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後日談、或いはおまけ
35.エラ、戦闘民族の血が騒ぐ
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「御主人様は、今夜はお戻りになりません。サルジア伯の集会に赴いておられますので」
「ふむぅ、分かったぞ」
富裕層の集まる、大運河沿いの町屋敷。
バクノン准男爵の愛人宅は、羽振りの良さを感じさせる豪壮な館だった。いささか成金ぽさはあるが、剥き出しの金ピカというわけでもない。未だに蝋燭をちまちまと点していたりする男爵家よりもずっと明るく、近代的に誂えられていて、住み心地が良さそうだ。羨ましい。
ざっと見回しただけでも、女主人の性格がどんなか窺える。こんなにやり手なら、もっと高位貴族の愛人を捕まえていてもおかしくないのに、何故わざわざバクノン准男爵と……?
(本物はあんな、らしいし)
シェラン演じる「正しきバクノン准男爵」を、気付かれないようにそっと横目で見る。
尊大な口振り、腹を突き出して無駄に威張った歩き方、手を振って使用人を追い払う仕草。絵に描いたような小物悪役っぷりだ。
「もうよい、下がれ下がれ」
「はっ」
横暴に振舞われるのには慣れているらしく、眉一つ動かさずに執事が引き下がっていく。偽の准男爵と従者は迷わず、真っ直ぐ主寝室へ向かったのだが……
「……なあ、従者君? 一つ質問があるんだが。あれは何だと思う?」
寝室の真ん中で突っ立ったまま、シェランがぼそりと呟いた。
心なしか、顔色が悪い。
「あれ? どれのことですか?」
「ほら、正面の書物棚の天辺にだな……」
「ああ、幽霊が憑いてますね。久しぶりに見ました」
「……」
「ドゥーカンさん、幽霊が苦手なんですか?」
「そ、そそそそんなはずはないだろ」
答えるシェランの目は激しく泳いでいた。
「苦手じゃない、全然苦手じゃないが、ああいう連中は人間を脅かすためならどんな真似でも仕出かすからな。面倒だろ。かつて、俺の部屋の書棚にもあれと似た幽霊が一体住み着いていてな、そいつが俺の書類を……」
シェランの言葉に呼応するように、ぼんやりとした幽霊の手が伸びて、鷲掴みにした白い紙をひらひらと振った。
「ヒッ」
(あっ、護らなきゃ)
そう無意識に思ったのは、お義母さまは私が護る! と勇ましく宣言していた頃の気持ちの名残りだろうか。
エラは懐から、銀色のナイフを取り出した。
「聖剣は流石に持ってきてないですけど、これさえあれば確実に仕留められますよ。ヤりますか?」
「ま、待て。なんだそれ。ナイフ? またしても家宝か?」
「いや、普通に食卓にある銀製のナイフですけど。純銀製なら、幽霊相手に戦えますから」
「お前の先祖、何してたんだ? 子孫に何かが受け継がれ過ぎだろ」
戦闘民族か? 貴族って大抵、祖先は戦闘民族だもんな……と呟くうちに、シェランは顔色を取り戻してきたように見えたか、
「うわ、マジか……」
「ドゥーカンさん?」
「あいつの持ってる紙、お目当ての支払記録じゃねえか」
エラには聞こえないぐらいに声を潜めて、シェランがガラの悪そうな悪罵を吐く。
(この人、どういうところで生まれ育ったんだろ)
エラは思った。
彼の幼少期の話は聞いたことがないのだが、興味はある。いつか聞いてみたいし、その品の悪そうな罵り文句を教わったっていい。
「じゃあ、取り返しますね」
「エラ?」
長年の家事労働で培ったコントロールである(多分)。エラは手にしたナイフを綺麗に真っ直ぐに飛ばして、幽霊の脳天にぶち当て、呻きと共に昇天させた。
「……! !! !」
硬直したシェランが強調記号を飛ばしまくっているのを尻目に、エラは床に落ちた書類を拾い上げた。厚みのある羊皮紙だ。
「これで回収終了ですね」
「あ、ああ」
シェランに紙を手渡したとき、階下で突然、物音が生じた。重たげな軍靴が絨毯を踏む音。どやどやと、複数人が館になだれ込んできたようだ。
「……エラ。隅っこに行っとけ」
「あ、あれは?」
シェランが答えるより早く、扉が勢いよく開いた。
ぎらついた銀の槍の穂先が突き出され、それから鎖帷子に緋色のマントを羽織った兵士たちが踏み込んでくる。
甲高い、居丈高な声が放たれた。
「カルスナック修道騎士団だ。聖王猊下のご命令により、国王の支払記録を回収に来た。大人しく渡して貰おう、そうで無ければ……」
文言を言い終えるより前に、兵士が槍の柄でシェランを殴り飛ばした。
ゴイン、と痛そうな音がして、シェランが床に倒れる。
「!!」
エラは咄嗟に駆け寄って屈み込んだが、その視線は忙しく部屋の中を巡った。
(武器は……こういう館の女主人なら、寝台脇のチェストにナイフぐらい仕込んでいるはず……敵は5人だから、寝台の掛け布を使って)
「おい……エラ」
シェランが囁く声がする。
「動くなよ。お前は主人の不幸を嘆く振りをしとけ。いいから、くれぐれもこの場で、戦闘民族に化けるなよ?」
「でも……シェラン……」
「いいから。しっ」
痛めつけられたというのに、器用に騎士たちに見えない角度で唇に指を当てて見せるので、エラは激しく瞬きした。そんな彼女の前で、シェランは気絶したかのようにだらりと力を抜いて、書類が奪われるままに任せた。
「ふむぅ、分かったぞ」
富裕層の集まる、大運河沿いの町屋敷。
バクノン准男爵の愛人宅は、羽振りの良さを感じさせる豪壮な館だった。いささか成金ぽさはあるが、剥き出しの金ピカというわけでもない。未だに蝋燭をちまちまと点していたりする男爵家よりもずっと明るく、近代的に誂えられていて、住み心地が良さそうだ。羨ましい。
ざっと見回しただけでも、女主人の性格がどんなか窺える。こんなにやり手なら、もっと高位貴族の愛人を捕まえていてもおかしくないのに、何故わざわざバクノン准男爵と……?
(本物はあんな、らしいし)
シェラン演じる「正しきバクノン准男爵」を、気付かれないようにそっと横目で見る。
尊大な口振り、腹を突き出して無駄に威張った歩き方、手を振って使用人を追い払う仕草。絵に描いたような小物悪役っぷりだ。
「もうよい、下がれ下がれ」
「はっ」
横暴に振舞われるのには慣れているらしく、眉一つ動かさずに執事が引き下がっていく。偽の准男爵と従者は迷わず、真っ直ぐ主寝室へ向かったのだが……
「……なあ、従者君? 一つ質問があるんだが。あれは何だと思う?」
寝室の真ん中で突っ立ったまま、シェランがぼそりと呟いた。
心なしか、顔色が悪い。
「あれ? どれのことですか?」
「ほら、正面の書物棚の天辺にだな……」
「ああ、幽霊が憑いてますね。久しぶりに見ました」
「……」
「ドゥーカンさん、幽霊が苦手なんですか?」
「そ、そそそそんなはずはないだろ」
答えるシェランの目は激しく泳いでいた。
「苦手じゃない、全然苦手じゃないが、ああいう連中は人間を脅かすためならどんな真似でも仕出かすからな。面倒だろ。かつて、俺の部屋の書棚にもあれと似た幽霊が一体住み着いていてな、そいつが俺の書類を……」
シェランの言葉に呼応するように、ぼんやりとした幽霊の手が伸びて、鷲掴みにした白い紙をひらひらと振った。
「ヒッ」
(あっ、護らなきゃ)
そう無意識に思ったのは、お義母さまは私が護る! と勇ましく宣言していた頃の気持ちの名残りだろうか。
エラは懐から、銀色のナイフを取り出した。
「聖剣は流石に持ってきてないですけど、これさえあれば確実に仕留められますよ。ヤりますか?」
「ま、待て。なんだそれ。ナイフ? またしても家宝か?」
「いや、普通に食卓にある銀製のナイフですけど。純銀製なら、幽霊相手に戦えますから」
「お前の先祖、何してたんだ? 子孫に何かが受け継がれ過ぎだろ」
戦闘民族か? 貴族って大抵、祖先は戦闘民族だもんな……と呟くうちに、シェランは顔色を取り戻してきたように見えたか、
「うわ、マジか……」
「ドゥーカンさん?」
「あいつの持ってる紙、お目当ての支払記録じゃねえか」
エラには聞こえないぐらいに声を潜めて、シェランがガラの悪そうな悪罵を吐く。
(この人、どういうところで生まれ育ったんだろ)
エラは思った。
彼の幼少期の話は聞いたことがないのだが、興味はある。いつか聞いてみたいし、その品の悪そうな罵り文句を教わったっていい。
「じゃあ、取り返しますね」
「エラ?」
長年の家事労働で培ったコントロールである(多分)。エラは手にしたナイフを綺麗に真っ直ぐに飛ばして、幽霊の脳天にぶち当て、呻きと共に昇天させた。
「……! !! !」
硬直したシェランが強調記号を飛ばしまくっているのを尻目に、エラは床に落ちた書類を拾い上げた。厚みのある羊皮紙だ。
「これで回収終了ですね」
「あ、ああ」
シェランに紙を手渡したとき、階下で突然、物音が生じた。重たげな軍靴が絨毯を踏む音。どやどやと、複数人が館になだれ込んできたようだ。
「……エラ。隅っこに行っとけ」
「あ、あれは?」
シェランが答えるより早く、扉が勢いよく開いた。
ぎらついた銀の槍の穂先が突き出され、それから鎖帷子に緋色のマントを羽織った兵士たちが踏み込んでくる。
甲高い、居丈高な声が放たれた。
「カルスナック修道騎士団だ。聖王猊下のご命令により、国王の支払記録を回収に来た。大人しく渡して貰おう、そうで無ければ……」
文言を言い終えるより前に、兵士が槍の柄でシェランを殴り飛ばした。
ゴイン、と痛そうな音がして、シェランが床に倒れる。
「!!」
エラは咄嗟に駆け寄って屈み込んだが、その視線は忙しく部屋の中を巡った。
(武器は……こういう館の女主人なら、寝台脇のチェストにナイフぐらい仕込んでいるはず……敵は5人だから、寝台の掛け布を使って)
「おい……エラ」
シェランが囁く声がする。
「動くなよ。お前は主人の不幸を嘆く振りをしとけ。いいから、くれぐれもこの場で、戦闘民族に化けるなよ?」
「でも……シェラン……」
「いいから。しっ」
痛めつけられたというのに、器用に騎士たちに見えない角度で唇に指を当てて見せるので、エラは激しく瞬きした。そんな彼女の前で、シェランは気絶したかのようにだらりと力を抜いて、書類が奪われるままに任せた。
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