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#2:邂逅~それぞれの思い
#2-余談3.C3H5N3O9の重要性と、C6H12O6の正しい使用方法について
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<ケンドール視点>
────────────────────
私は……オレは、今でこそ「賢者」なんて大仰な存在であるが、もとはただのガキ大将だった。
父さんは根っからの遊び人で、朝から飲んだくれて管を巻き、外に出れば喧嘩して帰ってくるダメ人間で。
そんなダメ親父を支える母さんは、今は薬師として自宅で薬局を営んでいるが、元は教会の神官だったという。
出会いも、怪我をして教会の前で倒れていた父さんを、母さんが治療した縁だったというのだから、オレが生まれたのはほんの些細で偶然の産物なのだろう。
どうして働きもしないダメ親父と結婚したのかと聞いたら「あの人は、私がいないとダメなのよ」と言っていた。
オレはダメ人間を支える献身的な母さんの背中を見て……育たず、どちらかと言うと父さん寄りで、薬草で腹下しを調合して飲ませたり、マズくて気絶する茶を作ったりして遊んでいた。
不思議なことに、母さんはそんなオレを叱りもせず、自由にのびのびと育ててくれた。
ただ、薬棚からくすねて何かを作ったときだけは、何をどうして何を作ってどうなったかは詳細に報告させられた。
それが面倒で、次第に独自で野原や山から採ってきた物を加工して作るようになった。
母さんの部屋にある沢山の本には、いろんな植物や鉱物の事が書かれていて面白く、採ってきたものが食べられるのか食べられないのか、薬なのか毒なのか、調べるのに便利だった。
・‥…‥・◇・‥…‥・◇・‥…‥・
近くの孤児院は、専らオレの遊び場だった。
大人たちはいつも忙しそうに働いているし、よく言うことを聞く子供たちもオレのいい遊び相手だった。
甘い飴玉に見せかけて苦かったり辛かったりとんでもなくマズかったり色んな味のする飴を食べさせたり、最近じゃ、母さんの薬棚からくすねた黒い粉に混ぜものをして薄紙に包んで軽く火を付けるとパンっと大きく音のなる小さな爆弾───癇癪玉が小さい子らには大ウケだ。
その日も、10個程用意しておいた癇癪玉を指先に灯した火で点火して大きな音を鳴らし、驚いた子どもたちがひっくりかえる様子にケラケラ笑っていた。
誰かがこちらへ来る気配に、柱の陰に隠れタイミングを見計らって火を付けた癇癪玉を放り投げる。
すぐにパンっと大きな音がして誰か……大きな人が倒れる……音?
顔を出してそうっと覗けば、簡素だけど質の良い上等な服を着た貴族っぽい女性が倒れていた。
そんな事故が起こって漸く、オレは誰が来るかを確認せずに癇癪玉を爆ぜさせることが危険だと知ることになる。
自分が子供だからと、悪戯ぐらいで怒られるわけがないと、調子に乗っていた罰が当たったのだ。
「お母様?お母様、どうしたの!?」
少し離れたところから女の子が走ってくる。
「お嬢様、どうされました?」
「わからないの、お母様が倒れていて」
女の子の側にいた執事らしき人が女性に近付き、女の子は倒れている多分母親にすがりついている。
やがて騒ぎを聞きつけた院長もやってきた。
「お母様、お母様大丈夫?院長様、ねえ治癒師は?」
「ここは孤児院ですので治癒師はおりません。手伝いの神官が簡単な治療魔法を扱える程度で……」
「お母様、お母様!ねえ苦しいの?どうしよう……」
駆けつけた神官が治癒魔法を唱えるそばで、大きな瞳を潤ませながら女の子が必死に声を掛けている。
オレは、自分がしでかしてしまったことにカタカタ震えながら、その様子を柱の陰に隠れて見ていた。
「ねえ、この匂い……近くで爆発でもあったのかしら?」
おろおろしていた少女が、顔を上げくんくんと匂いを嗅ぐような仕草をする。
これってさっきの癇癪玉の……火薬の匂いがまだかすかに漂っていた。
ああ、これでオレがしたことがバレる。
バレて叱られるだけならまだいい、あの貴族の女性がこのまま死んでしまったりしたら……。
「ああ、この匂いは……癇癪玉でも爆ぜたのでしょうな」
「かんしゃくだま?……それは火薬を使ったものなのかしら?」
「それは……私どもではわかりかねますが、恐らく」
「あの!それ作ったのオレで……」
オレは、いよいよ隠れていることが我慢できなくなって姿を表す。
叱られるのは覚悟の上だ。
後始末はきちんと付けなければならない。
「そうなの!?ねえ、『かんしゃくだま』って火薬を使って出来るものではない?」
いきなり出てきた俺に、その女の子は驚くでもなく癇癪玉の材料を聞いてきた。
「あ、ああ、そうだ」
「なら、お母様の薬になるかもしれないわ。お母様の心臓の薬は火薬で出来ているらしいの」
ああ、それなら前に母さんから聞いたことがある。
その時は、止まりかけの心臓でも火薬で驚いて再び動き出すのかと、漠然と思ったものだ。
「それなら多分母さんが……」
「あなたのお母様って何をされている方なの?」
「街の薬師で……前は神官をやってたって……」
「ドール、お母さんを呼んできなさい」
オレと女の子のやり取りを黙って見ていた院長にそう言われ、俺は家へ向かって全速力で駆け出した。
「母さん!あの……なんてったっけ、爆弾にもなる心臓の薬。あれある?」
「あるけど……どうしたの?」
「そこの孤児院で人が倒れて……心臓が悪いって……オレ……知らなくって……」
「わかったわ、用意するから案内してちょうだい」
はあはあと息を切らしながら帰ってきたオレの言わんとする事を察したのか、母さんは何も聞かず直ぐに支度を済ませ一緒に孤児院へと向かった。
急いで孤児院へ戻ると、神官に治癒魔法をかけられている女性は、さっきまで青白かった顔色が紙のように白くなり、今にも死にそうに見える。
母さんは断りを入れて女性に近付き、手を取って脈を見たり、胸元の音を聴いたりした。
それから、家から持ってきた薬の薬包を開け、取り出した小さい塊を女性の口元に当てる。
「奥さま、これを舌の下に……そのまま……」
母さんは女性に薬を含ませ、胸の上に手をかざし治癒魔法をかける。
しばらくして、ほんのり頬に赤みがさし女性は意識を取り戻した。
「ああ、お母様!良かった!」
「ごめんなさいね、マリナ……。心配をかけて」
「さあ、お嬢様。奥さまの意識も戻られましたし、馬車の方へ」
「はい……」
目を覚ました女性は、執事に抱きかかえられ、女の子とともに孤児院をあとにした。
それから、女性を馬車に乗せた執事が戻ってきて、深々と母さんに頭を下げる。
「この度は奥さまが大変お世話になりました。お礼の方は後ほど届けさせていただきます」
「いえ……お大事になさって下さい」
執事がそう告げ、では急ぎますので、とその貴族一行は馬車に乗って行ってしまった。
その後オレは、結局誰にも何も言えず、母さんと一緒に家へと帰った。
・‥…‥・◇・‥…‥・◇・‥…‥・
「その節は母を助けていただいてありがとうございます」
それから暫く、死神が鎌を持ってオレを殺しにくる夢を飽きるほど見、漸く追い掛けられる程度の内容に落ち着いた頃、彼女はあの日と同じ執事を連れて我が家へとやってきた。
しがない長屋の端っこのウチに応接間なんて大層なものはなく、リビングの毛羽立ってスプリングの硬いソファに案内する。
珍しく母さんが緊張しながらハーブティーを出し、一口飲むやいなや彼女はカップを置いて立ち上がって「マリネッテ・オージェ」と名乗り、貴族の子供なのにそう礼を言って丁寧に頭を下げた。
「あなたも、お母様を呼んできてくださってありがとう」
それからオレにも。
オレに礼なんて言わないでくれ。
元はと言えば、お前の母親が死にそうになった原因はオレなんだ。
「もう少し処置が遅ければ手遅れだったと医師に言われました。本当にありがとう」
彼女は少し涙目で笑いながらもう一度頭を下げる。
「処置が遅かったら手遅れだった」と改めてそう言われ、オレは握った手が先から感覚がなくなり表情が凍りつく。
オレが母さんを呼んでくるのが遅かったら、母さんの処置が手遅れだったら、あの人は死んでいた?
オレが……もしかしたら殺していたかもしれない!?
「オレは……なにも……オレが……」
感謝される謂れなんてない。
お前のせいだと罵られ叱られる覚悟をすべきだ。
決して忘れちゃいけない自分がしでかしてしまったことを思い出す。
あれからオレは、孤児院には行かず、なんとなく母さんの手伝いのようなことをしていた。
と言っても、山に入って薬草を取ってきたり、選別して乾燥させたり、擦り潰したりするだけの簡単な仕事だ。
自然と見様見真似で薬の調合を覚えた。
母さんはあの日のことを何も聞かない、言わない。
言わなくちゃと思うのに、情けないオレは今の今までついぞ言い出すことが出来なかった。
「それでね、良ければウチの管轄の研究所の薬師として貴女を雇いたいのだけれど如何かしら」
「私がですか?」
「もちろん、住む所と支度金を用意するから、ここを引き払ってご家族で研究所に入ればいいわ。給金ははずむし好きな研究をしたっていいのよ」
世間話をしていたはずの二人が、いつの間にか母さんをスカウトする話になっている。
何の話がどうしてこうなったのか、突然の申し出に母が目を丸くする。
そりゃそうだろう、相手は普通に生きていれば一生出会うことないような大貴族様だ。
大貴族がどんなもんかわかんねえけど、大通りに停まった馬車のきらびやかさと大きさを見れば程度がわかる。
「大変ありがたいお申し出なのですが……」
しかし、母さんはその破格の申し出を断った。
「私は今の生活に満足しております。この街で多くの人に助けられ、主人とこの子と3人で生きてきました。今度はその恩をお返ししていかねばと、薬師としてこの街の助けにならねばと思っております」
今度は母さんが立ち上がり深々と頭を下げる様子に、彼女は眉尻を下げる。
「そう……残念だわ」
「その代わり、この子を」
オレの手を引いて彼女の前に立たせる。
「この子を連れて行ってやってはくれませんか。今はまだ何も出来ませんが、きっと将来役に立つはずです」
母さんは、どこから出したのか、オレが悪戯する度に欠かされた報告書の綴を彼女に渡す。
渡された紙の束をぺらぺらと捲りさっと読んだ彼女は、顎に手を当て少しの間目を瞑り、それから大きく頷いた。
「わかりました。わたしが責任を持って彼をお預かりします。安心してください」
「ありがとうございます」
母さんはにっこりと笑って再び頭を下げた。
ちょ、ちょっと待ってくれよ。
なんでオレが?
大貴族様の研究所に?
「ドール、遊びの時間は終わりよ。これからはしっかり勉強して人様のお役に立てるようになるのよ」
「えっ、いや、あの……オレ……」
もしかしてこのままこの家を出ていく感じ?
「持っていくものも、当面の着替えだけあればいいでしょ」
「はい、こちらですべてご用意させていただきます」
母さんの問いかけに、執事が胸に手を当て、お任せくださいと言わんばかりに頷いている。
嘘でしょ。
本当にその日そのまま、彼女らとは別の馬車に乗せられたオレは、3日3晩かかって研究所に辿り着いた。
馬車に乗って数日は故郷を寂しく思うこともあったが、着いてからは目にするもの全てが物珍しく興味深く、嘗てないほどオレの心を踊らせた。
そう言えば、マリネッテという名の彼女との別れ際にもらった飴玉を食べてみたら、死ぬほど激辛で火を吹くかというシロモノだった。
あの日のオレのしでかしたことは、とうにバレてるんだと思い知った。
バレた上で、オレを研究所へと送り生き方の道筋を示し、マズい飴玉一つで仕返しをされたんだ。
ああ、もう。
あの子とは二度と会えないかもしれない。
なんてったって大貴族のご令嬢だ。
けど、もし会えたら。
もう一度、あの薄紫の綺麗な瞳を見ることが出来たら。
今度はちゃんと謝りたい。
誠心誠意、心を込めて。
感謝とともに。
貴女のために、この身を捧ぐと、誓って。
◆・‥…‥・◆・‥…‥・◆・‥…‥・◆
二度と会えないと思っていた彼女と再会するのは、それから10年も先の話。
研究の成果と自身の研鑽が認められ、治癒と攻撃両方を兼ね備えた名門ジャバリ家の養子に入ったオレが、家名に沿って名前も変え賢者として認められ、アカデミーへ入学して丸2年が過ぎて最終学年になった頃だった。
思いを馳せるばかりで全く消息の掴めない彼女への想いを込めて、ご令嬢方の一助になればと最近始めた趣味と研究で育てているハーブを使った茶葉や化粧品は、流通する量は少ないながらも上質なものとしてそこそこ名が売れてきた。
世間に出回るようになって彼女へ届くかどうか可能性は万に一つもないかもしれないが、間接的にでも関わることができれば御の字だ。
そうして学院外の仕事で忙しくしている中で迎えた入学式の日、研究所からの束になった報告書を読みつつ、式次第を浚っていた時だった。
ユーリとケントが何やら話しながら窓の外を見ていた視線の先、唐突に彼女は現れ一瞬で目を奪われる。
きっと彼女はオレに、私に、気付くことはないだろう。
名前も家名も変わった。
見た目も雰囲気もあの頃に比べれば随分変わっただろう。
そもそも、悪戯で母親を殺しそうになった忌々しいガキのことなんて忘れてしまいたいはず。
それでも、もし、覚えていてくれたなら。
いや、覚えてくれてなどいなくても、私は、貴女に今度はちゃんと謝りたい。
誠心誠意、心を込めて。
感謝とともに。
貴女のために、この身を捧ぐと、誓うから。
貴女の側に、私を、いさせて。
────────────────────
C3H5N3O9:ニトログリセリン(心臓病の薬として書いています)
C6H12O6:ブドウ糖(一般的な甘味料)
────────────────────
私は……オレは、今でこそ「賢者」なんて大仰な存在であるが、もとはただのガキ大将だった。
父さんは根っからの遊び人で、朝から飲んだくれて管を巻き、外に出れば喧嘩して帰ってくるダメ人間で。
そんなダメ親父を支える母さんは、今は薬師として自宅で薬局を営んでいるが、元は教会の神官だったという。
出会いも、怪我をして教会の前で倒れていた父さんを、母さんが治療した縁だったというのだから、オレが生まれたのはほんの些細で偶然の産物なのだろう。
どうして働きもしないダメ親父と結婚したのかと聞いたら「あの人は、私がいないとダメなのよ」と言っていた。
オレはダメ人間を支える献身的な母さんの背中を見て……育たず、どちらかと言うと父さん寄りで、薬草で腹下しを調合して飲ませたり、マズくて気絶する茶を作ったりして遊んでいた。
不思議なことに、母さんはそんなオレを叱りもせず、自由にのびのびと育ててくれた。
ただ、薬棚からくすねて何かを作ったときだけは、何をどうして何を作ってどうなったかは詳細に報告させられた。
それが面倒で、次第に独自で野原や山から採ってきた物を加工して作るようになった。
母さんの部屋にある沢山の本には、いろんな植物や鉱物の事が書かれていて面白く、採ってきたものが食べられるのか食べられないのか、薬なのか毒なのか、調べるのに便利だった。
・‥…‥・◇・‥…‥・◇・‥…‥・
近くの孤児院は、専らオレの遊び場だった。
大人たちはいつも忙しそうに働いているし、よく言うことを聞く子供たちもオレのいい遊び相手だった。
甘い飴玉に見せかけて苦かったり辛かったりとんでもなくマズかったり色んな味のする飴を食べさせたり、最近じゃ、母さんの薬棚からくすねた黒い粉に混ぜものをして薄紙に包んで軽く火を付けるとパンっと大きく音のなる小さな爆弾───癇癪玉が小さい子らには大ウケだ。
その日も、10個程用意しておいた癇癪玉を指先に灯した火で点火して大きな音を鳴らし、驚いた子どもたちがひっくりかえる様子にケラケラ笑っていた。
誰かがこちらへ来る気配に、柱の陰に隠れタイミングを見計らって火を付けた癇癪玉を放り投げる。
すぐにパンっと大きな音がして誰か……大きな人が倒れる……音?
顔を出してそうっと覗けば、簡素だけど質の良い上等な服を着た貴族っぽい女性が倒れていた。
そんな事故が起こって漸く、オレは誰が来るかを確認せずに癇癪玉を爆ぜさせることが危険だと知ることになる。
自分が子供だからと、悪戯ぐらいで怒られるわけがないと、調子に乗っていた罰が当たったのだ。
「お母様?お母様、どうしたの!?」
少し離れたところから女の子が走ってくる。
「お嬢様、どうされました?」
「わからないの、お母様が倒れていて」
女の子の側にいた執事らしき人が女性に近付き、女の子は倒れている多分母親にすがりついている。
やがて騒ぎを聞きつけた院長もやってきた。
「お母様、お母様大丈夫?院長様、ねえ治癒師は?」
「ここは孤児院ですので治癒師はおりません。手伝いの神官が簡単な治療魔法を扱える程度で……」
「お母様、お母様!ねえ苦しいの?どうしよう……」
駆けつけた神官が治癒魔法を唱えるそばで、大きな瞳を潤ませながら女の子が必死に声を掛けている。
オレは、自分がしでかしてしまったことにカタカタ震えながら、その様子を柱の陰に隠れて見ていた。
「ねえ、この匂い……近くで爆発でもあったのかしら?」
おろおろしていた少女が、顔を上げくんくんと匂いを嗅ぐような仕草をする。
これってさっきの癇癪玉の……火薬の匂いがまだかすかに漂っていた。
ああ、これでオレがしたことがバレる。
バレて叱られるだけならまだいい、あの貴族の女性がこのまま死んでしまったりしたら……。
「ああ、この匂いは……癇癪玉でも爆ぜたのでしょうな」
「かんしゃくだま?……それは火薬を使ったものなのかしら?」
「それは……私どもではわかりかねますが、恐らく」
「あの!それ作ったのオレで……」
オレは、いよいよ隠れていることが我慢できなくなって姿を表す。
叱られるのは覚悟の上だ。
後始末はきちんと付けなければならない。
「そうなの!?ねえ、『かんしゃくだま』って火薬を使って出来るものではない?」
いきなり出てきた俺に、その女の子は驚くでもなく癇癪玉の材料を聞いてきた。
「あ、ああ、そうだ」
「なら、お母様の薬になるかもしれないわ。お母様の心臓の薬は火薬で出来ているらしいの」
ああ、それなら前に母さんから聞いたことがある。
その時は、止まりかけの心臓でも火薬で驚いて再び動き出すのかと、漠然と思ったものだ。
「それなら多分母さんが……」
「あなたのお母様って何をされている方なの?」
「街の薬師で……前は神官をやってたって……」
「ドール、お母さんを呼んできなさい」
オレと女の子のやり取りを黙って見ていた院長にそう言われ、俺は家へ向かって全速力で駆け出した。
「母さん!あの……なんてったっけ、爆弾にもなる心臓の薬。あれある?」
「あるけど……どうしたの?」
「そこの孤児院で人が倒れて……心臓が悪いって……オレ……知らなくって……」
「わかったわ、用意するから案内してちょうだい」
はあはあと息を切らしながら帰ってきたオレの言わんとする事を察したのか、母さんは何も聞かず直ぐに支度を済ませ一緒に孤児院へと向かった。
急いで孤児院へ戻ると、神官に治癒魔法をかけられている女性は、さっきまで青白かった顔色が紙のように白くなり、今にも死にそうに見える。
母さんは断りを入れて女性に近付き、手を取って脈を見たり、胸元の音を聴いたりした。
それから、家から持ってきた薬の薬包を開け、取り出した小さい塊を女性の口元に当てる。
「奥さま、これを舌の下に……そのまま……」
母さんは女性に薬を含ませ、胸の上に手をかざし治癒魔法をかける。
しばらくして、ほんのり頬に赤みがさし女性は意識を取り戻した。
「ああ、お母様!良かった!」
「ごめんなさいね、マリナ……。心配をかけて」
「さあ、お嬢様。奥さまの意識も戻られましたし、馬車の方へ」
「はい……」
目を覚ました女性は、執事に抱きかかえられ、女の子とともに孤児院をあとにした。
それから、女性を馬車に乗せた執事が戻ってきて、深々と母さんに頭を下げる。
「この度は奥さまが大変お世話になりました。お礼の方は後ほど届けさせていただきます」
「いえ……お大事になさって下さい」
執事がそう告げ、では急ぎますので、とその貴族一行は馬車に乗って行ってしまった。
その後オレは、結局誰にも何も言えず、母さんと一緒に家へと帰った。
・‥…‥・◇・‥…‥・◇・‥…‥・
「その節は母を助けていただいてありがとうございます」
それから暫く、死神が鎌を持ってオレを殺しにくる夢を飽きるほど見、漸く追い掛けられる程度の内容に落ち着いた頃、彼女はあの日と同じ執事を連れて我が家へとやってきた。
しがない長屋の端っこのウチに応接間なんて大層なものはなく、リビングの毛羽立ってスプリングの硬いソファに案内する。
珍しく母さんが緊張しながらハーブティーを出し、一口飲むやいなや彼女はカップを置いて立ち上がって「マリネッテ・オージェ」と名乗り、貴族の子供なのにそう礼を言って丁寧に頭を下げた。
「あなたも、お母様を呼んできてくださってありがとう」
それからオレにも。
オレに礼なんて言わないでくれ。
元はと言えば、お前の母親が死にそうになった原因はオレなんだ。
「もう少し処置が遅ければ手遅れだったと医師に言われました。本当にありがとう」
彼女は少し涙目で笑いながらもう一度頭を下げる。
「処置が遅かったら手遅れだった」と改めてそう言われ、オレは握った手が先から感覚がなくなり表情が凍りつく。
オレが母さんを呼んでくるのが遅かったら、母さんの処置が手遅れだったら、あの人は死んでいた?
オレが……もしかしたら殺していたかもしれない!?
「オレは……なにも……オレが……」
感謝される謂れなんてない。
お前のせいだと罵られ叱られる覚悟をすべきだ。
決して忘れちゃいけない自分がしでかしてしまったことを思い出す。
あれからオレは、孤児院には行かず、なんとなく母さんの手伝いのようなことをしていた。
と言っても、山に入って薬草を取ってきたり、選別して乾燥させたり、擦り潰したりするだけの簡単な仕事だ。
自然と見様見真似で薬の調合を覚えた。
母さんはあの日のことを何も聞かない、言わない。
言わなくちゃと思うのに、情けないオレは今の今までついぞ言い出すことが出来なかった。
「それでね、良ければウチの管轄の研究所の薬師として貴女を雇いたいのだけれど如何かしら」
「私がですか?」
「もちろん、住む所と支度金を用意するから、ここを引き払ってご家族で研究所に入ればいいわ。給金ははずむし好きな研究をしたっていいのよ」
世間話をしていたはずの二人が、いつの間にか母さんをスカウトする話になっている。
何の話がどうしてこうなったのか、突然の申し出に母が目を丸くする。
そりゃそうだろう、相手は普通に生きていれば一生出会うことないような大貴族様だ。
大貴族がどんなもんかわかんねえけど、大通りに停まった馬車のきらびやかさと大きさを見れば程度がわかる。
「大変ありがたいお申し出なのですが……」
しかし、母さんはその破格の申し出を断った。
「私は今の生活に満足しております。この街で多くの人に助けられ、主人とこの子と3人で生きてきました。今度はその恩をお返ししていかねばと、薬師としてこの街の助けにならねばと思っております」
今度は母さんが立ち上がり深々と頭を下げる様子に、彼女は眉尻を下げる。
「そう……残念だわ」
「その代わり、この子を」
オレの手を引いて彼女の前に立たせる。
「この子を連れて行ってやってはくれませんか。今はまだ何も出来ませんが、きっと将来役に立つはずです」
母さんは、どこから出したのか、オレが悪戯する度に欠かされた報告書の綴を彼女に渡す。
渡された紙の束をぺらぺらと捲りさっと読んだ彼女は、顎に手を当て少しの間目を瞑り、それから大きく頷いた。
「わかりました。わたしが責任を持って彼をお預かりします。安心してください」
「ありがとうございます」
母さんはにっこりと笑って再び頭を下げた。
ちょ、ちょっと待ってくれよ。
なんでオレが?
大貴族様の研究所に?
「ドール、遊びの時間は終わりよ。これからはしっかり勉強して人様のお役に立てるようになるのよ」
「えっ、いや、あの……オレ……」
もしかしてこのままこの家を出ていく感じ?
「持っていくものも、当面の着替えだけあればいいでしょ」
「はい、こちらですべてご用意させていただきます」
母さんの問いかけに、執事が胸に手を当て、お任せくださいと言わんばかりに頷いている。
嘘でしょ。
本当にその日そのまま、彼女らとは別の馬車に乗せられたオレは、3日3晩かかって研究所に辿り着いた。
馬車に乗って数日は故郷を寂しく思うこともあったが、着いてからは目にするもの全てが物珍しく興味深く、嘗てないほどオレの心を踊らせた。
そう言えば、マリネッテという名の彼女との別れ際にもらった飴玉を食べてみたら、死ぬほど激辛で火を吹くかというシロモノだった。
あの日のオレのしでかしたことは、とうにバレてるんだと思い知った。
バレた上で、オレを研究所へと送り生き方の道筋を示し、マズい飴玉一つで仕返しをされたんだ。
ああ、もう。
あの子とは二度と会えないかもしれない。
なんてったって大貴族のご令嬢だ。
けど、もし会えたら。
もう一度、あの薄紫の綺麗な瞳を見ることが出来たら。
今度はちゃんと謝りたい。
誠心誠意、心を込めて。
感謝とともに。
貴女のために、この身を捧ぐと、誓って。
◆・‥…‥・◆・‥…‥・◆・‥…‥・◆
二度と会えないと思っていた彼女と再会するのは、それから10年も先の話。
研究の成果と自身の研鑽が認められ、治癒と攻撃両方を兼ね備えた名門ジャバリ家の養子に入ったオレが、家名に沿って名前も変え賢者として認められ、アカデミーへ入学して丸2年が過ぎて最終学年になった頃だった。
思いを馳せるばかりで全く消息の掴めない彼女への想いを込めて、ご令嬢方の一助になればと最近始めた趣味と研究で育てているハーブを使った茶葉や化粧品は、流通する量は少ないながらも上質なものとしてそこそこ名が売れてきた。
世間に出回るようになって彼女へ届くかどうか可能性は万に一つもないかもしれないが、間接的にでも関わることができれば御の字だ。
そうして学院外の仕事で忙しくしている中で迎えた入学式の日、研究所からの束になった報告書を読みつつ、式次第を浚っていた時だった。
ユーリとケントが何やら話しながら窓の外を見ていた視線の先、唐突に彼女は現れ一瞬で目を奪われる。
きっと彼女はオレに、私に、気付くことはないだろう。
名前も家名も変わった。
見た目も雰囲気もあの頃に比べれば随分変わっただろう。
そもそも、悪戯で母親を殺しそうになった忌々しいガキのことなんて忘れてしまいたいはず。
それでも、もし、覚えていてくれたなら。
いや、覚えてくれてなどいなくても、私は、貴女に今度はちゃんと謝りたい。
誠心誠意、心を込めて。
感謝とともに。
貴女のために、この身を捧ぐと、誓うから。
貴女の側に、私を、いさせて。
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C3H5N3O9:ニトログリセリン(心臓病の薬として書いています)
C6H12O6:ブドウ糖(一般的な甘味料)
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