【完】死にたがりの少年は、拾われて初めて愛される幸せを知る。

唯月漣

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第一章 常春と真冬編

10)幸せになりたい。

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 死にたい……死にたい……死にたい…………。


 ゆっくりと、意識が浮上する。
 とても長い、夢を見ていた気がする。ゆっくりと開いた俺の瞳に映ったのは病院の真っ白な天井で、俺はまる一日以上眠っていたようだった。


「……!!? 真冬っ!」


 そう言って駆け寄ってきてくれたのは雪平で、俺の傍らで俺の手に縋りながらポロポロと泣いていた。雪平の長い黒髪が、サラサラと俺の顔の上に落ちる。

 ああ、クールな雪平の涙を見るのは、初めてだな……。

 他人事のようにそう思いながら、俺はゆっくりと体を起こそうと身をよじる。だが、その瞬間全身に激痛が走って、俺はうめき声を上げながらベッドに倒れ戻った。


「まだ起きちゃ駄目。今、看護師さんを呼んだから……」


 雪平の手にはいつの間にかナースコールが握られていて、その後俺の周りはにわかに慌ただしくなった。

 警察関係者に話を聞かれ、ニ晩程その病院に泊まった。
 俺は薬のせいかとにかく眠くて、入院中のほとんどの時間を眠って過ごしていた。
 雪平は毎日のように病室に顔を出して、俺の世話を焼いてくれた。


「ごめん……あの日、僕がもう少し残っていたら……。変な男に狙われてたの、知ってたのに……」


 雪平は美しい顔を歪めて、悔しそうに俺に何度もそう謝った。
 雪平に非なんて、ある訳がない。
 あの夜常春の迎えを待たずに一人で夜の街に出たのは、間違いなく俺なのだ。俺はゆっくりと首を横に振る。


「雪平か謝る必要なんてない。それより雪平、頼みたいことがある」


 あの日グチャグチャに壊されてしまった俺のスマートフォンは、警察によって押収されてしまっていた。
 あの日、気まずい別れ方をしたままの常春とは、もう一週間ほど会っていない。

 俺は雪平に『ラーメンはる』の場所を伝えると、伝言を頼む。コクリと頷いた雪平は、すぐに病室を出てくれた。

 その日の午後病室に現れた常春は少しやつれ、見た事のないほど腫れ上がったまぶたをしていた。
 常春の顔を見た瞬間、ようやく俺は麻痺していた感情が浮上するように蘇る。
 枯渇して濁った湖の底から、再び澄んだ水が湧き上がるように、俺はボロボロと涙を流して常春にすがりついた。


「ううう…………った、……怖かった……、怖かった……!! 常春っ……怖かったよぉぉ……!」
「真冬っ……心配した……。すまん、本当に、すまないっ……!」


 すがりついた俺を、常春は痛いぐらい抱きしめ返してくれる。俺の鼻腔を、常春のあのお日様の匂いが満たす。常春の温かい体温は、俺の空っぽの心までを満たすかのようだった。

 
 俺……生きてる。
 今俺は、生きている。


 そう、俺は助かったのだ。
 そして、常春の腕の中で生きている。
 そんな感情を、俺はもう何年も感じていなかったような気がした。

 常春の腕の中で、俺は子供のように何時間も泣きじゃくった。常春も嗚咽を漏らして泣いていた。

 ああ。 

 もう怖いのも、苦しいのも、痛いのも、辛いのも、嫌だ。


「幸せに……、なり、たい……。幸せに……、なりたいよぉ……!!」


 人生で、初めてそう思った。


「うん。真冬は絶対に幸せにならなきゃ駄目だ。絶対に……生きて、幸せに……」



 その日、俺は初めて常春の唇にキスをした。

 俺はとっくに常春を好きになっていたのだと、ようやく気付く。

 互いに泣き晴らした赤い目で、きつく抱きしめ合う。


「常春が……好きだ」


 俺はそう言って、何度も何度も常春に口づけを繰り返した。

 常春は泣きながら何度も口づける俺を、黙って受け入れてくれていた。






◇◆◇◆◇◆






 数日後。


 連日の事情聴取を終え、ようやく退院した俺は、常春と共に懐かしい『ラーメンはる』に戻った。
 店の前には『本日貸切』という、初めて見る看板がぶら下がっていた。

 不思議に思いながら扉を開けると、そこには雪平と夏目の姿もあって、カウンターには食べ切れないほどの料理が並んでいた。


「えっ……!?」


 困惑する俺に、厨房から夏目が声をかけてきた。


「今からパーッと退院祝いをするっスよー! 真冬がいないと、ハルさんが使い物にならなくて、大変だったっス。おかえりなさい、真冬!」
 

 そう言って、夏目が俺に笑いかける。


「真冬、退院おめでとう」


 雪平はそう言って、俺に小さなブーケをくれた。


「あ……ありがとう……」


 俺はうっかり弛みそうな涙腺を叱咤しながら、懐かしい店の温かな空気に、ふわふわとくすぐったいような気分になった。


「さ、冷める前に食べるっすよー」
 

 夏目は俺の潤んだ目元に気付かなかったようなフリをして、手際よくグラスや皿を配り、料理を取り分け始めた。
 雪平は涙が零れないように天井を仰いだ俺の頭をポンポンと撫でてくれ、ハンカチを手渡しながら俺に真ん中の席に座るよう勧めてくれる。

 席についてみれば、常春の定番中華料理は勿論、夏目が作ったという謎の創作料理や、雪平がバーでよく作っている、オシャレなナッツやチーズの盛り合わせ、カットされたフルーツやケーキなんかが、机の上に色とりどりに並んでいた。


「美味しい……!」



 長らく病院食だった俺は、久しぶりに食べる手料理の数々を、心行くまで堪能した。『ラーメンはる』で食べるものは、いつだってお腹だけでなく、心までをも満たしてくれる。


 "人間はさ、美味いもん食ってる時だけは、間違いなく幸せなんだ"


 いつかの常春の言葉が、俺の脳裏に蘇る。

 違うよ、常春……。美味しいからだけじゃない。きっとそれは……………。






「真冬っ、真冬っ」


 夏目に揺り動かされて目を開ければ、俺はいつの間にかカウンターに伏して居眠りをしていたようだ。


「真冬、俺達はそろそろ帰るっス!」


 厚手のスタジャンを羽織りながらそう言った夏目の側には雪平がいて、ピーコートのボタンを留めながら俺に向かって微笑んでいる。
 

「真冬、バーの仕事の方は心配しなくていいから、出てこれるようになったら連絡して? じゃあまたね」
「あ……二人とも、今日はありがとう!」


 慌てて立ち上がって、俺は二人を見送りに店の出入り口まで歩く。
 店の引き戸を開けた瞬間、冬の乾燥した冷たい木枯らしが暖かい店内へ入り込んで、壁に貼られたメニュー表をブワリと吹き上げた。

 俺はネオンの灯り始めた夕方の繁華街へ消えていく二人が見えなくなるまで見送ると、暖かな店内に戻る。
 すると店内で洗い物をしていた常春が、ペーパータオルで手を拭きながら、カウンターキッチンから出てくるところだった。


「常春も……今日はありがと。今日だけじゃ、ないけど……」


 そう言いながら、俺はゆっくりと常春に歩み寄り、常春の胸に顔を埋めるように抱きついた。
 カサリ、と俺の足元にくしゃくしゃのペーパータオルが落ちて、そのまま常春の両腕が俺の背中に回されるのを感じる。

 胸から顔を離して、俺は常春の唇にキスを落とそうと、少しだけ背伸びをして顔を近づけた。
 しかしそれを遮るように、常春は真剣な顔で言った。


「……なぁ、真冬。話したい事があるんだ。それと、付き合ってほしい場所も。来てくれるか?」
「え……?」
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