【完結】ずっと一緒だった宰相閣下に、純潔より大事なものを持っていかれそうです

雪野原よる

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番外

レルゲイト将軍は見た

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 頭が痛い。

 「頭が割れ鍋になって外から誰かにガンガン叩かれているよう」と言えば、大体言い表せたかしらと思うような痛み。目眩。ぐらぐらする視界。

(……なんでこんなに頭が痛むのかしら)

 少しだけ目を開いてみて、薄い光が差し込んできたので死にかけの獣のような呻き声を上げて、私は再び瞼を閉じた。とはいえ、辺りは明るくない。むしろとても暗い場所にいる。

 身体に触れる毛布の感触。深く馴染んだ柔らかな寝台。用心深く薄目を開けると、垂れ込めた天蓋のカーテンの隙間が、光の筋になって揺らめいて見えた。

(ああ。ここ、私の部屋だわ)

 そして私の寝台。

 時刻は夜? 私はどのくらい、そしていつから眠っていたのだろう。

(何だったかしら……昨日はユリウスが「立派な椅子になるための教養講座」とか開催していて)

 詰め掛けた聴衆の前で、見世物になっていたことは覚えている。いつも通り酷い経験をした。それからどうしたのだっけ……どうやって城に帰ってきた?

「……、……」

 人声が聴こえた。

 この部屋の中ではない。少し離れたところから聞こえてくる。私は痛む頭を押さえながら少しずつ起き上がり、天蓋のカーテンを引いた。

 暗がりに沈んだ寝室。扉で繋がれた応接の間には明るい光が灯されていて、薄く開けてある扉の隙間から、こちらに向かって光が溢れ出している。聞こえてくる話し声は低くて、耳慣れたものだ。椅子の軋む音。硝子の杯をコトリと置く音。

 私は耳を澄ませた。

「レルゲイト、卿は本当に愚かだな。女性を身体で籠絡できると思い込むのは、都合のいい妄想に陥りがちな男だけだ。まあ、大抵の男は都合のいいことしか考えんものだが……それに籠絡されている女性がいるとすれば、他に利があってその振りをしているだけだろう。陛下にはそのような必要がないし、そもそもそういうお方ではない」
「いや、俺は何も、陛下をどう籠絡するか、なんて訊いたつもりはないぞ。話が捻じ曲がってないか……? それに何故、俺が愚か呼ばわりされにゃならんのだ」
「卿が有難くも、我々の今後の夫婦生活を心配してくれたからだろう。はっきり言わせてもらうが、卿の心配はことごとく的を外しているぞ」
「そうか? 陛下を色めいた目で見たことなんて無いんじゃなかったのか? 宮内卿が心配して、陛下に御子が授からなかった場合に備えて養子候補者の一覧を作っていたぞ」
「そのリストは受け取っておくが、理由が違う。陛下を身体的に籠絡したところで効果は浅いからな。心ごと籠絡するのに最適な手段を取っていただけだ。それに陛下の制定なさった児童保護法が大問題となる」
「あの法律か……いや待て、お前、幼女には興味無かったよな? 無いと言ってくれ……」
「元々子供は好かん。一ミリたりとも関心が湧かんが、陛下の幼少期となれば話は別だ。念の為に言っておくが、陛下の老女期もさぞかし美しかろうと思っている」
「何のフォローにもならんからなお前?!」

 ……何を話しているのだろう。あの二人は。

 頭が痛いせいで、怒涛のように流れ過ぎる言葉が何を指し示しているのか、とっさに理解ができないのだけれど、何やら不穏な匂いがぷんぷんしてくることだけは理解できる。「夫婦生活」「身体で籠絡」「幼少期」……何? 深夜、男二人で何の話に興じているの?

(すぐ近くで寝ている私の耳に入る可能性を考えないのかしら)

「だから言っただろう。私は色欲だけを目的として陛下にお仕えしているわけではないと。その生涯全て、精神と人格全てを籠絡したいのだと」
「その結果が椅子か? それでいいのかお前は?」
「椅子ならば、間違いなく生涯を通じて使って頂けるからな」
「斬新な忠誠心過ぎるな」
「執着だろうな」
「美談にする気が無いのかお前」

 とぷとぷと何かを注ぐ音がして、濃厚な葡萄酒の香りが漂ってきた。私ははっとした。

(そうだ、お酒だわ)

 昨夜、やさぐれながら王城に帰還した私は、やさぐれたあまりに大量の葡萄酒を飲んでいた。元々お酒には強い国民性なので(水道の整備が遅かったせいで、清水よりは葡萄酒の方が手に入りやすく安全な時代が長かった、という歴史的背景がある)、法的には特に制限がないし、私もそれほど弱いわけではない。でも、とにかく精神的に弱っていた私は、椅子(宰相)に同じ量の酒を飲ませつつ、ひたすら飲み続けたのだ。

 その結果、私は途中から記憶が無いし、目覚めたのは暗い寝室の中。宰相はまるで酔わなかった上に、隣室で更に酒盛りを続けている。

(く……悔しい)

 ずきずき痛む頭に手を添えながら、私は顔を引き攣らせた。

 ともあれ、状況を把握する必要があるだろう。薄い夜着の上からガウンを羽織って、山羊革のサンダルをつっかけ、私はペタペタと足音を立てながら応接の間へ入っていった。

「ねえ、貴方がた、宰相と将軍として、国家の一大事とか語り合う気はないの?」

 私が声を掛けると、暖炉の傍でそれぞれ、安楽椅子に埋もれるように座っていた二人がこちらを振り仰いで見た。

 驚いた様子はない。宰相は薄い笑みを唇に浮かべ(正直に言おう、とてもいかがわしく見えた)、杯を片手に私を差し招いた。

「お早うございます、陛下。まだ深夜でございますが。まずはお座り下さい」
「……そうね」

 抵抗は諦めている。ガウンの裾を身体に巻き付けるようにしてユリウスの上に座ると、向かいに座っていたレルゲイト将軍がさっと顔を逸らした。いつもと違う反応だ。

「どうしたの、将軍?」
「いえ……」

 いつも満面の笑みを向けてくる人懐こい顔に、気まずそうな色が浮かんでいる。

「何でもありませんよ、陛下」
「レルゲイトは昨夜の陛下を見ておりますので。酩酊したお姿が少しばかり、刺激的すぎたのでは」
「お、おい、ユリウス……! 何を言って」
「……刺激的?」

 私は固まった。

 昨夜の記憶は……あまりない。酔っ払ったことは分かっているし、最初の方の記憶は残っているが……その後は?

「……私、何をしてしまったのかしら」
「ご、ご心配なく。大したことはありませんでしたよ! その男の上に向かい合わせで座って、胸ぐらを掴み、ぐらぐら揺さぶりながら『変態! 変態!』と罵り、さらには頬を叩いていただけで」
「ぼ、暴力行為……?!」

 私は色んな意味で青褪めた。

 宰相に暴力行為をしてしまうぐらい、ストレスが溜まっていたかといえば、間違いなく溜まっていたけれど。「変態」と罵りたい気持ちも勿論ある。しかし、実際に頬を叩くような真似をしたいかといえば、話は別だ。

「ぺちぺちと軽くはたかれていただけです。兎の耳を当てられたほどにも感じませんでしたな」
「そこは『羽毛のよう』とか言うのが普通ではない?」

 身体を捩って彼の顔をじっと見つめ、そこに手形も何も残っていないことを確認して、私はほっと息をついた。

「やはり、飼い慣らされた兎など弱すぎて野に出しては生きていけない。今後も丁寧に囲うべきであると再認識いたしました」
「ねえ、貴方、私の罪悪感を軽くするためにわざと変なことを言っているの?」
「そんな気遣いなど全くしておりません。ただ過ぎた快楽を享受させて頂いたことは心底感謝しております」
「そう……何だか分からないけれど私は貴方をとても楽しませたのね……不本意だわ」

 心痛の篭もった声で呟くと、将軍がぶはっと息を吐き出した。

 顔を手で覆って、耐え切れず笑いに歪んだ顔を隠している。私が冷たい眼差しを向けると、慌てて詫びるように言った。

「……いえ、申し訳ありません、陛下。この変人と一緒にいる陛下のことは、心底お可哀そうだと思っているのですが……昨夜のあれはちょっと衝撃というか、面白すぎ……いえ、何でもないですよ、本当に」
「……何を見たのか知らないけれど、できれば早急に忘れる努力をして頂戴、将軍」
「畏まりました」
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