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番外
こんな地獄みたいな椅子ある?
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「くっ……うぅ……」
使用人たちを排して、居るのは私たちだけとなった空間。どこからも邪魔が入らないけれど、逆に言えば助けも来ない。
その部屋の中に、ひたすら苦痛に満ちた呻き声が響き渡っていた。
「たった三枚目でそのていたらくとは。最終的には十枚を目指して頂きます。今から音を上げるのは気が早すぎますな」
「うっ……」
「四枚目です」
ずしり、と音を立てて、石の重しが落ちる。
「う、うわぁっ……」
「この程度の重さ、椅子を目指す者が耐えられぬはずもございません。さて、次は」
(何なの、これ)
地獄だ。
こんな地獄みたいな椅子があっていいの?
遠目に見ている私でさえ、額に脂汗が滲み出て来る。きっちりと正座したロクセルド王子の膝の上に、数十キロありそうな石の板が重ねて乗せられているのだ。
控えめに言っても、宰相が隣国の王子を拷問しているようにしか見えない。というか、どんなに言葉をつくろったとしても、これ……拷問よね?
「宰相。これって石抱きの刑っていうのでは……」
「椅子の世界は厳しいのです、陛下」
「それは確かに、想像とは違った方向に厳しすぎるのは分かったけれど。隣国の王子を拷問するのは止めなさい、国際問題だわ」
「ですが陛下。これは初歩中の初歩、手を抜くわけには参りません。最低限、二十四時間、二百キロの重量に耐えられるぐらいには鍛えて頂く必要がありますので」
「二百キロ?!」
この宰相は何を座らせる気なのだろうか。
「私が何キロあると思っているの、宰相」
「無論、陛下の体重の動向は常に把握しておりますが、どのような状況にも対応できるのが一流の椅子というものです」
「常に把握……?」
「最終的には、陛下を十人乗せても問題ない状況に持っていくのが理想です」
「その理想、どう考えても実行不可能よね?」
いつもの事だけれど、この宰相は私の言うことを聞かない。けれど、流石にこれ以上は続行不可能と判断したらしく(もっと早く判断して欲しかった)、新たな椅子修行へと移行した。
具体的に言うと、木剣片手に王子をボコボコにする修行だ。
(この地獄、まだ続くの?)
「椅子とは、とかく嫉妬を受けやすいもの。我らに取って代わらんと襲い掛かられた時、返り討ちにするだけの力を備えて頂く必要があります。私もすでに293人ほど討ち取っております」
「椅子を狙う者多すぎない?!」
一体どこから湧き出してきた連中なのか。ただの政敵ではなく? そしてそれを、宰相一人で撃退しているの?
「跡形もなく綺麗に片付けておきましたので、陛下におかれましてはご心配なく」
「また地獄みが増したわね……」
ユリウスが意外に強いことは知っている。レルゲイト将軍と何度か打ち合ったことがあり、引き分けに持ち込める程度の腕だと噂されていたからだ。
座ったときに感じる彼の足や胸も筋肉質で、非常に硬い。クッション性が足りなくて座り心地が悪いなと思ってはいたのだ。言ったことはないけれど。言ったら確実に修羅場だ。間違いなく、彼よりクッション性が高く座り心地のいい椅子がこの世から抹殺されることだろう。
「……今日はここまで。今後の課題としておきましょう」
「は、はい、有難うございました、先生……」
ぜいぜいと息を切らしながら、それでも律儀にロクセルド王子が礼を言う。あまりに健気な人だ。地獄のような椅子にするには惜しすぎる。そもそも、こんな椅子は宰相一人で十分だ。
声を大にしてそう言いたいところだけれど、椅子教育はまだ終わっていないらしい。
「では、最後に一番大事なことをお話ししておきましょう。椅子にとって大事なこと、それは誰を座らせるかです」
「誰を座らせるか? 椅子が主を選ぶのですか?」
ロクセルド王子が純真そうな目を瞬かせる。
「その通り。乗せていて誇りに思える、生涯乗せていたいと思う主を得る事こそが肝要です。例えば我が主、ユージェニー女王陛下をご覧下さい」
「?!」
宰相の声と共に、周りの視線が一斉に私に向けられた。
「幼少の頃から高貴にして高潔な魂、抜きん出た存在感。女神の生まれ変わりの如き容姿。一目見て、我が主となるべきはこの方しかいないと確信いたしました」
「……ユリウス」
「その確信は、今でも変わりなく。今の陛下は、私という椅子の上にあって、針の筵の如き視線を浴び、耐え難き羞恥に悶えていらっしゃる。しかし、その血の誇りゆえにどこまでも品格を保ち、頭を垂れることなく耐え抜くしかない。非常に目にこころよい眺めでございますが、時としてそんな陛下も耐え切れず微かに震えられることがある。それを間近で堪能できるのも椅子としての醍醐味というものでしょう」
「……宰相」
「何でございましょう、陛下」
「……私、今、怒りに耐え切れず震えてるのだけれど」
「それもまた愉悦と申し上げるしか」
「黙りなさい! こ、こ、この腐れ外道!!」
私は絶叫した。
知っていた。知っていたのだ。私が嫌がりながら座っているのを見て、宰相が愉しんでいることぐらい。なにせ、以前、堂々と本人がそう言っていたので。
しかし、「我が主として抜きん出た存在感」とか何とか、一度持ち上げておいてその邪悪な目線の発言は何なのか。
わざとなの?
わざと私を錯乱させるためにやってるの?
「……大変なんだね」
傍らに立っていたアティア姫が、そっと同情の眼差しを向けてくる。
「うっ……」
その心遣いが胸に沁みて痛い。さっきまでこの我儘姫は、地獄のような状況を間近で見せつけられて、怯えきった小動物のような蒼白の顔をしていたのだけれど。それが今では、なんとはなしに世を悟ったような、大人びた顔になっている。
高貴な家の出のお嬢様としては、多分きっと正しい進化だ。そうは思っても、その成長のきっかけがこれだなんて……原因を作った者の主として、こみあげて来る罪悪感を抑えきれない。
(許されない……一度くらい、宰相も思い知るべきだわ)
私を主君として仰ぎながら、ちっとも尊重していない男(椅子)。いつまでも好き勝手にしてはいられないと、そろそろ思い知らせるべきだ。でないと私の精神が保たない。
使用人たちを排して、居るのは私たちだけとなった空間。どこからも邪魔が入らないけれど、逆に言えば助けも来ない。
その部屋の中に、ひたすら苦痛に満ちた呻き声が響き渡っていた。
「たった三枚目でそのていたらくとは。最終的には十枚を目指して頂きます。今から音を上げるのは気が早すぎますな」
「うっ……」
「四枚目です」
ずしり、と音を立てて、石の重しが落ちる。
「う、うわぁっ……」
「この程度の重さ、椅子を目指す者が耐えられぬはずもございません。さて、次は」
(何なの、これ)
地獄だ。
こんな地獄みたいな椅子があっていいの?
遠目に見ている私でさえ、額に脂汗が滲み出て来る。きっちりと正座したロクセルド王子の膝の上に、数十キロありそうな石の板が重ねて乗せられているのだ。
控えめに言っても、宰相が隣国の王子を拷問しているようにしか見えない。というか、どんなに言葉をつくろったとしても、これ……拷問よね?
「宰相。これって石抱きの刑っていうのでは……」
「椅子の世界は厳しいのです、陛下」
「それは確かに、想像とは違った方向に厳しすぎるのは分かったけれど。隣国の王子を拷問するのは止めなさい、国際問題だわ」
「ですが陛下。これは初歩中の初歩、手を抜くわけには参りません。最低限、二十四時間、二百キロの重量に耐えられるぐらいには鍛えて頂く必要がありますので」
「二百キロ?!」
この宰相は何を座らせる気なのだろうか。
「私が何キロあると思っているの、宰相」
「無論、陛下の体重の動向は常に把握しておりますが、どのような状況にも対応できるのが一流の椅子というものです」
「常に把握……?」
「最終的には、陛下を十人乗せても問題ない状況に持っていくのが理想です」
「その理想、どう考えても実行不可能よね?」
いつもの事だけれど、この宰相は私の言うことを聞かない。けれど、流石にこれ以上は続行不可能と判断したらしく(もっと早く判断して欲しかった)、新たな椅子修行へと移行した。
具体的に言うと、木剣片手に王子をボコボコにする修行だ。
(この地獄、まだ続くの?)
「椅子とは、とかく嫉妬を受けやすいもの。我らに取って代わらんと襲い掛かられた時、返り討ちにするだけの力を備えて頂く必要があります。私もすでに293人ほど討ち取っております」
「椅子を狙う者多すぎない?!」
一体どこから湧き出してきた連中なのか。ただの政敵ではなく? そしてそれを、宰相一人で撃退しているの?
「跡形もなく綺麗に片付けておきましたので、陛下におかれましてはご心配なく」
「また地獄みが増したわね……」
ユリウスが意外に強いことは知っている。レルゲイト将軍と何度か打ち合ったことがあり、引き分けに持ち込める程度の腕だと噂されていたからだ。
座ったときに感じる彼の足や胸も筋肉質で、非常に硬い。クッション性が足りなくて座り心地が悪いなと思ってはいたのだ。言ったことはないけれど。言ったら確実に修羅場だ。間違いなく、彼よりクッション性が高く座り心地のいい椅子がこの世から抹殺されることだろう。
「……今日はここまで。今後の課題としておきましょう」
「は、はい、有難うございました、先生……」
ぜいぜいと息を切らしながら、それでも律儀にロクセルド王子が礼を言う。あまりに健気な人だ。地獄のような椅子にするには惜しすぎる。そもそも、こんな椅子は宰相一人で十分だ。
声を大にしてそう言いたいところだけれど、椅子教育はまだ終わっていないらしい。
「では、最後に一番大事なことをお話ししておきましょう。椅子にとって大事なこと、それは誰を座らせるかです」
「誰を座らせるか? 椅子が主を選ぶのですか?」
ロクセルド王子が純真そうな目を瞬かせる。
「その通り。乗せていて誇りに思える、生涯乗せていたいと思う主を得る事こそが肝要です。例えば我が主、ユージェニー女王陛下をご覧下さい」
「?!」
宰相の声と共に、周りの視線が一斉に私に向けられた。
「幼少の頃から高貴にして高潔な魂、抜きん出た存在感。女神の生まれ変わりの如き容姿。一目見て、我が主となるべきはこの方しかいないと確信いたしました」
「……ユリウス」
「その確信は、今でも変わりなく。今の陛下は、私という椅子の上にあって、針の筵の如き視線を浴び、耐え難き羞恥に悶えていらっしゃる。しかし、その血の誇りゆえにどこまでも品格を保ち、頭を垂れることなく耐え抜くしかない。非常に目にこころよい眺めでございますが、時としてそんな陛下も耐え切れず微かに震えられることがある。それを間近で堪能できるのも椅子としての醍醐味というものでしょう」
「……宰相」
「何でございましょう、陛下」
「……私、今、怒りに耐え切れず震えてるのだけれど」
「それもまた愉悦と申し上げるしか」
「黙りなさい! こ、こ、この腐れ外道!!」
私は絶叫した。
知っていた。知っていたのだ。私が嫌がりながら座っているのを見て、宰相が愉しんでいることぐらい。なにせ、以前、堂々と本人がそう言っていたので。
しかし、「我が主として抜きん出た存在感」とか何とか、一度持ち上げておいてその邪悪な目線の発言は何なのか。
わざとなの?
わざと私を錯乱させるためにやってるの?
「……大変なんだね」
傍らに立っていたアティア姫が、そっと同情の眼差しを向けてくる。
「うっ……」
その心遣いが胸に沁みて痛い。さっきまでこの我儘姫は、地獄のような状況を間近で見せつけられて、怯えきった小動物のような蒼白の顔をしていたのだけれど。それが今では、なんとはなしに世を悟ったような、大人びた顔になっている。
高貴な家の出のお嬢様としては、多分きっと正しい進化だ。そうは思っても、その成長のきっかけがこれだなんて……原因を作った者の主として、こみあげて来る罪悪感を抑えきれない。
(許されない……一度くらい、宰相も思い知るべきだわ)
私を主君として仰ぎながら、ちっとも尊重していない男(椅子)。いつまでも好き勝手にしてはいられないと、そろそろ思い知らせるべきだ。でないと私の精神が保たない。
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