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#1:入学前夜~出会い
#1-1.最近、またよく眠れるようになりました
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「はあ……」
マリナは聳え立つ瀟洒な門の前で、向こうに見えるまるで城のように聳え立つ白亜の校舎を見上げた。
(遂にこの日が来てしまったわ……)
中海に浮かぶ小さな島国フォルクローレ公国に建つ全寮制のアカデミー。
東西南北を、それぞれ、ダセイア、ルラック、ヴュステ、そしてマリナが住む大国ウルバーンに囲まれた、その名も『ロープレ学院』。
四方を囲む各国から貴族・平民の如何を問わず、「試験」という狭き門を突破した優秀な者のみが入学を許される特別校。
この学院の卒業生と言うだけで、貴族階級の者ならば箔が付く上、各国の伯爵家以上の上級家門ともお近づきになる可能性もあり、平民出身にとっては近隣諸国のあらゆるギルド、商会、研究所からは引く手数多、国内外の要職に就け財界人からの覚えもめでたい、なんとも桁違いの薔薇色人生を歩むことができるという、まあ「行けるなら何としても行け!」的な夢のようなアカデミー。
マリナは今日からこのアカデミーに通うことになっていた。
……決して自分で望んだことではないけれど。
「はあああ……」
もう一度、盛大な溜息を吐く。
なんで面接だけで受かっちゃうかなあ?……と、決まってしまったことは仕方ない。
「姉さん?」
「……なんでもないわ」
やる気のない溜息ばかり吐く自分とは真逆に、意気揚々と晴れやかな笑顔を向ける弟を見てマリナは苦笑する。
少しだけ自分より背が高くなったけれど、人懐っこい笑顔は幼い頃のままだ。
マリナは昔からこの顔に弱い。
「行こう」
「……そうね」
先に歩く弟の後ろ姿を見送りながら、強く願う。
(どうか無事に卒業できますように)
1ミリも信じちゃいない神様なんてものに縋りたくなるほどの心境で、白い監獄にも見える校舎へ向かってマリナは一歩踏み出した。
◀ ◀ ◀ ◀
「年が明けたらマルセルと一緒にフォルクローレの『ロープレ学院』へ行ってくれないか」
新年になるまであと一月というところ。
そろそろ年明けに向けての準備が始まり慌ただしくなってきたある日の夜、マリナは父の書斎へ呼び出された。
数えるほどしか行ったことはないが、王都には此処程ではなくても立派な屋敷はあるし、なんなら王宮の中にも部屋を与えられているとは聞いているけれど、マリナの知っている限り、父の執務はほぼこの書斎で行なっている。なぜなら王都嫌いという理由で。
それは数年前に祖父から父へと代替わりとなる前から、我が家では恐らく代々そういうものなのだろうと思っている。他所は知らないけれど。
そもそも、国政を好き嫌いで仕事していいものなのか。
家業はどうあれ、オージェ家は外相──自国ウルバーン国と諸国との国交を司る──を務める為、王都にいるより外遊の方が多いから、と言うのが大義名分らしい。
それもこれも我が家がウルバーンに2つしかない公爵家の一つだから融通も効くのかもしれない。……知らないけれど。
呼び出されて来たものの、執務机に堆く積まれた書類に忙殺されている父が時間を割けるのにはもう少しかかるとの事で、執事に促されてソファに腰掛けて待つことになった。
座ると同時に供される香茶は、何も言わなくてもマリナの好きなフルーティーなお茶だ。
さすが我が家の執事長は仕事ができるなと思いつつ待つこと暫し。
何かの天啓を受けたかのように書きかけの書類を放って、父は冒頭の言葉を告げた。
マルセルとはマリナの双子の弟で……実際は、10年程前、馬車に依る事故で亡くなった父の妹夫婦の息子──要するに父の甥でありマリナの従弟──だ。
一人息子で嫡男ではあっても当時まだ6歳で家督を継ぐには幼すぎた上、事故のショックでそれまでの記憶を失って不安定な状態であった為、家は残っていた向こうの弟が継ぎ、マルセルは同い年のマリナがいる公爵家に引き取られることになった。
運良くというか悪くというか記憶をなくしていたマルセルは、元より慕っていたマリナを実姉とし二人は双子の姉弟として育つことになった。
マリナにとっては、仲良く遊んでいた従弟がある日弟になったところで何ら変わりはなく、現在に至るまでマルセルが可愛い弟であることは世界の常識だ。
そのマルセルが、年が明けて16歳になったらアカデミーへ通うという。
道理で、例年より年末に向けての業者の出入りが早いなと思っていた。
あれって、マルセルのアカデミーへの支度用だったのね、とマリナは一人納得する。
今までは、よくある「貴族の家」の通例に倣い、幼い頃より家庭教師が付き一通りの教えを受けてきた。
およそアカデミーなど通わずとも、何処へ出ても恥ずかしくないほどの知識も教養も、みっちりと教え込まれたし体得してきた。そこに男女の差別はない。
加えて、マリナに至っては「折角ですから何処の王族レベルに嫁いでも恥ずかしくない最高レベルに鍛えてさしあげます」と教師に言われ、淑女教育も完璧に叩き込まれた。
こんな社交界デビューもしてないような領地引きこもりのマリナに、教師たちも何を教え込んでるんだか、それこそ時間の無駄……とは言え、まあ教えられたら覚えるけどね、と生来の負けず嫌いが顔を出した結果、教師たちのお墨付きをいただけたのは当然の結果だ。
こうして教師たちが無駄に張り切ったおかげでアカデミーに通う必要性など全く無いというのに、マルセルだけでなく、マリナまでもがアカデミーへの入学なんて……。
「マルセルが王宮付きの騎士になりたいと言いだしよってな、それには何れかのアカデミーの卒業が必須条件なのだが」
「はあ……」
王宮付きの騎士?
それって……。
「……お父様、マルセルは知ったのですか?」
「うん、まあ……どうだろう。やはり『血』なのかねえ」
ウルバーンの王宮騎士に属する者たちは、王族の警護をする第一師団、他国からの侵略や魔物の討伐等有事の際に出る第二師団、辺境の警備につく第三師団、王都の警備を司る第四師団があり、元々のマルセルの実家は代々第二師団長を継ぐ家門だった。
母親がオージェ家の出だとしても、向こうの血が色濃く出たのかもしれない。
我が家では第二師団に属するなどあり得ないことだけれど、マルセルがそう望むなら……と父も許したのか。
ただ、オージェ家としてはどうなのだろう。
「……って、マルセルはウチの家業のこと知ってるのですか?」
「うん、まあ、そうだね。それが問題なのだよ」
表の外相としての顔と裏の顔。
残念ながら、オージェの血を継いでいてもやはり直系ではないマルセルには発現しなかったオージェ家の特殊能力。
だから、マルセルは「一般的でない教育」は受けていないし、家業についても知らない……はず。
もしや、それに気付いて『外』に出ようとしてるんじゃ?
もし、マルセルが元の家門に戻りたいと望んで、いずれ『外』へと出て行きたいと言ったら……。
「マリナは、可愛い弟がウチから出て行く事も、王宮側の人と懇意になる事も望まないだろう?」
「それは……当然ではないですか」
「だからさ、お前もマルセルと一緒に行ってくれないか」
「…………は?」
なんでわたし?
「大丈夫、マリナの能力は先代のお墨付きだ」
オージェ家最強と言われる祖父のお墨付きを頂いたのは嬉しいけれど……。
早々に能力が発現したマリナは、成人すれば家督を継ごうが継ぐまいが、オージェ家の一員として家業に専念することを、理解していたし納得していた。
元より、そういう教育を受けてきた。
オージェ家に伝わる特殊な能力。
さらに、祖父に次ぎマリナにだけ発現した他人には絶対秘密のシルシ……。
家督相続の最優先事項となるほどの秘匿事項。
多かれ少なかれ、歴史のある貴族ならば外に出せない秘密は持っているだろうが、オージェ家の秘密は絶対に外に漏れてはならない。
「ついでにこの家しか知らないマリナも、『外』を知るいい機会だと思うよ」
そう言っていつになく柔らかい笑顔を浮かべた父は、オージェ家現当主ではなく、ただの子供思いの父親の顔をしていた。
(『外』か……)
幼かった頃、滅多に行かない王都で黒い魔のモノに遭遇したり、出歩く度他人からの視線をやたら感じたりで酷く恐ろしかった記憶があり、すっかり領地から出られなくなってしまった。
家族も屋敷の皆もそんなマリナを無理に外に出そうとはしなかったから、すっかり引きこもりの箱入り娘と成り果てた。
まぁね。
侍女たちに借りて読んだ少女小説に出てくるような、可愛いものや綺麗なものに囲まれて、お友達と甘いお菓子食べたりお茶したり買い物行ったり……なんて女の子らしい事に憧れがないわけでもない。
大きくなって精神が成長するのに合わせ、外から向けられる感覚を遮断する訓練を積み克服することが出来た今となっては、『外』に出ても何も問題はないだろう。
ただ、今まで一人で平気だったし、年の近い侍女たちとお菓子を食べたりお茶をしたり楽しくしているので、今更他に友達が欲しいわけでもない。
いたこともない彼氏とデートとかキャッキャウフフも別に興味ない。
そもそも、こんな地味な黒髪でひょろがりの自分に、そんな華やかな事は似合わないし起こりようもない。
要するに……マリナは人見知りで他人との付き合いが面倒だったのだ。
「わかりました。マルセルと一緒にアカデミーへ行けばいいのですね」
完全に納得したわけではないが、珍しく我儘を言ったマルセルの希望も叶えてあげたい。
『外』にあまりいい印象がないとしてもだ。
「取り敢えず気を付けるべき対象は、宰相のシャルディ公爵家、近衛騎士第一師団長のシュメル侯爵家、魔法塔管理者のジャバリ侯爵家、王宮魔道士のホールデン侯爵家、近衛騎士第三師団長のディクタン辺境伯家……ぐらいか。去年まで第二王子がいたらしいが、マリナ達の入学と入れ替わりで卒業したのは面倒が減って良かった」
「……思ったよりいませんか?」
揃いも揃ってオージェ家に次ぐ家門ばかりだ。
いくら名門アカデミーとはいえ集まり過ぎだろう。
「まあ心配せずとも全員あと一年もすれば卒業となる。一年乗り切ればどうってことは無い」
「なるほど?」
(つまり全員3年生って事か……)
新入生ごときがそうそう上級生と関わることもないだろうと、マリナは安直に考えていた。
一年ぐらい、あっという間に過ぎるだろう。
「言うて、まだ正式に入学が決まったわけではない。試験を受けてもらわねばならん」
「え?それって……家の力でどうにかは?」
「うむ、合格せんとな」
(なぁーーーーー!!!そこは裏口とか賄賂とか公爵家っぽい所みせてよー!)
マリナは口元を引きつらせながら、心の中で頭を抱え盛大に毒吐いた。
・‥…‥・◇・‥…‥・◇・‥…‥・
一先ず、父からの話は終わったので書斎を出て部屋へ戻ることにする。
(そういえば、最近のマルセルは引きこもって勉強ばかりしてるってゲネルが言ってたっけ)
ゲネルとは、オージェ家に代々務める家令ボーグ子爵家の次男で、自分たちの幼馴染だ。
ん?ゲネルも最近までアカデミーへ行ってたのではなかったか?
「そうだね」
「!!!……びっくりした」
後ろから足音も立てずに近づいてきたゲネルに声をかけられて驚く。
ゲネルがそうなのか、執事たちがそうなのか、恐ろしいほどの洞察力を発揮する彼らに隠し事は出来ない。
「『読ん』でないよ、お嬢はわかり易すぎ。旦那様にアカデミーのこと言われたんでしょ」
「もしかしてマルセル唆したのってゲネル?」
「まさか」
「…………」
「本当だって、坊っちゃんが自分で言いだしたことだから」
ゲネルがマルセルに何か言ったから、マルセルは王宮騎士に興味を持ってアカデミーへ通うことになったのでは?と思っていた当てが外れたか。
「やっと帰ってきたってのに、ホント面倒だよ……」
顔を逸らしてゲネルが何やら呟く。
「なにか言った?」
「……何も?」
片手を顎に当てて小首を傾げ、弓形に目を細め緩く微笑むゲネル。
うーん、この顔をしたゲネルには何言ったって無駄だ。
見慣れた顔なのに、アカデミーから戻ってきた彼は殊更本心を隠すのが上手になったような気がする。
「まあいいわ。それより、試験って何か勉強したほうがいいのかな」
「しなくていいんじゃない、旦那様にも言われてないでしょ」
「まあ、うん。でも……」
近隣諸国の中でも超難関と言われるアカデミーの試験をパスするのに、果たして無勉強でいいのだろうか?
積極的に合格したいわけではないが、「試験」と名の付くものに落ちるのはイヤだ。
今まで学んだことで事足りるんだろうか。
生来の負けず嫌いが顔を出す。
「お嬢ならそのままで大丈夫だよ」
「そうかなあ」
何を以て大丈夫なのかはわからないけれど、ゲネルが大丈夫だと言うのなら大丈夫なのだろう。
この幼馴染が、適当なことを言ったり嘘をついたりしない事はよく知っている。
「もう遅いし、明日考えたら?」
「そうね、そうするわ。おやすみ、ゲネル」
「おやすみ、マリナ」
ゲネルは、いつもはわたしの事「お嬢」と呼ぶのに、意図してなのかどうか時々こうやって愛称で呼ぶ。
そう言われて頭を撫でられると急に眠気がやってきた。
込み上げる欠伸を噛み殺し、ゲネルとの立ち話を終えて部屋へと向かう。
「安心して、ね。マリナ」
暫くして小さく呟かれた言葉は、残念ながらマリナに届くことはなかった。
マリナは聳え立つ瀟洒な門の前で、向こうに見えるまるで城のように聳え立つ白亜の校舎を見上げた。
(遂にこの日が来てしまったわ……)
中海に浮かぶ小さな島国フォルクローレ公国に建つ全寮制のアカデミー。
東西南北を、それぞれ、ダセイア、ルラック、ヴュステ、そしてマリナが住む大国ウルバーンに囲まれた、その名も『ロープレ学院』。
四方を囲む各国から貴族・平民の如何を問わず、「試験」という狭き門を突破した優秀な者のみが入学を許される特別校。
この学院の卒業生と言うだけで、貴族階級の者ならば箔が付く上、各国の伯爵家以上の上級家門ともお近づきになる可能性もあり、平民出身にとっては近隣諸国のあらゆるギルド、商会、研究所からは引く手数多、国内外の要職に就け財界人からの覚えもめでたい、なんとも桁違いの薔薇色人生を歩むことができるという、まあ「行けるなら何としても行け!」的な夢のようなアカデミー。
マリナは今日からこのアカデミーに通うことになっていた。
……決して自分で望んだことではないけれど。
「はあああ……」
もう一度、盛大な溜息を吐く。
なんで面接だけで受かっちゃうかなあ?……と、決まってしまったことは仕方ない。
「姉さん?」
「……なんでもないわ」
やる気のない溜息ばかり吐く自分とは真逆に、意気揚々と晴れやかな笑顔を向ける弟を見てマリナは苦笑する。
少しだけ自分より背が高くなったけれど、人懐っこい笑顔は幼い頃のままだ。
マリナは昔からこの顔に弱い。
「行こう」
「……そうね」
先に歩く弟の後ろ姿を見送りながら、強く願う。
(どうか無事に卒業できますように)
1ミリも信じちゃいない神様なんてものに縋りたくなるほどの心境で、白い監獄にも見える校舎へ向かってマリナは一歩踏み出した。
◀ ◀ ◀ ◀
「年が明けたらマルセルと一緒にフォルクローレの『ロープレ学院』へ行ってくれないか」
新年になるまであと一月というところ。
そろそろ年明けに向けての準備が始まり慌ただしくなってきたある日の夜、マリナは父の書斎へ呼び出された。
数えるほどしか行ったことはないが、王都には此処程ではなくても立派な屋敷はあるし、なんなら王宮の中にも部屋を与えられているとは聞いているけれど、マリナの知っている限り、父の執務はほぼこの書斎で行なっている。なぜなら王都嫌いという理由で。
それは数年前に祖父から父へと代替わりとなる前から、我が家では恐らく代々そういうものなのだろうと思っている。他所は知らないけれど。
そもそも、国政を好き嫌いで仕事していいものなのか。
家業はどうあれ、オージェ家は外相──自国ウルバーン国と諸国との国交を司る──を務める為、王都にいるより外遊の方が多いから、と言うのが大義名分らしい。
それもこれも我が家がウルバーンに2つしかない公爵家の一つだから融通も効くのかもしれない。……知らないけれど。
呼び出されて来たものの、執務机に堆く積まれた書類に忙殺されている父が時間を割けるのにはもう少しかかるとの事で、執事に促されてソファに腰掛けて待つことになった。
座ると同時に供される香茶は、何も言わなくてもマリナの好きなフルーティーなお茶だ。
さすが我が家の執事長は仕事ができるなと思いつつ待つこと暫し。
何かの天啓を受けたかのように書きかけの書類を放って、父は冒頭の言葉を告げた。
マルセルとはマリナの双子の弟で……実際は、10年程前、馬車に依る事故で亡くなった父の妹夫婦の息子──要するに父の甥でありマリナの従弟──だ。
一人息子で嫡男ではあっても当時まだ6歳で家督を継ぐには幼すぎた上、事故のショックでそれまでの記憶を失って不安定な状態であった為、家は残っていた向こうの弟が継ぎ、マルセルは同い年のマリナがいる公爵家に引き取られることになった。
運良くというか悪くというか記憶をなくしていたマルセルは、元より慕っていたマリナを実姉とし二人は双子の姉弟として育つことになった。
マリナにとっては、仲良く遊んでいた従弟がある日弟になったところで何ら変わりはなく、現在に至るまでマルセルが可愛い弟であることは世界の常識だ。
そのマルセルが、年が明けて16歳になったらアカデミーへ通うという。
道理で、例年より年末に向けての業者の出入りが早いなと思っていた。
あれって、マルセルのアカデミーへの支度用だったのね、とマリナは一人納得する。
今までは、よくある「貴族の家」の通例に倣い、幼い頃より家庭教師が付き一通りの教えを受けてきた。
およそアカデミーなど通わずとも、何処へ出ても恥ずかしくないほどの知識も教養も、みっちりと教え込まれたし体得してきた。そこに男女の差別はない。
加えて、マリナに至っては「折角ですから何処の王族レベルに嫁いでも恥ずかしくない最高レベルに鍛えてさしあげます」と教師に言われ、淑女教育も完璧に叩き込まれた。
こんな社交界デビューもしてないような領地引きこもりのマリナに、教師たちも何を教え込んでるんだか、それこそ時間の無駄……とは言え、まあ教えられたら覚えるけどね、と生来の負けず嫌いが顔を出した結果、教師たちのお墨付きをいただけたのは当然の結果だ。
こうして教師たちが無駄に張り切ったおかげでアカデミーに通う必要性など全く無いというのに、マルセルだけでなく、マリナまでもがアカデミーへの入学なんて……。
「マルセルが王宮付きの騎士になりたいと言いだしよってな、それには何れかのアカデミーの卒業が必須条件なのだが」
「はあ……」
王宮付きの騎士?
それって……。
「……お父様、マルセルは知ったのですか?」
「うん、まあ……どうだろう。やはり『血』なのかねえ」
ウルバーンの王宮騎士に属する者たちは、王族の警護をする第一師団、他国からの侵略や魔物の討伐等有事の際に出る第二師団、辺境の警備につく第三師団、王都の警備を司る第四師団があり、元々のマルセルの実家は代々第二師団長を継ぐ家門だった。
母親がオージェ家の出だとしても、向こうの血が色濃く出たのかもしれない。
我が家では第二師団に属するなどあり得ないことだけれど、マルセルがそう望むなら……と父も許したのか。
ただ、オージェ家としてはどうなのだろう。
「……って、マルセルはウチの家業のこと知ってるのですか?」
「うん、まあ、そうだね。それが問題なのだよ」
表の外相としての顔と裏の顔。
残念ながら、オージェの血を継いでいてもやはり直系ではないマルセルには発現しなかったオージェ家の特殊能力。
だから、マルセルは「一般的でない教育」は受けていないし、家業についても知らない……はず。
もしや、それに気付いて『外』に出ようとしてるんじゃ?
もし、マルセルが元の家門に戻りたいと望んで、いずれ『外』へと出て行きたいと言ったら……。
「マリナは、可愛い弟がウチから出て行く事も、王宮側の人と懇意になる事も望まないだろう?」
「それは……当然ではないですか」
「だからさ、お前もマルセルと一緒に行ってくれないか」
「…………は?」
なんでわたし?
「大丈夫、マリナの能力は先代のお墨付きだ」
オージェ家最強と言われる祖父のお墨付きを頂いたのは嬉しいけれど……。
早々に能力が発現したマリナは、成人すれば家督を継ごうが継ぐまいが、オージェ家の一員として家業に専念することを、理解していたし納得していた。
元より、そういう教育を受けてきた。
オージェ家に伝わる特殊な能力。
さらに、祖父に次ぎマリナにだけ発現した他人には絶対秘密のシルシ……。
家督相続の最優先事項となるほどの秘匿事項。
多かれ少なかれ、歴史のある貴族ならば外に出せない秘密は持っているだろうが、オージェ家の秘密は絶対に外に漏れてはならない。
「ついでにこの家しか知らないマリナも、『外』を知るいい機会だと思うよ」
そう言っていつになく柔らかい笑顔を浮かべた父は、オージェ家現当主ではなく、ただの子供思いの父親の顔をしていた。
(『外』か……)
幼かった頃、滅多に行かない王都で黒い魔のモノに遭遇したり、出歩く度他人からの視線をやたら感じたりで酷く恐ろしかった記憶があり、すっかり領地から出られなくなってしまった。
家族も屋敷の皆もそんなマリナを無理に外に出そうとはしなかったから、すっかり引きこもりの箱入り娘と成り果てた。
まぁね。
侍女たちに借りて読んだ少女小説に出てくるような、可愛いものや綺麗なものに囲まれて、お友達と甘いお菓子食べたりお茶したり買い物行ったり……なんて女の子らしい事に憧れがないわけでもない。
大きくなって精神が成長するのに合わせ、外から向けられる感覚を遮断する訓練を積み克服することが出来た今となっては、『外』に出ても何も問題はないだろう。
ただ、今まで一人で平気だったし、年の近い侍女たちとお菓子を食べたりお茶をしたり楽しくしているので、今更他に友達が欲しいわけでもない。
いたこともない彼氏とデートとかキャッキャウフフも別に興味ない。
そもそも、こんな地味な黒髪でひょろがりの自分に、そんな華やかな事は似合わないし起こりようもない。
要するに……マリナは人見知りで他人との付き合いが面倒だったのだ。
「わかりました。マルセルと一緒にアカデミーへ行けばいいのですね」
完全に納得したわけではないが、珍しく我儘を言ったマルセルの希望も叶えてあげたい。
『外』にあまりいい印象がないとしてもだ。
「取り敢えず気を付けるべき対象は、宰相のシャルディ公爵家、近衛騎士第一師団長のシュメル侯爵家、魔法塔管理者のジャバリ侯爵家、王宮魔道士のホールデン侯爵家、近衛騎士第三師団長のディクタン辺境伯家……ぐらいか。去年まで第二王子がいたらしいが、マリナ達の入学と入れ替わりで卒業したのは面倒が減って良かった」
「……思ったよりいませんか?」
揃いも揃ってオージェ家に次ぐ家門ばかりだ。
いくら名門アカデミーとはいえ集まり過ぎだろう。
「まあ心配せずとも全員あと一年もすれば卒業となる。一年乗り切ればどうってことは無い」
「なるほど?」
(つまり全員3年生って事か……)
新入生ごときがそうそう上級生と関わることもないだろうと、マリナは安直に考えていた。
一年ぐらい、あっという間に過ぎるだろう。
「言うて、まだ正式に入学が決まったわけではない。試験を受けてもらわねばならん」
「え?それって……家の力でどうにかは?」
「うむ、合格せんとな」
(なぁーーーーー!!!そこは裏口とか賄賂とか公爵家っぽい所みせてよー!)
マリナは口元を引きつらせながら、心の中で頭を抱え盛大に毒吐いた。
・‥…‥・◇・‥…‥・◇・‥…‥・
一先ず、父からの話は終わったので書斎を出て部屋へ戻ることにする。
(そういえば、最近のマルセルは引きこもって勉強ばかりしてるってゲネルが言ってたっけ)
ゲネルとは、オージェ家に代々務める家令ボーグ子爵家の次男で、自分たちの幼馴染だ。
ん?ゲネルも最近までアカデミーへ行ってたのではなかったか?
「そうだね」
「!!!……びっくりした」
後ろから足音も立てずに近づいてきたゲネルに声をかけられて驚く。
ゲネルがそうなのか、執事たちがそうなのか、恐ろしいほどの洞察力を発揮する彼らに隠し事は出来ない。
「『読ん』でないよ、お嬢はわかり易すぎ。旦那様にアカデミーのこと言われたんでしょ」
「もしかしてマルセル唆したのってゲネル?」
「まさか」
「…………」
「本当だって、坊っちゃんが自分で言いだしたことだから」
ゲネルがマルセルに何か言ったから、マルセルは王宮騎士に興味を持ってアカデミーへ通うことになったのでは?と思っていた当てが外れたか。
「やっと帰ってきたってのに、ホント面倒だよ……」
顔を逸らしてゲネルが何やら呟く。
「なにか言った?」
「……何も?」
片手を顎に当てて小首を傾げ、弓形に目を細め緩く微笑むゲネル。
うーん、この顔をしたゲネルには何言ったって無駄だ。
見慣れた顔なのに、アカデミーから戻ってきた彼は殊更本心を隠すのが上手になったような気がする。
「まあいいわ。それより、試験って何か勉強したほうがいいのかな」
「しなくていいんじゃない、旦那様にも言われてないでしょ」
「まあ、うん。でも……」
近隣諸国の中でも超難関と言われるアカデミーの試験をパスするのに、果たして無勉強でいいのだろうか?
積極的に合格したいわけではないが、「試験」と名の付くものに落ちるのはイヤだ。
今まで学んだことで事足りるんだろうか。
生来の負けず嫌いが顔を出す。
「お嬢ならそのままで大丈夫だよ」
「そうかなあ」
何を以て大丈夫なのかはわからないけれど、ゲネルが大丈夫だと言うのなら大丈夫なのだろう。
この幼馴染が、適当なことを言ったり嘘をついたりしない事はよく知っている。
「もう遅いし、明日考えたら?」
「そうね、そうするわ。おやすみ、ゲネル」
「おやすみ、マリナ」
ゲネルは、いつもはわたしの事「お嬢」と呼ぶのに、意図してなのかどうか時々こうやって愛称で呼ぶ。
そう言われて頭を撫でられると急に眠気がやってきた。
込み上げる欠伸を噛み殺し、ゲネルとの立ち話を終えて部屋へと向かう。
「安心して、ね。マリナ」
暫くして小さく呟かれた言葉は、残念ながらマリナに届くことはなかった。
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