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音楽家セスの場合。
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「・・・」
すっと立ち上がったセスはきょろきょろと辺りを見回し、手近に置いてあったリュートを手に取り、そのまま床に座る。
チラリとアウル達を視線を向けた新緑の瞳が、伏せるようにリュートを見下ろす。
ピンと伸びた背筋に、リュートを支える腕。指の長い手がそっと弦を押さえ――――
ある程度伸びた爪が、ピィィンと弦を爪弾く最初の一音。それを皮切りに、次々と紡がれるその『音』は、長年研鑽し続けた老練の演奏家が奏でるような、艶やかに円熟した美しい音色。
しんとした室内に鳴り響く、軽やかな旋律。
曲はセシリオ・ソードリリーの『比翼の囀り』
比翼とは、片翼の雌雄の鳥が互いに身を寄せて支え合う姿から、総じて夫婦や恋人同士が仲睦まじい様子を例える言葉だが・・・互いがいないと生きては行けない様を表す言葉でもある。
セスが奏でるのは、その比翼の鳥が楽しげに囀っている様子を表現した曲だという。
美しいものというのは、ただそれだけで、人を魅了する。身動ぎすら忘れ、奏でられる美しい旋律に聞き入る四人。
やがて、リュートを掻き鳴らしていたセスの手が静かに止まる。
「・・・本当に、いつ聴いても圧巻だよねぇ」
落とされるのは感嘆の溜め息。
「「・・・まぁ、セスだからね♪」」
ふふんと自慢げに応えるのはアウル達。
誉められている本人は感嘆の溜め息に頓着せず、リュートを置いて次の楽器を物色している。
アウル達の活動の隠れ蓑として発足された、とても不真面目な絃楽器同好会の、久々のまともな音楽鑑賞会と言えるだろう。
弾いているのは、なかなか絃楽器同好会の活動をしない、正式な幽霊部員のセスだが。
「・・・」
そんな中、とても面白くないという顔をしているのは、ショーン一人だけ。
その、面白くなさそうなショーンだけが、本当の意味でセスの演奏の凄さを理解している。
セス・リオールは十代半ばという若さにして紛れもなく、超一流。演奏家としては、既に遥か高みにいる存在だ。
同じ特待生枠で試験を受けたショーンは、試験会場でセスの演奏を聴いて、自分がそれまで積み上げて来た自信を、木端微塵なまでに打ち砕かれた。そして、この美しく洗練された音には勝てない。と、悔しくもそう思わされてしまった。
ハッキリ言って、自身の演奏直前まで寝ていた彼のことは、絶対に落ちると思っていた。それが蓋を開けてみれば・・・「なに弾けばいい?」と欠伸混じりで、なんの気負いもせずに課題曲を、それはそれは美しい音で奏でた。
人の自信を、簡単に砕く程の腕前で・・・
その場で、審査員達の満場一致で特待生がセス・リオールに決まった。
審査員や受験者達の中には、セス・リオールの奏でた音へ衝撃を受け、音楽をやめると言う者までいたというのに・・・合格を聞いた彼は、特に嬉しそうにするでもなく、「眠いから帰る」と言って試験会場から去って行った。
全く以て、巫山戯ているとしか思えない。だからショーンは、初対面のときからずっと、セス・リオールのことが大嫌いだ。
楽器を物色していたセスが、今度は置いてあったヴィオラを手に取る。立ったままヴィオラを構え・・・そしてまた、美しい旋律が奏でられる。
今度の曲はセシリオ・ソードリリーの『剣舞~白鳥と猟犬、ときどき熊~』
緩急の激しいアップテンポな曲調。弓で弦を弾くだけではなく、指で弦を叩いたり、弾いたりと、左右の手が忙しなく動き続けている。
セス・リオールがあの試験会場で弾いたのは、その場にあったピアノだった。
そして、ついさっきまで弾いていたのはリュート。そして今弾いているのは、ヴィオラ。
セス・リオールは他にも、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス、ハープなどの絃楽器に加え、アコーディオン、ピアノ、チェンバロ、更にはパイプオルガンが弾けると言い、パーカッションなどの打楽器も演奏できるらしい。
アウル達に拠ると、セスはそのどれもの楽器で美しい音を奏でて演奏をすることができるという。
本当に本当に、巫山戯た話だ。
そんなこと、普通に考えて有り得ない。幾ら天才なのだとしても、絶対におかしい。デタラメだ。
それら楽器の、どれか一種類でも極めることが困難で、熟練者と言われるまでの腕を持つに至るには幾年月も掛かるというのに・・・更には、作曲までできるのだという。
それではまるで、セス・リオールが音楽の神に愛されているかのようではないか。
先程の騎士科生徒が演奏対決で指定した作曲家はおそらく、数年前から名を聞かれるようになった作曲家の、セシリオ・ソードリリーだろう。
セス・リオールの出身地を知る、少し勘の良い者なら、直ぐに気付く。ソードリリーというのは、グラジオラスの花の別名だ。
拠って、彼のセシリオ・ソードリリーが、セス・リオールのことなのだと。
先程の『比翼の囀り』など、なにをモチーフにした曲なのか、一目瞭然だ。
新雪の髪に半眼の新緑。ピンと背筋を伸ばし、楽器を奏でるセス・リオール。
この奏でられる美しい演奏を聴く度、どうしようもなく自分の腕が未熟に思え、嫉妬と羨望の感情が強く胸を焦がす。けれど、同時に・・・この音に魅了されてやまない。
だからショーンは、彼のことが大嫌いだ。
そして、自尊心の強いプロの演奏家でもセス・リオールの音に心が折られた。拠ってセス・リオールは授業で楽器を弾かないでくれと、学園側から頼まれている。音楽科生徒達の心を折って、その若い芽を摘み取ってしまわぬように、と。
そんなセス・リオールに演奏勝負を持ち掛けるなど、愚かにも程がある。ましてや、『セシリオ・ソードリリーの曲』でなど、愚の骨頂だ。
まだ決闘の方が、余程勝ち目があるだろう。まあ、グラジオラス辺境伯領の者に挑んで勝てるかは不明だが・・・セス・リオール曰く、楽器より重たい物は持ちたくないらしい。が、コントラバスなどその重さは十キロ以上ある。
ちなみに、剣はそんなに重くないそうだ。しかし、演奏家であるセス・リオールが剣を扱えるとは思えないし、アウル達がセス・リオールに決闘をさせるとも思えないが。
ただ、先程の騒ぎでセス・リオールが一人のときに剣を向けられることがなくて、安堵したことは内緒だ。ショーンはセス・リオールのことは大嫌いだが、彼の奏でるその音には、嫉妬しつつも惹かれてやまないのだから・・・
すっと立ち上がったセスはきょろきょろと辺りを見回し、手近に置いてあったリュートを手に取り、そのまま床に座る。
チラリとアウル達を視線を向けた新緑の瞳が、伏せるようにリュートを見下ろす。
ピンと伸びた背筋に、リュートを支える腕。指の長い手がそっと弦を押さえ――――
ある程度伸びた爪が、ピィィンと弦を爪弾く最初の一音。それを皮切りに、次々と紡がれるその『音』は、長年研鑽し続けた老練の演奏家が奏でるような、艶やかに円熟した美しい音色。
しんとした室内に鳴り響く、軽やかな旋律。
曲はセシリオ・ソードリリーの『比翼の囀り』
比翼とは、片翼の雌雄の鳥が互いに身を寄せて支え合う姿から、総じて夫婦や恋人同士が仲睦まじい様子を例える言葉だが・・・互いがいないと生きては行けない様を表す言葉でもある。
セスが奏でるのは、その比翼の鳥が楽しげに囀っている様子を表現した曲だという。
美しいものというのは、ただそれだけで、人を魅了する。身動ぎすら忘れ、奏でられる美しい旋律に聞き入る四人。
やがて、リュートを掻き鳴らしていたセスの手が静かに止まる。
「・・・本当に、いつ聴いても圧巻だよねぇ」
落とされるのは感嘆の溜め息。
「「・・・まぁ、セスだからね♪」」
ふふんと自慢げに応えるのはアウル達。
誉められている本人は感嘆の溜め息に頓着せず、リュートを置いて次の楽器を物色している。
アウル達の活動の隠れ蓑として発足された、とても不真面目な絃楽器同好会の、久々のまともな音楽鑑賞会と言えるだろう。
弾いているのは、なかなか絃楽器同好会の活動をしない、正式な幽霊部員のセスだが。
「・・・」
そんな中、とても面白くないという顔をしているのは、ショーン一人だけ。
その、面白くなさそうなショーンだけが、本当の意味でセスの演奏の凄さを理解している。
セス・リオールは十代半ばという若さにして紛れもなく、超一流。演奏家としては、既に遥か高みにいる存在だ。
同じ特待生枠で試験を受けたショーンは、試験会場でセスの演奏を聴いて、自分がそれまで積み上げて来た自信を、木端微塵なまでに打ち砕かれた。そして、この美しく洗練された音には勝てない。と、悔しくもそう思わされてしまった。
ハッキリ言って、自身の演奏直前まで寝ていた彼のことは、絶対に落ちると思っていた。それが蓋を開けてみれば・・・「なに弾けばいい?」と欠伸混じりで、なんの気負いもせずに課題曲を、それはそれは美しい音で奏でた。
人の自信を、簡単に砕く程の腕前で・・・
その場で、審査員達の満場一致で特待生がセス・リオールに決まった。
審査員や受験者達の中には、セス・リオールの奏でた音へ衝撃を受け、音楽をやめると言う者までいたというのに・・・合格を聞いた彼は、特に嬉しそうにするでもなく、「眠いから帰る」と言って試験会場から去って行った。
全く以て、巫山戯ているとしか思えない。だからショーンは、初対面のときからずっと、セス・リオールのことが大嫌いだ。
楽器を物色していたセスが、今度は置いてあったヴィオラを手に取る。立ったままヴィオラを構え・・・そしてまた、美しい旋律が奏でられる。
今度の曲はセシリオ・ソードリリーの『剣舞~白鳥と猟犬、ときどき熊~』
緩急の激しいアップテンポな曲調。弓で弦を弾くだけではなく、指で弦を叩いたり、弾いたりと、左右の手が忙しなく動き続けている。
セス・リオールがあの試験会場で弾いたのは、その場にあったピアノだった。
そして、ついさっきまで弾いていたのはリュート。そして今弾いているのは、ヴィオラ。
セス・リオールは他にも、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス、ハープなどの絃楽器に加え、アコーディオン、ピアノ、チェンバロ、更にはパイプオルガンが弾けると言い、パーカッションなどの打楽器も演奏できるらしい。
アウル達に拠ると、セスはそのどれもの楽器で美しい音を奏でて演奏をすることができるという。
本当に本当に、巫山戯た話だ。
そんなこと、普通に考えて有り得ない。幾ら天才なのだとしても、絶対におかしい。デタラメだ。
それら楽器の、どれか一種類でも極めることが困難で、熟練者と言われるまでの腕を持つに至るには幾年月も掛かるというのに・・・更には、作曲までできるのだという。
それではまるで、セス・リオールが音楽の神に愛されているかのようではないか。
先程の騎士科生徒が演奏対決で指定した作曲家はおそらく、数年前から名を聞かれるようになった作曲家の、セシリオ・ソードリリーだろう。
セス・リオールの出身地を知る、少し勘の良い者なら、直ぐに気付く。ソードリリーというのは、グラジオラスの花の別名だ。
拠って、彼のセシリオ・ソードリリーが、セス・リオールのことなのだと。
先程の『比翼の囀り』など、なにをモチーフにした曲なのか、一目瞭然だ。
新雪の髪に半眼の新緑。ピンと背筋を伸ばし、楽器を奏でるセス・リオール。
この奏でられる美しい演奏を聴く度、どうしようもなく自分の腕が未熟に思え、嫉妬と羨望の感情が強く胸を焦がす。けれど、同時に・・・この音に魅了されてやまない。
だからショーンは、彼のことが大嫌いだ。
そして、自尊心の強いプロの演奏家でもセス・リオールの音に心が折られた。拠ってセス・リオールは授業で楽器を弾かないでくれと、学園側から頼まれている。音楽科生徒達の心を折って、その若い芽を摘み取ってしまわぬように、と。
そんなセス・リオールに演奏勝負を持ち掛けるなど、愚かにも程がある。ましてや、『セシリオ・ソードリリーの曲』でなど、愚の骨頂だ。
まだ決闘の方が、余程勝ち目があるだろう。まあ、グラジオラス辺境伯領の者に挑んで勝てるかは不明だが・・・セス・リオール曰く、楽器より重たい物は持ちたくないらしい。が、コントラバスなどその重さは十キロ以上ある。
ちなみに、剣はそんなに重くないそうだ。しかし、演奏家であるセス・リオールが剣を扱えるとは思えないし、アウル達がセス・リオールに決闘をさせるとも思えないが。
ただ、先程の騒ぎでセス・リオールが一人のときに剣を向けられることがなくて、安堵したことは内緒だ。ショーンはセス・リオールのことは大嫌いだが、彼の奏でるその音には、嫉妬しつつも惹かれてやまないのだから・・・
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