44 / 57
4章 呪詛、虚ろ花(前)
2.櫻春宮の黒百合(3)
しおりを挟む目が覚めると薄暗かった。手燭の火も消えている。月明かりが差し込んでいなければ部屋は真っ暗だっただろう。
あの後は冬花宮に着く前に眠りに落ちてしまった。秀礼がいつ帰ったのかもわからない。
部屋を出れば宮女たちがいるのだろうが、まだ起き上がる気にはなれなかった。このままもう一度眠れそうである。
しかし、出来なかった。眠気で朦朧としていた頭は部屋に満ちる香りで冴えていく。
(血のにおい――鬼霊)
鬼霊が、部屋にいる。血のにおいの濃さからしてすぐ近くだろう。
同時に血のにおいだけではない別の香がした。花の香りだ。
紅妍は身を起こして部屋を見渡す。それと同時に、この香りが何の花だったかを思い出そうとした。
(いた。鬼霊だ)
それは女人の鬼霊だった。だが瓊花の鬼霊ではない。顔もきちんと見えている。こちらをぼんやりと眺めている。紅妍から少し離れたところにいたがこちらに寄ってくる様子も、敵意も感じられなかった。
鬼霊は見事な襦裙を着ていた。しかし胸に大きな百合が咲いている。その百合は淀んだ黒色をしていた。
(また、黒百合か)
どうも黒花と縁がある日だ。几には花が飾ってあるのでもしもの時はその花を手に取ればいい。室内で鬼霊と遭遇した時のことを考えて、常に花を飾るようにしていた。
鬼霊は襲いかかる気がなく、むしろ何かを伝えようとしているようだった。口をぱくぱくと動かしているのだが何も聞こえてこない。声はとうに失われているのだろう。
「……わたしに、伝えたいことがある?」
落ち着いた声で、問う。
鬼霊は答えなかった。唇を動かそうとし、けれど諦めたように目を伏せる。この鬼霊は自我を保っているようだ。だからこそ紅妍の声を聞き、何かを伝えようとしているのだろう。
そして、鬼霊は膝を曲げた。その場に、何かを置いたのである。それを置き終えた後、するすると煙があがる。その煙は鬼霊の足先から生じ、あっという間に全身を包んでいく。
「待って。消えないで」
声をかけるも間に合わず、鬼霊は煙となって消えていった。
紅妍は立ち上がり、鬼霊がいたところに寄る。そこに置いてあったのは白百合だった。
そこで気づく。血のにおいは消えている。けれど、花の残り香はまだ残っている。この花の名がいまになってわかったのだ。
この香りは百合だ。そして、帝の寝所に通う鬼霊も百合の香りを纏っていると、琳琳が話していたことを思い出す。
ふたつが繋がり、答えが出る。
(いまのが光乾殿の鬼霊?)
光乾殿の鬼霊だとするなら、なぜ冬花宮に現れたのだろう。そして、ここに残された白百合。
紅妍はそれを手に取る。いま摘んできたばかりのようにみずみずしい。
(わたしに、花詠みをしろと伝えたかったのかもしれない)
声を持たぬ鬼霊と、詠みたがる花。それらの声を拾うために、手中の百合に意識を傾ける。昼間の疲労は消えていた。
花に意識を溶かす。同一になる。自らの身は細く縮め、花と混ざり合う。そして探るのだ。この花、鬼霊が伝えたいことを。
(あなたが視てきたものを、教えてほしい)
白百合は、詠みあげる。眼前にその景色が広がった。
庭、である。塀に囲まれていることからどこかの宮だろう。渡り廊下の柱は森よりも深く濃い緑色に塗られていた。
渡り廊下を歩いてくる者は柱と等しく森のような蒼緑の襦裙と衫を着ていた。結い上げた髪には立派な簪が数本、金色の歩揺が揺れていた。後ろ姿しかわからないので顔までは見えない。しかし身なりのよさから宮女ではない。妃だろう。
その後ろには黒布を被った者がいた。恰幅のよさから男だと思われる。二人は渡り廊下の階を下りて庭に出る。
『では、良いのですね』
男が問う。ここから見える位置に咲いた百合を手に取っている。
『これが返ってしまうこともございます。その場合は何かを失うことになるかと』
『命までは取られないのであろう』
『それは、何とか』
『ならば構わん。やれ』
男は百合を一輪、摘み取る。懐から取り出した木箱にそれを収めた。
黒布を被っているということは、この男は姿を隠す必要があるのだろう。忌み色である黒を好むのは限られている。
(呪術師だ)
これは呪詛をかける瞬間の記憶だろう。問題は呪術師にそれを依頼した妃が誰であるか、そして呪いの矛先がどこにあるかだ。
景色が揺らぐ。花の詠み終える頃が近づいている。ここに鬼霊が花を渡してまで伝えたかったことがあるに違いない。
(探さなきゃ。この場所を)
少しずつ暗くなっていく。まもなく花詠みは終わった。
0
あなたにおすすめの小説
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領
たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26)
ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。
そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。
そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。
だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。
仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!?
そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく……
※お待たせしました。
※他サイト様にも掲載中
辺境伯の溺愛が重すぎます~追放された薬師見習いは、領主様に囲われています~
深山きらら
恋愛
王都の薬師ギルドで見習いとして働いていたアディは、先輩の陰謀により濡れ衣を着せられ追放される。絶望の中、辺境の森で魔獣に襲われた彼女を救ったのは、「氷の辺境伯」と呼ばれるルーファスだった。彼女の才能を見抜いたルーファスは、アディを専属薬師として雇用する。
公爵家の秘密の愛娘
ゆきむらさり
恋愛
〔あらすじ〕📝グラント公爵家は王家に仕える名門の家柄。
過去の事情により、今だに独身の当主ダリウス。国王から懇願され、ようやく伯爵未亡人との婚姻を決める。
そんな時、グラント公爵ダリウスの元へと現れたのは1人の少女アンジェラ。
「パパ……私はあなたの娘です」
名乗り出るアンジェラ。
◇
アンジェラが現れたことにより、グラント公爵家は一変。伯爵未亡人との再婚もあやふや。しかも、アンジェラが道中に出逢った人物はまさかの王族。
この時からアンジェラの世界も一変。華やかに色付き出す。
初めはよそよそしいグラント公爵ダリウス(パパ)だが、次第に娘アンジェラを気に掛けるように……。
母娘2代のハッピーライフ&淑女達と貴公子達の恋模様💞
🔶設定などは独自の世界観でご都合主義となります。ハピエン💞
🔶稚拙ながらもHOTランキング(最高20位)に入れて頂き(2025.5.9)、ありがとうございます🙇♀️
枯れ専令嬢、喜び勇んで老紳士に後妻として嫁いだら、待っていたのは二十歳の青年でした。なんでだ~⁉
狭山ひびき
恋愛
ある日、イアナ・アントネッラは父親に言われた。
「来月、フェルナンド・ステファーニ公爵に嫁いでもらう」と。
フェルナンド・ステファーニ公爵は御年六十二歳。息子が一人いるが三十年ほど前に妻を亡くしてからは独り身だ。
対してイアナは二十歳。さすがに年齢が離れすぎているが、父はもっともらしい顔で続けた。
「ジョルジアナが慰謝料を請求された。ステファーニ公爵に嫁げば支度金としてまとまった金が入る。これは当主である私の決定だ」
聞けば、妹のジョルジアナは既婚者と不倫して相手の妻から巨額の慰謝料を請求されたらしい。
「お前のような年頃の娘らしくない人間にはちょうどいい縁談だろう。向こうはどうやらステファーニ公爵の介護要員が欲しいようだからな。お前にはぴったりだ」
そう言って父はステファーニ公爵の肖像画を差し出した。この縁談は公爵自身ではなく息子が持ちかけてきたものらしい。
イオナはその肖像画を見た瞬間、ぴしゃーんと雷に打たれたような衝撃を受けた。
ロマンスグレーの老紳士。なんて素敵なのかしら‼
そう、前世で六十歳まで生きたイオナにとって、若い男は眼中にない。イオナは枯れ専なのだ!
イオナは傷つくと思っていた両親たちの思惑とは裏腹に、喜び勇んでステファーニ公爵家に向かった。
しかし……。
「え? ロマンスグレーの紳士はどこ⁉」
そこでイオナを待ち受けていたのは、どこからどう見ても二十歳くらいにしか見えない年若い紳士だったのだ。
【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。
猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で――
私の願いは一瞬にして踏みにじられました。
母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、
婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。
「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」
まさか――あの優しい彼が?
そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。
子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。
でも、私には、味方など誰もいませんでした。
ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。
白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。
「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」
やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。
それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、
冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。
没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。
これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。
※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ
※わんこが繋ぐ恋物語です
※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
押しつけられた身代わり婚のはずが、最上級の溺愛生活が待っていました
cheeery
恋愛
名家・御堂家の次女・澪は、一卵性双生の双子の姉・零と常に比較され、冷遇されて育った。社交界で華やかに振る舞う姉とは対照的に、澪は人前に出されることもなく、ひっそりと生きてきた。
そんなある日、姉の零のもとに日本有数の財閥・凰条一真との縁談が舞い込む。しかし凰条一真の悪いウワサを聞きつけた零は、「ブサイクとの結婚なんて嫌」と当日に逃亡。
双子の妹、澪に縁談を押し付ける。
両親はこんな機会を逃すわけにはいかないと、顔が同じ澪に姉の代わりになるよう言って送り出す。
「はじめまして」
そうして出会った凰条一真は、冷徹で金に汚いという噂とは異なり、端正な顔立ちで品位のある落ち着いた物腰の男性だった。
なんてカッコイイ人なの……。
戸惑いながらも、澪は姉の零として振る舞うが……澪は一真を好きになってしまって──。
「澪、キミを探していたんだ」
「キミ以外はいらない」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる