百夜の秘書

No.26

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一縷の記憶

一、

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 秋を迎え、美しい紅葉の庭園をもつ旅館『百夜』は最大の稼ぎ時となっていた。
 紅葉の木は、この天藍の書斎である最上階からもわかるほどに赤く色づいている。蝶は今日の忙しい業務を思い返しながら、ぼんやりとそんな景色を見ていた。
「これ、蝶にあげるよ」
 天藍のその声に、我にかえる。
 目の前の天藍が自分に差し出しているそれは、青く輝く宝石だった。
 金の縁に嵌め込まれ、裏側には針のようなものがついている。
 蝶は天藍を見つめた。
「……耳飾りですか?」
「そう。高価なものだけど、質屋に売って借金返済の足しにしたりしないでね」
 天藍はそう答え、その耳飾りを蝶の耳につけた。
 蝶はその言葉に、あることを思い出す。
「そのことなのですが、今月で借金が完済できるお金が溜まります」
「ああ、そうだね」
 天藍はそう言って、いつもより慈愛のある目で蝶を見つめる。
「亡くなったご両親の借金を肩代わりなんて、大変だったね」
「共感なんてないくせに、そんな上辺だけの慰めはやめてください。一生裕福な暮らしをしている貴方にはわからない話ですよ」
 蝶は不機嫌に顔を背ける。
 しかし天藍は変わらず笑顔で言葉を続けた。
「けれど、君のご両親の家も旅館だっただろう。それで破産なんて、僕も他人事ではないよ」
 その言葉に、蝶は再び天藍を見た。
「よくご存知ですね。話していましたっけ?」
 少しの間が流れる。微かに下の階から旅館の客の声が聞こえるほど、部屋は静かになった。
「……本当に覚えていないんだね」
「……え?」
 そう聞き返したが、天藍はいつものように微笑んだたけだった。
「今後の契約のことはまた繁忙期が落ち着いたら相談しよう。おやすみ」


 蝶は自室に戻って、寝支度を始める。
 しかし、先ほどの天藍の態度が妙にひっかかっていた。
「私はこの旅館に来る前、旦那様と会ったことがある……?」

 蝶は、とある街の小さな旅館の息子として生まれた。
 庶民と同じように学校に通い、家の手伝いをしたり、同い年の友達と遊んだり、年相応の日々を過ごしていた。
 そこから旅館の経営が立ち行かなくなり、両親が死去、残された借金を肩代わりすることになり、天藍の旅館に勤めることになった。

 そんな人生の途中で、出身地も年齢も違う天藍に会うようなことがあったのだろうか?
 蝶が記憶を辿っていた、そのとき。
 ガタン、と部屋の奥で大きな音がした。
「? 何の……」
 蝶が驚いて振り向くと、そこには見知らぬ者の姿があった。
 全身黒い衣服に、顔にはひとつ目のような模様の仮面を被っている。
 蝶が叫びそうになったその前に、その者は彼の服を掴み、薬瓶の中身を嗅がせた。
「ッ……!!!」
 その香りを吸ってしまった瞬間、蝶の意識が遠のいた。



 次に目が覚めたときには、蝶はベッドの上に寝転んでいた。
 まだ、頭がぼんやりする。辺りを見渡すと、そこはベッド以外家具のない、小綺麗な部屋だった。
 窓の外の景色は空しか映っておらず、かなり高層にいるのだと理解する。ずいぶん高いところにある誰かの家か、もしくは旅館の寝室にいるようだ。
 窓からは朝日が差し込んでいる。今は明け方のようだった。
「ここは……」
 そう蝶がつぶやくと、ガチャリとドアが開く音がした。
「目が覚めたか」
 そこには、ひとつ目の仮面を被った者が二人いた。
 その仮面を見て、蝶は自分が襲われたことをすぐに思い出す。
 はっと自分の身なりを確認したが、蝶の衣服は乱れていない。どうやら身体には何もされていないらしい。
 ひとまず安堵していると、その者は無表情のまま、言葉をつづける。先ほどの声からして、男のようだった。
「百夜の秘書。お前はしばらくこの部屋に居てもらう」
「……何故?」
 蝶はそう聞き返すが、それに対して男たちは何も答えず、部屋を出て行く。
 そしてドアが閉じられ、鍵が閉まる音がした。
「え……?! ちょっと!」
 ドンドンドン、と蝶はドアを強く叩く。
「どういうつもりですか! 何故私を……?!」
「騒ぐな、静かにしていろ!」
「説明していただかないと納得できません!」
 持ち前の気の強さで蝶が負けじとそう叫ぶと、ドアの向こうから舌打ちが聞こえた。
 そして、男はこう言葉を続けた。
「いいか、お前は人質なんだ」
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