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後日談、或いはおまけ
36.詐欺師、馬を走らせる
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「ああ、痛って……話より先に暴力に訴えるの、流石は武装した狂信者だよなあ」
殴られた頭を擦りながら、シェランがぼやく。
「だ、大丈夫なんですか? 鉄の柄で思い切り殴られてましたけど」
「ああいう手合いには慣れてるから、殴られる時になるべく衝撃を逃がすようにしたんだよ。にして痛えな。こんなに殴られたのは久しぶりだ。それにしても」
床の上に胡座をかいて、シェランは兵士たちが出て行った後の扉を憂鬱そうに睨んだ。
「この屋敷の主人が教皇庁と手を組んでる可能性ぐらい、頭の片隅に入れとくべきだった。思ったより面倒くさいことになったな」
「どうするんですか?」
「あいつらが早馬で教皇座に書類を届けるとして、途中で立ち寄りそうなのはリュクデル僧院、ヴェルニの聖堂……確実なのはヴェルニか? そこで追い付いて盗むしかない」
「早馬に追い付けますか?」
シェランは立ち上がって、バクノン准男爵としては不似合いなほどきびきびとした動きで、足早に階下に向かった。急いでその後ろを追い掛ける。
(本当に大丈夫なのかな、頭の怪我)
弱ったようには見えないが、強がりかもしれない。
シェランには野生の動物めいたところがある。傷付いていても、そう簡単には周りに悟らせないだろう。
エラが追い付いたところで、シェランは半地下に並んだ屋敷の馬車を物色していた。ピュウッと感心したような口笛を吹いている。
「……いいもの持ってるな。二輪馬車だ」
大きな双輪が目立つ、それ以外は華奢なつくりの車体を引き出して、シェランが慣れた手付きでバーを外していく。
「……これは?」
「速いぞ。俺は賭けでカリクルレースに出たこともあるからな、安心しろ」
幸か不幸か、屋敷に引き篭もりがちだったエラは知らない。カリクルは速いが事故も多い乗り物だ。カリクルレースといえば、毎年首の骨を折る者が出るほど悪名高いレースである。だが、速い(大事)。
「おい、お前。中央通りの貸馬屋のところに行って、二頭借りてこい」
「か、閣下……これは閣下の乗られるようなものでは」
シェランに呼び付けられた執事が反対の意を示すのも、当たり前ではある。そもそも、シェランはこの馬車を後で返すつもりがあるのか?
だが、そのおよそ30分後、
「閣下……我々は閣下の事を見くびっていたようです。おみそれ致しました」
深々と頭を下げられながら、シェランは意気揚々とカリクルに乗って館を出て行った。鼠のような顔はキリッと引き締まって、完全にその道を極めし者の表情になっている。
「……本物の准男爵の評判はどうなるんですかね。なんだか気の毒になってきたんですけど」
エラが呟くと、シェランは「むふん」と鼻を鳴らし、
「小物の運命など知らんですぞ。いいから風除け用にコートに包まっておけ、ふぉふぉ」
「……そうします」
カリクルは二人乗りだ。雨避けの小屋根を伸ばすこともできるが、今は速度重視なので畳んである。ほぼ馬上と同じ高さ、そして風は容赦なく顔にぶち当たる。
「ゆ、揺れますね?」
「道路的には、市外に出た方がマシだ。それまで我慢しろよ。幸い、昨日雨が降ったせいで土埃もないしな」
びゅうびゅうと風が唸った。
エラはさらに話し掛けようとして、歯をガチガチと鳴らした。揺れのせいで、これ以上迂闊に喋ると舌を噛みそうだ。繋がれた二頭の馬は、悪魔に取り憑かれたような速度で駆け抜けていく。この場合、悪魔とはシェランの事を指すのだろうか。
揺れながら見上げたシェランの横顔は落ち着いていて、手綱捌きにも一切の迷いが見られない。バクノン准男爵に化けたままなのに、格好いい……その顔にうっかり見惚れそうになって、エラは「悪夢だわ」と思った。シェランが問題行動しかしないせいで、彼女の情緒はまたもや揉みくちゃにされている。
途中の旅籠で馬を取り替えたが、そこで休むことはせずにシェランは先を急いだ。
エラは夜中のどこかの地点で眠りに落ちたのだが、途中で目を覚ますと、彼女の身体は布と紐で座席に括り付けられていた。眠っている間に転がり落ちないよう、シェランが結び付けたらしい。
「……今、どこですか。あれ、覆いが」
雨が降ったのだろうか。雨避けが引き出されて、頭上を覆っている。
馬車の速度は落ちているはずだが、
「そろそろヴェルニだ。途中で知り合いに聞き込みしたんだが、十分に先回りできてる。急ぐ必要はない」
いいからもう少し寝てろ、と柔らかい声が言った。
お義母さま並みに甘い声だわ……お義母さま……お義母さまに会いたい、と思いながら、エラは再び眠りに落ち、
「……また女装するんですか?」
一時間半後。
座席の後ろにある荷物置きから、変装の小道具を引っ張りだすシェランを見ながら、彼女は顔と声を強張らせていた。
殴られた頭を擦りながら、シェランがぼやく。
「だ、大丈夫なんですか? 鉄の柄で思い切り殴られてましたけど」
「ああいう手合いには慣れてるから、殴られる時になるべく衝撃を逃がすようにしたんだよ。にして痛えな。こんなに殴られたのは久しぶりだ。それにしても」
床の上に胡座をかいて、シェランは兵士たちが出て行った後の扉を憂鬱そうに睨んだ。
「この屋敷の主人が教皇庁と手を組んでる可能性ぐらい、頭の片隅に入れとくべきだった。思ったより面倒くさいことになったな」
「どうするんですか?」
「あいつらが早馬で教皇座に書類を届けるとして、途中で立ち寄りそうなのはリュクデル僧院、ヴェルニの聖堂……確実なのはヴェルニか? そこで追い付いて盗むしかない」
「早馬に追い付けますか?」
シェランは立ち上がって、バクノン准男爵としては不似合いなほどきびきびとした動きで、足早に階下に向かった。急いでその後ろを追い掛ける。
(本当に大丈夫なのかな、頭の怪我)
弱ったようには見えないが、強がりかもしれない。
シェランには野生の動物めいたところがある。傷付いていても、そう簡単には周りに悟らせないだろう。
エラが追い付いたところで、シェランは半地下に並んだ屋敷の馬車を物色していた。ピュウッと感心したような口笛を吹いている。
「……いいもの持ってるな。二輪馬車だ」
大きな双輪が目立つ、それ以外は華奢なつくりの車体を引き出して、シェランが慣れた手付きでバーを外していく。
「……これは?」
「速いぞ。俺は賭けでカリクルレースに出たこともあるからな、安心しろ」
幸か不幸か、屋敷に引き篭もりがちだったエラは知らない。カリクルは速いが事故も多い乗り物だ。カリクルレースといえば、毎年首の骨を折る者が出るほど悪名高いレースである。だが、速い(大事)。
「おい、お前。中央通りの貸馬屋のところに行って、二頭借りてこい」
「か、閣下……これは閣下の乗られるようなものでは」
シェランに呼び付けられた執事が反対の意を示すのも、当たり前ではある。そもそも、シェランはこの馬車を後で返すつもりがあるのか?
だが、そのおよそ30分後、
「閣下……我々は閣下の事を見くびっていたようです。おみそれ致しました」
深々と頭を下げられながら、シェランは意気揚々とカリクルに乗って館を出て行った。鼠のような顔はキリッと引き締まって、完全にその道を極めし者の表情になっている。
「……本物の准男爵の評判はどうなるんですかね。なんだか気の毒になってきたんですけど」
エラが呟くと、シェランは「むふん」と鼻を鳴らし、
「小物の運命など知らんですぞ。いいから風除け用にコートに包まっておけ、ふぉふぉ」
「……そうします」
カリクルは二人乗りだ。雨避けの小屋根を伸ばすこともできるが、今は速度重視なので畳んである。ほぼ馬上と同じ高さ、そして風は容赦なく顔にぶち当たる。
「ゆ、揺れますね?」
「道路的には、市外に出た方がマシだ。それまで我慢しろよ。幸い、昨日雨が降ったせいで土埃もないしな」
びゅうびゅうと風が唸った。
エラはさらに話し掛けようとして、歯をガチガチと鳴らした。揺れのせいで、これ以上迂闊に喋ると舌を噛みそうだ。繋がれた二頭の馬は、悪魔に取り憑かれたような速度で駆け抜けていく。この場合、悪魔とはシェランの事を指すのだろうか。
揺れながら見上げたシェランの横顔は落ち着いていて、手綱捌きにも一切の迷いが見られない。バクノン准男爵に化けたままなのに、格好いい……その顔にうっかり見惚れそうになって、エラは「悪夢だわ」と思った。シェランが問題行動しかしないせいで、彼女の情緒はまたもや揉みくちゃにされている。
途中の旅籠で馬を取り替えたが、そこで休むことはせずにシェランは先を急いだ。
エラは夜中のどこかの地点で眠りに落ちたのだが、途中で目を覚ますと、彼女の身体は布と紐で座席に括り付けられていた。眠っている間に転がり落ちないよう、シェランが結び付けたらしい。
「……今、どこですか。あれ、覆いが」
雨が降ったのだろうか。雨避けが引き出されて、頭上を覆っている。
馬車の速度は落ちているはずだが、
「そろそろヴェルニだ。途中で知り合いに聞き込みしたんだが、十分に先回りできてる。急ぐ必要はない」
いいからもう少し寝てろ、と柔らかい声が言った。
お義母さま並みに甘い声だわ……お義母さま……お義母さまに会いたい、と思いながら、エラは再び眠りに落ち、
「……また女装するんですか?」
一時間半後。
座席の後ろにある荷物置きから、変装の小道具を引っ張りだすシェランを見ながら、彼女は顔と声を強張らせていた。
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