Dragon's Song-竜は祈りを捧ぐ その傍に在る者と共に

篁 玖月

文字サイズ
特大
55 / 56
亡国の残響

オルゴールは再び歌う

 宣戦布告から半日も経たないうちに、王都は守りを固め始めていた。

 エテルナから戻ったイスズの指揮のもと、城壁や主要区画に設置された魔導装置の点検が進められている。各所を結ぶ術式を繋ぎ、王都全域を覆う魔法障壁を展開するための準備だった。

 敵がどれほどの戦力を持つのかは分からない。

 エリシオン侯国がどこにあるのかさえ、まだ正確には掴めていなかった。

 どの方角から、何が来るのか。

 分からない以上、今できるのは備えることだけだった。

 夜も深まり始めたというのに、王城の灯りはほとんど落ちていない。

 回廊では伝令が行き交い、窓の向こうでは騎士たちが持ち場へ向かっていく。装置の調整に向かう神官や術師の姿も、昼から途切れることがなかった。

 ノアもその中にいた。

 命令書を運び、防衛配置を確認し、必要とされれば次の場所へ向かう。

 何かできることがあるうちは、足を止めなかった。

 気づけば、正午の鐘から随分と時間が経っていた。

「ノア」

 呼び止められて振り返ると、レクサスが立っていた。

 その傍らにはモコもいる。首をわずかに傾け、じっとこちらを見ていた。

「今日はもう休んで」

「でも、まだ――」

「明日からの方が長いよ」

 レクサスの声は穏やかなままだった。

 その横からモコが大きな身体を寄せ、鼻先で軽く押してくる。

「……モコまで」

「くるる」

「二人とも、ずるいです」

 そう言いながらも、ノアはようやく足を止めた。

 聖騎士の詰所へ戻った頃には、外はすっかり暗くなっていた。

 机の上には巡回記録と、ガラスのリンゴの文鎮。壁際には書棚が並び、窓から差し込む月明かりが室内を淡く照らしていた。

 ノアは腰のアベニールを外し、机の脇へ立てかける。

 そこで、窓辺に置かれた銀色のオルゴールへ目を向けた。

 レガリアの最期のあと、ベルタが戻った依代。

 イスズから預けられて以来、ずっとここに置いてある。

 ノアは近づき、銀の蓋をそっと撫でた。

 扉の向こうでは、夜になっても人の気配が絶えていなかった。

 誰かが通るたび、飛行艇団の哨戒や北門の警備、避難経路を確認する声が途切れ途切れに届く。

 自分だけが立ち止まっているような気がして、ノアの指先が銀の縁を少し強く押した。

「……どうしたらいいんだろう」

 口にしてから、ノアは俯いた。

「私、ちゃんと……できるかな」

 答える者はいない。

 ノアは小さく息を吐き、手を離そうとした。

 そのとき、オルゴールの奥で、かすかな金属音がした。

「……え?」

 金具がわずかに震え、ゆっくりと蓋が持ち上がる。

「ベルタ?」

 細く柔らかな旋律が流れ始めた。

 淡い光の粒が舞い上がり、人の輪郭を形作っていく。

 波打つ黒髪。

 フリルを重ねた侍女服。

 丸い眼鏡。

 その奥に、紫色の大きな瞳。

「んん~……少々、眠りすぎてしまいましたわねぇ……」

 少女は伸びをすると、ゆっくり目を開いた。

 視線が室内を巡り、ノアで止まる。

「まぁ」

 一拍。

「まぁまぁまぁ! ノア様ではございませんの~!」

「ベルタ……?」

 スカートを翻し、ベルタはほとんど足音もなくノアの前までやってきた。

「ご無事でしたのね! お怪我は――」

 途中で言葉を止め、ノアの襟元へ手を伸ばす。

「まあ。少し曲がっておりますわ」

「起きて最初にそこなんですか」

「大切なことでございますの」

 素早く襟を整え、ベルタは満足そうに頷いた。

 ノアはその姿をしばらく見つめていた。

「……おはよう」

 ベルタの手が止まった。

「目が覚めたら、たくさん話をしようって言ったから」

 ノアはオルゴールへ視線を落とす。

 ベルタは一度だけ眼鏡の位置を直した。

「まあまあ。お待たせしてしまいましたわねぇ」

 笑顔が戻る。

 そのとき、扉の向こうを何人かの足音が通り過ぎた。

 低く交わされる報告の声が、わずかに室内まで届く。

 ベルタが扉へ顔を向ける。

「……随分と慌ただしいですわね」

 ノアの表情がわずかに引き締まる。

「戦争になったんです」

「まあ……それは穏やかではございませんわね。どちらとですの?」

「エリシオン侯国」

 ベルタの笑顔が止まった。

「……エリシオン?」

 紫色の瞳がノアへ向く。

「侯国、と仰いましたの?」

「うん」

 ベルタはゆっくり窓辺へ戻り、オルゴールへ手を添えた。

「ベルタが知るエリシオンは、王国でございましたわ」

 声から、先ほどまでの華やかさが薄れている。

「そして、もう滅びましたの」

「今の国については、何か知っていますか?」

「存じませんわ。少なくとも、ベルタがレガリア様にお仕えしていた頃、そのような国はございませんでしたもの」

 ノアは小さく頷いた。

「……飛行艇団の武装解除と、竜を人と対等な存在として扱うことをやめるよう要求されたんです」

 ベルタの目が細くなる。

「……竜を、従わせるものとして扱えと?」

「以前、飛行艇団が遭遇した氷竜アルピーヌも、向こうでは『管理個体』と呼ばれていました」

「……管理個体」

 ベルタはその言葉を小さく繰り返した。

「命令されると、自分の意思では身体を止められないようでした」

 しばらく、オルゴールの旋律だけが流れた。

 やがてベルタが顔を上げる。

「ノア様。その使節について、覚えていることをお聞かせくださいませ」

「使節?」

「服装、装飾、礼の作法。書状や封蝋でも構いませんわ」

「濃い灰色の礼装。銀色の留め具があって、書状は黒い筒に入ってました」

「紋章は?」

「そこまでは見えませんでした」

「十分ですわ」

 ベルタは眼鏡を指先で押し上げた。

「作法や文書には、その国がどこから来たのか残ることがございますの。昔のエリシオンと繋がっているのであれば、何か見つかるかもしれませんわ」

「親書は王城に保管されてるはず……」

「でしたら、可能なら拝見したいですわね」

 ベルタはそう言ってから、少しだけ目を伏せた。

「……ひとつ、嫌な想像もございますの」

「嫌な想像?」

「レガリア様と陛下を裏切った者たちですわ」

 ノアの視線が止まる。

「国が滅びても、その場にいたすべての者が消えるとは限りませんもの」

「……その子孫が?」

「可能性のお話ですの」

 ベルタはすぐに言葉を重ねた。

「証拠もなく決めつけるほど、ベルタは粗雑なお仕事をいたしませんわ」

 その口元には笑みがあった。

 けれど、紫の瞳は静かなままだった。

「もし本当に、あの者たちの血が今まで続いているのであれば……少々、嫌な巡り合わせではございますけれど」

 ノアは窓の外を見た。

 騎士たちが、次々と城内を行き交っている。

「……調べる必要がありますね」

「ええ」

 ベルタはくるりと身を翻した。

「ではノア様。使節が謁見室へ入ってきたところから、覚えている範囲でお話しくださいませ」

「今からですか?」

「もちろんですわ~」

 華やかな調子が戻る。

「せっかく目覚めたその日に、昔の国と同じ名を掲げる方々が戦争を始めたんですもの。気になるではございませんの」

 ノアは椅子へ腰を下ろした。

 ベルタは机の上から紙と筆を取り、向かいへ立つ。

「ベルタ」

「はい?」

「手伝ってくれるんですね」

 筆を持つ指が、ほんの少し止まった。

「ええ」

 ベルタは笑った。

「ベルタが、そうしたいので」

 それ以上は何も言わず、紙へ筆先を落とす。

「では、最初からお願いいたしますわ」

「……うん」

 窓の外では、戦へ備える王城の音が続いている。

 その一角で、銀色のオルゴールは静かな旋律を奏でていた。

 千年前に滅びた王国と、同じ名を掲げる現在の侯国。

 その二つを結ぶものがあるのか。

 確かめるための最初の糸が、静かに伸び始めていた。
感想 0

あなたにおすすめの小説

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します 表紙

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。
ファンタジー 完結 短編
文字数:9,325
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~ 表紙

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
恋愛 完結 長編
文字数:53,978
【完結】私の出産日に初恋の人を選んだ夫、あなたを彼女に返品します 表紙

【完結】私の出産日に初恋の人を選んだ夫、あなたを彼女に返品します

「子供っぽい嫉妬はやめろ」私が命懸けで出産した日、夫のヴィンセント侯爵は初恋の人の所へ行ってしまった。理由を説明して欲しいと言うと、子供っぽい嫉妬をやめろと厳しい声で言われてしまう。しかも初恋の相手がいきなりやってきて「侯爵様は昔から私を命懸けで助けてくれるんです」と悪びれもせずに言い放った。妻よりも初恋相手を優先する夫は必要ないので私は夫を初恋相手へ返品した。すると生まれてから一度も人に頭を下げたことのないヴィンセントが、ボロボロになって私に頭を下げてきて⋯⋯。
恋愛 連載中 長編
文字数:94,149
水魔法しか使えない私と婚約破棄するのなら、貴方が隠すよう命じていた前世の知識をこれから使います 表紙

水魔法しか使えない私と婚約破棄するのなら、貴方が隠すよう命じていた前世の知識をこれから使います

 伯爵令嬢のリリカは、婚約者である侯爵令息ラルフに「水魔法しか使えないお前との婚約を破棄する」と言われてしまう。  異世界に転生したリリカは前世の知識があり、それにより普通とは違う水魔法が使える。  そのことは婚約前に話していたけど、ラルフは隠すよう命令していた。 「立場が下のお前が、俺よりも優秀であるわけがない。普通の水魔法だけ使っていろ」  そう言われ続けてきたけど、これから命令を聞く必要もない。 「婚約破棄するのなら、貴方が隠すよう命じていた力をこれから使います」  飲んだ人を強くしたり回復する聖水を作ることができるけど、命令により家族以外は誰も知らない。  これは前世の知識がある私だけが出せる特殊な水で、婚約破棄された後は何も気にせず使えそうだ。
恋愛 完結 短編
文字数:52,143
婚約破棄された夜、私は死んだことになった 表紙

婚約破棄された夜、私は死んだことになった

婚約披露の席で、父であるローデン伯爵は突然告げた。 「セシリアは私の娘ではありません」 亡き母が残した手紙と、かつて母に仕えていた侍女の証言。 王家との婚約は保留となり、その夜、セシリアは父から屋敷を出るよう命じられる。 そして翌朝。 見知らぬ宿で目を覚ましたセシリアが新聞を開くと、そこには自分の死亡記事が載っていた。 ――ローデン伯爵令嬢、急逝。 けれど、セシリアは生きている。 遺体はどこにあるのか。 なぜ父は、娘を「死んだこと」にする必要があったのか。 そして、二十歳の誕生日まであと四か月という事実は、何を意味するのか。 婚約者アーネストとともに調べ始めたセシリアは、亡き母の実家に残された財産と、父が十三年間追い続けていた秘密へ辿り着く。 これは、殺されなかった令嬢が、自分の死の真相を調べる話。
ファンタジー 完結 短編
文字数:31,142
二十七日休まない夫を、いったい誰が働かせているのでしょう 表紙

二十七日休まない夫を、いったい誰が働かせているのでしょう

王城勤めの夫ユリウスは、二十七日間休んでいない。 帰宅は日に日に遅くなり、ついには王城に泊まり込むようになった。それでも本人は「殿下が僕を必要としてくださっている」と嬉しそうに笑う。 ある夜、「今日こそ夕食には間に合う」と約束した夫は、また帰ってこなかった。 いったい誰が、夫をここまで働かせているのか。 王太子か、上司か、それとも仕事を押しつける同僚か。 夫と温かい夕食を食べる。ただそれだけの日常を取り戻すため、私は王城へ向かうことにした。
ファンタジー 完結 短編
文字数:4,958
【完結】巻き戻りを望みましたが、それでもあなたは遠い人 表紙

【完結】巻き戻りを望みましたが、それでもあなたは遠い人

14歳のリリアーヌは、淡い恋をしていた。相手は家同士付き合いのある、幼馴染みのレーニエ。 だが、その年、彼はリリアーヌを庇い酷い傷を負ってしまった。その所為で、二人の運命は狂い始める。 罪悪感に苛まれるリリアーヌは、時が戻れば良いと切に願うのだった。 そして、それは現実になったのだが…短編、全6話。 切ないですが、最後はハッピーエンドです☆《完結しました》
恋愛 完結 短編
文字数:25,288
『お前が運命の番だなんて最悪だ』と言われたので、魔女に愛を消してもらいました 表紙

『お前が運命の番だなんて最悪だ』と言われたので、魔女に愛を消してもらいました

 竜族の王子フェリクスの成人の儀で、侯爵令嬢クロエに現れたのは運命の番紋。けれど彼が放ったのは「お前が番だなんて最悪だ」という残酷な言葉だった。  異母妹ばかりを愛する王子、家族に疎まれる日々に耐えきれなくなったクロエは、半地下に住む魔女へ願う。「この愛を消してください」と。  恋も嫉妬も失い、辺境で静かに生き直そうとした彼女のもとに、三年後、王宮から使者が現れる。異母妹の魅了が暴かれ、王子は今さら真実の愛を誓うが、クロエの心にはもう何も響かない。愛されなかった令嬢と、愛を取り戻したい竜王子。番たちの行く末は――。
恋愛 完結 ショートショート
文字数:10,706