16 / 31
16.ごめんなさい Side リディア
しおりを挟むSide リディア
雨の日、帰ってきたジェイクが私に雨コートを着せて外に連れ出してくれた。
大きな建物や広い市場、通りを歩く大きな人たち。最初の緊張は物珍しさですぐに吹き飛んだ。
好きなものをってジェイクが言ってくれて選んだ揚げパンは、熱くてサクサクですごく美味しくて感動した。全部が楽しかった。心配した嫌な目にも遭わず、眠るときも楽しいまま眠った。
ジェイクはぶっきらぼうな態度で私の願いを叶えてくれる。ぶっきらぼうなまま甘やかして、優しくしてくれる。
してるときは甘い。耳を齧られながら名前を呼ばれるとドキドキしておかしくなりそう。
こんなふうだと奴隷なのにジェイクに好かれてると勘違いしてしまう。
ううん、とっくに勘違いしてる。ジェイクを好きになってしまってる。好きな人に優しくされて、求められて、嬉しくて泣きそうになる。
でも、ジェイクは好きだとかそういうことは言わない。だから私とは違うんだと思う。きっと奴隷もちゃんと扱う人で、優しいのもそういうこと。私を弱い人間だと思ってるから、ことさら優しくするのかもしれない。
私はいつも胸が痛くなる。この生活に終わりがくるのが怖い。
何度も買いにいった揚げパンのお店の人に話しかけられた。この人は人間が嫌いじゃないのかもと思うと、それだけで嬉しい。美味しいって伝えただけなのに、なにかスゴイことをした気分になった。
ジェイク以外の獣人と喋れて、私もこの国に馴染めるかなって浮かれてたら、ジェイクの知り合いにも会った。
ジェイクと同じオオカミと、トカゲ。トカゲの人は人間好きって言ったから驚く。人間が好きな獣人もいるんだ。もしかしてジェイクも? って思ったら違った。
『人間なんか』って言った。
この焦りは知ってる。婚約者だった幼なじみが私と一緒にいることをからかわれたとき、私なんかと二人で会ったのは用事があったからだと必死に言いつのった。私なんか好きじゃないのに、と。
それを思い出してぼんやりする。時間が止まったみたいだった。
ジェイクに引っ張られるまま家に帰ったら抱きしめられたけど、人間なんかが抱きしめ返してもいいのかわからなくて動けなかった。
何も考えられないまま眠ったら、嫌な夢を見て夜中に目が覚めた。妹と抱き合ってた婚約者が振り返ったら、ジェイクだった夢。
心臓がドンドンと強く鳴って息もきれてる。違う、ジェイクは人間が嫌いだから妹は関係ない。そう、人間がダメだから。ただ私がダメなだけ。
ベッドからそっと降りて冷えた床に足をつけた。
喉に引っ掛かる水を飲み込んだら涙が勝手に溢れ出した。鼻をすする音が部屋に響く気がしてシャワー室に入る。暖かいシャワーの中なら大丈夫。みっともない私も隠れることができるから。
わかってた。わかってたこと。わかってたけど悲しい。私はやっぱり好かれてなくて、好きな人にとって恥ずかしい相手だった。
一緒にいて恥ずかしい相手でごめんなさい。外に出たいなんて言ってごめんなさい。身の程知らずでごめんなさい。
涙はいつまでも流れた。いつのまにか外が明るくなってきたのに気付いて、涙を拭く。せめて役に立たなくちゃ。家の中にいれば大丈夫。家の中にいて今まで通りに振る舞えばそれでいい。だって私は奴隷だから。どこへも行けやしない。
次の日、ジェイクは謝ってくれた。
謝ることない。私が恥ずかしい存在なのは仕方がない。それなのに、外に連れていってくれてありがとう。気を遣ってくれてありがとう。優しくしてくれてありがとう。大事だって言ってくれてありがとう。
でも口には出せなかった。口を開くと泣いてしまいそうだったから。
そのあと罪滅ぼしのつもりで外に誘ってくれたんだろうけど、もう嬉しくなかった。
帽子に隠れていないとジロジロ見られる目線が苦しくて、ジェイクの言ってるのは本当だって思った。こんなふうにバカにされて見られるのは辛くて苦しい。
家の中にいたほうがまし。そう言っても今の落ち込んでるジェイクは気にしそうだから、もう少しあとで言おうと思った。
仲良くなってきたと思ったのにまた離れた。ジェイクはまだ気にしてるように見える。私も今まで通りに振る舞えない。大事にしてもらうのは嬉しいけど、それ以上にはなれないんだってわかったから。
ある日の昼間、知らない人と一緒にジェイクが帰ってきた。
その人は冷たい目とバカにした口調で、疫病の後遺症に私の体液が効くと話す。ジェイクは困った顔で私に血が欲しいと頼んだ。
屋台の人から聞いた疫病のこと? ジェイクに後遺症があるなんて知らなかった。ぜんぜん普通に見えるのに。
体液が効く……、だからいつも舐めるんだ。だから血も舐めた。そっか。だから私を買ったんだ。
私は何も知らないな。ジェイクのこと一つも。見えてることが全部じゃないのに、私はまた同じことしてる。何も知ろうとしなかった。
冷たい人は人間が嫌いらしかった。私をかばうジェイクもバカにされてる。こんなふうに言われるなんてなんて酷いんだろう。ジェイクは何も悪くない、優しくしてるだけなのに。
なんで優しいことをバカにするの?
なんで人間なだけでバカにするの?
ジェイクが誤魔化そうとした気持ちがよくわかる。こんなふうに悪意を向けられるのは辛い。それなのにジェイクは私を大事にしてくれる。知ってたのに、私の我儘を聞いて外に連れていってくれた。夫が死んでホッとした私と大違いだ。
血が抜けたせいか頭がクラクラして気持ち悪い。
「リディ、大丈夫か?」
目を開けたら心配そうなジェイクが覗き込んでいた。いつの間にか眠ってたみたい。
「調子悪いかもしれねぇけど、ちゃんと食っといたほうがいい」
ベッドの上で起こされて、食器を渡された。食べやすいように小さく切られたレバーと野菜の煮物が湯気を立てている。
「……あり、がとうございます、……コホッ」
張り付いた喉から声を出したら咳が出た。差し出されたコップを受け取って水を飲む。
「ごめんな。嫌な思いさせて。ごめん。国の調査だから断れねぇんだ」
「ジェイクのせいじゃないので」
耳をふせて申し訳なさそうな顔をしてるジェイクに笑いかけた。
痛い思いをしたから気にしてるんだろう。利用してるのは同じだけど。少し胸がチクリとする。
「いただきます」
誤魔化すように食事をした。美味しい、けど美味しくない。
私が傷付くのは利用されてたと知ったから?
たぶん、そう。私は役に立つから買われた。そりゃ、役立たずの奴隷なんて買わないよね、うん。当たり前だ。役に立つから求められる。役に立たないと求められない。
いつだってそうだ。今度は違うと思ったのに同じだ。この体が役に立つから大事にされてるだけ。
「どうした? 食えねぇか?」
「……大丈夫です」
ジェイクの心配そうな声で考え事から引き戻される。黙々と食べ終わったら変な匂いのするお茶を渡された。
「血が増える薬だから飲め」
「はい」
匂いを我慢して口に入れると苦い、けどなんとか飲み干した。
「どうした? 気持ち悪ぃか?」
「苦くて」
「あー、一週間は飲めって言われてんだ」
「わかりました」
「もう寝ろ。何もしなくていい」
「はい、お休みなさい」
ウトウトしてるとベッドに入ってきたジェイクに抱きしめられた。頭の匂いを嗅がれて鼻を擦り付けられる。いつもなら嬉しくてくすぐったいそれも、ただ悲しくなるだけだった。体を縮めて胸の痛みをやりすごし、眠りに落ちるのを待った。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
319
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる