After story/under the snow

黒羽 雪音来

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17.3-5 裏側エピソード その8

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 マナが満ちた城に、生きた人間はいない。
 人間にとって猛毒。一息分吸っただけ絶命してしまうからだ。


 西の大陸には、マナを遮断する特別製のマスクがある。その仕様もあって、遮断するための特殊素材の重たいフィルターが何重にも重ねられ、それを支えるための外装の重量も足され、首がもげるのではと不安になるほど、とにかく重い。しかし見た目に反して繊細で、多少の衝撃で壊れるほど脆い。

 南の大陸には、マナを遮断する魔法が存在する。しかし、3分しか効果を発揮しない。術者の魔力量と緻密な制御も必要とされ、ほとんどの人間が使うことができない。

 東の大陸は、使い魔がマナを遮断する帳の形をした結界を張ることができる。脆くもなく短い時間しか効果がないことはないが、範囲が狭い。使い魔の主と密着しなくては収まらないほどだ。数ミリでも離れれば、使い魔の主はマナによって命を落とす。

 多くの大陸で対策を講じても、マナそのものを無力化することはできない。
 故に、大陸の人間はマナに対して、最大の警戒を持って日々生きている。


 その対策手段のない北の大陸では、常にマナの脅威に晒されていた。

 その状況が一変したのは9年前。
 アルバースト家の騎士。
 北の聖女。
 レモーナ家の魔法使い。
 ウォール大賢者。
 偉大なる彼ら4人が北の魔神を討伐してから、マナが減少した。

「彼らが邪悪な北の魔神を倒したことによって平和になったのだ‼」
 国王がそう伝えると、誰もが疑いなくそう信じた。
 さらに1年後。北の魔神と裏で繋がっていた裏切り者にして罪人を処刑したことで、多くの人々が王の庇護のもとで幸せに暮らせるのだと疑いなく信じた。
 大気にナーマが増えたことで、人々は簡単で害のない魔法を使って生活を豊かにしていった。
 

 マナが減少し、ナーマが増加。

 1部の人間はそれが何を意味するのか分かっていたが、大丈夫という根拠を提示されたことで黙った。むしろ、その根拠のために、手を貸した。

 その意味を理解している魔族たちは、魔物の脅威から逃げ続け、時には息を殺して隠れるのに必死で何もしなかった。


 意味を知っている、とある城勤めの魔法学者が、北の魔神討伐後からマナとナーマの量を調べていた。
 ただの趣味。調査内容を綿密に記帳はしていたが、それを誰かに伝えるつもりは全くなかった。

 北の魔神を討伐してからの4年間は、マナは減少しナーマは増加していた。
 しかし、ある日を境に妙なことが起きていた。

 マナが少しだけ増えたのだ。
 増えた場所は、人が立ち入れない険しい雪山だ。その時は、人がいないからだと思っていた。
 
 それから数日。数か月。そして1年が経過した。
 その部分のマナだけは、増えることも減ることなく,一定の量が残り続けた。

 好奇心が疼いた。
 そこにはなにがあるのかと、心が躍った。

 魔法学者は予定を確認した。荷物を準備し始めた。

 親友であるレモーナ家当主の屋敷を訪れ、この話をした。
 少しとはいえ、マナが増えた場所へ行くのだ。場合によっては良くないことが起こる。自分が帰らなかったら、自分の研究と財産を受け取ってほしいと伝えるためだった。

 話を聞いたレモーナ家当主は、魔力で飛行する絡繰り人形を貸出、魔法学者の命令を聞くよう調整を施したゴーレムを数体同行させよう。そう唐突に提案してきた。

 魔法学者はすぐに断った。
 親友であっても立場が違う。大陸を救った魔法使いが、名を全然残せられない魔法学者にここまでしてもらうのは、世間的によくないと思ったからだ。

 レモーナ家当主は、提案の意味を伝えた。
 この魔道具を作ってくれた恩人に、自信をくれた友に、無事に帰ってきて欲しいからだ、と。

 そのあと。この研究は素晴らしく、大気のマナやナーマが地形によって濃さが違い、どうして差異が応じるのかの原因が解明できれば、この大陸の役に立つから投資をしたいのだ。そんな現実的な理由を、レモーナ家当主はどんどん並べていった。
 口下手である魔法学者が押し負けた。魔道具を借り、ゴーレム達を連れて調査に向かった。
 
 この日までに絶対に帰ってくる。
 そう言った魔法学者は、帰ってこなかった。


 レモーナ家当主は単身で、調査拠点へと向かった。
 事前に聞いていた場所は、調査対象の雪山から少し離れた雪原だった。

 テントはあった。その周りに、ゴーレムが全て無造作に壊されていた。

 慌ててテントの中に入れば、荷物はあった。
 血まみれの衣服だけが無造作に床に落ちていた。
 まるで、人間だけが神隠しにあったかのように、探し人の姿が消えていた。

「ど~も‼」
 底抜け明るい声が、右から聞こえた。
 老人のようにしゃがれた声は、どこか籠っていた。

 レモーナ家当主が振り向けば、掌に収まる大きさの長方形の箱の魔道具が、机の上に置かれていた。

 魔力を流している間だけ録音し、再び魔力を流すと再生される魔道具。録音と再生は一度ずつしかできないが、それでも便利な魔法具だ。 
 たった1人の親友の持ち物だった。重要な記録をすぐに音の残せるから、といつも持ち歩いていた。

「とーっても素敵な研究記録を読ませてもらったからなぁ! 礼のひとつ言わねぇのは失礼ってもんだ!」

 音声が再生された。それは、この声の主が近くにいる可能性が高い。
 もしかしたら、まだテントの中に隠れているかもしれない。
 テントの中に視線を走らせながら、耳を傾けた。

「実に惜しい人材だぁ。趣味の調査の方を他の大陸で発表すれば、その素晴らしい研究方法と成果を世に認められただろうに……身分制度に男尊女卑ってこんなとき足引っ張るよなぁ。ま。復讐の代行の依頼の前じゃ、何もかも無意味だけど!」

「復讐の代行……」
 脳裏に、処刑された無能の姿が過った。

「そう」

「⁉」
 レモーナ家当主は、すぐにテントの中に視線を走らせた。

「そんなに驚くなよぉ‼ だいだいこのタイミングで言うかなぁーって予測しただけだぁ。では改めまして、お礼代わりにひとつ。────物語とかであるだろぅ? 復讐は全てを壊す……ありゃ作り話じゃねぇ。たかが4年前。されど4年前。そんな過去に肉体は死んでも、死にきれない復讐心は、時を経て絶好のタイミングで全てを壊す。その時が来るまで人生楽しんでくれ。その分、絶望は大きくなるからなぁ‼ ぎゃあははははははははははは‼」

 ぷちん、と音を立てて再生は終わった。

 レモーナ家当主は不吉な言葉に背筋を凍らせながらも、ある言葉が信じられなかった。

 4年前。確かにそう言った。2回も言ったから、聞き間違えではない。
 辻褄が合わなかった。無能が処刑されたのは3年前だからだ。

 この音声の主は誰だ。得体のしれない存在に、レモーナ家当主は恐怖でゾっとした。

 周辺や雪山を散策したが、何も見つからなかった。
 
 王都に戻り、すぐにウォール大賢者の元を訪ねてこの1件を相談した。
 あまりにも不気味な謎が多すぎるのだ。
 尊敬すべき大賢者なら何かわかるかもしれないと、一縷の望みをかけた。
 そうか。報告はこちらでしておく。それだけで話が終わってしまった。

 報告を終えて部屋から出ると、ウォール大賢者しかいない部屋から、机を投げ飛ばしたかのような大きな音が聞こえた。

 
 レモーナ家当主は、親友に何が起きたのか調査を続けた。
 しかし、何も掴めぬまま時間だけが過ぎ、行方不明の第三王位継承者の捜索隊に強制的に加わることになった。
 音声の持ち主が王都に害を与える者であり、その正体を掴まなければ王都とこの大陸の人間に危害が及ぶ。そう王妃に主張して捜索隊から外して欲しいと懇願したが、国王の命であると告げられて却下された。


 これから挙げるのは、もう叶うことのない可能性だ。

 もしも、王妃が却下しなければ。

 もしも、ウォール大賢者ではなく、地位の高い別の人に相談していれば。

 もしも、指定した日より前にレモーナ家当主が来ていれば。

 もしも、レモーナ家当主が一緒に同行。あるいは止めていれば。

 もしも、その魔法学者が雪山に行かなければ。

 もしも、その魔法学者が趣味でマナとナーマの量を調べていなければ。


 もしも、4年前にある人物に手をかけることがなければ、この復讐は起きなかっただろう。

 しかし、現実はそうはならなかった。

 その1件から5年を経て──鮮血のように赤く、暗闇のように真っ黒な復讐が、全てを絶望に落として嘲笑う日がやって来た。



 
 水の渦に囲まれた王都の城。
 城の中には、数多の人間たちの死体が転がっていた。
 誰もが目を剝き、口から泡を吐き、首にはひっかいたような赤赤しい痕が残っていた。

 
 隠し通路のある王の間に辿り着いたが、間に合わなかった妃の死体が転がっていた。さらに長男、双子の次男と次女、三男。少し離れた所に王弟が息絶えて倒れていた。

「ど~も!」
 妃の横に、南の魔神がしゃがんだ。

「悪ぃ悪ぃ~。これも受けた仕事なものでねぇ」
 謝っているのにそれを感じさせないまま、妃だったものを蹴り飛ばした。

 どさりと音を立てて、玉座の前に落ちた。
 その姿は、許しを請うように床の上に跪いて深く頭を下げているように見えた。

「仕事の内容は、もちろん復讐の代行だぁ」

 南の魔神は、玉座にひとつの髑髏を置いた。

「腕を切り落として、致命傷を与えたからって安心しちゃった? この大陸の支配を狙っているならちゃんと死体は確認しなきゃなっ‼」

 眼窩の奥は暗く静かな影が閉じ込めらている。だが、妃を糾弾するような荒々しい怒りが籠もっていた。

「貴様と王弟にこの国を乗っ取られるなら壊してくれ。我が子だと偽った貴様らの子供ら、貴様が用意した偽物、貴様の息が吹きかかった城の者、自分の偽物すら気付かない臣下も王都に住む者も同罪。我が国そのものを陥れる魔物諸とも殺してくれ、と・・・・・・だが──」

 南の魔神は少しだけ明るさを抑えて語りながら、王座の後ろに移動した。
 その手には、掌より少しだけ大きな砂嵐がぐるぐると回っていた。その中に、儚くもきらきらと光る球体があった。

 依頼人の言葉を口にしながらも、ある意味でお似合いの夫婦なんだよなぁ、と球体を見ながら、魔神は心の中で呟いていた。 

「──私を亡き者とせんと下賤な輩を差し向け、分裂体という偽物を用意して国王たる私を侮辱した貴様だけは、楽に死なせてたまるものか。死後も絶望の底で苦しませ続けてほしい・・・・・・そう、復讐の炎を燃やしながら死んでいったぜ」

 全身鎧の分身体が、この王都にいたのは偶然ではなかった。
 効率的に、そして最大限の屈辱を与えるための調査と下準備を行っていたのだ。

「あいつから国王の復讐を無しにするために先手を打ったってのに、お前が病だなんて発表するからアドバイスマネージャーの依頼に支障が出ちまって大変だったんだぜぇ。しかも、性懲り無く複製体その2なんぞ作りやがって・・・・・・。最終的に使っていたのは初代法皇の方だったが……それでも、魔神すら引っかき回すなんて大した女だぁよ」

 1人の男に囁いて人身売買という悪に手を染めさせ、下っ端の従業員に三男を攫わせるように仕向けたのも、代行としての仕事の一環だった。
 どれぐらいのことをすれば、この妃に絶望を与えられるかを計るために。

「そうそう。嬢ちゃんズが教会のことを他の大陸に漏らす前に始末すればいいなんて・・・・・・実に詰めが甘い。あんたの悪事は匿名の情報提供者によって、既に他の大陸に知れ渡っていたんだよ。今頃、調査団が港に着いてんだろうなぁ~」

 無理だと悟った。

 依頼人の記憶を読み取った時は、実際に調査した時は、妃は我が子を愛する様子がたびたびあった。
 確かに愛はあっただろう。

 我が子に向ける愛情ではなく、必要な道具に対する愛着の方だった。
 愛しているのは、自分だけだった。

 妃は野心家であった。この国を自分のものにして、自分のための自分の思い通りの理想郷にしたかった。
 国王との子供は、自分が実権を握るために必要な駒でしかなかった。

 必死になって三男を捜索していたのは、大事な予備の駒を失いたくなかったから。

 必死になって人身売買の組織を潰したのは、大事な予備の駒のブランドを穢されたから。
 そして、王位第三後継者にあるまじき売値の低さを知って、子供たちが自分と国王の子ではないと不審に思われるのを阻止するためだった。捕まえた組織の人間はすぐに口封じをした。


 国王と妃の間には、本当の子供はやってこなかった。
 後から産まれただけで、王族の権利がほとんどないことに不満を抱いていた王弟を誑かし、誘惑した。
 王弟にも王族の血が流れているのだ。飛び遺伝として、国王のような髪の子供がやってくるかもしれないと狙った。

 しかし、それも叶わなかった。
 生まれてきた子供は全て、妃と同じ髪の色をしていたのだ。

 それでも、まだどうにかなる。
 国王には、子供の本当の父親が誰なのかばれていない。
 子供には、本当の父親が誰なのかばれていない。

 国王の髪の色と全く違う王弟に似た子供はいないのだ。国王と妃の子だと偽り続ければ時期国王にすることは無理ではないのだ。

 あらゆる手段を使って、妃は全てを自分の流れにしていった。
 城に仕える大賢者でありながら、王族重視の政治によって教会を不当に扱われることに反感を抱いていたウォール大賢者の味方をするふりをして、魔物をうまく手中に収めて、他の大陸も自分のものにしようとするほどに。

 どんな障害があっても、妃は全て排除していった。
 北の魔神の討伐報告が届く数か月前に、極秘に組織していた暗殺部隊を使って国王を葬るほどに。
 そして、国王の次に邪魔になる存在を罪人に仕立て上げ、処刑するほどに。


 己の欲望を叶えるためだけに、用意周到に整えてきた。
 ちっぽけな犯罪組織に売られただけで、全てを水の泡にされてたまるかと、証拠を潰していただけなのだ。

 今迄みたいに、外堀から埋めるのは意味がない。
 例え、次期国王になる長男を含めた他の子供たちが、なにかの事故で命を落とすことになっても、王弟を裏で操るだろう。
 子供たちと王弟が同時に命を落とす事故があっても、残された自分だけが王族の意思を継げるなどと体の良い言葉で玉座に腰を下ろすだろう。
 あるいは、あの複製体の国王を使って、王妃に国王の席の座を明け渡すなどと言わせるつもりでいたのかもしれない。

「全ての大陸を我が物にしようとし、侵略の兵器として罪人を魔物に変え、国王によく似た影武者を用意し民衆を誑かし、秘密を知った北の聖女を亡骸すら残さず葬ったあとに影武者を教会に送り、影武者に気づき真相を探っていた教会関係者を虐殺。そして、8年前に勇者を冤罪にかけて処刑した──稀代の悪の女王。嘘も混じったそれが真実となり、あんたの経歴になる」

 魔神は発想を変えることにした。

 ちょうど、処理に困っていたできごともあった。
 
 それらを悪事に仕立て上げ、妃に全てふっかけることにした。

 それは冤罪だ。しかし、冤罪だと証明できる証拠は何ひとつない。 
 そして、その冤罪が妃の悪事だと立証する証拠はできあがっていた。匿名の情報提供者により、他の大陸に情報と共に届けられていた。
 無論、この1件の核心に差し当たりのないものを厳正。必要に応じて手を加えて、隠蔽すら隠蔽したものを用意した。

「他の大陸の人間も興味津々だろうねぇ~。どんな女か拝んでみたい。同じ人間か確認したい。胴体を切ってその中身を見てみたい・・・・・・」

 死んでもなおその悪声で辱められ、人々に指をさされて嘲笑われ、その美しくも醜い体を晒され、肉体的死を望むことすらできない状況にすればいいと。

「妃さん。あんたは悪の女王という死体標本になるんだ。大陸中の博物館を回るから、死体が腐らない薬も用意した。積み重ねられていく時代の中で、人々の記憶の中で、地上最低最悪な人間の烙印を押され続ける。あんただけは叶わぬ渇望に喘ぎ、汚名と共にこの世に在り続ける・・・・・・」 

 死体の中に残っていた僅かな魂を、魔法を使って書き集めて体から分離させた。
 それが、小さな砂嵐のなかにある光る球体だ。
 あくまで一時的だ。魔神がこの復讐のためだけに3年かけて編み出した魔法をもってしても、体から引き剥がされた魂は半年もしないで消えてしまう。

 それでいいのだ。
 現実を見せるためだけに必要だから、この魔法を編み出した。

 妃が望んだ輝かしい世界とは真逆の、絶望という希望のない場所。
 そこがお前の居場所だ、と認知させてことが重要だ。望んでいた形とは全く逆に広まっていく妃という存在を、凌辱され続ける体に手が届かず見せつけられ、どうすることもできずにこの世から強引に引き剥がされる。
 
 魔神は学んだ。
 無理やり生かし続けることだけが、絶望ではない。

 この世界には魔法があるのだ。
 魔法を最大限に使って、死んでいるからこそ何もできないと絶望に突き落とすのも、復讐には最適だと。


 南の魔神は、悪魔のような悍ましくも愉楽の笑みを浮かべた。
 
「それが──アルスト王の望んだ復讐だ」

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