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番外
女王陛下は世直しの旅に出たくない
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たとえば、若き王子が平民に身をやつして花屋の美しい娘と恋に落ちるとか。
引退した老武人が部下を引き連れて、こっそりと世直しの旅に出かけるとか。
いわゆる「吟遊詩人が歌いがち」な題材だけれど、本当に荒れ果てた国ではなかなか成り立たないものだ。悲惨な状況にある国ほど「誰か強い者に助けてもらいたい」という願いから、そんなおとぎ話が広く語られるのかもしれないけれど、私が数人の護衛を引き連れて世直しの旅に出たところで、あっという間に悪漢たちに簀巻にされて身代金を要求されるのがオチだ。
……と、思っていたのだけれど。
「本当に平和になったのね……」
大通りを群れなして行き来する人々を、流れの激しい川面でも観察するような目で眺め下ろしながら、私は小さな呟きを洩らしていた。
城下町のもっとも際立つところに、張り出すように建てられた茶楼。その二階の露台の手摺に寄り掛かって、私は眩い日差しに目を細めていた。すぐ側に卓と椅子が置かれているのだけれど、何となく腰を下ろすのは躊躇われて、触れることなく放置中だ。目の届く範囲に宰相の姿は無いが、トラウマというか、刷り込みというか、座ったら最後、何かの伏線を立ててしまいそうな予感がして。
(……本当に、ユリウスは居ないわよね?)
暖かい午後の光を浴びているのに、想像だけでうっすらと鳥肌立ってくるのを感じながら、私は周囲を見渡した。階下からは賑やかな声が絶え間なく響いてくるけれど、二階は静かで、端の席に座っている老人が一人、日だまりの中でうつらうつらしているだけだ。
しかし、私は知っている。ユリウスは居ないと思っても居る。そう思っていた方が、突然彼が現れた時の精神的打撃が小さくて済む。
護衛もきっとどこかにいる。それはむしろ「いてほしい」という願望だったりするのだけれど。幾らこの国が平和になって、女王が単身城下町をうろつけるようになったとしたって、私の身に何か起きた時のダメージは計り知れない。それを防ぐためにも、私が気が付かないところに最低一ダースの護衛は配置されていて欲しいものだ。
(だったらこうして、一人で城をさまよい出てくるなという話だけど)
そもそも、出てくるつもりは無かったのである。本当に、最初のうちは。
城の小間使いの服を借りて、城の中をこそこそとうろつき、目についたユリウスの部下に話しかけた。全てはユリウスの弱みを握りたい、笑い話を聞いて嘲笑ってやりたい、軽く復讐を遂げてやりたい、その一心で。
それだけで、それ以上の下心なんて無かった(そもそもの始まりが下心だとも言うのかしら?)。しかし、そのユリウスの部下というのが思いのほかノリのいい人で、私が深く追及する気がない話までぺらぺらと喋ってくれた挙句、「女王陛下に逃げられたと分かった時の宰相閣下の顔が見てみたい」という、忠誠心の機能に色々問題がありそうな理由で、秘密の抜け道まで案内してくれたのである。
(私も、ユリウスのそんな顔が見たい……と思ったのがマズかったんだわ)
少しでも、宰相の鼻を明かしてやりたい。間抜け面を見てみたい。
そう思ってしまうのは仕方なくない……?
それは宰相のいつもの言動から導き出された当然の帰結であって、私は悪くないと思うのだ。
その結果、庭園の茂みの中にある緑のトンネルを抜け、城壁の綻びを抜け出して、気が付くと私は城下町で生暖かい風に吹かれていた。ふくらはぎが見える長さの小間使いの服にエプロン、三つ編みにした髪に変装用眼鏡、何となく持ち歩いていた籐のバスケット、という格好で。エプロンを解いてバスケットに仕舞い込み、ちょっとしたお小遣い的なお金を仕舞ってあることを確認し、さてどうしよう……と、緊張に震える足を踏み締めて、広い世界に向かい合ったのだけれど。
(何も、ここから本格的に家出するとか、世直しの旅に出るつもりはないし)
安全な大通りを歩いて、ひときわ目立つ茶楼で一服するくらいならいいだろう。私の無謀な行動で、城内を混乱に陥れるつもりはない。ちょっとだけ……即位以来、城を出るどころではなかった日々が過ぎて、安定しつつあるこの国の様子をじかにこの目で確かめるぐらい、悪くはないのでは。──そして実際に、悪くなかった。今では緊張を解いて、伸びた猫のように露台の手摺にもたれ掛かり、賑わう人々を眼下に見下ろしている。
(良かった)
見守っているだけで、自然と顔が綻ぶ。色鮮やかな果物がこぼれ落ちそうに並んでいる屋台。甘い飲み物を売り歩く行商人。パラソルを差し掛けて歩く貴婦人たち。笑いながら駆け抜けていく子供たち。
数年前まで、定期的に起きていた飢饉で街中に行き倒れた人々が溢れたり、貴族の先触れが乞食を鞭打ったり、そんな光景が普通に見られたという。今では人々はゆとりのある表情を浮かべ、街全体に明るい活気が漲っている。
「たまには、こうして世の中を自分の目で見てみるのも悪くないものね。ある程度治安が良くなった今だからこそ、言えることだけれど」
「しかし、陛下。すっかりくつろいでおいでのようですが、世直しのために城を出立されたのではなかったのですか?」
隣の床に長い影が差し掛かったのを見て、私は顔を上げずに言った。
当然のように返事が返ってくる。
「世直し? その必要は無さそうに見えるわ」
「残念ながら、それは浅慮と申し上げるしかありませんな。陛下による世直しは今も、それも緊急に求められております」
「……?」
私は眉を顰めて、傍らに立つ男を見上げた。
いつの間に彼がやって来たのかは知らないけれど、こうして隣に立たれれば流石に分かる。私が城からいなくなって慌てるどころか、一糸乱れぬいつも通りの鉄面皮のユリウスがそこにいた。
(宰相の慌てる顔は見られなかったわよ、第一書記官)
ちょっと残念に思いながら、私はほっとした。宰相はしょっちゅう私を苛つかせるけれど、だからといって国を混乱に陥れたくはない。
宰相は変装すらしていなかった。こんなに目立つ男がいるのに、周囲の目が集まる様子もない。無意識に人目を跳ね除ける結界でも張っているのだろうか。
「世直し? 私に世直しをさせたいの?」
「はい」
「……貴方、街中を練り歩いて『女王の御前なるぞ!』とかやりたいの?」
(まさか、そんな)
私が首を傾げていると、宰相は笑みの片鱗も浮かべずに私を見下ろし、それから軽く顎をしゃくって店の一隅を示した。
「まずは、アレから。あのいちゃついている似非椅子どもから淘汰いたしましょう」
「は?」
似非椅子。
その言葉に釣られるように視線を向けると、さっきまで静かだった階上が俄に騒がしくなって、新たな客が次々と階段を登ってきていた。恋人らしき若い男女が奥の席を占領し、膝の上に乗せられた彼女がきゃあきゃあと声を上げている。
「あり得ぬ」
「……ユリウス?」
地獄の門が軋むような音が聴こえた、と思ったら、宰相が奥歯を噛み締める音だったらしい。
「ご覧下さい。椅子のくせに、仕えるべき主に対して給餌などしている」
「給餌?」
見ると、恋人たちが「ほら、あーん」「嫌ぁ、恥ずかしいわぁ」などというやり取りを繰り広げている。確かに見ていて恥ずかしくなるような光景だけれど、まるで闇を具現化したかのような両眼で、この世の悪を煮詰めて出来た何かを睨むような眼光で見るようなものだった……?
「何たる増長。どちらが主なのかまるで理解していない。椅子に徹する覚悟の片鱗もなく、衆目に浴する権利だけ得たと勘違いして浮かれ騒ぐ。あの傲慢と無知、早急に陛下による世直しを要請いたします」
「……やるなら勝手にやって頂戴」
私は露台の手摺にしっかりとしがみついた。
(どうしてこの人はいつも、私が内心で震え上がるような案件しか持って来ないのかしら)
関わりたくない。この世で一番恥ずかしい世直しになる予感しかしない。ある意味、伝説として語り継がれてしまう。
「陛下」
「そんな目で見ても、私は動かないわよ」
「陛下はあのような所業をお許しになるので?」
「それは勿論、人前でああいうことをしない貴方の方が、私の椅子としては好ましいと思うわよ? でも、どんな椅子になるかは人それぞれ、あのくらいの自由は許されて然るべきと思うわ」
「陛下は事の重大さを理解しておられない。椅子が自由に振る舞うことを許されれば、国が滅びます」
「そうなの?(何を言っているの?)」
本当に何を言っているの?
引退した老武人が部下を引き連れて、こっそりと世直しの旅に出かけるとか。
いわゆる「吟遊詩人が歌いがち」な題材だけれど、本当に荒れ果てた国ではなかなか成り立たないものだ。悲惨な状況にある国ほど「誰か強い者に助けてもらいたい」という願いから、そんなおとぎ話が広く語られるのかもしれないけれど、私が数人の護衛を引き連れて世直しの旅に出たところで、あっという間に悪漢たちに簀巻にされて身代金を要求されるのがオチだ。
……と、思っていたのだけれど。
「本当に平和になったのね……」
大通りを群れなして行き来する人々を、流れの激しい川面でも観察するような目で眺め下ろしながら、私は小さな呟きを洩らしていた。
城下町のもっとも際立つところに、張り出すように建てられた茶楼。その二階の露台の手摺に寄り掛かって、私は眩い日差しに目を細めていた。すぐ側に卓と椅子が置かれているのだけれど、何となく腰を下ろすのは躊躇われて、触れることなく放置中だ。目の届く範囲に宰相の姿は無いが、トラウマというか、刷り込みというか、座ったら最後、何かの伏線を立ててしまいそうな予感がして。
(……本当に、ユリウスは居ないわよね?)
暖かい午後の光を浴びているのに、想像だけでうっすらと鳥肌立ってくるのを感じながら、私は周囲を見渡した。階下からは賑やかな声が絶え間なく響いてくるけれど、二階は静かで、端の席に座っている老人が一人、日だまりの中でうつらうつらしているだけだ。
しかし、私は知っている。ユリウスは居ないと思っても居る。そう思っていた方が、突然彼が現れた時の精神的打撃が小さくて済む。
護衛もきっとどこかにいる。それはむしろ「いてほしい」という願望だったりするのだけれど。幾らこの国が平和になって、女王が単身城下町をうろつけるようになったとしたって、私の身に何か起きた時のダメージは計り知れない。それを防ぐためにも、私が気が付かないところに最低一ダースの護衛は配置されていて欲しいものだ。
(だったらこうして、一人で城をさまよい出てくるなという話だけど)
そもそも、出てくるつもりは無かったのである。本当に、最初のうちは。
城の小間使いの服を借りて、城の中をこそこそとうろつき、目についたユリウスの部下に話しかけた。全てはユリウスの弱みを握りたい、笑い話を聞いて嘲笑ってやりたい、軽く復讐を遂げてやりたい、その一心で。
それだけで、それ以上の下心なんて無かった(そもそもの始まりが下心だとも言うのかしら?)。しかし、そのユリウスの部下というのが思いのほかノリのいい人で、私が深く追及する気がない話までぺらぺらと喋ってくれた挙句、「女王陛下に逃げられたと分かった時の宰相閣下の顔が見てみたい」という、忠誠心の機能に色々問題がありそうな理由で、秘密の抜け道まで案内してくれたのである。
(私も、ユリウスのそんな顔が見たい……と思ったのがマズかったんだわ)
少しでも、宰相の鼻を明かしてやりたい。間抜け面を見てみたい。
そう思ってしまうのは仕方なくない……?
それは宰相のいつもの言動から導き出された当然の帰結であって、私は悪くないと思うのだ。
その結果、庭園の茂みの中にある緑のトンネルを抜け、城壁の綻びを抜け出して、気が付くと私は城下町で生暖かい風に吹かれていた。ふくらはぎが見える長さの小間使いの服にエプロン、三つ編みにした髪に変装用眼鏡、何となく持ち歩いていた籐のバスケット、という格好で。エプロンを解いてバスケットに仕舞い込み、ちょっとしたお小遣い的なお金を仕舞ってあることを確認し、さてどうしよう……と、緊張に震える足を踏み締めて、広い世界に向かい合ったのだけれど。
(何も、ここから本格的に家出するとか、世直しの旅に出るつもりはないし)
安全な大通りを歩いて、ひときわ目立つ茶楼で一服するくらいならいいだろう。私の無謀な行動で、城内を混乱に陥れるつもりはない。ちょっとだけ……即位以来、城を出るどころではなかった日々が過ぎて、安定しつつあるこの国の様子をじかにこの目で確かめるぐらい、悪くはないのでは。──そして実際に、悪くなかった。今では緊張を解いて、伸びた猫のように露台の手摺にもたれ掛かり、賑わう人々を眼下に見下ろしている。
(良かった)
見守っているだけで、自然と顔が綻ぶ。色鮮やかな果物がこぼれ落ちそうに並んでいる屋台。甘い飲み物を売り歩く行商人。パラソルを差し掛けて歩く貴婦人たち。笑いながら駆け抜けていく子供たち。
数年前まで、定期的に起きていた飢饉で街中に行き倒れた人々が溢れたり、貴族の先触れが乞食を鞭打ったり、そんな光景が普通に見られたという。今では人々はゆとりのある表情を浮かべ、街全体に明るい活気が漲っている。
「たまには、こうして世の中を自分の目で見てみるのも悪くないものね。ある程度治安が良くなった今だからこそ、言えることだけれど」
「しかし、陛下。すっかりくつろいでおいでのようですが、世直しのために城を出立されたのではなかったのですか?」
隣の床に長い影が差し掛かったのを見て、私は顔を上げずに言った。
当然のように返事が返ってくる。
「世直し? その必要は無さそうに見えるわ」
「残念ながら、それは浅慮と申し上げるしかありませんな。陛下による世直しは今も、それも緊急に求められております」
「……?」
私は眉を顰めて、傍らに立つ男を見上げた。
いつの間に彼がやって来たのかは知らないけれど、こうして隣に立たれれば流石に分かる。私が城からいなくなって慌てるどころか、一糸乱れぬいつも通りの鉄面皮のユリウスがそこにいた。
(宰相の慌てる顔は見られなかったわよ、第一書記官)
ちょっと残念に思いながら、私はほっとした。宰相はしょっちゅう私を苛つかせるけれど、だからといって国を混乱に陥れたくはない。
宰相は変装すらしていなかった。こんなに目立つ男がいるのに、周囲の目が集まる様子もない。無意識に人目を跳ね除ける結界でも張っているのだろうか。
「世直し? 私に世直しをさせたいの?」
「はい」
「……貴方、街中を練り歩いて『女王の御前なるぞ!』とかやりたいの?」
(まさか、そんな)
私が首を傾げていると、宰相は笑みの片鱗も浮かべずに私を見下ろし、それから軽く顎をしゃくって店の一隅を示した。
「まずは、アレから。あのいちゃついている似非椅子どもから淘汰いたしましょう」
「は?」
似非椅子。
その言葉に釣られるように視線を向けると、さっきまで静かだった階上が俄に騒がしくなって、新たな客が次々と階段を登ってきていた。恋人らしき若い男女が奥の席を占領し、膝の上に乗せられた彼女がきゃあきゃあと声を上げている。
「あり得ぬ」
「……ユリウス?」
地獄の門が軋むような音が聴こえた、と思ったら、宰相が奥歯を噛み締める音だったらしい。
「ご覧下さい。椅子のくせに、仕えるべき主に対して給餌などしている」
「給餌?」
見ると、恋人たちが「ほら、あーん」「嫌ぁ、恥ずかしいわぁ」などというやり取りを繰り広げている。確かに見ていて恥ずかしくなるような光景だけれど、まるで闇を具現化したかのような両眼で、この世の悪を煮詰めて出来た何かを睨むような眼光で見るようなものだった……?
「何たる増長。どちらが主なのかまるで理解していない。椅子に徹する覚悟の片鱗もなく、衆目に浴する権利だけ得たと勘違いして浮かれ騒ぐ。あの傲慢と無知、早急に陛下による世直しを要請いたします」
「……やるなら勝手にやって頂戴」
私は露台の手摺にしっかりとしがみついた。
(どうしてこの人はいつも、私が内心で震え上がるような案件しか持って来ないのかしら)
関わりたくない。この世で一番恥ずかしい世直しになる予感しかしない。ある意味、伝説として語り継がれてしまう。
「陛下」
「そんな目で見ても、私は動かないわよ」
「陛下はあのような所業をお許しになるので?」
「それは勿論、人前でああいうことをしない貴方の方が、私の椅子としては好ましいと思うわよ? でも、どんな椅子になるかは人それぞれ、あのくらいの自由は許されて然るべきと思うわ」
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