王は愛を囁く

鈴本ちか

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一通の書状

一通の書状 ①

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 窓に掛かる竹で編まれた日よけが風に煽られからからと音を立てる。
 碧琉へきるは窓に寄り、日よけを柱に結いつけようとその端に付いた紐に手を掛けた。窓の向こうには青空に薄い雲が浮いている。碧琉はまぶしさに目を細めた。
 春のこの時期、じゅ国は風が強い。
 いや春だけではない。蓮大陸から突出している樹国は海に囲まれており、その先には二つの大陸がある。その為か普段から風が良く吹く。

「うわ、」

 びゅっと音が立つほどの強風が吹きつけ、碧琉の指から紐がすり抜けた。
 いつも通り春風は強いと思う。昨年もその前も、十七になった碧琉の物心着いた時からそうであったのに、今年に限ってなにかの予感のように風が荒れて感じる。
 些細な日常のなにかに違和感を無理矢理作り出している自分に碧琉は苦笑する。
 今、この瞬間も、王である父と第一王子の碧佳へきか、第二王子の碧慈へきじは広間で忠臣を交え議を開いている。
 碧琉は風に踊る紐をようやく掴まえると、窓の縁と同じ高さに打ち付けてある柱の坑に括りつけた。
 部屋に籠っていると胸がざわつき不安が募るので碧琉は外に出ることにした。
 碧琉の自室は王宮の奥にあり、部屋を出て廊下を進み一度右に曲がるとその廊下の先は中庭に通じている。研磨された石を敷いた廊下は碧琉のほかに誰もおらず、足音がよく響く。
 王宮を住処にしている碧琉達しか訪れることがないこの中庭は、手入れが行き届いており、色とりどりの花が咲き乱れている。庭に一歩足を踏み入れると、草花の放つ香りと穏やかな眺めが現実の出来事を一瞬忘れさせてくれる。
 碧琉は膝を折り黄色の花に指を添えた。この花は碧琉にとって特別な花だ。
『すごく綺麗』
 随分と昔聞いた鈴鳴りの声を思い出す。
 あれは碧琉が七歳の時のことだ。
 十三違う兄、碧佳の婚姻を祝う祝賀会が催された。
 大卓に並ぶたくさんのご馳走と煌びやかな会場の雰囲気に小さな胸をときめかせた碧琉だったが時間が経つにつれご婦人紳士の漂わせる強い香水と目の前を行き交う人に酔い倒れてしまった。
 気が付くと自分の部屋にいた碧琉は会場に戻る気になれずこの庭にやってきた。
 花々の醸し出す天然の芳香に身を任せると気持ち悪さが自然に引いていく。やっといつもの元気を取り戻した碧琉に『ここ凄いね』と背後から甲高い声が掛かった。
 振り向くと自分よりも頭二つは背の高い、とても綺麗な人が立っていた。
 落ち着いた雰囲気だが大人というには若く、その人は褐色の輝く肌を持ち長い黒髪を後ろで緩く結わえていた。
 服装はあまりよく覚えてない。それというのもその整った顔貌から目が離せず、顔付近しか見ていなかったからだ。だから襟元がひらひらしていた事や肩にかかる上着が光沢のある厚手な薄茶色の布地で錦糸の刺繍が施されていた事は覚えているが、それ以外は目にしていた筈なのにはっきりと思い出せない。
 鼻が高く、くっきりとした二重の奥の漆黒の瞳。
 金髪碧眼の碧琉から見たその人の黒い瞳は神秘的で神々しく見えた。
 おずおずと立ち上がった碧琉にその人はふっと微笑みその横に並んだ。
 ふわりと漂ういい香り。甘くそれまでに嗅いだことのないいい香りで記憶に残っている。
『花の妖精かと思った』
 その人はそういうと足元に咲いていた黄色い花に手を伸ばした。そして片手で髪をかき上げる。流すように視線をこちらに寄越し、微笑む。
 その仕草と眼差しに胸がきゅっと絞られた。
 その花がちょうど今、碧琉の手にある花と同じ種だ。
 碧琉の記憶はそこで途切れている。
 慌ただしい祝いの時間が去って、兄や父にその人物の事を尋ねてみたが二人とも『姫もたくさん来ていたからな』と口先で返すだけだった。
 あれから十年経つのに、あれほど強烈に自分に焼き付いた人は他にいない。
 しかし当時は何度も寝入りに思い出しては胸を震わせていたのに、時が経つにつれ記憶は薄らぎ今では美しかったな、と思う気持ち以外は覚えていない。
 自分がそうなのだからあの姫ももう、あんな短時間の邂逅、忘れているだろう。あれがきっと、碧琉の初恋だろう。
 思い返すといまだ熱く高鳴る胸を大事に思いながら記憶に浸っていると、廊下をパタパタと走りゆく足音がした。
 はっと碧琉は我に返る。
 そうだ、こんな風に思い出に浸っている場合ではなかった。碧琉は指を花から離して一つ溜息を零した。
 今、我が国樹国はすぐ隣の環国の脅威に晒されていた。

 この地上には三つ大陸がある。
 北に位置するれん大陸、海を挟んで西に菫きん大陸、海を挟んで菫の東にとう大陸。
 広大な蓮大陸は菫と藤を合わせても遠く及ばない面積を誇っているが三分の一は永久凍土であるし巡る冬、極寒に苦しむ地域が表面積の半分以上に達し、住むに適した地は全体の四分の一である。
 その四分の一の地に計五か国が存在し、碧琉の住む碧冠碧冠へきか王の治める樹国はその南端に位置する。
 南側を海に囲まれた樹国は大きな半島上に建国された。
 北方に比べ温暖で肥沃な土地には四季折々の作物が実る恵まれた土地だが蓮大陸の南の入り口となる立地は決していい事ばかりではなかった。
 長い歴史の中、菫、藤大陸から侵略を受ける度にこの地は踏み荒され民は虐殺され、何度も小さな国家が建国されるも異国の手に落ちてきた。
 蓮に立つ国は五つ、北のこん国は建国約五百年、その東下のねん国は約九百年、西のちょう国は約三百年、中央の小国、かん国は約五百年とそれぞれに歴史があるにもかかわらず樹国が建国百年にも満たないのはそういった理由からであった。
 環は蓮大陸五国の中央に位置し交流の中継地点として栄える国だ。
 北の根国のような地下資源もなければ、樹のように土地が肥沃で農作物が採れる訳ではない。だが技術大国、燃国が他国へ輸出する際必ず環国を経由するので交通においても活発な取引が産む新しい文化等においても蓮大陸には無くてはならない要の国だ。
 それまでの環国王は平和主義者が多く建国前の樹国地方が菫大陸、藤大陸からの侵略を受けた際には他の四国を纏め、大陸進行を食い止めた歴史もある。
 ゆるぎない友好関係を築けていたと、樹は信じていたし、実際現王になるまではそうだった。
 現国王が環を継いで五年。
 環の現王は和を尊ぶが欲深い質があった。
 友好より欲を選んだといえば正しいのか、そこにどのような取引があったのか現在調査中だが環は根と手を組んだ。
 根という国は地下資源が豊富で歴史的にも支配国として燃、環、樹、兆に関わってきた。いわば先進国で、裕福な印象が強い。
 一方近年、一部の貴族が国の富を独占している為、厳冬と不毛な土地へ行政の手が回らずの根から燃や兆へ逃亡する民が増加の一途をたどっている。
 長年親交のある燃王が人民の保護に苦心していると碧琉の耳にまで入る程だった。
 その根と環が樹に牙をむいた。
 環との国境付近には環根連合軍が控え樹侵攻の狼煙が上がる瞬間の為待機している。
 全面降伏と王権の委譲を要求する書状が送りつけられてもう一月。
 返答の期限があと半月と迫っている。
 燃からの兵を足しても環根連合軍の半数。このままでは民を巻き込む戦になってしまう。
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