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6.変な人 Side リディア
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疲れたせいかぐっすり眠ってしまったらしく、目が覚めたらオオカミに覗き込まれていた。
早起きして働かなきゃいけなかったのに。怖くて言葉が出てこない。動けずに強張っていたらまた舐められたから、これが朝の仕事なんだととりあえず安心できた。
怒られなくて良かった。獣人は性欲旺盛なのかもしれない。
ジッとしてたら、口の中に舌がはいってきて驚く。あちこち舐めて舌を絡めてくるけど、どうしたらいいんだろう。こういうときは私も舌を動かすべきなのか。初めての口付けに混乱してるうちに、オオカミが出して終わりがきた。
テーブルの上の果物を食べろと言ったオオカミは玄関に鍵をかけて出かけ、私はやっと体の力を抜き大きく息を吐いた。
殴られたり怒鳴られたり、嫌味もない。それは今だけ? これからも? そんなことわからない。酷いことはしないと言ったし、私の世話をやいてくれた。眠るときに抱きしめられた腕の温かさを思い出し、信じたい気持ちになる。
獣人にだって色んな人がいるだろうし、見た目が怖いからって酷い人とは限らない。普通の見た目で残酷なことをする人もいる。死んだ夫のように。
でも気を抜くのはダメ。試してるだけかもしれない。静かに大人しくしていよう。そう決めて言いつけ通り洗濯をするために、床に散らばってる服や布を拾い集めた。
石鹸とお湯で洗うと汚れがよく落ちて楽しくなり、オオカミの大きい服に並んだ私の服が子供用みたいに見えて、笑ってしまった。
窓を開けて空気を入れ替えてから、隅に転がってた箒で床を掃き、ゴミはゴミ箱に集める。帰ってきたらゴミ捨て場を教えてもらわないと。ハタキと雑巾のある場所も。どの布が食器拭きかもわからないし。
こうやって自分にできることを考えると気が晴れる。どうにもできない気持ちなんて、消えちゃえばいいのに。
私にできるのは体を動かして働くことだけだし、しっかり働けば気に入ってもらえるかもしれない。
……夫とはそれで失敗したんだった。やっていいか聞いてみて、言われたことだけやることにしよう。私はお節介すぎるみたいだから。
それでも台所ならいいだろうと見たら、ひどいありさまだった。小さな缶の中にカビの生えたお茶、何かを包んでた葉が乾燥して粉になったものが散らばり、ヌルついた水が入ってる小鍋にめまいがした。
これはちょっと酷過ぎる。お節介しないようにとか言ってる場合じゃないわ。
台所の水もシャワー室にあった魔石と同じような仕組みだったからすぐわかった。お皿の中にあったタワシできっちり洗い、見た目が綺麗な布を石鹸で洗ってから拭いた。
一通り綺麗にしたら気分もサッパリした。汗ばんだ体をお湯で流して、乾ききってない唯一の服を着る。
玄関ドアの音がしたので急いで迎えに出たら、オオカミが泣いていた。あっけに取られてたら抱きしめられる。
昨日から驚いてばっかり。この人はよく泣く人なんだろうか。こんな怖くて泣きそうにない見た目なのに。
声を殺して泣くオオカミがなんだか可哀想で、恐る恐る背中を撫でた。抱きしめる力が強くなったから、撫でても大丈夫らしい。
泣き止んだから訳を聞いてみたら、なんでもないと言って押し倒された。
舐められながら、ときどきオオカミを見る。
この人は何か必死に見える。夫とは全然違う。あの人は嫌がらせのために私を抱いてたけど、この人は違う。抱くためだけに抱いてるというか、切羽詰まってるように思えた。
オオカミの舌が口の中に入ってきて私の舌に絡みつく。ヨダレをこぼしながら執拗に口の中を舐めまわされると、背中がゾワリとした。荒い息の必死さに胸が締め付けられる。こんなふうに求められたことなんてなかった。こんなふうに私だけを求めてもらいたいと思ってた。
嬉しいみたい。怖い人なのに。でも泣いてた。昨日も今日も。自分の寂しさがオオカミの涙に重なって、この人を抱きしめたいと思った。
知らない感覚が体に宿る。怖いのに無視できない。出そうになった声をこらえて、息を止めた。ゾクゾクする体を押さえるためにシーツを両手で掴む。
終わった後で起き上がったオオカミが、手で顔を覆った。また泣くのかと思い腕を撫でたら私を見て笑いだした。
いきなり笑うからびっくりしたけど、楽しそうだからいいかと思う。私のことをバカだって笑ってるけど、夫のように私を見下してる感じじゃない。
私の頬を撫でた指先は優しく、こんなふうに触れられてみたいと思ったいつかの願いが叶ったのかもしれない。
食事を買いにいったオオカミが戻ってきてテーブルに料理を並べた。
野菜と小さい肉を挟めた薄焼きパンをかじると、ピリッとした辛さの複雑なタレがかかっていて美味しい。こんなに不思議な味をどうやってだしてるんだろ。私も作れるようになるかな。
食べ終わったオオカミがまたジッと見つめてくるから、緊張する。
「どうだ?」
「美味しいです」
「小せぇ肉だろ」
……もしかして、昨日のお肉が硬いって言ったから?
「はい。食べやすいです。ありがとうございます」
思ってもみなかった親切が嬉しくて笑ってしまった。
「牙がねぇからな」
フイっと顔をそらしてぶっきらぼうにそう付け加えたオオカミが可愛く思える。
そのまま無言で食べ終わり、ほんのり味の付いた水を飲んだ。食べ終わったオオカミは満足そうにしてる。話をするなら今かもしれないと、思い切って話しかけた。
「あの……」
「なんだ?」
「私から話しかけてもいいのでしょうか?」
「なんだそりゃ。話しかけりゃいいじゃねぇか」
「奴隷はどうしたらいいのか、知らないので」
「あー、そうだったな。売られたばっかか。まあ、俺も知らねぇし。普通に話せよ」
「え、あ、はい。あと、家の中の掃除とかしてもいいですか?」
「おぅ、頼むわ。家の中のモン好きにしていいし、好きにやれよ」
「……はい。掃除道具はどれですか? 雑巾とかトイレ用のブラシとか」
「あー? ねぇよ。テキトーにあるもんで拭いてるし。トイレなんて水かけときゃいいだろ」
……ない。それはない。それはないでしょ。シャツが変色してたのはそれのせいだな、きっと。
あまりのことに言葉をなくして、どう言えばいいか考えてたらオオカミが頭をゴリゴリ掻きだした。
「あーもー、俺はいんだよ。俺は何も気にしねぇから、お前がやりたいようにやれよ」
「……はい」
「何か欲しいモンがありゃ買ってくっから」
「はい。じゃあトイレ用のブラシをお願いします」
「わかった。他には?」
「ありがとうございます。他に、あの、呼び方は『ご主人様』でいいのでしょうか?」
「気持ち悪ぃっ! 絶対やめろっ! 『ジェイク』だっ」
驚いたオオカミの体が膨らんだ気がする。ものすごい嫌がりようがちょっと可笑しい。
「ジェイク様」
「『様』もつけんな、気持ち悪ぃから」
「ジェイク、とお呼びしても」
「その話し方も気持ち悪ぃ。普通に話せよ。いちいち面倒くせぇんだよ」
「…………普通に?」
「そう」
「ええと、では。……ゴミ捨て場を教えてほしい、です」
「外はダメだ」
「逃げません」
「人間は弱っちいから危ねぇんだよ。ゴミは俺が捨てに行く」
人間は襲われやすいの? それなら仕方ない。
「人間、……俺の名前は?」
「ジェイク、ですよね?」
「ああ。……お前は?」
ジェイクは腕組みをしてそっぽを向きながらそう言った。けど、チラチラ私を見てる。なんだろう、なんか面白い。
「私は『リディア』です」
「そうか、リディア」
「はい」
「リディア……、面倒だな、『リディ』にする」
「え、あ、はい」
一文字なのに。あまりにも面倒くさがりで笑いそうになった。脱ぎ捨てたシャツで床を拭くぐらいだものね。
変な人。泣き虫で面倒臭がりで、乱暴だけど優しいとこもある。変な人だな。でも嫌いじゃない。
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