、店内に外套を着た男が飛び込んできた。
「!」
(逃げ場がないわ!)
その人物が私目掛けて手を伸ばしたその時、更に身体の大きな人が男を蹴り飛ばした。
「アリサ!」
「ザック⁉」
ザックは私をちらりと確認すると、蹴り飛ばされ壁に叩きつけられた人物が起き上がる前に素早く背後へ回り、首を締め固める。その腕から逃れようともがいていた外套の男はやがて白目を剥き、ぐったりと動かなくなった。
男を床に横たえ振り返り、レジーナに加勢してもう一人の腹部を剣の柄で突く。呻き声を上げたその男はレジーナを突き飛ばし、裏口へと逃げた。
「追わなくていい!」
後を追おうとしたレジーナを呼び止め、ザックは私を振り返る。
「アリサ、大丈夫か」
「ええ。でも、どうしてここに」
「ユーリに頼まれた」
「え?」
「レジーナ、アリサを連れて屋敷に戻れ」
ザックは私を立ち上がらせるとレジーナにそう言って、扉を塞いでいた棚や机を退けた。
「もう外は大丈夫だ。今日は仕事を休め」
「待ってザック、一体何が……」
ユーリに頼まれた? 何を?
「アリサ」
ザックは私の混乱をわかっているのか、落ち着かせるように手を取った。
「あの男を信じているか?」
灰色の瞳がじっと私を見つめる。この、落ち着いた冬の空のような瞳が私は好きだった。
「ええ」
「――愛してる?」
時に情熱的で、まっすぐな彼といるのが好きだった。
「ええ」
「――そうか」
彼は私の言葉を聞くとふっと瞳をやわらげ、レジーナに私を託し扉を開けた。
「今日中にユーリも屋敷には戻るだろう。その時に本人の口からちゃんと聞けばいい」
「ザック」
先に外へ出て様子を窺ったレジーナに促され外へ出る。店の入り口でこちらを見るザックを振り返った。
「――ありがとう」
たくさん、たくさん。
ありがとう。
ザックはまるで初めて会った時のように、優しく笑った。
*
「アリサ様!」
レジーナと共に屋敷へ戻ると、玄関では心配して外で待っていた様子のノラに迎えられた。
「早く中へ」
レジーナに促され、ノラは急いで私の手を取り屋敷へ入る。入り口で振り返ると、レジーナはいつものように私が入るのを見届けるように立っていた。
「レジーナは?」
「私は一度戻る。アリサは屋敷から出ないように」
「ええ。気を付けて」
レジーナが小さく頷いたのを見て、ギルバートは静かに扉を閉めた。
「ご無事で何よりでしたわ!」
ノラは私を部屋まで連れて行くと紅茶を淹れてくれた。毎朝飲むものとは違う、落ち着く香りの紅茶だ。
「レジーナがいたから大丈夫だったのよ」
「何をおっしゃっているんですか! 普通は怖くて仕方のないことなのですよ?」
ノラは憤りブツブツと文句を言っている。
確かに、パン屋にいただけなのに突然外套を着た男たちに襲われたのは怖いし、何故なのかとか何が目的なのかとか思うけれど。
(ユーリはすべてわかっていて私にレジーナをつけたのね)
レジーナは他の護衛、とも言っていた。
私に護衛がついている。
レジーナも護衛ということだ。
(ユーリが何かに巻き込まれている)
けれどそれは私に何かできることがあるわけでもなく、ただ彼を信じて待つだけだ。
『あの男を信じているか?』
ええ、信じているわ。
ただ、何もできず歯痒い思いを抱えて、彼の身を心配しているだけ。
「――お風呂をご用意しましょう!」
ノラが突然パンッと手を打った。
「はい?」
「新しい香油もご用意したので、試すのにいい機会ですわ」
「いい機会」
「落ち着かない時はリラックスできることをするのが一番です! そうしましょう、ギルバートに伝えなければ」
「ノラ、こんな時間にいいわ、みんなに悪いもの」
「いいえ! アリサ様は気持ちを落ち着ける必要があります!」
それは私じゃなくて多分ノラだと思う。
「ドレスも昼前には届きますし、湯から上がったら袖を通してみましょう!」
「ねえノラ?」
「せっかくですからお化粧も施してみましょう!」
「あの」
「私、一度でいいからアリサ様をこれ以上ないくらい着飾ってみたかったのです!」
「そ、う?」
「こちら召し上がって、少々お待ちくださいませね!」
ノラは私の前にケーキを置くと、急いで階下へと降りていった。
呆然と閉ざされた扉を見つめ、テーブルの上のお皿に視線を移す。余程動揺していたのか、お皿だけでカトラリーがない。
(ノラの気持ちが落ち着くなら、お風呂をいただいた方がいいかもしれないわね)
仕事を休んでこんな早い時間にお風呂をいただくなんて、贅沢極まりない。
大変な目に遭ったけれど、ちょっと得した気分になったのは、彼女には黙っておこう。
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