その日暮らしの自堕落生活

流風

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異世界へようこそ

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(疲れたな)


 会社の給湯室。ちょっと一息つこうと、コーヒーを淹れに来た。最近、疲れがなかなかとれないのが悩みだ。

 40歳になって、体にガタがきた。39歳の時と40歳を迎えてからの体の状態が、明らかに違う。
 腰が痛い。
 食事量は減ったのに体重が減らない。いや、むしろ体重増えてない?
 ふくらはぎも怠い。誰かさすって欲しい。
 疲労がとれない。テレビ見ながら寝落ちするのに、ベッドに行ったら、寝れない。なんでや?!

 棚に置いてあったカップを手にした時、総務課の佐藤茜と綾瀬真衣がやってきた。
 うちの会社の情報発信源。井戸端会議が仕事ですか?というくらいの、おしゃべり好きの2人だ。

「あら、如月さん。休憩ですか?暇なんですか?橘くんを働かせて休憩なんていい身分ですね」

 何故か、毎回私に突っかかってくる。
 暇なわけあるか!あんたらはさっきまで集団でキャッキャと井戸端会議してたみたいだけど、こっちは外部の人間と打ち合わせしてて、やっと終わったとこなんだよ!
 橘祐樹が如月玲子の部署に異動してきて、仕事を一緒にするようになってから、ずっとこの調子だ。いい加減うんざりする。

「そうですね」

 当然、毎回相手にしない。
 面倒臭いんだよね。

「茜、あんまり言っちゃ可哀想よ」

 そう言いながら、口角を上げニヤニヤ笑っている。優しい態度を見せながら、裏では色々と言ってるのは知っている。陰口が多い人って、イライラする。

(あ~…ダメだ。何か胸の奥からムカムカした気持ちが溢れてくる。もう誰にも関わりたくない)

 その時、

「玲子さん、この書類… あれ?佐藤さんと綾瀬さんもいたんですか?」

 会社No.1モテ男の橘祐樹が玲子を探しにやってきた。

「「橘くん!!」」

 佐藤さんと綾瀬さんが、橘くんに反応して振り返った瞬間、綾瀬さんの持っていた筒状の荷物があたり、玲子は押されよろめいた。その瞬間、足元に広がる黒い沼のようなものに気づいた。

 え?

 そう思った瞬間、目の前が真っ暗になった。






 暗闇は一瞬だった。

 今、目の前に雲ひとつない青空が広がっている。

 あれ?

 そう思った瞬間、

 ドボン

 何故か水の中に落ちていた。

(マズイ!服が体にまとわりつく。沈む。慌てるな!落ち着け!落ち着け!とにかく浮上しないと)

 必死に浮上し泳いで岸に這い上がり、仰向けになって呼吸を整える。
 驚いた。夕方の会社にいたはずなのに、一瞬で木に囲まれた青空の下の水の中。
 肌に纏わりつく濡れた衣類の感触、チクチクする土と草の感触と匂い、苦しいくらいに力強く脈打つ心臓。夢にしてはリアルすぎる。

(そういえば、橘くん達もいないのかな?私だけ?)

 さっきまで一緒にいたメンバーの気配がないため、周りを見てみようと上半身を起こした所で、

『£♭△∝§◇※∈♯□∽≡∵◯‰』

 目の前に、ローブ姿に白髪白髭のおじいさんが立っていた。

(ん?おじいさんが何か喋ってる。野苺を指差し、食べる仕草をしている。食べろって言ってるのかな?)

 食べるの?今?

(ーーー  私、溺れかけた直後なんですけど)

 ま、苺は好きだし、食べてみるか。野苺なんて久しぶりだ。ただ、あまり良い思い出がないのよね。
 一粒、口の中に入れると、少しの甘みの後に、苺特有の美味しい酸味が口の中に広がった。

『これで言葉はわかるかな?しかし珍しいな。召喚者か?』

 突然、おじいさんが日本語を喋り出した。しかし…

『ショウカンシャ…ですか?ん?召喚者?』

 このおじいさん、生者じゃない。死者だな。

 そう、玲子は見える人だ。昔から霊体を見ることが出来た。それが異様な事だとわからなかった頃、両親に見える事を伝えてしまった。
 それ以降、母に気味悪がられ、ノイローゼ状態となった母から殺されかけた過去がある。

 ま、父も母も、その時に死んでしまったが。

『召喚者とは、何でしょうか?それに、さっきまで違う言葉で喋ってましたよね??日本語がわかるんですか?私は何故ここにいるのかよくわからないんです。すみませんが、ここがどこか教えてくれませんか?』

 立て続けに、たくさんの質問をしてしまった。
 それでも、気を悪くした風にもなく、ホッホッホッと笑いながら答えてくれた。

『目が合ったからもしやと思ったが、ワシが見えるのか。しかも会話もできるのか。これは更に珍しい』

 目を瞠ったかと思うと、すぐに目元のシワを増やしながら、嬉しそうにこちらを見てきた。

『昔から見えてましたね。ま、ここまで流暢な会話をしたことはないですが』

『じゃろうな』

 フォッフォッと楽しげな声を出しながら、値踏みするような目で見てくる。なんだ?この霊。物語に出てくる魔法使いのようなローブを着てるけど、コスプレしたおじいさんの霊なんて、初めて見た。

 しかし、体が怠いというか、熱いというか、何かおかしい。

『ここは、アッテムト国。おそらく、お嬢ちゃんはこの国の王族によって召喚された異世界人じゃな。魔力が膨大で制御しきれておらん。まったく、何度同じ過ちを繰り返せばわかるのか』

 最初は玲子への説明、最後は愚痴のような独り言。そんな言い方に変わっていた。

 しかし、ちょっと待って。異世界?魔力?お嬢ちゃん?気になる単語がたくさん出てきたぞ。

 こんな時に、感情のまま問い返していても良い事はない。子供の頃に家族を亡くし、頼れる者がいなかった玲子は、小さい頃から自分で判断しなくてはいけない事が多かった。
 そのため、自制が効くように育ってしまい、狼狽える事があまりなく、「冷めてる」と周りから言われてきた。

 静かに深呼吸をし、無理矢理自分を落ち着かせる。

 慌てず、一つずつ整理して…

 そう考えながら、手を口元に持っていった時、気づいた。

 服が大きい?

 濡れて、へばりついていたからかと思ったが、袖が明らかに長い。

 あれ?

『お嬢ちゃん…?』

 思わず呟いた後、振り返り、水面に顔を写して自分の顔を確認する。

 若い。

 若いというか、子どもだ。13歳くらいの頃の自分の顔が、そこにはいた。

『は…?』

 思わず、おじいさんに振り返り、

『若返ってるんですけど…?』

 冷静さなんて保てなかった。まだ、森の中しか見ていないため、異世界という実感がなかった。だからこそ落ち着いていられたんだ。
 だが、これは冷静さを欠くには充分だった。いくら水面での確認とはいえ、10代と40代の顔を見間違えない。しかも、ボブヘアだった髪が、胸下までのロングになっている。

(間違いない。子供の頃の私だ)

 そんな玲子の様子を見て、

『ふむ、説明が色々と必要そうじゃな。とりあえずは、ワシの隠れ家に移動してから話そう。濡れたままでは風邪をひくかもしれんしな。それに、魔力垂れ流しで森の動物達が怯えていて可哀想じゃ』

 そういえば、鳥の一羽も見ない。

 落ち着いて耳をすますと、ざわざわと風に揺れる葉の音が聞こえるだけだ。生き物の気配がない。

 顔を上げ、周りを見渡すと、目の前には木々が茂る小径が見え、私が落ちた湖を囲むように育った木々の梢には、今まで立ち込めていた靄が、まだきれぎれになって残っている。その靄と木立の隙間を縫う様に朝の光が降り注ぎ湖を煌かせていた。

 温暖な気持ちの良い空気と爽やかな青空。とても綺麗な森の風景の中、確かに生き物の気配がしない。

(私のせい?)

 初対面の人に着いて行くなんて、普段の玲子ならしないけど、このよくわからない状況なら仕方ない。玲子はおじいさんに着いて行く事にした。







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