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12.3-4 復讐者、あるいは黒い怪物であるはずなのに
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レモーナ家当主が、馬車で領地に帰った。
アルバースト家当主は、馬車でどこかに行った。
誰もいなくなった書斎。
サイドテーブルと花瓶の影から、浮上する気泡のように静かに姿を現す。
窓から見上げる月は、優しく笑っているような明るい三日月だった。
あまりにも悔しくて、右手を力強く握った。
ようやく帰ってきたと思ったら、レモーナ家当主と話し出した。有力な情報が得られるのではと思って、黙って聞いていた。
好きで強くなったわけじゃない。
好きで勇者になったわけじゃない。
影から出てそう叫びたかったが、下唇を噛んで自制した。
口の中に血の味が広がった。
だが、好き勝手言うなと否定する気持ちはない。
アルバースト家当主の言う通りだ。
自分の望んでいた復讐は、北の大陸の人間を皆殺しにすること。
怪物といわれても、否定できない。
魔神も言っていたではないか。
復讐相手にとって自分は、アルバーストのドラゴンだと。
自分は、人を辞めて眷族になったのではない。怪物になったのだ。
ならば待ち伏せではなく、手当たり次第に殺してもいいのではと思い直す。
旅の同行者である北の聖女、騎士、魔法使い、大賢者、そして、自分を騙して死へ追いやった国王への復讐。それは、魔神が提案した復讐計画だ。
もう自分には関係ない。
当初の復讐である大陸の人間の皆殺しに戻してもいいのだ。
手始めに、この屋敷にいる人から殺そう。そう考えた。
鍵が開けられる音が響いた。
人が来た気配を察し、慌てて影の中に戻る。
思っていたことと反対の行動をする自分に嫌気がさし、その場にしゃがんだ。
自己嫌悪から心の中で自分を罵倒する。
黒い靄が濃くなっていくのを感じた。
「・・・・・・あった」
頭上から感じる小さな明かりと、女性の呟く声に顔を上げる。
「あ、あれ? ・・・・・・とどか──」
影から覗くと、必死に背伸びをして本を取ろうとする女性がいた。
ヒールの高い靴でつま先立ちしてぷるぷると震え、安定感の無さを伝えるように体をふらふら揺れ、それでも体を支えればと棚に体重をかけるように寄りかかっている。
それでは本が頭の上に落ちるぞ。そう思ったとき。
「──な、きゃあ!!」
案の定、指先にひっかかった本が落ちた。額に当たり、女性は後ろに倒れる。
それだけに留まらず、掴んでいた手に引かれるように棚ごと倒れてきた。
無意識だろうが手を離し、女性は驚いて尻もちを着いた。
本と棚の餌食になる。
見殺しという殺害で済むならそれでもいいか、などと思っていた。
なのに。
「いいかぁ──」
この場にいない魔神の声が聞こえてきた。
「ぜーーーったいに‼ 人も魔物も殺すなぁ‼」
否。そう口酸っぱく言われた言葉が勝手に頭の中で再生された。
気付けば、自分は影から飛び出していた。
棚が倒れないように両手で支えていた。
横に広く大樹のように重い棚を、右側だけ持って抑えている。
魔族の腕力でも支えるので精一杯で、自分の力の最上限を感じた。
女性の上に本は降ったが、両手で頭と顔を庇っていてほぼ無傷だった。
本棚の端がぶつかりそうになったが、寸前の所で当たっていない。
その光景に安心した自分に失望した。
だが、考え出したら支える力が入らなくなる。
視線を感じて見れば、女性が呆然と見つめていた。
「──ご、ごめんなさい!!」
女性は慌てて立ち上がり、棚の反対側を持った。
手の力だけでは無理だと判断し、棚を蹴って後ろに動かす。
体ごと押し付けて、棚を元の場所に戻した。
女性は荒い呼吸をするのを見て、自分は呼吸が乱れていないことに気付いた。
そもそも、こんな殺人道具になりかねないほど重たい棚を人間が支えられる方がない。
冷静に考えれば、眷族だからこそ支えられたのではないか。そう思えた。
そして、この状況は別の意味を含めて危険だった。
不法侵入だけでは済まされない。
人間離れした力を持った危険人物と見られている。
もしかしたら、影から出てきた瞬間も見られたかもしれない。
動揺はした。しかし、すぐに考え直す。
屋敷の人間を殺そうと思っていた矢先だ。
口封じにこの女性を殺しても問題は無い。
なのに。頭の中で、それはいけないと叫ぶ自分がいる。
廊下を走る複数の足音が近づいてくる。
たぶんだが、本が落ちた音を聞きつけた使用人達だ。
この場から逃げ出すために、すぐに窓に飛びついた。
強引に開けようとするが、魔法で施錠された開かない。
ならば力尽くで。そう剣を握る。
「早く! わたくしの影に!」
迫ってくる足音に急かされ、言われるがままに女性の影に飛び込んだ。
影に潜ってから、すぐに扉が開かれた。
使用人だけでなく、外出したはずのアルバースト家当主までいた。
本が散らばった部屋を見て、その顔が真っ青に変わる。
「リーリエ!! これはいったい!?」
驚く当主に、リーリエと呼ばれた女性は深々と頭を垂れる。
「申し訳ございません。先月の仕入れの表を確認したかったもので───」
謝罪の言葉を遮るように、アルバースト家当主が抱きついてきた。
その手は震えていた。
「気をつけてくれ・・・・・・怪我をしたらどうするつもりだ。君ひとりの体じゃないんだぞ」
「──・・・・・・申し訳ございません・・・・・・」
言葉だけで、夫婦なのだろうと察した。
だが、この会話には違和感しかない。
心配という優しい声の当主に対して、女性は無愛想だ。
いや、女性は諦めている。それが声に現れている。
自分もその感情を何度も抱いたことがあるから、すぐに気付いた。
心配している夫に対して冷めた妻。
妻の様子に気付かないが愛している様子の夫。
端から見れば、愛情も信頼もない歪な光景だ。
アルバースト家当主は満足したように体を離し、落ちている本を拾う。
その女性の気持ちに気付いていないのが一目瞭然だ。
「あと、昨年の売り上げを纏めた本もお願いします」
だが、女性も気にしていないかのように注文をする。
「ああ。これだね」
アルバースト家当主は注文された薄い本と厚い本を、近くにいた老いた執事に渡した。
「リーリエを自室に」
「御意に」
老執事を先頭に、女性も部屋を出て行く。その後ろに別の執事が続く。
女性の影にいる以上、女性が移動すれば一緒に移動することになる。
だからこそ。この隊列は護衛ではなく監視のように感じた。
微かな声が、影の中まで届いた。
「検査しろ」
誰に言ったのかはわからない。
だが、あの頃と変わらない横暴な声が不愉快でしかなかった。
アルバースト家当主は、馬車でどこかに行った。
誰もいなくなった書斎。
サイドテーブルと花瓶の影から、浮上する気泡のように静かに姿を現す。
窓から見上げる月は、優しく笑っているような明るい三日月だった。
あまりにも悔しくて、右手を力強く握った。
ようやく帰ってきたと思ったら、レモーナ家当主と話し出した。有力な情報が得られるのではと思って、黙って聞いていた。
好きで強くなったわけじゃない。
好きで勇者になったわけじゃない。
影から出てそう叫びたかったが、下唇を噛んで自制した。
口の中に血の味が広がった。
だが、好き勝手言うなと否定する気持ちはない。
アルバースト家当主の言う通りだ。
自分の望んでいた復讐は、北の大陸の人間を皆殺しにすること。
怪物といわれても、否定できない。
魔神も言っていたではないか。
復讐相手にとって自分は、アルバーストのドラゴンだと。
自分は、人を辞めて眷族になったのではない。怪物になったのだ。
ならば待ち伏せではなく、手当たり次第に殺してもいいのではと思い直す。
旅の同行者である北の聖女、騎士、魔法使い、大賢者、そして、自分を騙して死へ追いやった国王への復讐。それは、魔神が提案した復讐計画だ。
もう自分には関係ない。
当初の復讐である大陸の人間の皆殺しに戻してもいいのだ。
手始めに、この屋敷にいる人から殺そう。そう考えた。
鍵が開けられる音が響いた。
人が来た気配を察し、慌てて影の中に戻る。
思っていたことと反対の行動をする自分に嫌気がさし、その場にしゃがんだ。
自己嫌悪から心の中で自分を罵倒する。
黒い靄が濃くなっていくのを感じた。
「・・・・・・あった」
頭上から感じる小さな明かりと、女性の呟く声に顔を上げる。
「あ、あれ? ・・・・・・とどか──」
影から覗くと、必死に背伸びをして本を取ろうとする女性がいた。
ヒールの高い靴でつま先立ちしてぷるぷると震え、安定感の無さを伝えるように体をふらふら揺れ、それでも体を支えればと棚に体重をかけるように寄りかかっている。
それでは本が頭の上に落ちるぞ。そう思ったとき。
「──な、きゃあ!!」
案の定、指先にひっかかった本が落ちた。額に当たり、女性は後ろに倒れる。
それだけに留まらず、掴んでいた手に引かれるように棚ごと倒れてきた。
無意識だろうが手を離し、女性は驚いて尻もちを着いた。
本と棚の餌食になる。
見殺しという殺害で済むならそれでもいいか、などと思っていた。
なのに。
「いいかぁ──」
この場にいない魔神の声が聞こえてきた。
「ぜーーーったいに‼ 人も魔物も殺すなぁ‼」
否。そう口酸っぱく言われた言葉が勝手に頭の中で再生された。
気付けば、自分は影から飛び出していた。
棚が倒れないように両手で支えていた。
横に広く大樹のように重い棚を、右側だけ持って抑えている。
魔族の腕力でも支えるので精一杯で、自分の力の最上限を感じた。
女性の上に本は降ったが、両手で頭と顔を庇っていてほぼ無傷だった。
本棚の端がぶつかりそうになったが、寸前の所で当たっていない。
その光景に安心した自分に失望した。
だが、考え出したら支える力が入らなくなる。
視線を感じて見れば、女性が呆然と見つめていた。
「──ご、ごめんなさい!!」
女性は慌てて立ち上がり、棚の反対側を持った。
手の力だけでは無理だと判断し、棚を蹴って後ろに動かす。
体ごと押し付けて、棚を元の場所に戻した。
女性は荒い呼吸をするのを見て、自分は呼吸が乱れていないことに気付いた。
そもそも、こんな殺人道具になりかねないほど重たい棚を人間が支えられる方がない。
冷静に考えれば、眷族だからこそ支えられたのではないか。そう思えた。
そして、この状況は別の意味を含めて危険だった。
不法侵入だけでは済まされない。
人間離れした力を持った危険人物と見られている。
もしかしたら、影から出てきた瞬間も見られたかもしれない。
動揺はした。しかし、すぐに考え直す。
屋敷の人間を殺そうと思っていた矢先だ。
口封じにこの女性を殺しても問題は無い。
なのに。頭の中で、それはいけないと叫ぶ自分がいる。
廊下を走る複数の足音が近づいてくる。
たぶんだが、本が落ちた音を聞きつけた使用人達だ。
この場から逃げ出すために、すぐに窓に飛びついた。
強引に開けようとするが、魔法で施錠された開かない。
ならば力尽くで。そう剣を握る。
「早く! わたくしの影に!」
迫ってくる足音に急かされ、言われるがままに女性の影に飛び込んだ。
影に潜ってから、すぐに扉が開かれた。
使用人だけでなく、外出したはずのアルバースト家当主までいた。
本が散らばった部屋を見て、その顔が真っ青に変わる。
「リーリエ!! これはいったい!?」
驚く当主に、リーリエと呼ばれた女性は深々と頭を垂れる。
「申し訳ございません。先月の仕入れの表を確認したかったもので───」
謝罪の言葉を遮るように、アルバースト家当主が抱きついてきた。
その手は震えていた。
「気をつけてくれ・・・・・・怪我をしたらどうするつもりだ。君ひとりの体じゃないんだぞ」
「──・・・・・・申し訳ございません・・・・・・」
言葉だけで、夫婦なのだろうと察した。
だが、この会話には違和感しかない。
心配という優しい声の当主に対して、女性は無愛想だ。
いや、女性は諦めている。それが声に現れている。
自分もその感情を何度も抱いたことがあるから、すぐに気付いた。
心配している夫に対して冷めた妻。
妻の様子に気付かないが愛している様子の夫。
端から見れば、愛情も信頼もない歪な光景だ。
アルバースト家当主は満足したように体を離し、落ちている本を拾う。
その女性の気持ちに気付いていないのが一目瞭然だ。
「あと、昨年の売り上げを纏めた本もお願いします」
だが、女性も気にしていないかのように注文をする。
「ああ。これだね」
アルバースト家当主は注文された薄い本と厚い本を、近くにいた老いた執事に渡した。
「リーリエを自室に」
「御意に」
老執事を先頭に、女性も部屋を出て行く。その後ろに別の執事が続く。
女性の影にいる以上、女性が移動すれば一緒に移動することになる。
だからこそ。この隊列は護衛ではなく監視のように感じた。
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