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後日談、或いはおまけ
33.詐欺師、仕事を受ける
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「摂政公の腰巾着の一人に、バクノン准男爵というお人がいる。知っているかい」
「イタチの周りをうろうろする狸がいる、って話ですか? それなら存じ上げてますよ」
マダムが口にした「摂政公」とは、この国では誰もが知っている人物のことだ。
現在の国王陛下は身体が弱く、半ば隠居したようなご老体だ。離宮に引き篭もって、趣味三昧、淫蕩三昧の日々に耽っている。その国王陛下に代わって、国政を取り仕切っているのが「摂政公」セオドリク公爵グイルード。イタチのような顔をした小柄な中年男だが、微笑みながら背後に隠したナイフで切りつけるような男だとも言う。……切れ者だという賛辞なのだろう。おそらく。
その腰巾着だという男。──エラは初めて耳にする名前だ。
「バクノン准男爵は、見た目は狸だが、実際には鼠だと言われていてね。穴があればどこにでも出入りする。他人の囓りかけの食べ物をくすねて生きる男だと」
「そいつは悪評持ちなことで」
「実際に、評判だけじゃないらしい。つい先月、王城の主宝庫から、一枚の支払記録を盗み出したらしいんだ」
「支払記録?」
「我らが国王陛下が、こっそり禁輸品をお買い上げなさって、愛人に下げ渡したという内容だ」
「……へえ、それはそれは」
シェランがうんざりした顔で相槌を打つ。
「バクノン准男爵は、その一枚の紙切れを、一番高く買ってくれる相手に売る気でいるらしい。つまり、教会さ」
「免罪符を一万枚売って得た金で、王の醜聞を買うわけですか」
「破門状を持って国王陛下を脅し付ければ、三倍の金が返ってくる計算なんだろうよ」
「金の巡りが良くて何よりですね」
「ああ、だが、摂政公は無駄な流れを許したくないようでね。何より、国王陛下のご威光が陰るのをこれ以上見過ごすわけにはいかないとか何とか」
「……」
慇懃な口調を保ちながら、それまで無関心そうな表情を隠さなかったシェランが黙った。
何をどう計算しているのやら、目を細めると、白銀の光をはじく睫毛の奥で淡青の目が光る。
「バクノン准男爵は、今、女の家に入り浸っててね。女は金持ちの商家の娘だ。書類を隠すなら、恐らくその家の中だろうと」
「なるほど。……報酬は?」
「准男爵の枠が一つ空きそうなんだけど、要るかい?」
「その気になったら、俺でも買えますよ、マダム。昨今は没落貴族もいっぱい居ますしね」
「じゃあ、もっとあんたが飛びつきそうなものを用意しよう。トレンマーダ男爵家の長女に対する家督財産保障書、摂政公のサインつき」
「よし、乗った」
シェランはパンと手を叩いた。
「え?」
話の流れに付いていきそびれたエラが瞬きする。
シェランとマダムを交互に見て、
「あの……私の?」
「そう、トレンマーダ男爵は魔の鉱山……じゃなくて、仕事で長いこと家を空けているからな。今後、エラが家督継承するとき、簡単に済む保証はない。この状況に付け込んでくる詐欺師だっているかもしれんし」
そうですね、実際にここにいますしね……と思いながらエラは首を傾げた。
「私が家督を継いでもいいんですか?」
「当たり前だろ」
(……言い切ったわ、この人)
シェランは根本的に性格が優しいというか、甘い。それは分かっているのだが、それにしても……シェランこそ、男爵家を乗っ取るつもりで結婚詐欺を働いた張本人ではなかっただろうか。
(忘れてる……なんてはずはないし)
「男爵家に縛り付けられて、ひたすら無償労働させられてきたのはお前だろ。その分……と言うわけじゃないが、奪い返せるものは全部奪っとけ」
「……」
「何だ、要らんのか?」
「……要ります」
眉間に皺を刻んでいるエラ、不思議そうに見下ろすシェラン。
その様子を興味深げに見ていたマダム・ゲルダが、とうとう笑い出した。
「お嬢ちゃん、シェランはあんたを女男爵にして、それと結婚するつもりなんだよ。お家を乗っ取られたくなかったら気をつけな」
「財産目当てみたいな言い方は止して下さい、マダム。別に俺は、エラがメイドだったとしてもお針子だったとしても構わないんで。……むしろ、貴族の方が面倒だろ。結婚手続きにどれだけ偽装と賄賂が要るものか……ざっと計算はしてるが気が重い」
ぼやきと共に、シェランが溜息をつく。
エラは思わず、まじまじと彼の顔を見てしまった。
「……計算してるんですか?」
「当たり前だろ? その覚悟がなかったら、大事な義理の娘を口説いてない」
大事な義理の娘。
まるでお義母さまのような言いようだ。
(……同一人物なんだから、当然なんだけども)
認めたくない。
断じて、認めるわけにはいかないのだ。認めたら最後、エラはシェランが好きすぎてわざとリボンを不器用に結び(※21話参照)、彼のハーレムでも何でも進んで入る娘だ(※27話参照)ということになってしまうのだから。今となっては黒歴史すぎて死ねる……!
「イタチの周りをうろうろする狸がいる、って話ですか? それなら存じ上げてますよ」
マダムが口にした「摂政公」とは、この国では誰もが知っている人物のことだ。
現在の国王陛下は身体が弱く、半ば隠居したようなご老体だ。離宮に引き篭もって、趣味三昧、淫蕩三昧の日々に耽っている。その国王陛下に代わって、国政を取り仕切っているのが「摂政公」セオドリク公爵グイルード。イタチのような顔をした小柄な中年男だが、微笑みながら背後に隠したナイフで切りつけるような男だとも言う。……切れ者だという賛辞なのだろう。おそらく。
その腰巾着だという男。──エラは初めて耳にする名前だ。
「バクノン准男爵は、見た目は狸だが、実際には鼠だと言われていてね。穴があればどこにでも出入りする。他人の囓りかけの食べ物をくすねて生きる男だと」
「そいつは悪評持ちなことで」
「実際に、評判だけじゃないらしい。つい先月、王城の主宝庫から、一枚の支払記録を盗み出したらしいんだ」
「支払記録?」
「我らが国王陛下が、こっそり禁輸品をお買い上げなさって、愛人に下げ渡したという内容だ」
「……へえ、それはそれは」
シェランがうんざりした顔で相槌を打つ。
「バクノン准男爵は、その一枚の紙切れを、一番高く買ってくれる相手に売る気でいるらしい。つまり、教会さ」
「免罪符を一万枚売って得た金で、王の醜聞を買うわけですか」
「破門状を持って国王陛下を脅し付ければ、三倍の金が返ってくる計算なんだろうよ」
「金の巡りが良くて何よりですね」
「ああ、だが、摂政公は無駄な流れを許したくないようでね。何より、国王陛下のご威光が陰るのをこれ以上見過ごすわけにはいかないとか何とか」
「……」
慇懃な口調を保ちながら、それまで無関心そうな表情を隠さなかったシェランが黙った。
何をどう計算しているのやら、目を細めると、白銀の光をはじく睫毛の奥で淡青の目が光る。
「バクノン准男爵は、今、女の家に入り浸っててね。女は金持ちの商家の娘だ。書類を隠すなら、恐らくその家の中だろうと」
「なるほど。……報酬は?」
「准男爵の枠が一つ空きそうなんだけど、要るかい?」
「その気になったら、俺でも買えますよ、マダム。昨今は没落貴族もいっぱい居ますしね」
「じゃあ、もっとあんたが飛びつきそうなものを用意しよう。トレンマーダ男爵家の長女に対する家督財産保障書、摂政公のサインつき」
「よし、乗った」
シェランはパンと手を叩いた。
「え?」
話の流れに付いていきそびれたエラが瞬きする。
シェランとマダムを交互に見て、
「あの……私の?」
「そう、トレンマーダ男爵は魔の鉱山……じゃなくて、仕事で長いこと家を空けているからな。今後、エラが家督継承するとき、簡単に済む保証はない。この状況に付け込んでくる詐欺師だっているかもしれんし」
そうですね、実際にここにいますしね……と思いながらエラは首を傾げた。
「私が家督を継いでもいいんですか?」
「当たり前だろ」
(……言い切ったわ、この人)
シェランは根本的に性格が優しいというか、甘い。それは分かっているのだが、それにしても……シェランこそ、男爵家を乗っ取るつもりで結婚詐欺を働いた張本人ではなかっただろうか。
(忘れてる……なんてはずはないし)
「男爵家に縛り付けられて、ひたすら無償労働させられてきたのはお前だろ。その分……と言うわけじゃないが、奪い返せるものは全部奪っとけ」
「……」
「何だ、要らんのか?」
「……要ります」
眉間に皺を刻んでいるエラ、不思議そうに見下ろすシェラン。
その様子を興味深げに見ていたマダム・ゲルダが、とうとう笑い出した。
「お嬢ちゃん、シェランはあんたを女男爵にして、それと結婚するつもりなんだよ。お家を乗っ取られたくなかったら気をつけな」
「財産目当てみたいな言い方は止して下さい、マダム。別に俺は、エラがメイドだったとしてもお針子だったとしても構わないんで。……むしろ、貴族の方が面倒だろ。結婚手続きにどれだけ偽装と賄賂が要るものか……ざっと計算はしてるが気が重い」
ぼやきと共に、シェランが溜息をつく。
エラは思わず、まじまじと彼の顔を見てしまった。
「……計算してるんですか?」
「当たり前だろ? その覚悟がなかったら、大事な義理の娘を口説いてない」
大事な義理の娘。
まるでお義母さまのような言いようだ。
(……同一人物なんだから、当然なんだけども)
認めたくない。
断じて、認めるわけにはいかないのだ。認めたら最後、エラはシェランが好きすぎてわざとリボンを不器用に結び(※21話参照)、彼のハーレムでも何でも進んで入る娘だ(※27話参照)ということになってしまうのだから。今となっては黒歴史すぎて死ねる……!
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