誰がための香り【R18】

象の居る

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7.ちっとも懐かない

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 リディが『ジェイク』と口にしたとき、俺の名前があの香りをまとって耳の毛を震わせた。声が胸に響いて一瞬息が止まり、震える息を気づかれないように静かに吐いた。

 俺はバカなことに、人間にも名前があるなんて考えもしなかった。俺の名前を人間に呼ばれて、俺も人間を呼び返したいと思って初めて気づいた。
 教えてもらった名前で呼んでも、なんかしっくりしない。なんかもっと小せぇ感じの……、と考えて『リディ』にした。うん、こっちのが合ってる。

 リディは奴隷だからどうしたこうした悩んでたけど、面倒くせぇから好きにしろと言った。俺は抱けりゃいい。

 リディを抱いて戻ってきた匂いは、次の日の昼前に消えた。家に帰って舐めまわして抱いたあとは匂いが戻る。二週間経つ頃には、このサイクルが身についてそこまで不安にならなくなった。

 リディはチョコチョコよく動く。家の中が綺麗になって匂いも良くなった。それになんか明るくなった気がする。裾がほつれてたシャツも繕われてた。
 俺の家にだいぶ馴染んだと思うのに、距離はちっとも縮まらない。

 俺にはリディの匂いが救いで、これがないと生きてけない。そこら辺で絡まれたらすぐに死んじまいそうな弱っちい人間に、俺のすべてをにぎられてるなんておもしろくない。けど、絶対に必要だから大事にしてるつもりなのに、まだ懐かない。
 抱いたって口を閉じて目をつぶったまま。濡れるようになってきたのに体を強張らせてじっとしてる。
 話しかけていいか聞いたくせに、話しかけてもこない。挨拶かゴミ捨てを頼まれるくらいだ。俺の名前も呼ばないし、俺のほうを見ない。
 俺はリディが欲しくてたまんない。リディの香りを嗅ぐと、体中全部が満たされるみたいで、胸が締め付けられるような苦しい気持ちになる。でもリディはそうじゃない。

 俺は懐いてほしいんだ。だってそうだろ。懐いたら俺んトコから逃げねぇでくっついてるだろ。なんでまだ懐かねぇんだよ。

「なぁ、俺が怖ぇのか?」
「……はい」
「乱暴してねぇだろ?」
「はい」
「なんで怖ぇんだ?」
「あの、……奴隷なので」
「普通にしてりゃいい。怒んねぇよ」
「はい」

 リディは体を丸めたままジッとしてる。これじゃ責めてるみてぇじゃねぇか。ただ、もっとなんか……。いや、怖がられてんのがウザってぇだけだ。
 ため息をついて、リディの頭の匂いを嗅いだ。


 同僚のヘイリーは俺より弱ぇけど、女からはすごくモテる。腕っぷしが自慢だった俺も少しはモテてたが、疫病になってからはさっぱりだ。カサカサに乾いた鼻で後遺症があるってわかるし、ずっとイラついてたからな。勃たなかったし別にもういいんだけどよ。
 リディにもう少し懐いてほしくてヘイリーに相談してみた。

「なぁヘイリー、怖がられねぇようにするってどうすんだ?」
「お、調子戻ってきたらすぐに女か?」
「そういうわけじゃねぇ。そういうわけじゃねぇけど、なんか怖がられてんだよ」
「ジェイクって悪人面だしな~。笑うとか、相手のこと褒めるとかしてみたら?」
「おかしくもねぇのに笑えねぇだろ」
「好きな子なら見てるだけで楽しいだろ?」
「そうか?」

 ただの人間だから、べつに好きな子ってわけじゃねぇ。いつまでもビクビクされてんのがうっとうしいだけだ。

「褒めるって何を褒めんだよ?」
「今日もかわいいね、とかあるだろ。その服似合ってるとか」
「なんだよそれ」

 俺が媚び売ってるみてぇじゃねぇか。オオカミ族の俺が人間に? あり得ねぇ。

「なにしかめっ面してんだよ。好きな子をかわいいって思うのは当然だろ? 思ったことを口に出すだけだろうが」
「そんなふうに思ってねぇ。警戒心を少し抑えたいだけだ」
「ふーん、そうなのか? じゃあ、相手の好きなもの一緒に食べるとか、相手の好きなものの話するとかでいいんじゃねぇか?」
「わかった」
「で、どこの誰だよ?」
「うっせ、そんなんじゃねぇって言ってるだろ」
「あーはいはい。上手くいったら奢れよ」

 そのあとも仕事をしながら考えてた。
 リディの好きなものってなんだ? 買ってきたメシは全部旨いって言う。リディの好きなもの?
 そのときになって初めてリディのことを全然知らないと気づいた。メシ食わせて抱くだけでなんにもしてやってない。俺は今まで何やってたんだ?
 でも何も言ってこねぇのはリディだ。……いや、怖ぇって思ってるなら言わねぇよな。あーもう、なんだよアイツはっ、怒らねぇって言ってんのに、クソっ。
 くそー俺のこういうとこがアレなのかよ。あーもう、面倒くせぇ。

 リディを思い出すと匂いを嗅ぎたくなる。
 家に帰ったら出迎えてくれたリディを抱きしめて、あの匂いでいっぱいになりたい。俺はそれが嬉しいのに、リディはジッとして動きもしない。それがなんか痛かった。


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