7 / 31
7.ちっとも懐かない
しおりを挟むリディが『ジェイク』と口にしたとき、俺の名前があの香りをまとって耳の毛を震わせた。声が胸に響いて一瞬息が止まり、震える息を気づかれないように静かに吐いた。
俺はバカなことに、人間にも名前があるなんて考えもしなかった。俺の名前を人間に呼ばれて、俺も人間を呼び返したいと思って初めて気づいた。
教えてもらった名前で呼んでも、なんかしっくりしない。なんかもっと小せぇ感じの……、と考えて『リディ』にした。うん、こっちのが合ってる。
リディは奴隷だからどうしたこうした悩んでたけど、面倒くせぇから好きにしろと言った。俺は抱けりゃいい。
リディを抱いて戻ってきた匂いは、次の日の昼前に消えた。家に帰って舐めまわして抱いたあとは匂いが戻る。二週間経つ頃には、このサイクルが身についてそこまで不安にならなくなった。
リディはチョコチョコよく動く。家の中が綺麗になって匂いも良くなった。それになんか明るくなった気がする。裾がほつれてたシャツも繕われてた。
俺の家にだいぶ馴染んだと思うのに、距離はちっとも縮まらない。
俺にはリディの匂いが救いで、これがないと生きてけない。そこら辺で絡まれたらすぐに死んじまいそうな弱っちい人間に、俺のすべてをにぎられてるなんておもしろくない。けど、絶対に必要だから大事にしてるつもりなのに、まだ懐かない。
抱いたって口を閉じて目をつぶったまま。濡れるようになってきたのに体を強張らせてじっとしてる。
話しかけていいか聞いたくせに、話しかけてもこない。挨拶かゴミ捨てを頼まれるくらいだ。俺の名前も呼ばないし、俺のほうを見ない。
俺はリディが欲しくてたまんない。リディの香りを嗅ぐと、体中全部が満たされるみたいで、胸が締め付けられるような苦しい気持ちになる。でもリディはそうじゃない。
俺は懐いてほしいんだ。だってそうだろ。懐いたら俺んトコから逃げねぇでくっついてるだろ。なんでまだ懐かねぇんだよ。
「なぁ、俺が怖ぇのか?」
「……はい」
「乱暴してねぇだろ?」
「はい」
「なんで怖ぇんだ?」
「あの、……奴隷なので」
「普通にしてりゃいい。怒んねぇよ」
「はい」
リディは体を丸めたままジッとしてる。これじゃ責めてるみてぇじゃねぇか。ただ、もっとなんか……。いや、怖がられてんのがウザってぇだけだ。
ため息をついて、リディの頭の匂いを嗅いだ。
同僚のヘイリーは俺より弱ぇけど、女からはすごくモテる。腕っぷしが自慢だった俺も少しはモテてたが、疫病になってからはさっぱりだ。カサカサに乾いた鼻で後遺症があるってわかるし、ずっとイラついてたからな。勃たなかったし別にもういいんだけどよ。
リディにもう少し懐いてほしくてヘイリーに相談してみた。
「なぁヘイリー、怖がられねぇようにするってどうすんだ?」
「お、調子戻ってきたらすぐに女か?」
「そういうわけじゃねぇ。そういうわけじゃねぇけど、なんか怖がられてんだよ」
「ジェイクって悪人面だしな~。笑うとか、相手のこと褒めるとかしてみたら?」
「おかしくもねぇのに笑えねぇだろ」
「好きな子なら見てるだけで楽しいだろ?」
「そうか?」
ただの人間だから、べつに好きな子ってわけじゃねぇ。いつまでもビクビクされてんのがうっとうしいだけだ。
「褒めるって何を褒めんだよ?」
「今日もかわいいね、とかあるだろ。その服似合ってるとか」
「なんだよそれ」
俺が媚び売ってるみてぇじゃねぇか。オオカミ族の俺が人間に? あり得ねぇ。
「なにしかめっ面してんだよ。好きな子をかわいいって思うのは当然だろ? 思ったことを口に出すだけだろうが」
「そんなふうに思ってねぇ。警戒心を少し抑えたいだけだ」
「ふーん、そうなのか? じゃあ、相手の好きなもの一緒に食べるとか、相手の好きなものの話するとかでいいんじゃねぇか?」
「わかった」
「で、どこの誰だよ?」
「うっせ、そんなんじゃねぇって言ってるだろ」
「あーはいはい。上手くいったら奢れよ」
そのあとも仕事をしながら考えてた。
リディの好きなものってなんだ? 買ってきたメシは全部旨いって言う。リディの好きなもの?
そのときになって初めてリディのことを全然知らないと気づいた。メシ食わせて抱くだけでなんにもしてやってない。俺は今まで何やってたんだ?
でも何も言ってこねぇのはリディだ。……いや、怖ぇって思ってるなら言わねぇよな。あーもう、なんだよアイツはっ、怒らねぇって言ってんのに、クソっ。
くそー俺のこういうとこがアレなのかよ。あーもう、面倒くせぇ。
リディを思い出すと匂いを嗅ぎたくなる。
家に帰ったら出迎えてくれたリディを抱きしめて、あの匂いでいっぱいになりたい。俺はそれが嬉しいのに、リディはジッとして動きもしない。それがなんか痛かった。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
319
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる