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第二話 猫には猫を
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「どうしたら、どうしたら皇帝陛下に目を覚まして頂けるんだ……」
その夜、マーチンは酒場の木のカウンターの上でくだを巻いていた。
皇城に仕える使用人たち御用達の、安心安全、明朗会計の酒場である。マーチンは非常に慎重な男なので、不要な危険を冒そうとしないのである。他に遊び場を知らないなんてことは全然ない。ないったらない。
「どうしたら……皇帝陛下が……」
「しっかりしろ、マーチン。お前、さっきから壊れたようにそれしか言ってないぞ」
彼の肩を叩いたのは、皇城近衛騎士のヨグンドである。マーチンと同い年、なおかつ遠い親戚筋に当たる青年で、性格も職場も違うのにどこかウマが合うのか、たまにこうして飲みに行っている仲だ。
「猫に惚れたと言ったって、生身の女には勝てないだろ。それは単なるいっときの気紛れ、気の迷いってやつだ」
「陛下のあの真剣さを見ていないから、そんなことが言えるんだ!」
マーチンは酒杯の底をカウンターに叩きつけて嘆いた。
「そもそも陛下は、女性に対して関心が薄い方でいらっしゃる。周囲の環境が悪かったんだ。先代皇帝陛下が色欲まみれで国を傾けそうになって、そんな先代を幼少期から見ていた陛下はとにかく女性を遠ざけるようになった。遠ざけてばかりだから、関わり方というものをご存知ないんだ。その中で現れた、天使のように愛らしい猫ちゃんに、陛下のお心が傾いてしまっても仕方がない」
「おい、お前も猫ちゃんに籠絡されてんのかよ」
「一度見てみろ。猫ちゃんの人心掌握術は凄いぞ」
にゃあん、と媚びたように鳴く声は妖精のようである。
見た目はふわふわの天使。
ぱっちりと開いた両眼は宝玉。
だが、手を伸ばして触れようとすると、ふいっと身を躱される。毒を吐くように威嚇されることもある。それでいて、無自覚を装って身体をすり寄せてきたりするのである。あら、今、わたしあなたに触れてた? 無意識かしら……嫌いじゃないのよ、あなたのこと……
そんなやり取りを経て、単なる面倒くさい女が最愛の可愛い恋人に変化するかの如く、猫ちゃんの意のままに調教されてゆくのである。
とりあえず、皇帝は調教された。
「このままでは、帝国の国章を猫柄にする、とか言い出されかねん。想像してみろ、他国にとって消えない恐怖と悪夢の象徴である帝国兵士の精鋭たちが、ずらりと猫ちゃん模様の紋章を身に着けて出陣するさまを。ありえない未来の話じゃない。今だってすでに、猫ちゃんを皇妃にするつもりでいらっしゃるんだ」
「やばいな」
「やばいんだよ……」
唸る宰相。
ヨグンドはその姿を見ながら、しばらく考えていたが、彼は猫ちゃんを見ていないし、猫ちゃんに骨抜きにされた皇帝陛下もまだ見ていないので、どうしても危機感に欠けるのは仕方がない。何か簡単な解決策があるんじゃないのか? 例えば、猫には猫をぶつけるとか……
「あっ、そうだ」
ヨグンドが何か思い付いたような声を上げたので、マーチンはのろのろと顔を上げた。
「何だ、いい案でも思い付いたのか?」
「猫には猫を、そうだよ! お前の近くに猫っぽい子がいるじゃないか」
「猫っぽい子?」
「イシュベルちゃんだよ! 皇帝府第三書記室にいる文官で、『猫系女子』って言われてる子。あの子がお使いとかで騎士団にやってくると、その日は凄く盛り上がるんだぜ」
「猫系女子……そんなのがいたか?」
半ば酩酊した頭で考えてみたが、マーチンには思い出せなかった。
だが、思い出せなくとも問題ない。彼は宰相なので、情報の裏を取り、実行に移せばよいだけである。
(他に名案も見つからないことだし)
藁にも縋る気分なので、一本の藁でも見つかれば縋るしかない。
かくして、マーチンは「猫系女子」と称されるイシュベル・ファカルガータの情報を集め、彼女が耳目を集めるような美少女で、その愛らしい仕草や言動で周りの男どもを骨抜きにしていること、それでいて誰とも深い仲になっていない、なかなか巧妙な手管の持ち主であることを理解した。
(その手管で、皇帝陛下を落とせればよし)
そうでなくても、猫ちゃんへの盲目愛から目を覚ましてくれればよい。そう願いながら、マーチンはここぞとばかりに宰相としての人事権をふるって、イシュベルを皇帝付きの書記官としたのであった。
イシュベルの気持ちを一切考えずに。
その夜、マーチンは酒場の木のカウンターの上でくだを巻いていた。
皇城に仕える使用人たち御用達の、安心安全、明朗会計の酒場である。マーチンは非常に慎重な男なので、不要な危険を冒そうとしないのである。他に遊び場を知らないなんてことは全然ない。ないったらない。
「どうしたら……皇帝陛下が……」
「しっかりしろ、マーチン。お前、さっきから壊れたようにそれしか言ってないぞ」
彼の肩を叩いたのは、皇城近衛騎士のヨグンドである。マーチンと同い年、なおかつ遠い親戚筋に当たる青年で、性格も職場も違うのにどこかウマが合うのか、たまにこうして飲みに行っている仲だ。
「猫に惚れたと言ったって、生身の女には勝てないだろ。それは単なるいっときの気紛れ、気の迷いってやつだ」
「陛下のあの真剣さを見ていないから、そんなことが言えるんだ!」
マーチンは酒杯の底をカウンターに叩きつけて嘆いた。
「そもそも陛下は、女性に対して関心が薄い方でいらっしゃる。周囲の環境が悪かったんだ。先代皇帝陛下が色欲まみれで国を傾けそうになって、そんな先代を幼少期から見ていた陛下はとにかく女性を遠ざけるようになった。遠ざけてばかりだから、関わり方というものをご存知ないんだ。その中で現れた、天使のように愛らしい猫ちゃんに、陛下のお心が傾いてしまっても仕方がない」
「おい、お前も猫ちゃんに籠絡されてんのかよ」
「一度見てみろ。猫ちゃんの人心掌握術は凄いぞ」
にゃあん、と媚びたように鳴く声は妖精のようである。
見た目はふわふわの天使。
ぱっちりと開いた両眼は宝玉。
だが、手を伸ばして触れようとすると、ふいっと身を躱される。毒を吐くように威嚇されることもある。それでいて、無自覚を装って身体をすり寄せてきたりするのである。あら、今、わたしあなたに触れてた? 無意識かしら……嫌いじゃないのよ、あなたのこと……
そんなやり取りを経て、単なる面倒くさい女が最愛の可愛い恋人に変化するかの如く、猫ちゃんの意のままに調教されてゆくのである。
とりあえず、皇帝は調教された。
「このままでは、帝国の国章を猫柄にする、とか言い出されかねん。想像してみろ、他国にとって消えない恐怖と悪夢の象徴である帝国兵士の精鋭たちが、ずらりと猫ちゃん模様の紋章を身に着けて出陣するさまを。ありえない未来の話じゃない。今だってすでに、猫ちゃんを皇妃にするつもりでいらっしゃるんだ」
「やばいな」
「やばいんだよ……」
唸る宰相。
ヨグンドはその姿を見ながら、しばらく考えていたが、彼は猫ちゃんを見ていないし、猫ちゃんに骨抜きにされた皇帝陛下もまだ見ていないので、どうしても危機感に欠けるのは仕方がない。何か簡単な解決策があるんじゃないのか? 例えば、猫には猫をぶつけるとか……
「あっ、そうだ」
ヨグンドが何か思い付いたような声を上げたので、マーチンはのろのろと顔を上げた。
「何だ、いい案でも思い付いたのか?」
「猫には猫を、そうだよ! お前の近くに猫っぽい子がいるじゃないか」
「猫っぽい子?」
「イシュベルちゃんだよ! 皇帝府第三書記室にいる文官で、『猫系女子』って言われてる子。あの子がお使いとかで騎士団にやってくると、その日は凄く盛り上がるんだぜ」
「猫系女子……そんなのがいたか?」
半ば酩酊した頭で考えてみたが、マーチンには思い出せなかった。
だが、思い出せなくとも問題ない。彼は宰相なので、情報の裏を取り、実行に移せばよいだけである。
(他に名案も見つからないことだし)
藁にも縋る気分なので、一本の藁でも見つかれば縋るしかない。
かくして、マーチンは「猫系女子」と称されるイシュベル・ファカルガータの情報を集め、彼女が耳目を集めるような美少女で、その愛らしい仕草や言動で周りの男どもを骨抜きにしていること、それでいて誰とも深い仲になっていない、なかなか巧妙な手管の持ち主であることを理解した。
(その手管で、皇帝陛下を落とせればよし)
そうでなくても、猫ちゃんへの盲目愛から目を覚ましてくれればよい。そう願いながら、マーチンはここぞとばかりに宰相としての人事権をふるって、イシュベルを皇帝付きの書記官としたのであった。
イシュベルの気持ちを一切考えずに。
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