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亡国の残響
光の壁の向こうから
夜が明ける少し前、ベルタの筆が止まった。
紙には、濃灰の礼装に銀色の留め具、黒い書状筒と、使節の特徴が書き留められている。ノアは謁見室で交わされた言葉を思い返した。
「竜に関する記録の提出と、飛行艇団の武装解除。それから、竜を対等な存在として扱うことをやめるように、と」
ベルタは紙の端を押さえたまま黙り込んだ。
「……何か、心当たりが?」
「昔、よく似た礼装で王の御前に並んでいた者たちがおりました。レガリア様のお力があれば、民も他国も従わせられると、何度も進言しておりましたわ」
「……王を裏切った人たちのことですか」
ベルタは頷き、傍らのオルゴールへ手を伸ばした。銀の蓋に彫られた模様を、指先がゆっくりとなぞる。
「レガリア様は、御自分の意思で王のお傍におられました。そのお気持ちを、あの者たちにも考えていただきたかったのですけれど」
ノアは尋ねかけた言葉を呑み込んだ。主を失い、オルゴールへ戻っていったときの彼女の顔が浮かぶ。窓の外を伝令の足音が通り過ぎる間、ノアはその向かいで待っていた。
「使節の方は、ノア様御自身のお考えを聞こうとなさいましたか」
「……いいえ」
ノアの引き渡しも武装解除も、同じ調子で告げられていた。ベルタは紙から手を離し、まっすぐにノアを見た。
「装いにも、竜を見る目にも、あの者たちの名残がございます。やはり、レガリア様のお力を支配に用いようとした一派の末裔――」
遠くの鐘が、短い間隔で鳴った。
「北西上空に竜影多数! 後方に未確認艇!」
廊下を駆ける足音に、障壁の展開を急がせる声が重なる。ノアがアベニールを腰へ帯びる間に、ベルタは紙を革の書類挟みへ収めていた。
「続きは、お戻りになってからにいたしましょう。どうか、お気をつけて」
「……行ってきます」
柔らかな笑みに頷き返し、ノアは廊下へ出た。
* * *
東の空が白み始める頃、王都を囲む塔に据えられた魔導結晶が、次々と光を宿した。
「西部港湾区との接続を確認!」
「そのまま維持して。王都側も繋ぐよ!」
イスズが杖を振ると、術師たちの前に浮かぶ魔法陣が応じた。塔から渡る光が港まで広がり、半透明の膜となって街を包む。
その直後、空から伸びた白い帯が障壁へ衝突した。凍てつく息吹に膜の外側が白く曇り、城壁の兵士たちが顔を上げる。続けて幾筋もの光が飛来し、膜が大きくたわんだ。
「持ち場を離れないで。そのまま支えて!」
イスズは杖を握り直し、頭上の魔法陣へ魔力を注いだ。
雲を割って、十二頭の竜が現れた。顔を覆う黒い仮面には、赤い光が明滅している。その後方には、大小二隻の金属艇が距離を保って続いていた。
「俺たちを海へ落とした氷竜か」
ホークの甲板で、ラクティスが遠眼鏡を下ろした。
「こちらの守りを探りに来たんでしょうか」
副官の問いに、ラクティスは港を覆う障壁へ目を向けた。新たな光が散ったが、膜は持ちこたえている。
「だろうな。街へ近づけりゃ、向こうはそれでも構わねぇんだろうが」
ラクティスは遠眼鏡を畳み、艇員たちへ声を張った。
「砲撃で進路を切り、街から引き離すぞ。竜の身体と仮面は避けろ。退いたら追うな!」
艇員たちの応答とともに機関が唸る。修復された翼骨へ魔力が流れ、天脈樹の木目に淡い光が走った。ホークは護衛艇を従えて、開かれた障壁を抜けていった。
ノアが西側の城壁へ上がったとき、白い冷気がホークの右舷をかすめた。船腹に霜を広げながらも、艇は高度を保ち、竜たちの進路へ砲撃を放つ。
「……アルピーヌ」
ノアは城壁の縁を掴んだ。人を傷つけることを、あれほど恐れていた竜が、街へ息吹を放っている。彼の仮面が強く光るたび、後続の攻撃も重なった。
「ノア」
レクサスが、鞍をつけたモコと階段を上がってきた。
「北区の避難誘導は騎士団に引き継いできた。こっちは?」
「障壁は保っています。……もう一度、呼びかけてみたいんです。前も、私の声に反応がありました」
モコがノアの腕へ鼻先を寄せた。柔らかな毛並みに触れ、ノアは浅くなっていた息を整える。
「うん。僕たちも行く。近づきすぎないでね」
レクサスは術師へ合図し、モコが踏ん張るのを待って鐙に足を掛けた。その傍らでノアを白銀の光が包み、竜の輪郭が広がっていく。
二頭は一時的に開かれた光壁を抜け、アルピーヌのいる空へ向かった。
「アルピーヌ。私です、ノアです!」
白い竜の頭が動き、仮面の中央が強く光った。ノアは翼を張り、前方へ障壁を広げる。冷気がぶつかり、前脚の先まで痺れが走った。
傍らでモコが唄い、乳白色の光が重なる。左右へ流れる冷気の向こうへ、ノアは声を張った。
「聞こえていますか。アルピーヌ!」
羽ばたきがわずかに遅れ、白い竜の顔がノアへ向きかけた。以前、名を呼んだときにも見せた、迷うような仕草だった。喉元の冷気が薄れるのを見て、ノアは前脚を伸ばしかける。
仮面に赤い光が走った。低い唸りが漏れ、ノアは前脚を引き戻す。障壁を保ったまま、もう一度こちらへ向いてくれるのを待った。
後続の竜たちにも乱れが生じていた。レクサスの合図でホークの砲撃が竜同士の間に弾け、護衛艇が編隊を押し広げていく。
やがてアルピーヌが北西へ翼を傾け、他の竜たちも続いた。ホークから追撃中止の信号弾が上がる。ノアは追おうとして傾けた翼を戻し、雲へ向かう彼を見送った。
* * *
城壁へ戻ろうとしたとき、小型艇が急に高度を落とした。大きい方の艇から離れ、大きく旋回して王都へ向かってくる。
進路を塞いだホークが停止信号を送ると、金属艇は速度を落とし、白い灯りを三度返した。
「投降を示す信号だ」
レクサスの声とほとんど同時に、遠ざかっていたアルピーヌが翼を翻した。仮面が激しく明滅し、金属艇へ向けた口元に冷気が集まる。
「アルピーヌ、やめて!」
ノアは金属艇へ飛び出した。呼び声に白い竜の首がわずかに震え、艇の前方を狙っていた顎が流れる。
冷気は艇の後部を捉えた。推進部が凍りつき、船体が大きく傾く。ノアは翼を畳んで急降下し、その下へ障壁を広げた。
モコの唄が重なり、落ちてきた船腹が光の膜へ沈む。勢いを弱めた艇は城壁の外の草地へ落ち、土を巻き上げながら滑った。
「ノア、もう大丈夫。艇は止まった」
レクサスの声に、ノアはようやく障壁を解いた。
「中の人は……」
「救護班を向かわせる」
救護要請の信号が上がり、ホークが墜落艇を庇う位置へ進む。その向こうでアルピーヌは一度だけ振り返り、北西の雲へ消えていった。
草地へ降りたノアは人の姿に戻り、墜落艇へ駆け寄った。側面の扉を、内側から叩く音がする。
「……外に、誰か……」
到着した騎士たちが周囲を固め、救護兵が歪んだ扉へ器具を差し込んだ。数人がかりで開くと、冷気を含んだ空気が流れ出す。
隔壁にもたれていたひとりが、救護兵に支えられて顔を上げた。
「ストーリア王国の方で、間違いありませんか」
「はい。ここはストーリア王国です」
「エリシオン侯国技術局のミストラ・ウィングロードです。亡命と保護を求めます」
担架へ移される前に、ミストラは北西の空を見た。
「……私は、あの竜たちに使われた制御装置の設計に関わりました」
ノアも顔を上げた。アルピーヌが消えた雲から目を戻すと、ミストラがこちらを見ていた。
「あの竜たちを止める方法を、知っています」
紙には、濃灰の礼装に銀色の留め具、黒い書状筒と、使節の特徴が書き留められている。ノアは謁見室で交わされた言葉を思い返した。
「竜に関する記録の提出と、飛行艇団の武装解除。それから、竜を対等な存在として扱うことをやめるように、と」
ベルタは紙の端を押さえたまま黙り込んだ。
「……何か、心当たりが?」
「昔、よく似た礼装で王の御前に並んでいた者たちがおりました。レガリア様のお力があれば、民も他国も従わせられると、何度も進言しておりましたわ」
「……王を裏切った人たちのことですか」
ベルタは頷き、傍らのオルゴールへ手を伸ばした。銀の蓋に彫られた模様を、指先がゆっくりとなぞる。
「レガリア様は、御自分の意思で王のお傍におられました。そのお気持ちを、あの者たちにも考えていただきたかったのですけれど」
ノアは尋ねかけた言葉を呑み込んだ。主を失い、オルゴールへ戻っていったときの彼女の顔が浮かぶ。窓の外を伝令の足音が通り過ぎる間、ノアはその向かいで待っていた。
「使節の方は、ノア様御自身のお考えを聞こうとなさいましたか」
「……いいえ」
ノアの引き渡しも武装解除も、同じ調子で告げられていた。ベルタは紙から手を離し、まっすぐにノアを見た。
「装いにも、竜を見る目にも、あの者たちの名残がございます。やはり、レガリア様のお力を支配に用いようとした一派の末裔――」
遠くの鐘が、短い間隔で鳴った。
「北西上空に竜影多数! 後方に未確認艇!」
廊下を駆ける足音に、障壁の展開を急がせる声が重なる。ノアがアベニールを腰へ帯びる間に、ベルタは紙を革の書類挟みへ収めていた。
「続きは、お戻りになってからにいたしましょう。どうか、お気をつけて」
「……行ってきます」
柔らかな笑みに頷き返し、ノアは廊下へ出た。
* * *
東の空が白み始める頃、王都を囲む塔に据えられた魔導結晶が、次々と光を宿した。
「西部港湾区との接続を確認!」
「そのまま維持して。王都側も繋ぐよ!」
イスズが杖を振ると、術師たちの前に浮かぶ魔法陣が応じた。塔から渡る光が港まで広がり、半透明の膜となって街を包む。
その直後、空から伸びた白い帯が障壁へ衝突した。凍てつく息吹に膜の外側が白く曇り、城壁の兵士たちが顔を上げる。続けて幾筋もの光が飛来し、膜が大きくたわんだ。
「持ち場を離れないで。そのまま支えて!」
イスズは杖を握り直し、頭上の魔法陣へ魔力を注いだ。
雲を割って、十二頭の竜が現れた。顔を覆う黒い仮面には、赤い光が明滅している。その後方には、大小二隻の金属艇が距離を保って続いていた。
「俺たちを海へ落とした氷竜か」
ホークの甲板で、ラクティスが遠眼鏡を下ろした。
「こちらの守りを探りに来たんでしょうか」
副官の問いに、ラクティスは港を覆う障壁へ目を向けた。新たな光が散ったが、膜は持ちこたえている。
「だろうな。街へ近づけりゃ、向こうはそれでも構わねぇんだろうが」
ラクティスは遠眼鏡を畳み、艇員たちへ声を張った。
「砲撃で進路を切り、街から引き離すぞ。竜の身体と仮面は避けろ。退いたら追うな!」
艇員たちの応答とともに機関が唸る。修復された翼骨へ魔力が流れ、天脈樹の木目に淡い光が走った。ホークは護衛艇を従えて、開かれた障壁を抜けていった。
ノアが西側の城壁へ上がったとき、白い冷気がホークの右舷をかすめた。船腹に霜を広げながらも、艇は高度を保ち、竜たちの進路へ砲撃を放つ。
「……アルピーヌ」
ノアは城壁の縁を掴んだ。人を傷つけることを、あれほど恐れていた竜が、街へ息吹を放っている。彼の仮面が強く光るたび、後続の攻撃も重なった。
「ノア」
レクサスが、鞍をつけたモコと階段を上がってきた。
「北区の避難誘導は騎士団に引き継いできた。こっちは?」
「障壁は保っています。……もう一度、呼びかけてみたいんです。前も、私の声に反応がありました」
モコがノアの腕へ鼻先を寄せた。柔らかな毛並みに触れ、ノアは浅くなっていた息を整える。
「うん。僕たちも行く。近づきすぎないでね」
レクサスは術師へ合図し、モコが踏ん張るのを待って鐙に足を掛けた。その傍らでノアを白銀の光が包み、竜の輪郭が広がっていく。
二頭は一時的に開かれた光壁を抜け、アルピーヌのいる空へ向かった。
「アルピーヌ。私です、ノアです!」
白い竜の頭が動き、仮面の中央が強く光った。ノアは翼を張り、前方へ障壁を広げる。冷気がぶつかり、前脚の先まで痺れが走った。
傍らでモコが唄い、乳白色の光が重なる。左右へ流れる冷気の向こうへ、ノアは声を張った。
「聞こえていますか。アルピーヌ!」
羽ばたきがわずかに遅れ、白い竜の顔がノアへ向きかけた。以前、名を呼んだときにも見せた、迷うような仕草だった。喉元の冷気が薄れるのを見て、ノアは前脚を伸ばしかける。
仮面に赤い光が走った。低い唸りが漏れ、ノアは前脚を引き戻す。障壁を保ったまま、もう一度こちらへ向いてくれるのを待った。
後続の竜たちにも乱れが生じていた。レクサスの合図でホークの砲撃が竜同士の間に弾け、護衛艇が編隊を押し広げていく。
やがてアルピーヌが北西へ翼を傾け、他の竜たちも続いた。ホークから追撃中止の信号弾が上がる。ノアは追おうとして傾けた翼を戻し、雲へ向かう彼を見送った。
* * *
城壁へ戻ろうとしたとき、小型艇が急に高度を落とした。大きい方の艇から離れ、大きく旋回して王都へ向かってくる。
進路を塞いだホークが停止信号を送ると、金属艇は速度を落とし、白い灯りを三度返した。
「投降を示す信号だ」
レクサスの声とほとんど同時に、遠ざかっていたアルピーヌが翼を翻した。仮面が激しく明滅し、金属艇へ向けた口元に冷気が集まる。
「アルピーヌ、やめて!」
ノアは金属艇へ飛び出した。呼び声に白い竜の首がわずかに震え、艇の前方を狙っていた顎が流れる。
冷気は艇の後部を捉えた。推進部が凍りつき、船体が大きく傾く。ノアは翼を畳んで急降下し、その下へ障壁を広げた。
モコの唄が重なり、落ちてきた船腹が光の膜へ沈む。勢いを弱めた艇は城壁の外の草地へ落ち、土を巻き上げながら滑った。
「ノア、もう大丈夫。艇は止まった」
レクサスの声に、ノアはようやく障壁を解いた。
「中の人は……」
「救護班を向かわせる」
救護要請の信号が上がり、ホークが墜落艇を庇う位置へ進む。その向こうでアルピーヌは一度だけ振り返り、北西の雲へ消えていった。
草地へ降りたノアは人の姿に戻り、墜落艇へ駆け寄った。側面の扉を、内側から叩く音がする。
「……外に、誰か……」
到着した騎士たちが周囲を固め、救護兵が歪んだ扉へ器具を差し込んだ。数人がかりで開くと、冷気を含んだ空気が流れ出す。
隔壁にもたれていたひとりが、救護兵に支えられて顔を上げた。
「ストーリア王国の方で、間違いありませんか」
「はい。ここはストーリア王国です」
「エリシオン侯国技術局のミストラ・ウィングロードです。亡命と保護を求めます」
担架へ移される前に、ミストラは北西の空を見た。
「……私は、あの竜たちに使われた制御装置の設計に関わりました」
ノアも顔を上げた。アルピーヌが消えた雲から目を戻すと、ミストラがこちらを見ていた。
「あの竜たちを止める方法を、知っています」
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