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バリキャリ 開田美樹子
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平成は渋谷区の恵比寿にマンションを借りている。医療機器開発時から設立した合同会社のオフィスは品川に置いた。
山手線で近い場所と、取引先とのやり取りに便利だった以外に理由はない。
恵比寿のマンションは、ある知り合いが勧めてくれた。
繋りにも世界が違うことを味わった。
サラリーマン時代では、あり得ない社会的地位の高い連中との付き合いが増えた。
マンションを紹介してくれたのも、その中の一人で不動産会社の社長だった。
愛人用に用意していた部屋だが、病気になり不要になったから借りてほしい、との訳があった。その変わり、相場の半額でいいからというフレーズで受けることにした。
この年になると、あちこちで「病気」のフレーズがよく出てくる。
そのたびに身につまされる思いだった。
品川のオフィスで、次のモデルチェンジの為に、販売メーカーのマーケティングと打ち合わせを済ませ、晩御飯を食べに何時もの定食屋に足を運ぶ。ここは、オヤジ向けの和食でコスパも味も良い。鯖定食にビールとツマミも合わせて頼む。
冷えたビールが滲みる。
このセットで税込1200円は安い。
昔からやっているせいか、店の壁も天井も薄汚れている。それも店の味と言える。
オヤジにはその方が落ち着く。
全てを胃に放り込み、平成はスポーツジムに向かう。ここは、恵比寿駅の側にある。
五十路を超えると身体のあちこちが、少しの運動で痛くなる。
だから始めた。
半年も経つとかなり動くし、肩こりも改善された。
プールでも1時間ほど歩いて家路につく。
時計は9時を少し回っている。
部屋は13階だ。
ワザと階段を使う。
これも運動の一環だ。
部屋から眺める都会の夜景は、いつも自分の人生を振り返らせる。陽子を忘れたことはない。
「ありがとう」その言葉が、何度も頭の中をリフレインする。
メールチェックしてから風呂に入る。
11時にはベッドに入る。
明日は昼と夜に講演を予定している。
1つは、若者向けの「起業」をテーマにしたもの。もう1つは、医療機器開発に取り組む連盟の集会での講演だった。
翌日。
講演を済ませて、夜の懇親会に出席した。
成功者として広く認識された平成の元には、数多くの関係者が集まった。
日本から一人の男が考えた機器が世界に広がるのは、この業界の「夢」とも言える。
その夢の第二弾にあやかりたい、と群がってるのは平成にも分かる。
だが、反対に快く思わない者もいた。
ジャパンインダストリーメディカルの代表である納谷道夫である。
彼は米国食品医療局で、唯一審査員を勤めた経歴を持つ、いわばエリートであった。
彼は様々な分野の医療機器開発者とスポンサー企業を仲介する役目を担い、更には別のスポンサーからの資金援助を得て、投資する機関を作った。
平成も当初は、ここに話を持ち込んだが、既に市場は円熟してると見做され断られていた。
だが、落とし穴があった。納谷の社内には平成の提案した分野のスペシャリストが居なかった。表面ばかり見てしまい「旨み」と「拡販」が無いと判断したのである。
だが、平成は見事に成功した。
逆に納谷を通さない事でコストも抑えることが出来、更には知的財産権も取られる心配が無くなるという皮肉な結果になった。
納谷は心底では面白くなかった。
平成の成功の裏で、先見の明が納谷に無いということが一部で囁かれたからだ。
「やぁ、黒田さん!」
スマートで背の高い納谷は、見下ろし目線で平成に呼びかけた。
「あぁ…納谷社長、ご無沙汰してます」
握手を交わして、シャンパンを飲んだ。
「さすが成功された方のプレゼンは違いますね。黒田さんのおかげでこの分野も活気づくと思いますよ」
目はそう語っていない。
「そうですか。納谷さんに言われると光栄ですね」
平成も見抜いていた。
「次の新製品はどんなものを?」
「いえ、まだまだ改良の余地はありますので」
「ほう、それはそれは。余念が無いですね」
「自惚れることなくユーザーの立場にならないと駄目ですからね」
「楽しみにしてます、もし良ければウチも加わらせて貰えませんか?」
これが本音の一部だ。
資金提供して、知的財産権をもぎとろうとしている。
「そうですね。いずれ検討させてもらいます」
政治家的な答弁で逃げた。
「そうですか。その時はご連絡下さい。では」
納谷はフッと唇だけ微笑んで、その場を後にした。
すかさず、小泉が寄ってきた。
平成の案に協調し、共に開発にアイディアを出した販売メーカー「アイエス」のマーケティング部長だ。
「また納谷さんですか」
「ハハッ…脅されましたよ」
「全く…自分たちで却下しておいて絡んでくるなんざ、程度が知れてますねぇ」
「でも、彼らもそれなりに開発してますからね。悪いことではない」
「まぁ、確かに…あっ、次の改良案ですけどね。再来年辺りに市場に出そうかと役員会で話が出ましてね。また、ご足労頂けますか?」
「了解です。では野村専務によろしくお伝え下さい」
9時過ぎに、ホテルカールトンを出て、タクシーで自宅に戻る。
街中では、カップル達が楽しそうに歩いていた。
マンションに戻るとオートロックの前でカバンを漁る女性が慌てていた。
よく見ると隣の部屋の住人である。
「こんばんは」平成は何時もの挨拶をした。
「えっ!あっ…どうも、こんばんは」
「どうしました?」
「いえ、カギが…」
何度かき回しても、中のものを出してもカギが見当たらないようだ。
「落としましたか?」
「…はい、そのようです」
「スペアは?」
「部屋の中なんです」
「あらま…」
「警備会社に来て開けて貰いますか?」
このマンションは、スペアキーは本人と管理会社が持つが、夜間は警備会社に預けていた。朝が来ると管理会社に戻されるシステムだ。
「携帯変えたばかりで、警備会社の連絡先が分からないんです」
「では、私のを使いますか?」
平成はポチポチと警備会社に連絡して、電話を渡した。
「はい、カギを落としたみたいです。すぐ来られますか?」
「えっ、そんなにかかるのですか?」
「どうしました?」
「いえ、何でも繁華街での警備に人が割かれて、一時間ほどかかるらしくて」
「では、来るまで私の部屋で待ちますか?」
「えっ?」
「外で待つには寒いですし、それに来たらすぐに出れるようにしておいた方がいいでしょう」
平成の言葉に少し考えて頷いた。
「あっ、すいません。では、隣の方の1301に居ますので着いたら連絡下さい」
警備会社にそう告げて電話を切った。
「どうぞ」
平成は中を案内した。
「お邪魔します。わぁー綺麗にされてますね」
「いえいえ、男独り身ですから。あんまり余計なものが無いだけですよ、そこのソファーにどうぞ」
ソファーに薄いコートを置いて座る。
平成はキッチンでコーヒーを入れて出した。
「あっ、出してからなんですけどコーヒー飲めますか?」
「はい、大丈夫です」
向かい合って座った。
「黒田平成です」
「開田美樹子です、ホントに助かりました」
年の頃は三十路後半といった感じだ。
黒のストレートロングヘアに、少し面長の美人顔だ。秘書あたりが似合いそうな雰囲気だ。
お互いに名刺を出した。
「あっ、社長さんですか?」
「いえ、合同会社と言っても私だけなので」
「そうなんですね」
美樹子の名刺には、営業企画課長と書いてある。バリキャリか?と思った。
「ひらなりさんて平成って書くんですね」
「これのおかげで、あだ名が年号でしたよ」
フフッと微笑む顔は上品だった。
「開田さんの読み方も珍しいですね。かいだと読むんですね」
「そうです。ひらいだとかひらきだって呼ばれることもありまして」
「お互いに名前では苦労した方ですね」
「確かに…ですね」
美樹子がマジマジと名刺を見ていた。
「メディカコンサルタントって、どんな事をされてるのですか?」
「ああっ、医療機器開発ですよ」
「えぇっ!開発ですか?」
「はい、私の案で開発したメイドインジャパン製が国内と世界で使われてます」
「スゴイ…そんなお仕事されてるんですね」
「いえいえ、たまたまですよ」
「あの…どうして開発を?…」
「中々一般の方にはわかりませんけどね、医療機器の7割は海外製なんですよ。まぁ、市場規模が違いますしね。でも、欠品や品質、改良とかの面で、日本のドクターの満足は得られなくて。ならば、自分で作ってみようかと」
「はぁ…そんな簡単な事じゃないですよね?」
「まぁ、そうですね。3年は掛かりましたね」
「私には想像も出来ない世界ですね」
「開田さんのお勤めされてるメソッドというのは何をされてる会社ですか?」
「ハイ、携帯のアプリを作成してます」
「アプリってゲームとか?」
「いえ、そっちではなく女性向けのアプリなんです。主にハラスメント対策のアプリです」
「へぇ、どんな内容ですか?」
「パワハラやセクハラ、モラハラとかのハラスメントの相談窓口で、弁護士や探偵と繋ぐアプリです」
「ほう…それは心強いですね」
「女性はあまり分からないから、私達の会社と弁護士協会や探偵事務所の協会と契約を結んで相談や対策を指南するんです。時に裁判になればその支援もします」
「全国で?」
「はい、その地域で強い弁護士先生に紹介しますね」
「会費も?」
「いえ、会員から取りません。相談も5回まで無料なんです」
「じゃあ資金はどこから?」
「実は企業からなんです」
「それは意外ですね」
「最近はコンプライアンスで、ハラスメント対策を組み込む企業がかなり増えまして。これを社内で告知することで予防策にもなりますし、定期的に勉強会も開催してます」
「なるほどね。弱者の味方ですね」
「ハイ…」
その時、美樹子の顔に少し曇りが見えた。
もしかして過去に経験があるのだろうか?
「わたしの会社では、誰もいないからハラスメントしようがないな」
「いえ、取引先でのハラスメントが多いんですよ。トラブルになるので泣き寝入りするしか無かったり…」
「あっ、そうか…気をつけましょう」
それから少し趣味や社会の話で盛り上がった。
特にドライブが好きらしい。
「あの…お一人なんですか?」
美樹子は恐る恐る聞いてきた。
「ハハッ…妻には先立たれましてね。それから独り身です。開田さんは?」
「私も独り身のお局です」
「そうでしたか」
「この年まで独り身だと、色々言われますけどね」
「今どき珍しくも無いでしょう」
美樹子は少しため息をついた。
「女を捨てた女、鉄仮面、行かず後家、色々影で言われてます」
「そりゃ酷いな、まさにハラスメントじゃないですか」
「おかしな話ですよね、女性向けのハラスメントアプリ作ってる本人が、ハラスメント受けてるなんて笑えません」
「言わせておけばいいんですよ」
「えっ?」
その時、平成の携帯が鳴った。
警備会社からだ。
「もしもし、はい、ちょっとお待ち下さい」
平成は電話を美樹子に渡した。
「はい、開田です…分かりました」
電話を戻してお礼をした。
「今、下に着いたそうです」
「良かったですね」
「本当にありがとうございました、助かりました」
「困ったときはお互い様ですよ」
「コーヒーとても美味しかったです。今度お礼させて下さい」
「お礼なんていいですよ、大したことしてませんので」
「いえ、それでは気が済みません。お礼させて下さい!」
グイッと来る姿勢に平成は可笑しくなった。
「分かりました、ではお礼お待ちしてます」
美樹子は再びお礼して部屋に戻っていった。
平成は、よくいるバリキャリ女性の悩みを久しぶりに見た気がした。
特に医療系には女性の台頭は増えている。
外資系のマーケティングや営業辺りは、対外的にも響きがよく、それなりの給料も稼ぐから普通の男では物足りなくなる。レベルが自然と上がるのだ。
おまけに男性の中に混じって仕事するから、どうしても気が強くなってしまう。
そのために結婚が遅くなる。
美樹子もその中にいるようだ。
一週間後。
平成は気が向いた時に自炊する。
外食に飽きたら…という程度だが。
玄関前に女性がいた。
美樹子だった。
「こんばんは」
「どーも、こんばんは。今帰りですか?」
「はい、黒田さんのお帰りを待ってました」
「はい?」
「お礼する約束ですよね?」
本気にしてなかった。
「あ~そうでしたね。えっ、待ってたんですか?」
「はい、待ってみました」
平成は中に通した。
「遅くなるかも知れなかったのに…」
「それならそれで別の日にしようと思ってましたから…気になさらないで下さい」
二人とも手に袋を下げている。
「これからご飯ですか?」
「ハハッ…たまの自炊ですよ」
「あの…これ飲まれます?」
美樹子のぶら下げてた袋から、日本酒が出てきた。
「あら、洗心じゃないですか?」
「ご存知ですか?」
「新潟の名酒ですよ、中々手に入らない酒ですよね」
「たまたま手に入れる機会があったので。黒田さんと飲めたらと思いまして」
「それはありがたい。ならば、それに合う肴にしないと…」
テーブルにザーサイの辣油漬け、塩ダレのキャベツとモヤシ、肉野菜炒めのピリ辛風などが並んだ。
洗心はとてもサラッとした味わいで、スコスコ入ってしまう。
「ところで、この間言いかけた事が気になってるんですよね」
「なんでしたっけ?」
「私がハラスメントされてるのを、言わせておけばいいって…」
「あ~はいはい」
「あれ、よく考えてみたけど、よく分からなくて…」
「開田さんは、仕事に打ち込む人生を歩むと決めたんですよね?」
「そうですね」
「ならば、その事に後悔は無いのだから、それに邁進すれば良いんですよ」
「でも、組織ではよく思わない人もいます」
「確かに。でも、それは自分に出来なかった妬みでしかない。知識もスキルも足りなかったから、自分には出来なかった。そういう人は、何をやっても大成しませんよ。人のせいにして自分は安全圏にいる、そんな連中はシカトしてればいい、会社は確かに組織やチームで動きます。でも、本人のスキルを育てる場でもあるんですよ。開田さんは、ハラスメントを受ける弱者を救いたい気持ちからアプリを作った。その着眼点が他の人には見えなかった。それだけなんです」
美樹子の目には涙が浮かんだ。
「そんなふうに言って貰える方居なかった…」
「私の経験ですけど、会社組織での仕事の経験があるから、今がある。要は経験やスキルを身につける目的で仕事をした方がいい。会社の為に働く、という団塊の世代は終わりました。我々も生きる手立てを考えなきゃならない。だから、会社を利用する!こんな気持ちでもいいんじゃないですか?」
黙って美樹子は頷いていた。
「これからどうすればいいんですか?」
「それほど難しいことではない。みんな開田さんの持つ知識やスキルを与えてあげればいい」
「えっ?」
「開田さんが自立するなら別ですけどね。色々と助けてあげればいい。それだけでハラスメントは無くなります」
「それでも無くならなかったら?」
「人の妬む心は中々続かない。必ず打ち解けます。一度でだめなら二度、三度すればいい」
「それでもダメなら?」
「アプリをぶっ壊して転職ですよね」
「えーっ?壊す?」
「そ、社長が後悔するぐらいにね」
「アハハハ!それいいかも!」
二人は少し腹を満たすために、ご飯をとることにした。
「何か作りましょう、肴にも合うやつをね」
平成はキッチンに行き、おもむろにオニギリを作り出した。
「わぁ!オニギリですか?」
「たまに握り立てを食いたくなるんですよ。味噌汁と漬物もありますからね」
平成はなぜか、子供の頃から握るのが得意だった。手際よく握ると美樹子は、その姿を見つめていた。
「意外と難しいんですよ。美味しい握り方が」
平成は軽く形を整えるように、六回握って美樹子に渡した。
「どーぞ」
パクっと食べるとふんわりした食感の中に、米の旨味が広がる。
「美味しい!」
「ハハッ、成功しました」
二人はそれらを笑い話の中でたいらげた。
時間は十時を少し回っていた。
「こんな時間!ごめんなさい、長居して締まって」
「楽しいと早いですね」
美樹子は改めて頭を下げた。
「本当にありがとうございます。相談にも乗って頂いて感謝してます。なんかモヤモヤが晴れた気がしてます。実は、私って母子家庭なんです。父の暴力と浮気が酷くて…」
「そんな過去が…」
「母は頑張って大学まで出してくれました。だから、今度は私が恩返ししてるんです。母は昔の実家でのんびり暮らしてます」
「それはなによりだ」
「ずっと走り続けて疲れたみたいで…だから、目黒さんの言葉が身に沁みて…」
「そんな大した事は言ってませんよ。あっ、そうだ!」
「はい?」
「ドライブお好きでしたよね?」
「えぇっ…好きです」
「実は来週の土曜日に、カーマニアミーティングがあるんですけど、良ければどうですか?」
「どちらまで行かれるのですか?」
「日帰りで箱根です。無理なら構いませんが」
「いいですね。行きたいです」
「詳しいことは水曜にお伝えします。少し朝早いですけど」
「大丈夫です」
「では、また!」
平成がこのマンションに決めた理由に、パーキング事情があった。青空パーキングは避けたかった。屋内が条件で探してた。ここは、その条件にピッタリだった。
スカイラインR31。
GTSーXツインカムターボ。
今から三十年前のスポーツカーだ。
今では国内で三百台あるかどうか。
その中でもすべて純正パーツで、走行距離が二万キロの極上品を手に入れた。
エアバッグもナビも、ハイブリッドも無い。
エアコン、パワステ、パワーウィンドウの装備で、マニュアル車だ。
美樹子は目を丸くした。
「これ、昔の車ですか?」
「これが手に入れたくて、全国の車屋調べましたよ」
「かなり高いんじゃ?」
「まぁ、極上品ですからね」
ツードアのドアを開けて美樹子を導く。
黒のタンクトップに白の花柄カットソー、ジーンズに白のパンプスというシンプルな装いもよく似合った。
「では、行きますよ」
「はい!」
首都高から東名高速に入る。
晴天だが車は少ない。
「マニュアルって初めて見ました」
「私達の若い頃は当たり前だったんですよ。乗り心地悪いですか?」
「いえ、全然楽しいです!」
それから車中では、様々な話で盛り上がった。
箱根に着くと、パーキングに平成と同じ車が沢山止まっていた。
「うわっ!スゴイ」
「このタイプのスカイライン好きだけが集まるんですよ。みんな彼女や奥さん連れてきて少し肩身の狭い思いだったんです」
「そうなんですね」
「たぶん、邪推されると思いますから、否定してくださいね」
「フフッ、じゃあ今日は黒田さんの彼女役になりましょうか?」
イタズラっぽい目をしながら、平成を見ると照れ笑いしていた。
「あ~!ヘイさん!彼女連れてきた!」
「マジマジ?うわ!とうとう来たか!」
「めちゃくちゃキレイじゃん!どこで捕まえたの?」
矢継ぎ早に聞かれる質問に、二人は苦笑いしていた。
「あのね、残念ながら彼女じゃないの!無理矢理来てもらったの!」
「ホントかなぁ?」
「こらこら、彼女が迷惑するから。早くバーベキューの用意しようや」
美樹子は笑った。
なんか昔を思い出した。
損得もない、駆け引きもない、まるで子供のような時代を。
初めて会うのに、すんなり受け入れてくれる仲間のような存在が羨ましく思えた。
「なんか、すいません…」
「いえ、楽しいです!みなさん繋がりは車だけなんですか?」
「そうですよ。住んでる場所も仕事もバラバラですからね。ただ、あの車が好きなだけです」
男性陣は火起こしと、荷物運び。
女性陣はバーベキューの下準備を始めた。
一人の奥さんが話しかけてきた。
「初めまして!川名です」
「開田といいます、よろしくお願いします」
「開田さんは、テーブルの用意をお願いしてもいいですか?」
「はい、分かりました」
美樹子は接待の経験から、手際よく皿や手拭きなどの用意を始めた。
バーベキューなんて何年ぶりだろう?
「川名さんは何度も参加されてるんですか?」
「三回目です。主人と一緒になってからですね」
「そうなんですね」
「開田さんは、黒田さんと同じ職場なんですか?」
「いえ、お隣さんで縁あって誘われました」
「じゃあ独身?」
「まぁ、ハイ…」
「じゃあ仕事バリバリなさってる?」
「あの、ウーハラってアプリをご存知ですか?」
「あ~ハイ!知ってます、てか携帯に入ってます。万が一に備えて!私の友達があのアプリのおかげで助かったって…」
「あれ、私が作ったんです…」
「えー!そうなんですか?すごぉーい!」
「お役に立てていいのか、分かりませんけどね、ハハッ」
「じゃあ、バリキャリって感じですかね?羨ましい!」
「羨ましいですか?」
「私も開田さんぐらい働けてたら、良かったなぁ…と思うんでよね」
「でも、ご結婚されて幸せじゃないですか?」
「まぁ、無い物ねだりかもですけど、男の人に頼らなくても生きていけるのもいいなぁって」
川名の顔からもウソではなく、本音を話してるようだった。
(そんなふうに思う人もいるんだ)
美樹子にとって、結婚した対極の人間にそう言われると思わなかった。
「楽しんでますか?」
平成は烏龍茶片手にやってきた。
「あっ、ハイ!楽しんでますよ」
「それなら良かった!」
平成が炭おこしに行った代わりに、今度は白髪混じりの男がやってきた。
「初めまして、塚本と言います」
「初めまして、開田です。今日は楽しくさせてもらってます」
「そうですか、ところでヘイさんとお付き合いしてないんですか?」
「違います、黒田さんはここでは、どんな存在ですか?」
「ヘイさんは中心的な方で、ここにいる人達の相談にも乗って貰ってますよ」
「やっぱりそうなんですねぇ」
「開田さんも相談したクチですか?」
「実はそうなんです。今日の会も気分転換に誘ってもらったんですよ」
「やっぱりねぇ…ヘイさんはいい人だから」
バーベキューはかなり盛り上がった。
美樹子もかなり楽しんだ。
午後四時を回ったところで解散となった。
「楽しかったです」
「それは何よりでした」
「最後に写真撮りましたけど、いつも黒田さんの車が真ん中って聞きました」
「純正品百パーセントですからね、その方が画になるんですよ」
年代物の車だが、乗り心地は良かった。
平成の腕もある。
「普通ならご自宅側まで送ります、と言うところですけど、その必要が無いのは初めてですね」
「フフッ…そうですね。お互いに住処はバレバレですからね」
パーキングに車を入れて、部屋に戻る時に美樹子は部屋に平成を誘った。
「では、少しだけお邪魔します」
独身女性の部屋に入るのは、久しぶり過ぎて妙にドキドキした。
陽子の独り暮らしだった以来である。
「何もありませんが…」
整理整頓されていて、所々の飾りが女性らしさを演出していた。
芳香剤なのか、いい香りが部屋に漂っていた。
白のソファーに座ると、美樹子はキッチンで紅茶を淹れた。
「ダージリンティーですけど」
「はい、好きですよ」
一口飲むと、香りが広がった。
「うん、美味い」
「良かった!」
少し談笑した後、美樹子がうつむき加減で話しだした。
「私みたいな女でも幸せになれますか?」
「幸せの定義はそれぞれですからね。開田さんが幸せと思えばそれでいいんです。だから、質問の答えとしてはイエスですよ」
「こう見えても学生時代に本気の恋愛したんですよね。恋愛経験少ないので、後にも先にも大恋愛と言えるのは、それだけなんですけどね」
「その方は?」
「同じゼミの子に取られちゃいました」
「あれま、どうして?」
「彼は私の生い立ちを理解してくれて、仕事に生きる私を応援してくれてました。でも、私は彼の心に気付いてませんでした。彼との時間はドンドン少なくなり会うのも、資格勉強で削られました、それでも彼は変わらないと思い込んでました」
「そうじゃなかった?」
美樹子は頷いた。
「彼の中では、自分は必要なのか?と思い始めたようです。その時に、その子と接する事があり、彼女はとても尽くす人でした」
「それで心変わりを?」
「いえ、最初は私がいるから想いには応えられない、と拒んでいました。その時、彼は私と会う時間が欲しいと連絡をくれたんです」
平成は紅茶を飲んで静かにカップを置いた。
「ちょうど資格試験の前で、時間がいくらあっても足りない時でした。彼からの連絡を煩わしい、と思ってしまい返信しなかったんです。試験が終わって彼に連絡したら、別れたいと一言言われました」
「なるほど」
「何も考えてませんでした。彼の想いも望みも…二人で会った場所に、その子が現れて散々罵られました。酷い女だ!人の気持ちの分からないのか!とか…」
「……」
「その通りですよね、彼が彼女に傾いたのは手作りのお弁当だったそうです」
「うん、胃袋掴まれた訳ですね」
「はい、敵いませんでした。私は料理苦手で、いつも彼とは外食でしたから…」
「まぁ、男の弱点だなぁ…」
「もう彼の横に私は居ませんでした…それでも好きで好きで…でも、言えませんでした」
「それはプライド?」
「そうかも知れません、認めたら何もかも崩れる気がして…」
「じゃあ、それから恋愛は?」
首を左右に振った。
「声はかけられましたけど、仕事も楽しかったですし、それにあんな思いはしたくなくて」
「あ~臆病になったんですね」
「……そうでしょうね」
平成は、大きく息を吐いて美樹子を見据えた。
「開田さん、人はそれほど器用にはなれませんよ。料理が出来なくても結婚してる人は沢山います。どう後悔無く生きているか?その魅力がありますから、心配しなくていいですよ」
平成の言葉に、美樹子の目に涙が浮かんだ。
「ホントに…そうなんでしょうか…」
「見てる人は必ず見てます。アナタは自分を貫いてきた、誰にでも出来ることではありません。そこは自信を持てばイイんですよ。思考を変えれば世界は変わります」
「思考を?」
「男性と女性は思考の仕方が違います。区別して考える男性と違って女性は、割と物事を一緒に考える生き物だとか。自分の信念に生きてるなら、それでいいんです。ハラスメントだって、出来ない連中のざわつきだと思う、恋愛は少なくても、不幸な訳ではない。結局、仕事も恋愛のどちらも好きなことしていれば構わない。堂々としてなさい」
美樹子の顔が少し明るくなった。
「堂々と…」
「そう、悪いことしてる訳ではない。陰口は成功者の副産物みたいなもの。必ず妬む輩が出てきますよ」
「黒田さんもですか?」
「ええっ、そりゃ居ますよ。ことある毎に皮肉や嫌味を言われます。でも、なんの影響も無い。私もアナタもユーザーに受け入れられたから広まった。見失ってはいけないのはユーザーがいるから、私達があるということ、これを忘れてはいけませんよ」
「…ハイ!」
美樹子は心のモヤモヤが晴れた気がした。
「カギも落としてみるものですね…」
「ん?どうして?」
「だって、カギを落としたから、黒田さんに出会えました。そして悩みを解決してくれました。アレがなければ、まだ彷徨ってたと思います」
「なるほど!ハハッ」
「フフッ…ウフフ!」
時計は日付を越えようとしていた。
「そろそろ、おいとましなければ…」
「えっ!」
平成が立ち上がると、美樹子が遮り抱きついてきた。
「開田さん…」
「…まだ行かないでください」
「いや…でも…」
「私のことキライですか?」
「いや、それはないけど…」
「今日は独りになりたくないんです」
美樹子の顔が平成を見上げた。
「こんなオジサンですよ」
「そんなの気にしません…」
二人はギュッと抱きしめ合いキスを交わした。
柔らかい唇、しなやかな身体…久しぶりの身体に平成は沸き上がった。
美樹子の身体は平成の愛撫に狂った。
経験も乏しいせいもあるが、自分を包んでくれる男に身を委ね、されるがままに流れに身を置いた。
「スゴイ、溢れてるよ」
「いや、言わないで…恥ずかしいです」
「ほら、こんなに音がしてる」
「あっ!いやぁ!あっ…あん…」
美樹子の陰部は待っていた。
平成を迎え入れたがっていた。
平成自身が入ると美樹子は、えび反り声が更に上がった。
締りがよく、平成もなんとか耐えるのに必死だった。
最後は美樹子の下腹部に結末を出した。
熱い液が広がる。
美樹子は男臭いものが、何故か心地良かった。
コトが終わると部屋は静寂に包まれる。
「ヘイさん…」
「なんですか?」
「…ありがとうございます」
「こちらこそ」
「不思議な感じ…」
「ん?」
「抱かれたのに、そんな大事でもない気がして…なんでですかね?」
「そうですね、もしかしたら大した事ではなく、ウップン晴らしたぐらいの感覚かも…」
「あ~、それかも知れませんね」
「マンションのお隣さんと…なんて誰も信じないかなぁ」
「フフッ…かも…」
その日は朝まで過ごした。
それから一ヶ月後。
事態は急転直下を迎えた。
美樹子は帰りに平成の部屋を訪れた。
「すいません、ちょっと事情が変わりまして…」
「何があったんですか?」
「実は海外のアプリ会社からヘッドハンティングの話が来まして…」
「えっ!」
「シーズニングって、ご存知ですか?」
「聞いたことありますね」
「そこの日本支社から部長待遇でシンガポールで働いてみないか?と言われまして…」
「そりゃスゴイ!」
「迷ってます…」
「それはどうして?」
「分かりませんか?」
美樹子の目が潤んだ。
止めてほしい…行くな…そう言ってほしい。
「止めることは出来ない」
「…そうですか…そうですよね」
パッと美樹子が思いついたように顔を上げた。
「奥様の事が…?」
「私はもう誰とも結婚する事は…出来ないかも知れません」
「なぜですか?」
「年もあるけど、先の人生でどうなるかの展望が見えないんです。でも、アナタがこれから先のある人の為に何ができたらそれでいい、と」
「…ズルイです」
「殴ってもいいですよ、アナタにはその資格はある…」
しばらく無言になり、美樹子はソファーに座った。
「でも、ヘイさんが居たから、こういう話もきたのかな…」
「いや、それは違う、あくまでアナタの実力ですよ」
「そうですか?」
「私はちょっと手助けしただけ、言いましたよね?見てる人は見てる…とね」
「…確かに。まさか社外とは思いませんでしたけど」
「それは私もですけどね」
「不思議なんです…」
「ん?」
「ヘイさんに抱いた責任取って欲しい、って思えないんです。抱かれたのにスッキリしてるんです。なんでしょうかね?」
「ん~合ってるか分かりませんけど。乾いた花瓶に水を上げた程度だから…かなぁ」
「えっ?それってアタシが乾いた女って事ですか?」
少し怒った顔をした。
「いやいや、言い方が悪かったかな。心の乾きですよ!」
「あ~なるほど、上手く逃げましたね。フフッ…やっぱり敵わないなぁ…」
「試してみたいんでしょう?自分がどこまでやれるのか?…を」
「…そうですね、せっかくのお話なので…」
「ならば迷うことはありません。正直になればいい」
「ヘイさん…」
「はい?」
「嘘つき…」
「何が?」
「あの奥様の写真…来たときもありましたけど、まだ心にいらっしゃるんですね」
「あー、あれは…まぁ…」
「フフッ…いいですよ!手を合わせてもいいですか?」
「どうぞ」
美樹子は仏壇では無く、テーブルの上に飾られた陽子の写真に手を合わせた。
仏壇に行かなかったのは、罪悪感からだろうか?
平成はそう思った。
「少しだけヘイさんをお借りしました。ごめんなさい…もう独りで大丈夫ですから」
そう言って美樹子は笑顔で振り返った。
「ありがとうございます…ヘイさん‥」
「頑張って…」
美樹子は、それから一ヶ月して部屋を出て行った。
前の夜に挨拶に来て、出ていくことを告げた。
「もっといい女になって、今度はヘイさんの心を掴みに来ます!覚悟してくださいね」
苦笑いした平成の顔を見て、美樹子も微笑んだ。
「本気ですから!」
それが美樹子の最後の言葉だった。
講演の帰りにポストを見て、隣の美樹子の名札が外されてた。
頑張って欲しいと願う平成は、引き換えして夜のネオン街に向かった。
山手線で近い場所と、取引先とのやり取りに便利だった以外に理由はない。
恵比寿のマンションは、ある知り合いが勧めてくれた。
繋りにも世界が違うことを味わった。
サラリーマン時代では、あり得ない社会的地位の高い連中との付き合いが増えた。
マンションを紹介してくれたのも、その中の一人で不動産会社の社長だった。
愛人用に用意していた部屋だが、病気になり不要になったから借りてほしい、との訳があった。その変わり、相場の半額でいいからというフレーズで受けることにした。
この年になると、あちこちで「病気」のフレーズがよく出てくる。
そのたびに身につまされる思いだった。
品川のオフィスで、次のモデルチェンジの為に、販売メーカーのマーケティングと打ち合わせを済ませ、晩御飯を食べに何時もの定食屋に足を運ぶ。ここは、オヤジ向けの和食でコスパも味も良い。鯖定食にビールとツマミも合わせて頼む。
冷えたビールが滲みる。
このセットで税込1200円は安い。
昔からやっているせいか、店の壁も天井も薄汚れている。それも店の味と言える。
オヤジにはその方が落ち着く。
全てを胃に放り込み、平成はスポーツジムに向かう。ここは、恵比寿駅の側にある。
五十路を超えると身体のあちこちが、少しの運動で痛くなる。
だから始めた。
半年も経つとかなり動くし、肩こりも改善された。
プールでも1時間ほど歩いて家路につく。
時計は9時を少し回っている。
部屋は13階だ。
ワザと階段を使う。
これも運動の一環だ。
部屋から眺める都会の夜景は、いつも自分の人生を振り返らせる。陽子を忘れたことはない。
「ありがとう」その言葉が、何度も頭の中をリフレインする。
メールチェックしてから風呂に入る。
11時にはベッドに入る。
明日は昼と夜に講演を予定している。
1つは、若者向けの「起業」をテーマにしたもの。もう1つは、医療機器開発に取り組む連盟の集会での講演だった。
翌日。
講演を済ませて、夜の懇親会に出席した。
成功者として広く認識された平成の元には、数多くの関係者が集まった。
日本から一人の男が考えた機器が世界に広がるのは、この業界の「夢」とも言える。
その夢の第二弾にあやかりたい、と群がってるのは平成にも分かる。
だが、反対に快く思わない者もいた。
ジャパンインダストリーメディカルの代表である納谷道夫である。
彼は米国食品医療局で、唯一審査員を勤めた経歴を持つ、いわばエリートであった。
彼は様々な分野の医療機器開発者とスポンサー企業を仲介する役目を担い、更には別のスポンサーからの資金援助を得て、投資する機関を作った。
平成も当初は、ここに話を持ち込んだが、既に市場は円熟してると見做され断られていた。
だが、落とし穴があった。納谷の社内には平成の提案した分野のスペシャリストが居なかった。表面ばかり見てしまい「旨み」と「拡販」が無いと判断したのである。
だが、平成は見事に成功した。
逆に納谷を通さない事でコストも抑えることが出来、更には知的財産権も取られる心配が無くなるという皮肉な結果になった。
納谷は心底では面白くなかった。
平成の成功の裏で、先見の明が納谷に無いということが一部で囁かれたからだ。
「やぁ、黒田さん!」
スマートで背の高い納谷は、見下ろし目線で平成に呼びかけた。
「あぁ…納谷社長、ご無沙汰してます」
握手を交わして、シャンパンを飲んだ。
「さすが成功された方のプレゼンは違いますね。黒田さんのおかげでこの分野も活気づくと思いますよ」
目はそう語っていない。
「そうですか。納谷さんに言われると光栄ですね」
平成も見抜いていた。
「次の新製品はどんなものを?」
「いえ、まだまだ改良の余地はありますので」
「ほう、それはそれは。余念が無いですね」
「自惚れることなくユーザーの立場にならないと駄目ですからね」
「楽しみにしてます、もし良ければウチも加わらせて貰えませんか?」
これが本音の一部だ。
資金提供して、知的財産権をもぎとろうとしている。
「そうですね。いずれ検討させてもらいます」
政治家的な答弁で逃げた。
「そうですか。その時はご連絡下さい。では」
納谷はフッと唇だけ微笑んで、その場を後にした。
すかさず、小泉が寄ってきた。
平成の案に協調し、共に開発にアイディアを出した販売メーカー「アイエス」のマーケティング部長だ。
「また納谷さんですか」
「ハハッ…脅されましたよ」
「全く…自分たちで却下しておいて絡んでくるなんざ、程度が知れてますねぇ」
「でも、彼らもそれなりに開発してますからね。悪いことではない」
「まぁ、確かに…あっ、次の改良案ですけどね。再来年辺りに市場に出そうかと役員会で話が出ましてね。また、ご足労頂けますか?」
「了解です。では野村専務によろしくお伝え下さい」
9時過ぎに、ホテルカールトンを出て、タクシーで自宅に戻る。
街中では、カップル達が楽しそうに歩いていた。
マンションに戻るとオートロックの前でカバンを漁る女性が慌てていた。
よく見ると隣の部屋の住人である。
「こんばんは」平成は何時もの挨拶をした。
「えっ!あっ…どうも、こんばんは」
「どうしました?」
「いえ、カギが…」
何度かき回しても、中のものを出してもカギが見当たらないようだ。
「落としましたか?」
「…はい、そのようです」
「スペアは?」
「部屋の中なんです」
「あらま…」
「警備会社に来て開けて貰いますか?」
このマンションは、スペアキーは本人と管理会社が持つが、夜間は警備会社に預けていた。朝が来ると管理会社に戻されるシステムだ。
「携帯変えたばかりで、警備会社の連絡先が分からないんです」
「では、私のを使いますか?」
平成はポチポチと警備会社に連絡して、電話を渡した。
「はい、カギを落としたみたいです。すぐ来られますか?」
「えっ、そんなにかかるのですか?」
「どうしました?」
「いえ、何でも繁華街での警備に人が割かれて、一時間ほどかかるらしくて」
「では、来るまで私の部屋で待ちますか?」
「えっ?」
「外で待つには寒いですし、それに来たらすぐに出れるようにしておいた方がいいでしょう」
平成の言葉に少し考えて頷いた。
「あっ、すいません。では、隣の方の1301に居ますので着いたら連絡下さい」
警備会社にそう告げて電話を切った。
「どうぞ」
平成は中を案内した。
「お邪魔します。わぁー綺麗にされてますね」
「いえいえ、男独り身ですから。あんまり余計なものが無いだけですよ、そこのソファーにどうぞ」
ソファーに薄いコートを置いて座る。
平成はキッチンでコーヒーを入れて出した。
「あっ、出してからなんですけどコーヒー飲めますか?」
「はい、大丈夫です」
向かい合って座った。
「黒田平成です」
「開田美樹子です、ホントに助かりました」
年の頃は三十路後半といった感じだ。
黒のストレートロングヘアに、少し面長の美人顔だ。秘書あたりが似合いそうな雰囲気だ。
お互いに名刺を出した。
「あっ、社長さんですか?」
「いえ、合同会社と言っても私だけなので」
「そうなんですね」
美樹子の名刺には、営業企画課長と書いてある。バリキャリか?と思った。
「ひらなりさんて平成って書くんですね」
「これのおかげで、あだ名が年号でしたよ」
フフッと微笑む顔は上品だった。
「開田さんの読み方も珍しいですね。かいだと読むんですね」
「そうです。ひらいだとかひらきだって呼ばれることもありまして」
「お互いに名前では苦労した方ですね」
「確かに…ですね」
美樹子がマジマジと名刺を見ていた。
「メディカコンサルタントって、どんな事をされてるのですか?」
「ああっ、医療機器開発ですよ」
「えぇっ!開発ですか?」
「はい、私の案で開発したメイドインジャパン製が国内と世界で使われてます」
「スゴイ…そんなお仕事されてるんですね」
「いえいえ、たまたまですよ」
「あの…どうして開発を?…」
「中々一般の方にはわかりませんけどね、医療機器の7割は海外製なんですよ。まぁ、市場規模が違いますしね。でも、欠品や品質、改良とかの面で、日本のドクターの満足は得られなくて。ならば、自分で作ってみようかと」
「はぁ…そんな簡単な事じゃないですよね?」
「まぁ、そうですね。3年は掛かりましたね」
「私には想像も出来ない世界ですね」
「開田さんのお勤めされてるメソッドというのは何をされてる会社ですか?」
「ハイ、携帯のアプリを作成してます」
「アプリってゲームとか?」
「いえ、そっちではなく女性向けのアプリなんです。主にハラスメント対策のアプリです」
「へぇ、どんな内容ですか?」
「パワハラやセクハラ、モラハラとかのハラスメントの相談窓口で、弁護士や探偵と繋ぐアプリです」
「ほう…それは心強いですね」
「女性はあまり分からないから、私達の会社と弁護士協会や探偵事務所の協会と契約を結んで相談や対策を指南するんです。時に裁判になればその支援もします」
「全国で?」
「はい、その地域で強い弁護士先生に紹介しますね」
「会費も?」
「いえ、会員から取りません。相談も5回まで無料なんです」
「じゃあ資金はどこから?」
「実は企業からなんです」
「それは意外ですね」
「最近はコンプライアンスで、ハラスメント対策を組み込む企業がかなり増えまして。これを社内で告知することで予防策にもなりますし、定期的に勉強会も開催してます」
「なるほどね。弱者の味方ですね」
「ハイ…」
その時、美樹子の顔に少し曇りが見えた。
もしかして過去に経験があるのだろうか?
「わたしの会社では、誰もいないからハラスメントしようがないな」
「いえ、取引先でのハラスメントが多いんですよ。トラブルになるので泣き寝入りするしか無かったり…」
「あっ、そうか…気をつけましょう」
それから少し趣味や社会の話で盛り上がった。
特にドライブが好きらしい。
「あの…お一人なんですか?」
美樹子は恐る恐る聞いてきた。
「ハハッ…妻には先立たれましてね。それから独り身です。開田さんは?」
「私も独り身のお局です」
「そうでしたか」
「この年まで独り身だと、色々言われますけどね」
「今どき珍しくも無いでしょう」
美樹子は少しため息をついた。
「女を捨てた女、鉄仮面、行かず後家、色々影で言われてます」
「そりゃ酷いな、まさにハラスメントじゃないですか」
「おかしな話ですよね、女性向けのハラスメントアプリ作ってる本人が、ハラスメント受けてるなんて笑えません」
「言わせておけばいいんですよ」
「えっ?」
その時、平成の携帯が鳴った。
警備会社からだ。
「もしもし、はい、ちょっとお待ち下さい」
平成は電話を美樹子に渡した。
「はい、開田です…分かりました」
電話を戻してお礼をした。
「今、下に着いたそうです」
「良かったですね」
「本当にありがとうございました、助かりました」
「困ったときはお互い様ですよ」
「コーヒーとても美味しかったです。今度お礼させて下さい」
「お礼なんていいですよ、大したことしてませんので」
「いえ、それでは気が済みません。お礼させて下さい!」
グイッと来る姿勢に平成は可笑しくなった。
「分かりました、ではお礼お待ちしてます」
美樹子は再びお礼して部屋に戻っていった。
平成は、よくいるバリキャリ女性の悩みを久しぶりに見た気がした。
特に医療系には女性の台頭は増えている。
外資系のマーケティングや営業辺りは、対外的にも響きがよく、それなりの給料も稼ぐから普通の男では物足りなくなる。レベルが自然と上がるのだ。
おまけに男性の中に混じって仕事するから、どうしても気が強くなってしまう。
そのために結婚が遅くなる。
美樹子もその中にいるようだ。
一週間後。
平成は気が向いた時に自炊する。
外食に飽きたら…という程度だが。
玄関前に女性がいた。
美樹子だった。
「こんばんは」
「どーも、こんばんは。今帰りですか?」
「はい、黒田さんのお帰りを待ってました」
「はい?」
「お礼する約束ですよね?」
本気にしてなかった。
「あ~そうでしたね。えっ、待ってたんですか?」
「はい、待ってみました」
平成は中に通した。
「遅くなるかも知れなかったのに…」
「それならそれで別の日にしようと思ってましたから…気になさらないで下さい」
二人とも手に袋を下げている。
「これからご飯ですか?」
「ハハッ…たまの自炊ですよ」
「あの…これ飲まれます?」
美樹子のぶら下げてた袋から、日本酒が出てきた。
「あら、洗心じゃないですか?」
「ご存知ですか?」
「新潟の名酒ですよ、中々手に入らない酒ですよね」
「たまたま手に入れる機会があったので。黒田さんと飲めたらと思いまして」
「それはありがたい。ならば、それに合う肴にしないと…」
テーブルにザーサイの辣油漬け、塩ダレのキャベツとモヤシ、肉野菜炒めのピリ辛風などが並んだ。
洗心はとてもサラッとした味わいで、スコスコ入ってしまう。
「ところで、この間言いかけた事が気になってるんですよね」
「なんでしたっけ?」
「私がハラスメントされてるのを、言わせておけばいいって…」
「あ~はいはい」
「あれ、よく考えてみたけど、よく分からなくて…」
「開田さんは、仕事に打ち込む人生を歩むと決めたんですよね?」
「そうですね」
「ならば、その事に後悔は無いのだから、それに邁進すれば良いんですよ」
「でも、組織ではよく思わない人もいます」
「確かに。でも、それは自分に出来なかった妬みでしかない。知識もスキルも足りなかったから、自分には出来なかった。そういう人は、何をやっても大成しませんよ。人のせいにして自分は安全圏にいる、そんな連中はシカトしてればいい、会社は確かに組織やチームで動きます。でも、本人のスキルを育てる場でもあるんですよ。開田さんは、ハラスメントを受ける弱者を救いたい気持ちからアプリを作った。その着眼点が他の人には見えなかった。それだけなんです」
美樹子の目には涙が浮かんだ。
「そんなふうに言って貰える方居なかった…」
「私の経験ですけど、会社組織での仕事の経験があるから、今がある。要は経験やスキルを身につける目的で仕事をした方がいい。会社の為に働く、という団塊の世代は終わりました。我々も生きる手立てを考えなきゃならない。だから、会社を利用する!こんな気持ちでもいいんじゃないですか?」
黙って美樹子は頷いていた。
「これからどうすればいいんですか?」
「それほど難しいことではない。みんな開田さんの持つ知識やスキルを与えてあげればいい」
「えっ?」
「開田さんが自立するなら別ですけどね。色々と助けてあげればいい。それだけでハラスメントは無くなります」
「それでも無くならなかったら?」
「人の妬む心は中々続かない。必ず打ち解けます。一度でだめなら二度、三度すればいい」
「それでもダメなら?」
「アプリをぶっ壊して転職ですよね」
「えーっ?壊す?」
「そ、社長が後悔するぐらいにね」
「アハハハ!それいいかも!」
二人は少し腹を満たすために、ご飯をとることにした。
「何か作りましょう、肴にも合うやつをね」
平成はキッチンに行き、おもむろにオニギリを作り出した。
「わぁ!オニギリですか?」
「たまに握り立てを食いたくなるんですよ。味噌汁と漬物もありますからね」
平成はなぜか、子供の頃から握るのが得意だった。手際よく握ると美樹子は、その姿を見つめていた。
「意外と難しいんですよ。美味しい握り方が」
平成は軽く形を整えるように、六回握って美樹子に渡した。
「どーぞ」
パクっと食べるとふんわりした食感の中に、米の旨味が広がる。
「美味しい!」
「ハハッ、成功しました」
二人はそれらを笑い話の中でたいらげた。
時間は十時を少し回っていた。
「こんな時間!ごめんなさい、長居して締まって」
「楽しいと早いですね」
美樹子は改めて頭を下げた。
「本当にありがとうございます。相談にも乗って頂いて感謝してます。なんかモヤモヤが晴れた気がしてます。実は、私って母子家庭なんです。父の暴力と浮気が酷くて…」
「そんな過去が…」
「母は頑張って大学まで出してくれました。だから、今度は私が恩返ししてるんです。母は昔の実家でのんびり暮らしてます」
「それはなによりだ」
「ずっと走り続けて疲れたみたいで…だから、目黒さんの言葉が身に沁みて…」
「そんな大した事は言ってませんよ。あっ、そうだ!」
「はい?」
「ドライブお好きでしたよね?」
「えぇっ…好きです」
「実は来週の土曜日に、カーマニアミーティングがあるんですけど、良ければどうですか?」
「どちらまで行かれるのですか?」
「日帰りで箱根です。無理なら構いませんが」
「いいですね。行きたいです」
「詳しいことは水曜にお伝えします。少し朝早いですけど」
「大丈夫です」
「では、また!」
平成がこのマンションに決めた理由に、パーキング事情があった。青空パーキングは避けたかった。屋内が条件で探してた。ここは、その条件にピッタリだった。
スカイラインR31。
GTSーXツインカムターボ。
今から三十年前のスポーツカーだ。
今では国内で三百台あるかどうか。
その中でもすべて純正パーツで、走行距離が二万キロの極上品を手に入れた。
エアバッグもナビも、ハイブリッドも無い。
エアコン、パワステ、パワーウィンドウの装備で、マニュアル車だ。
美樹子は目を丸くした。
「これ、昔の車ですか?」
「これが手に入れたくて、全国の車屋調べましたよ」
「かなり高いんじゃ?」
「まぁ、極上品ですからね」
ツードアのドアを開けて美樹子を導く。
黒のタンクトップに白の花柄カットソー、ジーンズに白のパンプスというシンプルな装いもよく似合った。
「では、行きますよ」
「はい!」
首都高から東名高速に入る。
晴天だが車は少ない。
「マニュアルって初めて見ました」
「私達の若い頃は当たり前だったんですよ。乗り心地悪いですか?」
「いえ、全然楽しいです!」
それから車中では、様々な話で盛り上がった。
箱根に着くと、パーキングに平成と同じ車が沢山止まっていた。
「うわっ!スゴイ」
「このタイプのスカイライン好きだけが集まるんですよ。みんな彼女や奥さん連れてきて少し肩身の狭い思いだったんです」
「そうなんですね」
「たぶん、邪推されると思いますから、否定してくださいね」
「フフッ、じゃあ今日は黒田さんの彼女役になりましょうか?」
イタズラっぽい目をしながら、平成を見ると照れ笑いしていた。
「あ~!ヘイさん!彼女連れてきた!」
「マジマジ?うわ!とうとう来たか!」
「めちゃくちゃキレイじゃん!どこで捕まえたの?」
矢継ぎ早に聞かれる質問に、二人は苦笑いしていた。
「あのね、残念ながら彼女じゃないの!無理矢理来てもらったの!」
「ホントかなぁ?」
「こらこら、彼女が迷惑するから。早くバーベキューの用意しようや」
美樹子は笑った。
なんか昔を思い出した。
損得もない、駆け引きもない、まるで子供のような時代を。
初めて会うのに、すんなり受け入れてくれる仲間のような存在が羨ましく思えた。
「なんか、すいません…」
「いえ、楽しいです!みなさん繋がりは車だけなんですか?」
「そうですよ。住んでる場所も仕事もバラバラですからね。ただ、あの車が好きなだけです」
男性陣は火起こしと、荷物運び。
女性陣はバーベキューの下準備を始めた。
一人の奥さんが話しかけてきた。
「初めまして!川名です」
「開田といいます、よろしくお願いします」
「開田さんは、テーブルの用意をお願いしてもいいですか?」
「はい、分かりました」
美樹子は接待の経験から、手際よく皿や手拭きなどの用意を始めた。
バーベキューなんて何年ぶりだろう?
「川名さんは何度も参加されてるんですか?」
「三回目です。主人と一緒になってからですね」
「そうなんですね」
「開田さんは、黒田さんと同じ職場なんですか?」
「いえ、お隣さんで縁あって誘われました」
「じゃあ独身?」
「まぁ、ハイ…」
「じゃあ仕事バリバリなさってる?」
「あの、ウーハラってアプリをご存知ですか?」
「あ~ハイ!知ってます、てか携帯に入ってます。万が一に備えて!私の友達があのアプリのおかげで助かったって…」
「あれ、私が作ったんです…」
「えー!そうなんですか?すごぉーい!」
「お役に立てていいのか、分かりませんけどね、ハハッ」
「じゃあ、バリキャリって感じですかね?羨ましい!」
「羨ましいですか?」
「私も開田さんぐらい働けてたら、良かったなぁ…と思うんでよね」
「でも、ご結婚されて幸せじゃないですか?」
「まぁ、無い物ねだりかもですけど、男の人に頼らなくても生きていけるのもいいなぁって」
川名の顔からもウソではなく、本音を話してるようだった。
(そんなふうに思う人もいるんだ)
美樹子にとって、結婚した対極の人間にそう言われると思わなかった。
「楽しんでますか?」
平成は烏龍茶片手にやってきた。
「あっ、ハイ!楽しんでますよ」
「それなら良かった!」
平成が炭おこしに行った代わりに、今度は白髪混じりの男がやってきた。
「初めまして、塚本と言います」
「初めまして、開田です。今日は楽しくさせてもらってます」
「そうですか、ところでヘイさんとお付き合いしてないんですか?」
「違います、黒田さんはここでは、どんな存在ですか?」
「ヘイさんは中心的な方で、ここにいる人達の相談にも乗って貰ってますよ」
「やっぱりそうなんですねぇ」
「開田さんも相談したクチですか?」
「実はそうなんです。今日の会も気分転換に誘ってもらったんですよ」
「やっぱりねぇ…ヘイさんはいい人だから」
バーベキューはかなり盛り上がった。
美樹子もかなり楽しんだ。
午後四時を回ったところで解散となった。
「楽しかったです」
「それは何よりでした」
「最後に写真撮りましたけど、いつも黒田さんの車が真ん中って聞きました」
「純正品百パーセントですからね、その方が画になるんですよ」
年代物の車だが、乗り心地は良かった。
平成の腕もある。
「普通ならご自宅側まで送ります、と言うところですけど、その必要が無いのは初めてですね」
「フフッ…そうですね。お互いに住処はバレバレですからね」
パーキングに車を入れて、部屋に戻る時に美樹子は部屋に平成を誘った。
「では、少しだけお邪魔します」
独身女性の部屋に入るのは、久しぶり過ぎて妙にドキドキした。
陽子の独り暮らしだった以来である。
「何もありませんが…」
整理整頓されていて、所々の飾りが女性らしさを演出していた。
芳香剤なのか、いい香りが部屋に漂っていた。
白のソファーに座ると、美樹子はキッチンで紅茶を淹れた。
「ダージリンティーですけど」
「はい、好きですよ」
一口飲むと、香りが広がった。
「うん、美味い」
「良かった!」
少し談笑した後、美樹子がうつむき加減で話しだした。
「私みたいな女でも幸せになれますか?」
「幸せの定義はそれぞれですからね。開田さんが幸せと思えばそれでいいんです。だから、質問の答えとしてはイエスですよ」
「こう見えても学生時代に本気の恋愛したんですよね。恋愛経験少ないので、後にも先にも大恋愛と言えるのは、それだけなんですけどね」
「その方は?」
「同じゼミの子に取られちゃいました」
「あれま、どうして?」
「彼は私の生い立ちを理解してくれて、仕事に生きる私を応援してくれてました。でも、私は彼の心に気付いてませんでした。彼との時間はドンドン少なくなり会うのも、資格勉強で削られました、それでも彼は変わらないと思い込んでました」
「そうじゃなかった?」
美樹子は頷いた。
「彼の中では、自分は必要なのか?と思い始めたようです。その時に、その子と接する事があり、彼女はとても尽くす人でした」
「それで心変わりを?」
「いえ、最初は私がいるから想いには応えられない、と拒んでいました。その時、彼は私と会う時間が欲しいと連絡をくれたんです」
平成は紅茶を飲んで静かにカップを置いた。
「ちょうど資格試験の前で、時間がいくらあっても足りない時でした。彼からの連絡を煩わしい、と思ってしまい返信しなかったんです。試験が終わって彼に連絡したら、別れたいと一言言われました」
「なるほど」
「何も考えてませんでした。彼の想いも望みも…二人で会った場所に、その子が現れて散々罵られました。酷い女だ!人の気持ちの分からないのか!とか…」
「……」
「その通りですよね、彼が彼女に傾いたのは手作りのお弁当だったそうです」
「うん、胃袋掴まれた訳ですね」
「はい、敵いませんでした。私は料理苦手で、いつも彼とは外食でしたから…」
「まぁ、男の弱点だなぁ…」
「もう彼の横に私は居ませんでした…それでも好きで好きで…でも、言えませんでした」
「それはプライド?」
「そうかも知れません、認めたら何もかも崩れる気がして…」
「じゃあ、それから恋愛は?」
首を左右に振った。
「声はかけられましたけど、仕事も楽しかったですし、それにあんな思いはしたくなくて」
「あ~臆病になったんですね」
「……そうでしょうね」
平成は、大きく息を吐いて美樹子を見据えた。
「開田さん、人はそれほど器用にはなれませんよ。料理が出来なくても結婚してる人は沢山います。どう後悔無く生きているか?その魅力がありますから、心配しなくていいですよ」
平成の言葉に、美樹子の目に涙が浮かんだ。
「ホントに…そうなんでしょうか…」
「見てる人は必ず見てます。アナタは自分を貫いてきた、誰にでも出来ることではありません。そこは自信を持てばイイんですよ。思考を変えれば世界は変わります」
「思考を?」
「男性と女性は思考の仕方が違います。区別して考える男性と違って女性は、割と物事を一緒に考える生き物だとか。自分の信念に生きてるなら、それでいいんです。ハラスメントだって、出来ない連中のざわつきだと思う、恋愛は少なくても、不幸な訳ではない。結局、仕事も恋愛のどちらも好きなことしていれば構わない。堂々としてなさい」
美樹子の顔が少し明るくなった。
「堂々と…」
「そう、悪いことしてる訳ではない。陰口は成功者の副産物みたいなもの。必ず妬む輩が出てきますよ」
「黒田さんもですか?」
「ええっ、そりゃ居ますよ。ことある毎に皮肉や嫌味を言われます。でも、なんの影響も無い。私もアナタもユーザーに受け入れられたから広まった。見失ってはいけないのはユーザーがいるから、私達があるということ、これを忘れてはいけませんよ」
「…ハイ!」
美樹子は心のモヤモヤが晴れた気がした。
「カギも落としてみるものですね…」
「ん?どうして?」
「だって、カギを落としたから、黒田さんに出会えました。そして悩みを解決してくれました。アレがなければ、まだ彷徨ってたと思います」
「なるほど!ハハッ」
「フフッ…ウフフ!」
時計は日付を越えようとしていた。
「そろそろ、おいとましなければ…」
「えっ!」
平成が立ち上がると、美樹子が遮り抱きついてきた。
「開田さん…」
「…まだ行かないでください」
「いや…でも…」
「私のことキライですか?」
「いや、それはないけど…」
「今日は独りになりたくないんです」
美樹子の顔が平成を見上げた。
「こんなオジサンですよ」
「そんなの気にしません…」
二人はギュッと抱きしめ合いキスを交わした。
柔らかい唇、しなやかな身体…久しぶりの身体に平成は沸き上がった。
美樹子の身体は平成の愛撫に狂った。
経験も乏しいせいもあるが、自分を包んでくれる男に身を委ね、されるがままに流れに身を置いた。
「スゴイ、溢れてるよ」
「いや、言わないで…恥ずかしいです」
「ほら、こんなに音がしてる」
「あっ!いやぁ!あっ…あん…」
美樹子の陰部は待っていた。
平成を迎え入れたがっていた。
平成自身が入ると美樹子は、えび反り声が更に上がった。
締りがよく、平成もなんとか耐えるのに必死だった。
最後は美樹子の下腹部に結末を出した。
熱い液が広がる。
美樹子は男臭いものが、何故か心地良かった。
コトが終わると部屋は静寂に包まれる。
「ヘイさん…」
「なんですか?」
「…ありがとうございます」
「こちらこそ」
「不思議な感じ…」
「ん?」
「抱かれたのに、そんな大事でもない気がして…なんでですかね?」
「そうですね、もしかしたら大した事ではなく、ウップン晴らしたぐらいの感覚かも…」
「あ~、それかも知れませんね」
「マンションのお隣さんと…なんて誰も信じないかなぁ」
「フフッ…かも…」
その日は朝まで過ごした。
それから一ヶ月後。
事態は急転直下を迎えた。
美樹子は帰りに平成の部屋を訪れた。
「すいません、ちょっと事情が変わりまして…」
「何があったんですか?」
「実は海外のアプリ会社からヘッドハンティングの話が来まして…」
「えっ!」
「シーズニングって、ご存知ですか?」
「聞いたことありますね」
「そこの日本支社から部長待遇でシンガポールで働いてみないか?と言われまして…」
「そりゃスゴイ!」
「迷ってます…」
「それはどうして?」
「分かりませんか?」
美樹子の目が潤んだ。
止めてほしい…行くな…そう言ってほしい。
「止めることは出来ない」
「…そうですか…そうですよね」
パッと美樹子が思いついたように顔を上げた。
「奥様の事が…?」
「私はもう誰とも結婚する事は…出来ないかも知れません」
「なぜですか?」
「年もあるけど、先の人生でどうなるかの展望が見えないんです。でも、アナタがこれから先のある人の為に何ができたらそれでいい、と」
「…ズルイです」
「殴ってもいいですよ、アナタにはその資格はある…」
しばらく無言になり、美樹子はソファーに座った。
「でも、ヘイさんが居たから、こういう話もきたのかな…」
「いや、それは違う、あくまでアナタの実力ですよ」
「そうですか?」
「私はちょっと手助けしただけ、言いましたよね?見てる人は見てる…とね」
「…確かに。まさか社外とは思いませんでしたけど」
「それは私もですけどね」
「不思議なんです…」
「ん?」
「ヘイさんに抱いた責任取って欲しい、って思えないんです。抱かれたのにスッキリしてるんです。なんでしょうかね?」
「ん~合ってるか分かりませんけど。乾いた花瓶に水を上げた程度だから…かなぁ」
「えっ?それってアタシが乾いた女って事ですか?」
少し怒った顔をした。
「いやいや、言い方が悪かったかな。心の乾きですよ!」
「あ~なるほど、上手く逃げましたね。フフッ…やっぱり敵わないなぁ…」
「試してみたいんでしょう?自分がどこまでやれるのか?…を」
「…そうですね、せっかくのお話なので…」
「ならば迷うことはありません。正直になればいい」
「ヘイさん…」
「はい?」
「嘘つき…」
「何が?」
「あの奥様の写真…来たときもありましたけど、まだ心にいらっしゃるんですね」
「あー、あれは…まぁ…」
「フフッ…いいですよ!手を合わせてもいいですか?」
「どうぞ」
美樹子は仏壇では無く、テーブルの上に飾られた陽子の写真に手を合わせた。
仏壇に行かなかったのは、罪悪感からだろうか?
平成はそう思った。
「少しだけヘイさんをお借りしました。ごめんなさい…もう独りで大丈夫ですから」
そう言って美樹子は笑顔で振り返った。
「ありがとうございます…ヘイさん‥」
「頑張って…」
美樹子は、それから一ヶ月して部屋を出て行った。
前の夜に挨拶に来て、出ていくことを告げた。
「もっといい女になって、今度はヘイさんの心を掴みに来ます!覚悟してくださいね」
苦笑いした平成の顔を見て、美樹子も微笑んだ。
「本気ですから!」
それが美樹子の最後の言葉だった。
講演の帰りにポストを見て、隣の美樹子の名札が外されてた。
頑張って欲しいと願う平成は、引き換えして夜のネオン街に向かった。
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