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4. 1‐3 哀れな男と黒装束の悪魔
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今日も雪が降る。
北の大陸では当たり前の光景。
青空と太陽が見える日の方が珍しいほどだ。
北の大陸にとって、白は命を刈り取る色と言われいる。
真っ白な空間の中で、必要とは言え強者が生き残るために弱者を喰らうという残酷な自然の理が繰り返されている。
奪われた命を、食い散らかした死体を、真っ白な雪が埋めてしまうからだ。
身分社会の北の大陸では、名前を持つ者だけが白を纏うことを許されている。
白の衣を纏い、雪のような白銀の髪を持つ王族こそ、この大陸における偉大なる存在。
命の選別を許された神のような絶対的な存在であり、この大陸に生きていく人々の安泰の為に率先して行動しなくてはならない。
それが、偉大なる存在に与えられた力であり責任でもある。
北の大陸の平和を維持しなければならない。
北の大陸の成長を促さなければならない。
北の大陸を脅かす存在を排除しなければならない。
これらを嘲笑うかのように、世界を混沌に沈めようとする悪しき北の魔神が倒されても、魔神の手下である魔物が跋扈している。
これらを嘲笑うかのように、人間による醜き犯罪は後を絶たない。
名も無き小さな町に、1人の男がいた。
情けない悲鳴を上げ、死人のような青ざめた顔で、何度も躓いてもすぐに立ち上がって、死に物狂いで逃げている。
男は、良くも悪くも有名な人物だった。
その凶悪な存在を倒す使命を承った勇者と聖女。そして頼もしき3人の仲間達。
彼らが、戦いに力を発揮するための雑用係。それがこの男だ。
その男が、魔神討伐の大きな活躍を見せた。
勇者は裏切り者で、裏で魔神と繋がっていた。
魔物と情報を交換の現場を目撃し、聖女と仲間達に報告した。
油断していた勇者を反逆罪で捕まえることができた。
捕まえた勇者を尋問し、魔神の弱点を聞きだした。
聖女と仲間達は、見事魔神を討伐した。
北の大陸を平和にもたらした1人として男も称賛され、褒美をもらった。
男は大喜びした。
上級貴族の父親が、事業に失敗して家は没落。母親は愛人と駆け落ち。男も含めて姉弟は大変な思いをしていた。
その負債を、褒美で返却できた。
男は残った褒美で、別の事業を始めた。
それは輝かしい成功を収めた。没落貴族から上級貴族へと返り咲いた。
誰もかが羨ましがった。
人生逆転劇。どん底から這い上がった勝者だと。
だが、それは違った。
男はとんでもない犯罪者だった。
男が立ち上げた事業は、赤字が続いていたのだ。
だが、身分と家を売るのは出来ない。
身分が全ての大陸では、敗者を意味する。
敗者になりたくない。
事実を隠して、必死に貴族の身分にしがみついてた。
仕事で出掛けた帰り、小さな工場の入り口で1人座っている幼い子供を見かけた。
あどけなさが、愛らしさを引き立てている。
裾や袖のほつれた、大きすぎる服を着ていた。
母親が工場で働いているのだろうと、すぐに察した。
小さな敗者の周りには、人はいない。
雪が降っているだけだった。
この瞬間。男に悪魔が囁いた。
───あれは高値で売れるぞ。
───気付かれなければいいだけのことだ。
男は自尊心が高く、自分の地位や名誉を守るためなら何でもする性格だった。
予想以上にあっさり成功した。
しかも、思っていた以上の大きな利益があった。
男は味を占めてしまった。
こいつらも道具だ。使わないなら俺が有効活用してやる、と。
それから。男は幼稚を攫って、高値で売り捌いた。
始めた事業より好評だった。
買われた幼稚がどうなったのか。大金を目の前にした男にとっては些事であった。
借金を返し、男は真の貴族に戻れた。
名前すら持たない低い身分の命を自由にできる立場こそ、自分のいるべき場所。
5年間という長い成功が、男を傲らせた。
男の裏の事業が明るみになったのだ。
男が売った子供の中に、王族の子がいた。
切り捨て前提に雇った道具達に、王族の子の顔などわかるはずなかった。
保護されたその子供は、買われてから数年経っていた。
子供の変わりように、見つけた人物も目を疑うほどだった。
それだけ、その子供は壮絶な時間を生きてきたのだ。
国王ではなく、妃が激怒した。
妃は騎士や兵士を総動員させて、人攫いを捕まえていく。
非道と言われる手段すら躊躇いなく使い、知っている情報を吐かせた。
そして、男の悪事が北の大陸中に伝わった。
事業だけでなく、地位や名、財産や家族をも王族に奪われた男は、逃げることを選んだ。
あれだけ嫌がっていた敗者や道具になってでも、命だけは助かりたいと思ってしまったのだ。
逃げ続けた男の面影は変わってしまった。
そのせいもあるのか。騎士も兵士も指名手配されている男だと気付くことがなかった。
その事実に、男は少しだけ安堵した。
再び、傲ってしまった。
今度は悪魔の声を聞くことなく、自分からそれを選んだ。
だが、魔物の襲撃という災害によって全て無意味になった。
祭りの賑わいに乗じて捕まえた子供を囮に逃げ出せたが、また最初に戻ってしまった。
だが、命があればやり直せる。
逃げこんだ町の薄暗い小道で、男は今度こそ成功させてやると、笑みを浮かべた。
その時だった。
唐突に、全く知らない黒装束の男に命を狙われた。
足下の小石に気付かずに転んでいなければ、頭と胴体が別れていた。
男は死に物狂いで逃げている。
男は何度も振り返る。
角を右へ。今度は左へ。追撃者の視界から逃れようと必死になって走った。
そうしている内に、追撃者の姿が見えなくなった。
逃げ切ったのだと。男は感激した。
「や、やった・・・・・・でも、もう、走れ、ない・・・・・・」
男は笑みを浮かべながらも疲れた表情をする。壁に背を預けて、ずるずると滑り落ちるように地面に座った。
太ももに冷たいものが通過するのを感じた。
なんだと思う前に、眼前に夥しい血が飛び散った。
ごとり。
音を立てて男の足が雪の地面に落ちる。
太ももから切断されたのだと、頭が勝手に理解した。
耳が痛くなるような貫高い悲鳴が男の口から上がる。
狂ったレコードのように、空気を引っかき回しながら何度も上がる。
斬られた時の刃の冷たさが、太ももの断面を焼かれているような痛みが、斬られた両足が目の前に転がっている現実が、男から冷静さを奪い、死という恐慌に脳が混乱を起こす。
涙と鼻水が勝手に流れ、顔を汚していく。
悲鳴で酷使した喉に何かが詰まったように咳き込む。
考えなどない。ただ、男は助かりたい一心で這って逃げ出す。
その腹に、蹴りという一撃が入った。
ボールのように男の体が宙へと浮き、何度も雪の積もった地面にぶつかる。
雪というクッションはあまりにも薄く、男の体は打撲や擦り傷で真っ赤になる。
それでも逃げなければと、男は藻掻いた。
仰向けになった男の胸を強く踏むのは、先程の黒装束の男だった。
貴族のような服装だが、好まれることのない黒一色。同色のシルクハットの下から、灰色の髪が流れている。
色白の肌。同じ男性とは思えない小顔に細身。
顔の上半分を隠すような銀仮面。
顔の下半分。頬と口は嘲笑うように釣り上がっている。
その顔は、男の返り血で濡れていた。
蹴り上げたときに付いたものだが、それに気付く余裕など男にはなかった。
血を吸った悍ましい悪魔がいる。それだけだ。
「た、たすけ・・・・・・しにた、くない・・・・・・」
男は宗徒でも信者でもない。
だが、この時だけは神に救いを求めた。
だが、その願いは届かなかった。
黒装束の男は無言で、さらに足に力を込めて踏みつける。
剣を持たない手で男の首を締めだした。
気管が潰れ、血管が止まり、骨が軋む。
雪より冷たい、身分剥奪より悍ましい、死を感じた。
男は喘息のような息に掠れた声で許しを請う。
この苦しさから逃れたい為の謝罪だが、心の底から謝り続けた。
黒装束の男の顔から笑顔が消えた。
能面のように、何を考えているのかわからない無表情だ。
強い風が吹いた。
男にはそう感じた。
それが、黒装束の男が振るった剣の勢いで生まれた風だと気付かなかった。
ほんのひと押しで、剣先が眉間に当たる。
そんなギリギリの所で、黒装束の男は剣を止めた。
ようやく、男は風の正体に気付いた。
いろいろなものを捨ててまで大事に持って逃げてきた命が、風前の灯火だと再確認した。
「どうして止めるっ!!」
黒装束の男は、忌々しそうに声を荒げた。
初めて聞いた黒い死神の声は、予想していたより若かった。
「言わなきゃ駄目ぇ? 毎回言っているのに~?」
底抜け明るい声が答えた。
男は怯えながらも救いを求めるように目線を向けると、ハイイロユキオオカミいた。
人里に寄りつくことのない肉食獣が、流暢に人間の言葉で話していた。
「やけに素直だな~って思ったら、そういうこと・・・・・・これには俺も予想外♪」
狼はウインクしながら舌を出した。
「誤魔化すなっ!! 初めから知っていたんだろっ!!」
「いやいやいや~。全然知りませんでした~。本当ですぅ~」
声を荒げて怒りをぶつける黒装束の男に対して、狼は軽口を叩く。
「それと──そいつ殺したら水の泡になるぞ?」
狼は真剣な声で尋ねた。
否。忠告に近い圧があった。
黒装束の男は何も答えない。
剣が震える。僅かだが、刃が当たり眉間から血が流れる。
見えない抑止力に抵抗するように、刃が下へ向かう。
力を入れて抗っていて、答えられないのだ。
それを見て、狼の目が細くなる。
「・・・・・・今回は俺が収めてやっから、お前は先に帰ってろ」
狼はそう言って、黒装束の男に頭突きをする。
右脇腹から直に受けた黒装束の男は吹き飛ばされ、突然現れた1人分の大きさの砂嵐に飲まれた。
砂嵐と共に、黒装束の男の姿も消えていた。
「で、さっきの奴はどーしてもお前を殺したいんだってさ。すぐに次があるかもなぁ~。運良く逃げられても~。今度は王妃様の忠実な騎士達が見つけて私刑にするかもな~」
男の目の前で、狼は尻を下ろす。
「俺なら全部阻止できるけど~・・・・・・助かりたい?」
狼の質問に、男は必死に頷いた。
「あひゃひゃひゃひゃ!! かなり生き汚いのに一周回って潔く見えちまうぜ!!」
下品な高笑いをあげているが、肉食獣特有の鋭い目は笑っていなかった。
「いいぜいいぜ!! お前の望み叶えてやるよ!! 魔法の言葉を唱え続けるだけだ!! 狼を連れた黒装束に襲われた。とな!!」
狼はそう言うと、突然遠吠えをし始める。
何度も何度も。ここにいるよと周りに伝えるように。
複数の声と足音が近づいてくると、狼は遠吠えをやめた。
「じゃ! 残りの余生を楽しんでくれ!!」
狼はそう言い残して、どこかへ行ってしまった。
狼と入れ違うように、この町の自警団がやって来た。
男の様子を見て、急いで傷口に布を巻いた。
自警団は男を担いで、急いで町医者に連れて行った。
だが、治療をしてもらう前に兵士がやってきて、男は両足から血が流れている状態で連行された。
その以降、この犯罪者を見かける人はいなかった。
今日も雪が降る。
北の大陸では当たり前の光景。
青空と太陽が見える日の方が珍しいほどだ。
北の大陸にとって、白は命を刈り取る色と言われいる。
真っ白な空間の中で、必要とは言え強者が生き残るために弱者を喰らうという残酷な自然の理が繰り返されている。
奪われた命を、食い散らかした死体を、真っ白な雪が埋めてしまうからだ。
身分社会の北の大陸では、名前を持つ者だけが白を纏うことを許されている。
白の衣を纏い、雪のような白銀の髪を持つ王族こそ、この大陸における偉大なる存在。
命の選別を許された神のような絶対的な存在であり、この大陸に生きていく人々の安泰の為に率先して行動しなくてはならない。
それが、偉大なる存在に与えられた力であり責任でもある。
北の大陸の平和を維持しなければならない。
北の大陸の成長を促さなければならない。
北の大陸を脅かす存在を排除しなければならない。
これらを嘲笑うかのように、世界を混沌に沈めようとする悪しき北の魔神が倒されても、魔神の手下である魔物が跋扈している。
これらを嘲笑うかのように、人間による醜き犯罪は後を絶たない。
名も無き小さな町に、1人の男がいた。
情けない悲鳴を上げ、死人のような青ざめた顔で、何度も躓いてもすぐに立ち上がって、死に物狂いで逃げている。
男は、良くも悪くも有名な人物だった。
その凶悪な存在を倒す使命を承った勇者と聖女。そして頼もしき3人の仲間達。
彼らが、戦いに力を発揮するための雑用係。それがこの男だ。
その男が、魔神討伐の大きな活躍を見せた。
勇者は裏切り者で、裏で魔神と繋がっていた。
魔物と情報を交換の現場を目撃し、聖女と仲間達に報告した。
油断していた勇者を反逆罪で捕まえることができた。
捕まえた勇者を尋問し、魔神の弱点を聞きだした。
聖女と仲間達は、見事魔神を討伐した。
北の大陸を平和にもたらした1人として男も称賛され、褒美をもらった。
男は大喜びした。
上級貴族の父親が、事業に失敗して家は没落。母親は愛人と駆け落ち。男も含めて姉弟は大変な思いをしていた。
その負債を、褒美で返却できた。
男は残った褒美で、別の事業を始めた。
それは輝かしい成功を収めた。没落貴族から上級貴族へと返り咲いた。
誰もかが羨ましがった。
人生逆転劇。どん底から這い上がった勝者だと。
だが、それは違った。
男はとんでもない犯罪者だった。
男が立ち上げた事業は、赤字が続いていたのだ。
だが、身分と家を売るのは出来ない。
身分が全ての大陸では、敗者を意味する。
敗者になりたくない。
事実を隠して、必死に貴族の身分にしがみついてた。
仕事で出掛けた帰り、小さな工場の入り口で1人座っている幼い子供を見かけた。
あどけなさが、愛らしさを引き立てている。
裾や袖のほつれた、大きすぎる服を着ていた。
母親が工場で働いているのだろうと、すぐに察した。
小さな敗者の周りには、人はいない。
雪が降っているだけだった。
この瞬間。男に悪魔が囁いた。
───あれは高値で売れるぞ。
───気付かれなければいいだけのことだ。
男は自尊心が高く、自分の地位や名誉を守るためなら何でもする性格だった。
予想以上にあっさり成功した。
しかも、思っていた以上の大きな利益があった。
男は味を占めてしまった。
こいつらも道具だ。使わないなら俺が有効活用してやる、と。
それから。男は幼稚を攫って、高値で売り捌いた。
始めた事業より好評だった。
買われた幼稚がどうなったのか。大金を目の前にした男にとっては些事であった。
借金を返し、男は真の貴族に戻れた。
名前すら持たない低い身分の命を自由にできる立場こそ、自分のいるべき場所。
5年間という長い成功が、男を傲らせた。
男の裏の事業が明るみになったのだ。
男が売った子供の中に、王族の子がいた。
切り捨て前提に雇った道具達に、王族の子の顔などわかるはずなかった。
保護されたその子供は、買われてから数年経っていた。
子供の変わりように、見つけた人物も目を疑うほどだった。
それだけ、その子供は壮絶な時間を生きてきたのだ。
国王ではなく、妃が激怒した。
妃は騎士や兵士を総動員させて、人攫いを捕まえていく。
非道と言われる手段すら躊躇いなく使い、知っている情報を吐かせた。
そして、男の悪事が北の大陸中に伝わった。
事業だけでなく、地位や名、財産や家族をも王族に奪われた男は、逃げることを選んだ。
あれだけ嫌がっていた敗者や道具になってでも、命だけは助かりたいと思ってしまったのだ。
逃げ続けた男の面影は変わってしまった。
そのせいもあるのか。騎士も兵士も指名手配されている男だと気付くことがなかった。
その事実に、男は少しだけ安堵した。
再び、傲ってしまった。
今度は悪魔の声を聞くことなく、自分からそれを選んだ。
だが、魔物の襲撃という災害によって全て無意味になった。
祭りの賑わいに乗じて捕まえた子供を囮に逃げ出せたが、また最初に戻ってしまった。
だが、命があればやり直せる。
逃げこんだ町の薄暗い小道で、男は今度こそ成功させてやると、笑みを浮かべた。
その時だった。
唐突に、全く知らない黒装束の男に命を狙われた。
足下の小石に気付かずに転んでいなければ、頭と胴体が別れていた。
男は死に物狂いで逃げている。
男は何度も振り返る。
角を右へ。今度は左へ。追撃者の視界から逃れようと必死になって走った。
そうしている内に、追撃者の姿が見えなくなった。
逃げ切ったのだと。男は感激した。
「や、やった・・・・・・でも、もう、走れ、ない・・・・・・」
男は笑みを浮かべながらも疲れた表情をする。壁に背を預けて、ずるずると滑り落ちるように地面に座った。
太ももに冷たいものが通過するのを感じた。
なんだと思う前に、眼前に夥しい血が飛び散った。
ごとり。
音を立てて男の足が雪の地面に落ちる。
太ももから切断されたのだと、頭が勝手に理解した。
耳が痛くなるような貫高い悲鳴が男の口から上がる。
狂ったレコードのように、空気を引っかき回しながら何度も上がる。
斬られた時の刃の冷たさが、太ももの断面を焼かれているような痛みが、斬られた両足が目の前に転がっている現実が、男から冷静さを奪い、死という恐慌に脳が混乱を起こす。
涙と鼻水が勝手に流れ、顔を汚していく。
悲鳴で酷使した喉に何かが詰まったように咳き込む。
考えなどない。ただ、男は助かりたい一心で這って逃げ出す。
その腹に、蹴りという一撃が入った。
ボールのように男の体が宙へと浮き、何度も雪の積もった地面にぶつかる。
雪というクッションはあまりにも薄く、男の体は打撲や擦り傷で真っ赤になる。
それでも逃げなければと、男は藻掻いた。
仰向けになった男の胸を強く踏むのは、先程の黒装束の男だった。
貴族のような服装だが、好まれることのない黒一色。同色のシルクハットの下から、灰色の髪が流れている。
色白の肌。同じ男性とは思えない小顔に細身。
顔の上半分を隠すような銀仮面。
顔の下半分。頬と口は嘲笑うように釣り上がっている。
その顔は、男の返り血で濡れていた。
蹴り上げたときに付いたものだが、それに気付く余裕など男にはなかった。
血を吸った悍ましい悪魔がいる。それだけだ。
「た、たすけ・・・・・・しにた、くない・・・・・・」
男は宗徒でも信者でもない。
だが、この時だけは神に救いを求めた。
だが、その願いは届かなかった。
黒装束の男は無言で、さらに足に力を込めて踏みつける。
剣を持たない手で男の首を締めだした。
気管が潰れ、血管が止まり、骨が軋む。
雪より冷たい、身分剥奪より悍ましい、死を感じた。
男は喘息のような息に掠れた声で許しを請う。
この苦しさから逃れたい為の謝罪だが、心の底から謝り続けた。
黒装束の男の顔から笑顔が消えた。
能面のように、何を考えているのかわからない無表情だ。
強い風が吹いた。
男にはそう感じた。
それが、黒装束の男が振るった剣の勢いで生まれた風だと気付かなかった。
ほんのひと押しで、剣先が眉間に当たる。
そんなギリギリの所で、黒装束の男は剣を止めた。
ようやく、男は風の正体に気付いた。
いろいろなものを捨ててまで大事に持って逃げてきた命が、風前の灯火だと再確認した。
「どうして止めるっ!!」
黒装束の男は、忌々しそうに声を荒げた。
初めて聞いた黒い死神の声は、予想していたより若かった。
「言わなきゃ駄目ぇ? 毎回言っているのに~?」
底抜け明るい声が答えた。
男は怯えながらも救いを求めるように目線を向けると、ハイイロユキオオカミいた。
人里に寄りつくことのない肉食獣が、流暢に人間の言葉で話していた。
「やけに素直だな~って思ったら、そういうこと・・・・・・これには俺も予想外♪」
狼はウインクしながら舌を出した。
「誤魔化すなっ!! 初めから知っていたんだろっ!!」
「いやいやいや~。全然知りませんでした~。本当ですぅ~」
声を荒げて怒りをぶつける黒装束の男に対して、狼は軽口を叩く。
「それと──そいつ殺したら水の泡になるぞ?」
狼は真剣な声で尋ねた。
否。忠告に近い圧があった。
黒装束の男は何も答えない。
剣が震える。僅かだが、刃が当たり眉間から血が流れる。
見えない抑止力に抵抗するように、刃が下へ向かう。
力を入れて抗っていて、答えられないのだ。
それを見て、狼の目が細くなる。
「・・・・・・今回は俺が収めてやっから、お前は先に帰ってろ」
狼はそう言って、黒装束の男に頭突きをする。
右脇腹から直に受けた黒装束の男は吹き飛ばされ、突然現れた1人分の大きさの砂嵐に飲まれた。
砂嵐と共に、黒装束の男の姿も消えていた。
「で、さっきの奴はどーしてもお前を殺したいんだってさ。すぐに次があるかもなぁ~。運良く逃げられても~。今度は王妃様の忠実な騎士達が見つけて私刑にするかもな~」
男の目の前で、狼は尻を下ろす。
「俺なら全部阻止できるけど~・・・・・・助かりたい?」
狼の質問に、男は必死に頷いた。
「あひゃひゃひゃひゃ!! かなり生き汚いのに一周回って潔く見えちまうぜ!!」
下品な高笑いをあげているが、肉食獣特有の鋭い目は笑っていなかった。
「いいぜいいぜ!! お前の望み叶えてやるよ!! 魔法の言葉を唱え続けるだけだ!! 狼を連れた黒装束に襲われた。とな!!」
狼はそう言うと、突然遠吠えをし始める。
何度も何度も。ここにいるよと周りに伝えるように。
複数の声と足音が近づいてくると、狼は遠吠えをやめた。
「じゃ! 残りの余生を楽しんでくれ!!」
狼はそう言い残して、どこかへ行ってしまった。
狼と入れ違うように、この町の自警団がやって来た。
男の様子を見て、急いで傷口に布を巻いた。
自警団は男を担いで、急いで町医者に連れて行った。
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ぽっちゃりおっさん
ファンタジー
ある日、全世界の至る所にダンジョンと呼ばれる異空間が出現した。
そこには人外異形の生命体【魔物】が存在していた。
【魔物】を倒すと魔石を落とす。
魔石には膨大なエネルギーが秘められており、第五次産業革命が起こるほどの衝撃であった。
世は埋蔵金ならぬ、魔石を求めて日々各地のダンジョンを開発していった。
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