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24 ユーリ6
しおりを挟む「――以上が報告になります」
王城の執務棟にある、一段と格式の高い執務室で報告を終えると、書類に目を通しながら聞いていた目の前の男はため息をつき、執務机にバサリと書類を置いた。いつもは後ろに撫で固めている黒髪が、夜も遅い時間だからか下ろされ、鋭い眼光が隠れている。そうしていると年齢よりも若く見えた。
「懲りない男だ、まだお前を籠絡しようとしているのか」
「余程俺が軽薄に見えるのでしょうね」
「はっ」
彼は片手を上げ、室内にいる者たちに外へ出るよう指示をする。二人きりになり、改めて俺を見上げた。
「そういう噂をわざと流していたのだろう」
「その方が篩にかけやすいので」
「自らを囮にしているお陰で仕事がしやすい?」
「黙っていても、あちらから接触してきますから」
「大した忠義だ」
彼はふっと口端を上げると、執務机に置かれた螺鈿模様の木箱を開け、葉巻を取り出した。
「吸うか?」
シガーカッターで端を切り落としながら問う彼に首を横に振り、火を差し出す。火をつけ煙をくゆらせながら、彼は俺を上目遣いで見上げ、にやりと笑った。
「そろそろ囮役もできなくなるな」
「はい」
「ははっ! 否定しないか」
「王太子殿下の前では嘘などつきません」
「知っている」
彼はクツクツと満足気に笑い煙をゆったりと吐き出すと、背もたれに背を預けた。葉巻の甘い香りが室内に広がる。
「――陛下の退位と私の即位が正式に決まった」
「はい」
「来春で母上が亡くなって十五年だ。追悼記念式典を先に執り行い、その後発表する」
「ご即位、おめでとうございます」
頭を下げると、彼は声を上げて笑った。
「めでたいのかどうか。この後の苦労は想像もつかないだろうな」
「ご子息たちが支えとなります」
「そうだな。あの子たちは互いを尊重している。私のよき理解者となり、いずれは良き執政者になるだろう」
王陛下と正妃との間に誕生した、たった一人の子供。唯一の後継として育てられた彼は、陛下に幼いころから執政者として育てられてきた。その辛さからか、彼は王太子妃殿下との間に四人の王子と二人の王女を儲けると、彼らを自由に学ばせ各自の資質を大切に育ててきた。
王になる者、支える者、迷わず動く者、助言する者。
一人では抱えきれないすべてを共有し、互いに尊重する。上手くいくとは限らないが、それでも未来は彼らにかかっている。
「お前にも表舞台に出てもらわねばならない」
「殿下のお心のままに」
胸に手を当てそう言えば、青い瞳が俺を見た。彼は俺のことを知ってからというもの、随分と心を砕いてくれた。俺はそんな彼に応えたいと、自らこうして彼のために影として働いている。
「騎士団の権限を分散させる」
「それは、よく貴族院が了承しましたね」
「元々騎士団の権限を王が独裁的に支配することに異を唱えていたのだ。問題は誰がその権限を共有するかだったが、お前が共に持つことが望ましいと陛下はお考えだ」
「では、陛下は」
「お前のことを周知するおつもりだ」
それは即ち、俺の影の役目も終わるということだ。
「――承知しました」
「これでもう、逃げも隠れもできなくなるぞ、エヴァレット」
「人聞きの悪い。俺は初めから逃げも隠れもしていません」
「お前の想い人には素性を告げるのか?」
その問いに、伏せていた視線を上げ彼を見る。好奇心を隠さず俺を見るその顔は、完全に面白がっている。
「告げます」
「逃げられたら?」
「逃がしません」
「愛されなくても?」
その言葉に思わず舌打ちしそうなのを堪えると、彼はおかしそうに身体を揺らした。
「お前が感情的になるなど、珍しいものを見た」
「お戯れを」
「まだ手に入れていないのだろう。容易く自分のものにできるとは思わないことだ」
「そのような烏滸がましいことは思っていません」
「そうか?」
ふわりと煙を口に含み、ふうっとゆっくり吐き出された紫煙が天井に昇る。彼は机上の重たい灰皿にギュッと葉巻を押しつけ火を消すと、立ち上がり背後の窓を開けた。室内の甘い香りがふわりと風に乗り霧散する。夜の冷たい空気が流れ込み、闇に溶けそうな黒髪が風に揺れた。
「お前の願いが叶うことを祈るよ、エヴァレット。そのためなら私は何だって協力しよう」
振り返り青い瞳を輝かせた王太子は、おもちゃを見つけた子供のように笑う。
「これまでの捨て身がどう返ってくるか、よくよく気をつけることだ。未だ、お前を狙う者は多い」
「はい。護衛を増やしていただき、ありがとうございます」
「なに、かわいい義弟の初恋を応援するのだ、その程度喜んで応えよう」
そう言って瞳を細め笑うその顔は、一度だけ言葉を交わしたことのある父と同じ顔をしている。
「――意地悪な義兄上だ」
眉根を寄せそう言うと、彼は嬉しそうに笑った。
*
「――で、いったいなんの権限があって俺を拘束しているんだ」
明るい日差しの差し込む一室で、椅子に腰掛け腕を組んだ大きな男が無表情で俺を見た。
「拘束なんてしてない。任意だろ?」
「何人にも囲まれて任意もあるか」
「それは仕方ない、アンタが暴れるのを警戒したんだろ」
そう言うと、「はっ」と短く笑い、ザックは瞳を眇めた。
「で? なんの用だ、ユーリ・エヴァレット・アッカーソン」
何事にも動じないこの男が、昨日はあんなにも感情的になり殺意を隠しもしなかった。
たった一人の女のために己をそこまで失うなど、少し前の俺には到底理解できないことだったが、今ならわかる。
そして、そのためだけにこの男を失うのは惜しいと思う俺もいる。
「単刀直入に言うと、スカウトだよ」
「スカウト?」
ザックは怪訝な顔で俺を見返した。その顔ににこりと笑ってみせると、益々眉間の皺を深くした。
「俺の部下にならない?」
「断る」
「いやいや、ちょっとは話を聞いてよ」
かぶせ気味の即答に思わず苦笑する。
「お前と話すことなどない」
ザックはこれで終わりと立ち上がると、机を挟み対面に座る俺の横を通り過ぎ、扉へ向かった。その背中に言葉を投げかける。
「アリサの護衛を頼みたいんだ」
背後でピタリとザックが動きを止めたのを感じた。
「俺を持ち上げようとしている反王太子派がアリサに目をつけている」
「お前……!」
ザックの手が伸び、俺の肩を掴んだ。
「しばらく俺は身動きが取れない。だからアンタに頼みたい」
「アリサを巻き込んだのか!」
「そうだ」
ザックの俺の肩を掴む手が、怒りにぶるりと震えた。
「ザック、選ぶのは彼女だ。でも……」
手離したくないと思う。
俺から離れるなんて、考えられない。
(形だけ、なんて、よく言う)
そんなもの、ただの口実だ。
彼女を逃さないために咄嗟に出た、口実だった。
「アンタの気持ちはよくわかるよ」
彼女の何に惹かれているかなんて、もはや問題ではない。彼女のすべてを手に入れたい。彼女の心を、俺だけで満たしたい。
「でも、俺はアンタとは違う」
彼女の意見を尊重したい。何を見て何を感じ、どうしたいか。自分を押し殺さずに、彼女のままでいてほしい。
「――俺とお前では愛し方が違うんだろう」
俺の言葉を聞いたザックは、乱暴に手を離した。振り返ると、自分の手を見つめ、ぐっと拳を握り締めた。
「――いいだろう、アリサの護衛は請け負う。だが、お前の部下になるつもりはない」
「いいよ。ひとまずはそれで手を打とう」
そう言うと、ザックは不敵に笑い俺に視線だけを寄越した。その顔に疑問を投げつける。
「俺のことを知ってる?」
この男は俺が誰だか知っている様子だった。アリサの身を案じて跡をつけていたのも、俺が誰だか知ってのことだ。
「ああ、知っている」
「どうして」
ザックは特に隠す様子もなく、肩を竦めた。
「お前を潰したい奴らは、俺が協力すると思ったんだろう」
「はは、なるほど。おしゃべりだな」
俺とアリサの関係を利用してザックを籠絡しようとしたのだろう。彼女と共にいる男がどんな男なのか、取り返す機会だとでも話したのだろうか。
「どうして協力しなかったんだ?」
「お前のことは気に食わないが、俺は騎士だ。そんなことで信念を曲げるつもりはない」
「なるほどね。アンタを理解しないまま声をかけるなんて、愚策もいいとこだ」
「お前は理解しているのか?」
「してるよ」
アリサのために反王太子派に協力せず、気付かれないよう彼女を守ってきた男。
「そんなくだらないことより、アリサが大事だってことだけは理解してる」
俺を殺しても、彼女を手に入れられるとは思っていない。この男もまた、彼女の自由さを愛していたのだから。
ザックは俺の言葉に答えないまま、扉へ向かい把手に手をかけた。
「俺の剣は」
「外にいる騎士が持ってる」
「部隊にはお前から話をつけろ。しばらく野暮用で不在だと」
「隊長に話しておくよ。なあザック、やっぱりアンタ、うちの部隊に入ってよ」
「断る」
そうしてザックは振り返ることなく、部屋を後にした。
『――俺とお前では愛し方が違うんだろう』
確かにそうだ。
彼女のためだと押し付けて、自分が安心できるようアリサを囲っていたザック。なぜわからないのかと時に苛立ち、彼女の心はそんな奴から次第に離れていった。
それが溺愛だというのなら、そんなものは彼女自身を殺すだけだ。
(アンタの姿が未来の俺にならないとは限らない)
難しいな。
どうやって彼女を愛したらいいんだろう。
どうやって彼女に、愛を伝えたらいいんだろう。
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