【完結】ずっと一緒だった宰相閣下に、純潔より大事なものを持っていかれそうです

雪野原よる

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番外

その宰相、鉄製につき

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「では、陛下。今のうちにお知らせしておきたい儀がございます」

 宰相が口調を改めた。

 となれば、それはきっと国にとって一大事の知らせに違いない。……などと、素直に思えるような時期はとっくの昔に過ぎてしまった。

(どうせ、どうしようもなく狂っているか、椅子に関する邪悪な企みごとに決まっているわ。この二つは同じものだけれど)

 不幸なことに、予想されるパターンといえば、ほぼ一定なのである。深く考えるまでもない。

 とはいえ、私の機嫌はそれほど悪くはなかった。

 手の中には、冷えた硝子の杯がある。それを両手で抱え持って、私はちびちびと舐めるようにして飲んでいた。中に入っているのは、ほんのりとレモンとミントの香りがついた水だ。

 私が二日酔いの名残りに悩まされているのを察したらしく、宰相が傍らからすっと差し出してきたのだ。彼がいつ用意したのかは知らない。

「熟年夫婦みたいですねえ」

 当然のような顔をして私に給仕するユリウスと、当然のような顔をして受け取る私を交互に見て、レルゲイト将軍があやふやな笑いを浮かべた。

「そうね」

 私が彼に依存していることを、今更否定する気にもなれない。私が否定したいのは、狂人の狂気に汚染されることである。これがなかなか難しいのだけれど。

 私が飲み終えた杯を宰相が受け取って、カタリと音を立てて脇卓に置いた。静かな口調で言う。

「とはいえ、我々が実際に夫婦になるのは、これから一週間先の話となりますが」
「一週間先?」

 夫婦? またもや宰相が意味不明なことを言っているわ……と思ったけれど、いちいち驚くのも面倒になっていた私は、おざなりな疑問の声を上げた。

 ──上げたのだけれど。

「陛下と私の挙式が、一週間後と定まりましたので」
「え?」
「賓客の招聘はすでに終えております。迎賓用に、東の離宮を開放する予定です」
「……え、あの?」
「ご安心下さい。陛下におかれましては、当日まで健やかに過ごして頂く以外に、特別に加味される業務はこざいません」
「……」

 ……駄目だ。おざなりな対応をしている場合ではなかった。

(何を言われているのか、ついていけてないわ)

 私の預かり知らぬところで、一大事が起き過ぎているらしい。

 彼の膝の上でもぞもぞと動いて、しっかりと座り直した。背筋をぴんと伸ばす。頭の中を切り替えて、なるべく冷静で公平な思考を取り戻そうとした。今更、ではあるが。

 つまり……またもや宰相が暴走したということ? 「またもや」と言わねばならないところが非常に嫌だけれど、流石にこれは専横の度合いが過ぎるというか、このままにはしておけないというか。具体的に言えば、ユリウスの頬を引っ張って、「変態! 変人! また勝手に訳の分からない話を進めて!」と力の限り罵っても構わないぐらいの案件では?

(この男がそれでダメージを受けるどころか、むしろ喜んでしまうと思うと、更に腹立たしいものがあるのだけれど)

 ぐぎぎ、と顔を強張らせて引き攣らせている私の背後で、宰相がしたり顔で話し始めた。いや、私は今、彼の顔を見ているわけではないので、その表情が分かるはずもないのだけれど、見ても見なくても大体伝わってくるものがあるのだ。

「八ヶ月前には予算の計上が済み、五ヶ月前には式典の段取りを終えておりました。布告こそ遅くなりましたが、元より広く想定されていたこと、特に混乱を招くこともあるまいと思われます」
「……八ヶ月前……それって、私が最後に貴方に求婚して断られる前じゃないの……」

 こめかみが脈打って、頭がずきずきと痛む。

 治ったはずの二日酔いが、より悪化して戻ってきたような気がしてきた。

「断られる? 何を仰っておいでで? 陛下の申し出をお断りした記憶は、一度たりともございませんが」
「やっぱりそうなのね……最近になって、何となくそんな気がしていたけれど」

 私は深く息を吐いた。振り向いて、眇めた目で宰相を睨みつける。

 これは一言言っておかなくては、流石の私も気が済まない。

「貴方の態度が悪いわ! どう考えても、私が振られたような雰囲気だったわよ」
「それは申し訳ございませんでした。書面を頂くまでは、急ぎ目撃者と証言者を集め、血判書を作成するために慌ただしく動き回っておりましたので。陛下へのフォローが不十分でしたな」
「そう、あの頃の貴方は何を考えているのか全然分からなくて……え、血判書?」

 目撃者と証言者を集める? 血判書を作成?

「……何を言っているの?」

 ふるっと身を震わせた私を差し置いて、宰相は淀み無くすらすらと解説を述べる。

「当時の陛下は成人されておりませんでしたので、たとえ陛下が結婚して下さると仰っても、そこには一切の法的拘束力が発生いたしません。強制的に結婚させられる子女が後を絶たないことを嘆いて、陛下の肝煎りで制定された児童保護法で定められたことでございますが。陛下の忠実な臣下たる身で、その布告を積極的に覆すわけにもいかず」
「……つまり?」
「陛下が成人なさるのと同時に華燭の典を挙げられるよう、さまざまな下準備を行う他に、出来ることはございませんでした」
「……そう」

 その「準備」に「血判書」が含まれるのはどうかと思うし、「なんで?!」とも思うのだけれど、私としてはこれ以上深く聞き出したくはない。

「あの時は俺も拉致され……いや、無理矢理引き摺っていかれて驚いたよなあ。毎回、血判者の名前の一覧が長くなるし内容も仰々しくなる一方で、何の呪いの儀式かと」

 レルゲイト将軍が何やらブツブツ言っているけれど、私は聞いてないったら聞いてない。

「とにかく、話は分かったわ」

 私がそう言ったのは、話を進めたかったわけではなくて、とにかく早々に打ち切るためである。

 額を押さえる。力ない呟きが口から零れ落ちた。

「私が思う以上に、貴方は私と結婚する気満々だったのね……。逆に私の方が、夢も希望も無くなっている感じなのが皮肉ね」
「夢も希望も必要ございません。結婚は現実の延長ですので」

 「何か問題が?」みたいな顔をして言ってくる宰相に、やたらイラッとさせられる。

「経験深い年長者が諭してるみたいな雰囲気を醸し出すのはやめなさい、ユリウス。どうせ、頭の中にはろくでもないことしか詰まってないんでしょう」
「流石は陛下、私に対する理解が深い。長くお仕えしただけのことはありますな。その割に、ごく最近までまるで理解が及ばず思い悩まれていたようですが、それもまた無邪気な陛下らしいというか、味わい深いというか」
「随分と煽るわね、貴方……あまり私を怒らせるなら、引っ掻くわよ」

 半分本気で、私は威嚇の唸り声を上げた。

 そう、私は案外本当に怒っているのである。長い間、宰相に振られ続けて失恋の傷を負った上、気がつくと勝手に結婚話を進められている。

 この男に、せめて軽い傷の一つや二つは返してやるべきではない?

 凶暴極まる考えを胸に、私が自分の爪(それほど長くはない)を見つめていると、ユリウスはしばし沈黙した。

 それから、視線をレルゲイト将軍の方に彷徨わせ、

「レルゲイト。卿を兎飼いの経験者と思って聞きたいが、兎の爪の威力はどうだ? 痛むか? 噛み付き傷はどれほど残る?」
「それを聞いてどうするんだ」
「本当に、どうするつもりなの、宰相」

 ユリウスはすっと冷えた氷のような藍色の眼差しを私に向け、

「事前に妄想して楽しみ、実際の威力を体感して二倍の喜悦とさせて頂こうかと思っておりました」
「……これほど会話がまともじゃない宰相って居る?」

 私は溜息をついた。

(そんなに私に甚振られたいなら、本当にやるわよ)

 溜息をつきながらも、手を伸ばして彼の頬に添える。宰相の藍色の目がじっと見下ろしているのを意識しながら、両側から全力で引っ張った。どんな鉄面皮の宰相だって、頬を引っ張られれば変な顔になるものだ。

 ユリウスを楽しませたいわけではないけれど、とにかく、少しでも私の抱えた鬱憤を晴らしたい。

 むにむにされて、変な顔を嘲笑されてしまえばいいんだわ……レルゲイト将軍と一緒に笑ってあげる……いつもの超然とした威厳が台無しになればいい……

 ……ものすごく固い頬だった。

「く、……くぅっ!」

 私は全力を込めているのだけれど。

 指の力だけでは足りず、全身を捩って必死に引っ張ってみたのだけれど、一ミリも動かない。いや、一ミリの十分の一ぐらいは動いたかしら? という手応えがあるのだけれど、そんな手応えなら無いのも同然だ。

 鉄面皮って、本当に鉄で出来ているから鉄面皮なの?

 そんなことがあり得る?

「陛下……これではどうにももどかしく。もう少し力を込めて頂けますかな」
「お黙りなさい。ぬ……ふぬぬ、くぅ」

 私は呻きながら、

「どういうことなの……変顔は? 変顔はどうなったの……くっ」
「これはこれで……ふむ。悦い」
「黙りなさい(激怒)。いっそ永遠に沈黙しててもいいのよ、宰相」
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