美弧奇譚

椿木ガラシャ

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 ――名士と人々に慕われるその一族には、代々受け継がれる生き神があった。屋敷の奥深くに囲い、一族当主が代々守り神を崇め奉ることで、一族は繁栄を手に入れてきた。
 古から、現代に至るまで、永久の中を…。時代の流れに乗り、富を得、名声を得、数々の裏切りを得、膨れ上がる権力は留まる事を知らなかった。



 ――曇り空の卯月のその日、尾神家の母屋では荘厳な葬儀が執り行われた。先日、主であった男が逝去し、壮大な葬儀が行われることになったのだ。
 地元の名家らしく生前の人脈と権力を表すかのように、大勢の人々が弔問した。
 喪主は主の息子であった。男の死去は突然であったが、息子は既に成人し、家業も主の代理として切り盛りすることも多かったため、家内に混乱はなかった。
 気落ちしたのは、主の妻だ。激動の時代にあって家内を纏め、夫を支えてきた糟糠の妻であった。
 すっかり気落ちした主の妻は、白いものが多くなった蓬髪を纏め、痩せた背を丸めて亡骸の傍に座っているだけだ。その主の妻に寄り添っているのは、同じく年老いた女中のみだ。
 喪主である息子には二人の子がいた。10歳と5歳であった兄弟は、大人ばかりの場所では退屈だろうという長年仕える番頭の配慮で、中庭で遊んでいた。
 兄弟にとって亡き人は祖父に当たる人であったが、滅多にあうことは無く、情はない。会ったとしても厳格な男であった祖父に、甘やかされたという記憶もない。
 一年に数度会うだけの、ただ血の繋がりがあるだけという認識の人間だった。
 それに彼ら自身、兄弟といっても、母が違い、養育もそれぞれの母が行なっているため、滅多に会うことがない。
 今とて、それぞれに子守りがいるため、遊んでいるといっても場所は離れている。
 子守についているのはいずれも、美しい少女たちで、分家の子女たちだ。本家の息子であるふたりを取り巻き賑やかなのは少女たちであった。
 端から見れば華やかな姿だろうが、その中心にいるふたりは静かだ。
 それはお互い解っているのだろう。詰まらなさそうな顔は母違いながらも似通っている。
「坊ちゃま、御本なんて読まず、お話ししましょう?」
「坊ちゃまあちらに珍しい菓子を用意しましてよ」
 甲高い声で二人を誘いかける少女たちの声は媚びを含んでいた。
 分家とはいえ、利益などほぼない。一般の家庭に比べれば、はるかに裕福な育ちではあるのだが、それも本家と比べれば得るものは天と地の差がある。己たちの父母から日々、聞かされているその言葉は、そのまま本家への憧れに通じていた。
 兄弟たちに纏わり付いていた少女たちであるが、いよいよ親戚以外の人々が弔問に訪れるようになると給仕のために、ふたりから離れて行った。
「坊ちゃんたちは少しお待ちくださいませね」
 母屋で奉公人たちを仕切っている女中が、菓子と茶を持ってきた。
 中庭には兄弟のみが残る。しかし、兄弟たちが互いを気遣う様子は無い。兄は書物から目をそらさず、弟は何とはなしに縁側に座り込み、女中がおいていった菓子を食べだした。菓子のカスが零れ落ちると、地を這っていた蟻が隊列を作り、運んで行った。
 ――一刻ほどこのまま過ごしていたが、あまりにも暇になってきた弟が大きなあくびをする。そのあくびにも本の頁をめくる兄は何の関心もなかった。
 その時、一陣の風が吹き荒れていった。
 ――チリン、チリン…
 ふたりは同時に顔を上げた。
 ――チリン、チリン、チリン…・
 絶え間なく鈴の音がどこからとも無く漂う。先ほどまでは聞こえなかったのに…。
 風が駆け抜けると、鈴の音がより鮮明にふたりの耳を擽る。
 中庭は然程広いわけではない。庭に配置良く彩られた花のその奥から響いているようであった。
 兄弟は視線を交わすことなく、同じ方向へいく。何かに吸い寄せられるように…。
 言葉を交わすことなく鈴の音を辿ると、母屋の奥にある蔵へとたどり付いた。歴史的な価値も高いとされるその蔵は、敷地の最奥にあった。
 此処は、開かずの蔵だった。開かずと言っては語弊があるが、その蔵に立ち入ることができるのはたった一人の人間だけだ。一族が古より所有してきた宝があり、主のみが立ち入りを赦されている蔵だったはずだ。
 常は厳重に南京錠がかけられているのだが、今は扉に微かな隙間があった。
 明るい日中において蔵の中は闇に包まれていることが予測されたが、だがしかし、覗き込みたくなる。
 鈴の音は兄弟の両耳を絶えず聞こえていた。
「っ、っ、…」
 そして、鈴の音だけではない。押し殺したような声が、微かな隙間から届いてくる。兄弟はどちらからともなく覗き込んだ。
 光が一切入らないはずの蔵の中は、天井から幾つもの提燈が吊るされており、存外に明るかった。その明るさに目が慣れると、蔵の中の様子が窺える。
 中はまるで、神社のようであった。朱い鳥居が奥へと続いていた。
 尾神家の発生が、神主であることは二人も知っている。だとすれば、代々の主が奉っている御神体が恐らくはあるのだろう。
 御神体をふたりはみたことがなかった。当主のみが触れることができると言われていた。
 そして御神体がある蔵の扉が開いているということは、恐らく父が、この中にいるということだ。現当主はふたりの父であるからだ。
 兄弟たちは足を踏み入れた。自然と幼い弟が兄の陰に隠れる形となり、ふたりは朱い鳥居を辿っていく。鳥居は徐々に大きくなり、見上げるほどになった。
 鳥居を過ぎると、高床の本殿があった。
 階段の一番下に紐で括られた鈴が落ちていた。恐らくこの鈴の音が幼い兄弟たちの耳に届いたのだろう。
 二十段ほど階段がある高床の本殿は鳥居と同じく朱色で彩られている。本殿に影があった。
 ようやく父を見つけたと、兄弟が目を凝らすと、階段に白銀の絹糸が流れていた。
 流れている絹糸は、美しく輝いていたが、うねっている。
 それは髪であった。
 長い長い髪は、きらきらとし、見たことの無い輝きを放っていた。しかし、驚くべきは、髪から吐出している獣の耳であった。
 尖った耳は、短い毛に覆われていた。
 白銀の髪を掻き毟るように、白い爪先が絡んでいた。白い爪先は朱く塗られているが…震えている。
「ぁあ…」
 短い悲鳴を上げ、面が表れる。そこには、美貌と呼ぶに相応しい面があった。この世のものとは思えぬ、魅惑的な面…。
 特筆すべきは、白銀の睫毛に縁どられた、黄金の双眸だろう。黄金の双眸は光り輝き、涙が零れていた。
 彼はまるで、絵本の中の、人物のようであった。黒髪、黒目を基本とする種族の日本で、少なくとも、白銀の髪と黄金の瞳を持つ人間はいない。
 そして、彼は一人ではない。
 白銀の髪と、黄金の瞳を持つ美貌の主に圧し掛かっていたのは、他でもない、兄弟の父『綴(つづり)』であった。
 30代後半に差し掛かった、頭脳明晰と評判の男であった。いつもかけている黒い淵の眼鏡は、どこにもない。眼鏡の奥に隠されていた鋭い眼もとがどこか柔らかく歪んでいる。
 息子を前にしても微笑を見せることがない顔が、まるで別人のようだ。
 美貌の主のはだけられた胸元に、父が縋りついている。
 震えている銀髪・黄金の目の美貌の主の指先を掴み、深く抱き寄せたのであった。
 ――何がなされているか、兄には理解できたが、まだ幼い弟には、これが何なのか理解はできなかった。
「いやっ…も、やめっ…あ、ぁあ…、つ、づり…」
 甘く擦れる声に、兄弟の父は微笑した。普段、兄弟の前では無表情を貫いている父が、面白そうに滑稽に、実に愉快そうに笑っている。
「たまも」
 兄弟の父は、低い響く声で囁きながら、組み敷いた美貌の主を更に蹂躙する。玉藻と呼ばれた主の細い顎を掴み、口を吸った。
「ん、ん…」
 美しい白銀の髪を揺らして、玉藻と呼ばれた美貌の主は、泣いていた。脚を男の足に絡め、指先で男の背を抱き…媚びるように、甘く甘く、誘う様に…。

 ――兄弟はいつの間にか踵を返していた。見てはいけないものを見てしまったような、そんな気がして。
 蔵を出た瞬間、今まで見たものは夢だったのではないかと思えるほど、幻想的な光景であった。父と人ならざるものの姿だけではない、蔵の中の光景は全て幻で無かったのではないかと…。
 だが振り返れば、確かにそこに蔵はあり、現実のものだと知らしめていた。
 これが、兄弟と生き神との邂逅であった。

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