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27 証明
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全てを話し終わった大川さんは、口直しに冷えたビールを飲むと、きちんと空き缶を洗って伏せていった。
「本当は離れ難いけど、約束だから」
照れ臭そうに、名残惜しそうに玄関に立った大川さん。でもそれは私も一緒だった。
早く大川さんが自由になって、何も気にせず二人で過ごすことが出来たらいいのに。
でもそれは、今じゃない。
「……また『ピート』で」
「うん」
大川さんが不安にならない様、笑顔で頷いた。
「あの……」
大川さんが、言い淀む。
大川さんが買ったクッションは、ふたつとも私の家に置いていくことになったから、帰りは手ぶらだ。
降ろされた腕の先が、もぞもぞと動く。
愛しさが溢れ出た。大川さんに向かって駆け寄ると、大川さんは私をその腕の中に受け入れてくれる。
「――大川さん!」
「月島さん……っ」
大川さんを見上げると、大川さんの首に両腕を伸ばした。大川さんは出来るだけ屈むと、私の腰に回した腕に力を込める。
「僕……!」
大川さんのその後の言葉は続かなかったけど、大川さんが私を大切に思ってくれているのは分かった。
大川さんに抱き締められたまま、大川さんに顔を近付けると、私たちの唇が重なる。少しお酒臭い息も、大川さんだから関係なかった。
暫くして、「終電近いから……帰るね」と大川さんが小さく笑う。私はようやく、大川さんにしがみつく形になっていた腕を引き剥がした。
「……気を付けて」
「うん、鍵ちゃんと閉めてね」
「うん」
家の前で見送って。そう言われて、二階から大川さんが振り返る度に振る手に応えた。
あの人が心から安堵出来る居場所になりたい。強く願った。
◇
翌日の日曜日。
昨夜は色々なことがあり過ぎて脳内が許容量を超えた所為か、あの後は死んだ様に深い眠りについた。
ハッと起きると、太陽は高く登っている。慌てて軽くシャワーを浴びてタオルで髪の毛をガシガシと拭いていると、携帯に着信があるのに気付いた。
確認すると大川さんで、もう三十分も前に掛かってきている。焦って掛け直すと、大川さんがすぐに電話に出た。
「あの、昨日の今日でごめん」
遠慮がちな声色に、今すぐこの人の前に駆け付けて包み込んであげたいと強烈に思った。
気を遣い過ぎてぺしゃんこになってしまいそうで、中に安堵という空気を沢山詰め直したくなる。
「ううん、嬉しいよ。ごめんね、シャワーを浴びてたんだ」
「あ、うん、全然!」
これまで淡々としてる落ち着いた人に見えていた大川さんは、内に抱えていた悩みを吐き出したことからか、これまでよりも距離が近く感じる様になってきていた。
私に気を許してくれているんだ。そう思うと、幸せがじんわりと込み上げてくるのを抑えることが出来ない。
「僕さ、自分のことばっかり話してたけど、帰りに気が付いたんだ」
「うん?」
「僕の家の場所すら教えてなかったなって……」
言われてみればそうだった。思わず「あ」と呟くと、大川さんがくすくすと笑う。その笑いが収まると、聞き心地のいい柔らかい声で大川さんが続けた。
「月島さん。僕は何も君に約束出来ない。僕がうまく立ち回れない所為で、嫌な思いや辛い体験をさせたらどうしようって考えたりもした」
「大川さん……」
「その……自惚れてなければ、月島さんも僕のことを大切に思ってくれてる……んだと思って」
「……うん」
大川さんの声はいつだって穏やかで、だけどそれは大川さんがこれまで色んなことを人知れず呑み込んできたから出来上がったものなんだろうか。
ドライブインシアターで、怖くて私にしがみついていた子供みたいな大川さんは、大川さんの中にまだ沢山眠ったままなんじゃないかと思えた。
「僕の言葉以外、何ひとつ僕が話したことを証明出来るものはないけど……もし万が一僕が月島さんと簡単に連絡が取れない状況になっても、その……」
照れている大川さんの顔が、目の前に見えるようだった。電話越しから伝わる信号となった大川さんの声は、様々な感情も電波に乗せられるんだという証明になる。
だったら私も、大川さんと共にいたいという気持ちを電波に乗せたら、大川さんにしっかりと伝わるだろうか。
息継ぎの後、大川さんは普段よりも少し早口になった。
「僕の気持ちが嘘じゃないって信じてほしいけど、他にいい案が思い浮かばなくて。付き合ってもない内にどうかとは思うんだけど、あの、合鍵を」
「合鍵……?」
この話の流れだと、てっきり所在地を教えてくれるつもりなんだと思っていた。それがまさか、色々すっ飛ばしていきなり合鍵なんて。
「ふふ……っ」
「さすがに飛ばし過ぎ……だよね……」
「ううん、大川さんらしいなって」
これまで、嘘をつかれ過ぎて人を信じることに懐疑的になってしまっていた大川さん。
自分の言葉を信じてもらえない辛さを沢山味わってきたこの人はきっと、言葉だけでは残る不安を物理的にカバーしようと考えたんだろう。真面目な大川さんらしい選択に思えた。
それほどに、私は強く求められている。人に寄り掛かるばかりだった私が、大川さんの支えになれる。
断る理由なんて、どこにもなかった。
「合鍵、受け取らせて欲しい」
「……月島さん、ありがとう」
駅前で待ち合わせるのはちょっと怖かったので、別の場所で待ち合わせることにした。『ピート』は日曜日は休業日なので、だったら私たちが最初に出会ったあそこしか待ち合わせ場所はないだろう。
「じゃあ、新刊コーナーで」
「うん、後でね」
後で会うのに、電話を切るのすら名残惜しい。結局は大川さんが切るまで指は動いてはくれず、こんなにも大川さんに惹かれていたのか、と我ながら驚いた。
私も大川さんも、ずっと孤独を抱えていた。べただけど、お互いに欠けていた部分がピッタリと合う様な、そんな出会いを私たちはしたんじゃないか。
どちらかしか孤独でなかったら、あの場で終わっていただろう関係。それがこうして繋がったのは、偶然という奇跡だったんだろう。
奇跡だったとしても、その縁を今度はしっかりと握って離さないでいたい。
私は支度を済ませると、大川さんの待つ書店へと向かい始めた。
◇
本棚の角を曲がって新刊コーナーが視界に入った瞬間、私の目は大川さんの姿を捉えた。
ランキングの中程を手に取ってはあらすじを読んでいる姿は、邪魔したくないくらいに愛おしい。
もっと色んなことに夢中になって、心から笑って泣いて。そういったことが、何の躊躇いもなく自由に出来る様にしてあげたい。
私に出来ることは、ほんの少しだけかもしれないけど。だけど、それを経験する大川さんを隣で見ていたいと思うのは、贅沢だろうか。
「――大川さん」
「あ、月島さん」
嬉しそうに振り返る大川さんの手には、おどろおどろしい表紙の文庫がある。私の視線に気付くと、大川さんは照れ臭そうに笑った。
「ホラー小説、もっと試してみようかと思って」
でも怖いから読むのは通勤中だけだけど、と微笑む。
電車内で静かな表情でホラー小説を読んでいる姿が容易に想像出来てしまって、可笑しくなる。だって、きっと心の中では沢山悲鳴を上げてるだろうから。
車の中で、怖いシーンが流れる度に私を抱き締めている腕に力が籠るのを、私は全部感じていた。大川さんのそんな感情に素直な反応のお陰で映画の恐怖が減少したというのは、大川さんには内緒だ。
「面白かったら貸すよ。……もし会えなくても、マスターに渡しておくから」
「うん、感想楽しみにしてる」
互いに微笑み合いながらレジまで行く。本を買っている大川さんの背中を見て、ああ、好きだなあと思った。
「本当は離れ難いけど、約束だから」
照れ臭そうに、名残惜しそうに玄関に立った大川さん。でもそれは私も一緒だった。
早く大川さんが自由になって、何も気にせず二人で過ごすことが出来たらいいのに。
でもそれは、今じゃない。
「……また『ピート』で」
「うん」
大川さんが不安にならない様、笑顔で頷いた。
「あの……」
大川さんが、言い淀む。
大川さんが買ったクッションは、ふたつとも私の家に置いていくことになったから、帰りは手ぶらだ。
降ろされた腕の先が、もぞもぞと動く。
愛しさが溢れ出た。大川さんに向かって駆け寄ると、大川さんは私をその腕の中に受け入れてくれる。
「――大川さん!」
「月島さん……っ」
大川さんを見上げると、大川さんの首に両腕を伸ばした。大川さんは出来るだけ屈むと、私の腰に回した腕に力を込める。
「僕……!」
大川さんのその後の言葉は続かなかったけど、大川さんが私を大切に思ってくれているのは分かった。
大川さんに抱き締められたまま、大川さんに顔を近付けると、私たちの唇が重なる。少しお酒臭い息も、大川さんだから関係なかった。
暫くして、「終電近いから……帰るね」と大川さんが小さく笑う。私はようやく、大川さんにしがみつく形になっていた腕を引き剥がした。
「……気を付けて」
「うん、鍵ちゃんと閉めてね」
「うん」
家の前で見送って。そう言われて、二階から大川さんが振り返る度に振る手に応えた。
あの人が心から安堵出来る居場所になりたい。強く願った。
◇
翌日の日曜日。
昨夜は色々なことがあり過ぎて脳内が許容量を超えた所為か、あの後は死んだ様に深い眠りについた。
ハッと起きると、太陽は高く登っている。慌てて軽くシャワーを浴びてタオルで髪の毛をガシガシと拭いていると、携帯に着信があるのに気付いた。
確認すると大川さんで、もう三十分も前に掛かってきている。焦って掛け直すと、大川さんがすぐに電話に出た。
「あの、昨日の今日でごめん」
遠慮がちな声色に、今すぐこの人の前に駆け付けて包み込んであげたいと強烈に思った。
気を遣い過ぎてぺしゃんこになってしまいそうで、中に安堵という空気を沢山詰め直したくなる。
「ううん、嬉しいよ。ごめんね、シャワーを浴びてたんだ」
「あ、うん、全然!」
これまで淡々としてる落ち着いた人に見えていた大川さんは、内に抱えていた悩みを吐き出したことからか、これまでよりも距離が近く感じる様になってきていた。
私に気を許してくれているんだ。そう思うと、幸せがじんわりと込み上げてくるのを抑えることが出来ない。
「僕さ、自分のことばっかり話してたけど、帰りに気が付いたんだ」
「うん?」
「僕の家の場所すら教えてなかったなって……」
言われてみればそうだった。思わず「あ」と呟くと、大川さんがくすくすと笑う。その笑いが収まると、聞き心地のいい柔らかい声で大川さんが続けた。
「月島さん。僕は何も君に約束出来ない。僕がうまく立ち回れない所為で、嫌な思いや辛い体験をさせたらどうしようって考えたりもした」
「大川さん……」
「その……自惚れてなければ、月島さんも僕のことを大切に思ってくれてる……んだと思って」
「……うん」
大川さんの声はいつだって穏やかで、だけどそれは大川さんがこれまで色んなことを人知れず呑み込んできたから出来上がったものなんだろうか。
ドライブインシアターで、怖くて私にしがみついていた子供みたいな大川さんは、大川さんの中にまだ沢山眠ったままなんじゃないかと思えた。
「僕の言葉以外、何ひとつ僕が話したことを証明出来るものはないけど……もし万が一僕が月島さんと簡単に連絡が取れない状況になっても、その……」
照れている大川さんの顔が、目の前に見えるようだった。電話越しから伝わる信号となった大川さんの声は、様々な感情も電波に乗せられるんだという証明になる。
だったら私も、大川さんと共にいたいという気持ちを電波に乗せたら、大川さんにしっかりと伝わるだろうか。
息継ぎの後、大川さんは普段よりも少し早口になった。
「僕の気持ちが嘘じゃないって信じてほしいけど、他にいい案が思い浮かばなくて。付き合ってもない内にどうかとは思うんだけど、あの、合鍵を」
「合鍵……?」
この話の流れだと、てっきり所在地を教えてくれるつもりなんだと思っていた。それがまさか、色々すっ飛ばしていきなり合鍵なんて。
「ふふ……っ」
「さすがに飛ばし過ぎ……だよね……」
「ううん、大川さんらしいなって」
これまで、嘘をつかれ過ぎて人を信じることに懐疑的になってしまっていた大川さん。
自分の言葉を信じてもらえない辛さを沢山味わってきたこの人はきっと、言葉だけでは残る不安を物理的にカバーしようと考えたんだろう。真面目な大川さんらしい選択に思えた。
それほどに、私は強く求められている。人に寄り掛かるばかりだった私が、大川さんの支えになれる。
断る理由なんて、どこにもなかった。
「合鍵、受け取らせて欲しい」
「……月島さん、ありがとう」
駅前で待ち合わせるのはちょっと怖かったので、別の場所で待ち合わせることにした。『ピート』は日曜日は休業日なので、だったら私たちが最初に出会ったあそこしか待ち合わせ場所はないだろう。
「じゃあ、新刊コーナーで」
「うん、後でね」
後で会うのに、電話を切るのすら名残惜しい。結局は大川さんが切るまで指は動いてはくれず、こんなにも大川さんに惹かれていたのか、と我ながら驚いた。
私も大川さんも、ずっと孤独を抱えていた。べただけど、お互いに欠けていた部分がピッタリと合う様な、そんな出会いを私たちはしたんじゃないか。
どちらかしか孤独でなかったら、あの場で終わっていただろう関係。それがこうして繋がったのは、偶然という奇跡だったんだろう。
奇跡だったとしても、その縁を今度はしっかりと握って離さないでいたい。
私は支度を済ませると、大川さんの待つ書店へと向かい始めた。
◇
本棚の角を曲がって新刊コーナーが視界に入った瞬間、私の目は大川さんの姿を捉えた。
ランキングの中程を手に取ってはあらすじを読んでいる姿は、邪魔したくないくらいに愛おしい。
もっと色んなことに夢中になって、心から笑って泣いて。そういったことが、何の躊躇いもなく自由に出来る様にしてあげたい。
私に出来ることは、ほんの少しだけかもしれないけど。だけど、それを経験する大川さんを隣で見ていたいと思うのは、贅沢だろうか。
「――大川さん」
「あ、月島さん」
嬉しそうに振り返る大川さんの手には、おどろおどろしい表紙の文庫がある。私の視線に気付くと、大川さんは照れ臭そうに笑った。
「ホラー小説、もっと試してみようかと思って」
でも怖いから読むのは通勤中だけだけど、と微笑む。
電車内で静かな表情でホラー小説を読んでいる姿が容易に想像出来てしまって、可笑しくなる。だって、きっと心の中では沢山悲鳴を上げてるだろうから。
車の中で、怖いシーンが流れる度に私を抱き締めている腕に力が籠るのを、私は全部感じていた。大川さんのそんな感情に素直な反応のお陰で映画の恐怖が減少したというのは、大川さんには内緒だ。
「面白かったら貸すよ。……もし会えなくても、マスターに渡しておくから」
「うん、感想楽しみにしてる」
互いに微笑み合いながらレジまで行く。本を買っている大川さんの背中を見て、ああ、好きだなあと思った。
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