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65)私のお役目
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それに今、私の役目は、自分の置かれている状況や理由を把握する事ではない。
私の今の役目はきっと、夜通しの運転で疲れの色が滲む主人を癒すことだ。私はそう考えて、水湊様に向かって再びニコリと微笑んだ。
「勿論、水湊様が私に『お話しされたい』と思われるのでしたら何でもお聞きしますし、『この件は内密に』とお命じ頂ければ、私は絶対に口外致しません。愛玩奴隷は主人を癒し、尽くすための存在。貴方を陥れる事は決して致しません」
「あくまでも愛玩奴隷……か。相変わらずだな、日和は」
「ふふ、それは褒め言葉として受け取っておきますね。ですので、私に対してお気遣い頂く必要はないのです。私は主人である貴方を癒し、大切に想うためだけに存在しているのですから」
「私を大切に想うための存在……?」
「はい」
その小さなつぶやきの後、水湊様の表情に少し変化があった気がした。戸惑うような、驚くようなその表情は、私が初めて見るものだ。
私はニッコリと笑って、水湊様を柔らかく抱きしめた。二回目の、私からの抱擁。
それは優しい朝の日差しを浴びて、安らかな時間となって私達を包んだ。
寝顔を見せて下さったことといい、ほんの少しだけ私を信頼してくれたのならば嬉しく思う。
「水湊様。お仕事の後の長時間の運転で、お疲れなのでは? 寝ずの番が必要ならば、私が致します。ですから、もう少しだけお眠りになりませんか?」
そこまで言って、私は少しだけ迷って、勇気を出す。こんな時間など、滅多に取れないであろう水湊様。だから……。
「ええと、その。良ければ、わっ、私の膝で……っ」
この機会に、もう少しだけ。
もう少しだけ、水湊様にお近付きになれたら。
そんな気持ちで、私は緊張しながらそう誘ってみた。
いつも朝は薄暗い時間に屋敷を出て行かれ、深夜にお戻りになることもままある水湊様。
仮眠を取っていたとはいえ、睡眠は足りていないはずだ。
水湊様は私の腕の中でクスリとお笑いになった後、私の頭を優しく撫でてから私の膝に心地良さそうに顔を乗せた。
普段見せて下さることのなかった、水湊様の甘えるような仕草……。
ピッタリと密着した耳や首筋から、水湊様の温もりが伝わってくる。艶やかな髪からは、爽やかなコロンが薫った。
鼻をくすぐった、その柑橘系の芳香。
「――っ」
その香りは、どうしても私にあの『初めての夜』のことを思い出させる。
私が水湊様にあの夜の続きをして頂く日は、いつかやってくるのだろうか……。
「――――うん?」
そんな私の不謹慎な期待を読むように、水湊様が私の方を見た。不意に目が合って、私は気恥ずかしく視線をそらす。
「何を考えている?」
「いえ……その」
「ふふ。自分から誘っておきながら、そう恥ずかしそうな顔をされてはたまらないな」
「申し訳ありません……」
「いや、謝る必要はない。今日は無理だが、近いうちに時間を作ろう。短い時間だったが、先程は久しぶりにぐっすり眠れた。日和が隣にいてくれたからか、あるいは……。懐かしい波の音がしたからなのか」
「波の、音?」
「ああ。外に出てみるといい」
起き上がった水湊様にそう告げられて、私は車のドアを開けた。
ドアの隙間から流れ込む、独特の香り。
それがいわゆる『潮の香り』というものであることは、不思議とすぐに分かった。コンクリートの壁の上から見えたのは、白い砂浜とキラキラ光る青い水面だった。
「これが、海……!」
「そうだ。良ければ砂浜を歩いてみるか?」
「はいっ!」
子供のように砂浜へ向かって駆け出しそうになった時、背後からそう声をかけられて、私は少し恥ずかしさを感じつつも大きく頷いた。
まだまだ冷たい冬の海風は潮を含み、私の背中を撫でた。冬の澄んだ空気が朝のささやかな陽射しを僅かに孕むさまは、母を思い出して何となく懐かしい。
――――そうか。
母の背におぶわれて、海に来たあのころ。あれは冬の今頃だったんだ。
物心が着いてから、初めて来たはずの海。なのに無性に懐かしくて。
波打ち際の白い泡は波に運ばれて引いては返し、サラサラと砂を巻き込んで流れていく。
私はその場にしゃがみこんで、その様をしばし見つめていた。
その後ふと思いたって、その海水を指の先に付けて舐めてみる。
「うっ。ケホッ、ケホッ!」
予想以上の塩辛さに驚いて顔をしかめていると、水湊様が背後から来て笑いながらお茶を手渡してくださった。
私が車内から見た時に壁だと思っていたものは、防波堤だったらしい。
そんな防波堤に座って、有難くお茶に口をつける。お茶はまだほのかに温かくて、冷えた体にじんわりとしみた。
「海、連れてきてくださってありがとうございます」
「いや。今回は無理やり日和をここまで付き合わせてしまった。喜んで貰えたならば良かった」
「はい。海ってこんなに広くて、こんなに綺麗な場所なんですね。海面がキラキラ光って、真っ白な砂浜も本当に美しくて。みんなにも見せてあげたいなぁ」
私の今の役目はきっと、夜通しの運転で疲れの色が滲む主人を癒すことだ。私はそう考えて、水湊様に向かって再びニコリと微笑んだ。
「勿論、水湊様が私に『お話しされたい』と思われるのでしたら何でもお聞きしますし、『この件は内密に』とお命じ頂ければ、私は絶対に口外致しません。愛玩奴隷は主人を癒し、尽くすための存在。貴方を陥れる事は決して致しません」
「あくまでも愛玩奴隷……か。相変わらずだな、日和は」
「ふふ、それは褒め言葉として受け取っておきますね。ですので、私に対してお気遣い頂く必要はないのです。私は主人である貴方を癒し、大切に想うためだけに存在しているのですから」
「私を大切に想うための存在……?」
「はい」
その小さなつぶやきの後、水湊様の表情に少し変化があった気がした。戸惑うような、驚くようなその表情は、私が初めて見るものだ。
私はニッコリと笑って、水湊様を柔らかく抱きしめた。二回目の、私からの抱擁。
それは優しい朝の日差しを浴びて、安らかな時間となって私達を包んだ。
寝顔を見せて下さったことといい、ほんの少しだけ私を信頼してくれたのならば嬉しく思う。
「水湊様。お仕事の後の長時間の運転で、お疲れなのでは? 寝ずの番が必要ならば、私が致します。ですから、もう少しだけお眠りになりませんか?」
そこまで言って、私は少しだけ迷って、勇気を出す。こんな時間など、滅多に取れないであろう水湊様。だから……。
「ええと、その。良ければ、わっ、私の膝で……っ」
この機会に、もう少しだけ。
もう少しだけ、水湊様にお近付きになれたら。
そんな気持ちで、私は緊張しながらそう誘ってみた。
いつも朝は薄暗い時間に屋敷を出て行かれ、深夜にお戻りになることもままある水湊様。
仮眠を取っていたとはいえ、睡眠は足りていないはずだ。
水湊様は私の腕の中でクスリとお笑いになった後、私の頭を優しく撫でてから私の膝に心地良さそうに顔を乗せた。
普段見せて下さることのなかった、水湊様の甘えるような仕草……。
ピッタリと密着した耳や首筋から、水湊様の温もりが伝わってくる。艶やかな髪からは、爽やかなコロンが薫った。
鼻をくすぐった、その柑橘系の芳香。
「――っ」
その香りは、どうしても私にあの『初めての夜』のことを思い出させる。
私が水湊様にあの夜の続きをして頂く日は、いつかやってくるのだろうか……。
「――――うん?」
そんな私の不謹慎な期待を読むように、水湊様が私の方を見た。不意に目が合って、私は気恥ずかしく視線をそらす。
「何を考えている?」
「いえ……その」
「ふふ。自分から誘っておきながら、そう恥ずかしそうな顔をされてはたまらないな」
「申し訳ありません……」
「いや、謝る必要はない。今日は無理だが、近いうちに時間を作ろう。短い時間だったが、先程は久しぶりにぐっすり眠れた。日和が隣にいてくれたからか、あるいは……。懐かしい波の音がしたからなのか」
「波の、音?」
「ああ。外に出てみるといい」
起き上がった水湊様にそう告げられて、私は車のドアを開けた。
ドアの隙間から流れ込む、独特の香り。
それがいわゆる『潮の香り』というものであることは、不思議とすぐに分かった。コンクリートの壁の上から見えたのは、白い砂浜とキラキラ光る青い水面だった。
「これが、海……!」
「そうだ。良ければ砂浜を歩いてみるか?」
「はいっ!」
子供のように砂浜へ向かって駆け出しそうになった時、背後からそう声をかけられて、私は少し恥ずかしさを感じつつも大きく頷いた。
まだまだ冷たい冬の海風は潮を含み、私の背中を撫でた。冬の澄んだ空気が朝のささやかな陽射しを僅かに孕むさまは、母を思い出して何となく懐かしい。
――――そうか。
母の背におぶわれて、海に来たあのころ。あれは冬の今頃だったんだ。
物心が着いてから、初めて来たはずの海。なのに無性に懐かしくて。
波打ち際の白い泡は波に運ばれて引いては返し、サラサラと砂を巻き込んで流れていく。
私はその場にしゃがみこんで、その様をしばし見つめていた。
その後ふと思いたって、その海水を指の先に付けて舐めてみる。
「うっ。ケホッ、ケホッ!」
予想以上の塩辛さに驚いて顔をしかめていると、水湊様が背後から来て笑いながらお茶を手渡してくださった。
私が車内から見た時に壁だと思っていたものは、防波堤だったらしい。
そんな防波堤に座って、有難くお茶に口をつける。お茶はまだほのかに温かくて、冷えた体にじんわりとしみた。
「海、連れてきてくださってありがとうございます」
「いや。今回は無理やり日和をここまで付き合わせてしまった。喜んで貰えたならば良かった」
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