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8.決裂
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「エミリア! エミリアはいるか」
ガチャガチャと馬具の鳴る音。玄関の辺りで、聞き慣れた声と召使いの声が入り混じって響き渡り、私はぴんと耳をそばだてた。
(お義兄さま?)
まだ、帰宅は一週間先だったはずだけれど。
声が聴こえる。私は立ち上がって、階下へ降りた。
「……お義兄さま! お帰りなさい。あれ、予定より早いですね?」
外套を脱いだ、白いシャツに包まれた背中が見える。私が声を掛けると、お義兄さまが振り返った。見慣れた色白の顔に、いつもとは違う強張った表情が浮かんでいる。それが何なのか、私が読み取るより早く、
「話を聞いた。婚約を決めたと?」
豪速球だ。いきなり挨拶も抜きで、話の核心を突いてきた。
「は、はい。ゲインズ公爵家の方で」
「それは聞いている。お前はそれでいいのか? どうせお前のことだ、この家の為になるなら、とかいう安易な考えで決めたんだろう?」
「えっ……」
お義兄さまの語気が荒い。
「そんな考えなら止めておけ。お前一人に何か負わせて、それで何か良くなるわけでもない。無駄な犠牲だからな」
お義父さまが言っていたのと同じような話だ。だが、お義父さまは悩みながら、躊躇いながら、私のために迷っているのが透けて見えた。今のお義兄さまは、本当に怒っているように見える。私が間違ったことをした、と本気で腹を立てているみたいだ。
青い目が、強い光を孕みながら私を見据える。お義兄さまに出会って初めて、私は怖いと感じた。
「お……お義兄さま、それは……」
「……」
しばらくその場で、言葉もなく向かい合っていた。私の混乱した顔を見て、お義兄さまの顔が大きく歪んだ。まるで泣きそうだ、と思った。
「……すまなかった」
顔を背け、ぽつりと呟くと、そのまま廊下を歩いていってしまった。行き先は、お義父さまの書斎らしい。私はただ、立ち尽くしたまま、その背中を見送ることしかできなかった。
お義父さまとお義兄さまが喧嘩したらしい。
伝聞でしかないのは、私やヴィオラは終日、お義父さまの書斎がある棟に近付かないように言われていたからだ。
(何があったのかな……)
この家で、喧嘩が起きるなんて初めてだ。ツンツンしてはいるけれど、本当にお互いが傷付くようなことは言わない、素直に優しくなれないだけの優しい人たちだから。
(私が婚約したら、お義兄さまが怒った……)
いや、あれは怒りだったのだろうか?
語気は荒かったけれど、私を怒鳴り付けたりはしなかった。苛立ってはいたけれど、あれは……焦燥? 何かに焦っているように見えた。それに、どこか傷付いているような、そんな感じがした。
「……ご飯。食べないの?」
向かい合って座っていたヴィオラが、むっつりとした表情で私を睨む。
「……食べるよ」
「いらないなら、これ、貰うけど」
私の皿の上の雉肉を、無遠慮にフォークで串刺しにしながら、ヴィオラが言った。「これ、お返しだから」と冷たく言って、私の皿に人参を乗せる。
私は思わず笑ってしまった。
「……何よ?」
「ううん、ありがとう、ヴィオラ」
「ふん、そんなのが嬉しいの?」
ヴィオラはいつも通りだ。私が婚約を決めて以来、どこか不満そうで、いつもより更に口を利いてくれなかったのだけれど、今はこうして話をしてくれる。ほっとした。
「……あんなの、放っておけば」
「あんなのって」
お義兄さまとお義父さまのことだろうか。二人とも、今夜の食卓には現れなかった。実はお義母さまもだ。何がどうなっているのだろう。近付くなと言われているので、状況も分からない。
「お兄様がヘタレなのよ」
「ヘタレ?」
ヴィオラの口から洩れるとは思ってもみなかった言葉だ。私はまず、彼女がそんな言葉を知っていたことに驚いて、目を瞬かせた。
「何よ。……は、いつも間抜けなんだから」
後半は声を潜めていて、聞き取れなかった。
ヘタレ。間抜け。ヴィオラが言うと、どんな悪口でも何だか可愛く聞こえて、ちょっとほのぼのしてしまう……いや、そんなことを考えている場合ではなかった。
今、私はうっすらと、何かに気付き始めている。
ずっと私に甘かったお義兄さまが、私の婚約を聞いて怒っている。いや、焦っている。つまり、それは……そういうことなの? いや、だからといって、私はどうしたらいいのか。これまで考えてもみなかったこと。はっきりと結んでしまった約束。決まってしまった未来。私がこの家の為に出来ること。今、お義兄さまが何を考えているのか──
めちゃくちゃだ。考えがまとまらない。大混乱している。
「……私が上げたんだから、それ、食べれば?」
向かいで、ヴィオラが言う。
私を明らかに心配してくれている。ああ、私の義妹かわいい。現実逃避気味に思いながら、私は人参をフォークで突き刺した。
それから、翌朝になって、お義兄さまは私に会わずに王都へ戻っていった。
今年の冬には、学園を卒業して伯爵領に戻ってくるはずだった。なのに、期間を延長して、研究生として王都に留まるらしい。何年かかるか分からないし、その間、家に戻ってくることもないと。
私は現実に向き合わされた。
まさか、自分が、と今でも思っているけれど。
私は、お義兄さまに失恋させてしまったのである。
ガチャガチャと馬具の鳴る音。玄関の辺りで、聞き慣れた声と召使いの声が入り混じって響き渡り、私はぴんと耳をそばだてた。
(お義兄さま?)
まだ、帰宅は一週間先だったはずだけれど。
声が聴こえる。私は立ち上がって、階下へ降りた。
「……お義兄さま! お帰りなさい。あれ、予定より早いですね?」
外套を脱いだ、白いシャツに包まれた背中が見える。私が声を掛けると、お義兄さまが振り返った。見慣れた色白の顔に、いつもとは違う強張った表情が浮かんでいる。それが何なのか、私が読み取るより早く、
「話を聞いた。婚約を決めたと?」
豪速球だ。いきなり挨拶も抜きで、話の核心を突いてきた。
「は、はい。ゲインズ公爵家の方で」
「それは聞いている。お前はそれでいいのか? どうせお前のことだ、この家の為になるなら、とかいう安易な考えで決めたんだろう?」
「えっ……」
お義兄さまの語気が荒い。
「そんな考えなら止めておけ。お前一人に何か負わせて、それで何か良くなるわけでもない。無駄な犠牲だからな」
お義父さまが言っていたのと同じような話だ。だが、お義父さまは悩みながら、躊躇いながら、私のために迷っているのが透けて見えた。今のお義兄さまは、本当に怒っているように見える。私が間違ったことをした、と本気で腹を立てているみたいだ。
青い目が、強い光を孕みながら私を見据える。お義兄さまに出会って初めて、私は怖いと感じた。
「お……お義兄さま、それは……」
「……」
しばらくその場で、言葉もなく向かい合っていた。私の混乱した顔を見て、お義兄さまの顔が大きく歪んだ。まるで泣きそうだ、と思った。
「……すまなかった」
顔を背け、ぽつりと呟くと、そのまま廊下を歩いていってしまった。行き先は、お義父さまの書斎らしい。私はただ、立ち尽くしたまま、その背中を見送ることしかできなかった。
お義父さまとお義兄さまが喧嘩したらしい。
伝聞でしかないのは、私やヴィオラは終日、お義父さまの書斎がある棟に近付かないように言われていたからだ。
(何があったのかな……)
この家で、喧嘩が起きるなんて初めてだ。ツンツンしてはいるけれど、本当にお互いが傷付くようなことは言わない、素直に優しくなれないだけの優しい人たちだから。
(私が婚約したら、お義兄さまが怒った……)
いや、あれは怒りだったのだろうか?
語気は荒かったけれど、私を怒鳴り付けたりはしなかった。苛立ってはいたけれど、あれは……焦燥? 何かに焦っているように見えた。それに、どこか傷付いているような、そんな感じがした。
「……ご飯。食べないの?」
向かい合って座っていたヴィオラが、むっつりとした表情で私を睨む。
「……食べるよ」
「いらないなら、これ、貰うけど」
私の皿の上の雉肉を、無遠慮にフォークで串刺しにしながら、ヴィオラが言った。「これ、お返しだから」と冷たく言って、私の皿に人参を乗せる。
私は思わず笑ってしまった。
「……何よ?」
「ううん、ありがとう、ヴィオラ」
「ふん、そんなのが嬉しいの?」
ヴィオラはいつも通りだ。私が婚約を決めて以来、どこか不満そうで、いつもより更に口を利いてくれなかったのだけれど、今はこうして話をしてくれる。ほっとした。
「……あんなの、放っておけば」
「あんなのって」
お義兄さまとお義父さまのことだろうか。二人とも、今夜の食卓には現れなかった。実はお義母さまもだ。何がどうなっているのだろう。近付くなと言われているので、状況も分からない。
「お兄様がヘタレなのよ」
「ヘタレ?」
ヴィオラの口から洩れるとは思ってもみなかった言葉だ。私はまず、彼女がそんな言葉を知っていたことに驚いて、目を瞬かせた。
「何よ。……は、いつも間抜けなんだから」
後半は声を潜めていて、聞き取れなかった。
ヘタレ。間抜け。ヴィオラが言うと、どんな悪口でも何だか可愛く聞こえて、ちょっとほのぼのしてしまう……いや、そんなことを考えている場合ではなかった。
今、私はうっすらと、何かに気付き始めている。
ずっと私に甘かったお義兄さまが、私の婚約を聞いて怒っている。いや、焦っている。つまり、それは……そういうことなの? いや、だからといって、私はどうしたらいいのか。これまで考えてもみなかったこと。はっきりと結んでしまった約束。決まってしまった未来。私がこの家の為に出来ること。今、お義兄さまが何を考えているのか──
めちゃくちゃだ。考えがまとまらない。大混乱している。
「……私が上げたんだから、それ、食べれば?」
向かいで、ヴィオラが言う。
私を明らかに心配してくれている。ああ、私の義妹かわいい。現実逃避気味に思いながら、私は人参をフォークで突き刺した。
それから、翌朝になって、お義兄さまは私に会わずに王都へ戻っていった。
今年の冬には、学園を卒業して伯爵領に戻ってくるはずだった。なのに、期間を延長して、研究生として王都に留まるらしい。何年かかるか分からないし、その間、家に戻ってくることもないと。
私は現実に向き合わされた。
まさか、自分が、と今でも思っているけれど。
私は、お義兄さまに失恋させてしまったのである。
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