After story/under the snow

黒羽 雪音来

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19.3-3 そうであっても、この復讐だけは諦められない

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 再び、目の前に赤い光があった。
 いくつもの記憶の場面を見せられても、瞬きほどの短い時間のような感覚しかなかった。 


 魔物の正体は人間。
 それはわかっていた。
 けれど、人間がどうやって魔物になるかなんて知らなかった、考えなかった。無意識に考えないようにしていたのかもしれない。
 
 自分がやって来たことは、人殺しだった。
 魔物となったウタネのように、突然魔物にされたただの人間を殺し続けていたのだ。
 聖剣という凶器で、屍を作り続けていただけだ。
 
 突きつけられた事実に、脳が麻痺する。心が潰されていく。

 謝りたかった。
 許されたいからではない。自分を塗り潰すほどの罪悪感を減らしたいのではない。ただ、謝りたかった。
 あなたたちの人生を奪ってしまってごめんなさい。
 あなたたちの命を奪ってしまってごめんなさい。
 地獄に落ちても許されない自分にできるのは、それだけだった。
 

 そして、魔神は初めから自分の復讐など手を貸す気がなかった。
 
 何度騙され、何度利用されれば気が済むのだと自分自身を罵りたくなった。
 自分の浅はかなさと愚かさに嗤いたくなった。侮蔑したくなるほど嫌になった。
 自分の復讐など、この世で最も価値がないものだと値付けされた気がした。

 それは魔神だけではない。
 目の前にいるダイコウにも当てはまった。


 自分の心を読んでいるのだ。心の中で呟けば解答ぐらいしてくれるだろう。
 
 4体の分身体が揃ったあの時点で、全身鎧とピエロの思考を掌握していた。
 全身鎧ではなく、ピエロだからこそ、あのような記憶という形になった。

 あのやり取りは、自分が勝手に飛び出して大けがをして回収された後。
 次に自分が全身鎧に会ったのは、教会の1件。性格は、自分が知っている魔神に似ていた。
 
 なら、その後のピエロはどうなっていたのか。
 たぶんだが、余裕のない魔神は気づかなかったのではなだろうか。そのまま放置されたピエロが何をしたのか、当事者である自分がよく知っている。

 魔神と引き剥がすこと。それが目的だったと考えれば、ひとつの予想が立てられる。
 魔神の主導権に戻った全身鎧の分身体が口にした、黒い靄に対するセーフティー。あれがなければ、依り代としてすぐに自分の体を道具として使うことができる。

 口では否定していたが、それを望むのは白神のみだ。

 ダイコウの正体は白神。目的は依り代を────。

「業腹だと、先に告げたはずだが?」

 自分の考えを遮るように発せられた、抑揚無き声の後。大きな手がゆっくりと力を込めて握りだした。

 自分の体が悲鳴を上げた。
 肉が、骨が、臓器が、内側へと押されて圧縮されていく。
 
 あまりの激痛に反射的に体を丸めようとした。体そのものは無理でも、抑えのない頭は下を向いた。
 それを許さないと言わんばかりに、無理やり顔をあげさせられた。首に打込みをひっかけられた時と同じ苦しさがあった。 

「必要なのは理由と解答であろう? 下らん事ばかり考えるな」

 確かにそうだ。
 その理由と解答は、記憶の中でしっかりと提示されていた。

 だが、その記憶の持ち主が信じられない。それが自分の答えだ。


「……亡き存在の為の復讐だけではない。汝を見捨て罵倒してきた人間への報復する権利があるのではないか?」
 抑揚はなくても命令するかのように、記憶の持ち主である赤い目は発言した。

 話をすり替えるつもりだとわかっていても、それを聞かないようにする手段がなかった。
 
「汝がその罪を背負わされている間、他の人間共は何をしていた? 幸福の中で笑っていたのではないか? 魔物に襲われても何もせず、変わりに罪を被った汝を罵ったのではないか? 汝は魔物から人間を守護するために罪を重ねたが、汝を守護した人間はいたか? 汝の守りたかった存在を守ってくれた人間はいたか?」

 疑問形なのに、答えはこれだろうと言われた気がした。

 誰かの笑顔の為に魔物を殺し続けた。
 魔物に襲われる村や町に助けに行った。お礼は自分以外の人間に向けられ、助けられなかった人や壊れてしまった家の責任追及という罵詈雑音は自分にだけ向けられた。 
 いつだって、自分は独りで魔物を殺した。誰かが助けてくれたことはなかった。
 そして、自分を気にしてくれたあのヒト達を自分の手で殺した。誰かがいてくれれば殺す以外の結果があったのかもしれなかった。

 全て勇者だからと受け入れていたことだった。
 勇者である以上、仕方のないことなのだ。

 自分を握りつぶしていた力と、首に負荷を与えていたものが消えた。
 それでも体を包み込む固定と恐怖はそのままだった。

 痛みに苛まれた疲れからか、体に力が入らない。 
 潰れた肺が空気を拒むかのように、呼吸がうまくできない。

 ずっとこんな感じだな。と、同じことを繰り返しているような気がした。
 
「誰が勇者の話をした? 汝の話をしているのだ」

 自分の話と言われても、ぴんとこなかった。
 自分は復讐しか望んでいない。そんな自分しかいない。
 
「もし、勇者の汝に手を差し伸べる人間がいれば──復讐を望む汝はいなかったのではないか? 罪悪感に苛まれた人生を送らずに済んだのではないか?」

 そう言われて、自分の心臓が大きく跳ねた。
 心臓を繋ぐ血管を引き千切るように強く鼓動した。

 そんなこと、一度も考えたことがなかった。
 そんな人間がいたら、復讐を望む自分はいなかったかもしれない。

 けれど、勇者の時はそれがなかった。

 もし涙が出るのなら、悲しみと怒りで流していた。
 涙を流したいほど悔しいのなら、本当は気付いていたのかもしれない。
 考えたって意味がない。そう蓋をして見ないようにしていたのかもしれない。
 

「復讐を所望であろう?」

 魔神の声によく似た、赤い目がそう言った。
 全く同じ言葉での、2度目の問い。
 だが、1度目より新鮮でさらに自分の心に響いた。
 
 気付いてしまった。
 あのヒト達のための復讐とは別に、自分も人間に復讐をしたかったのだと。
 隠すための建前も、本当の自分の気持ちだったのだ。

 違う。自分のためであってはならない。
 苦しさの中で、必死に否定した。

「本来であれば、依り代の器で活動が可能だが、如何せん時間が惜しい。故に汝に協力を持ちかけた。乃公が聖剣の苗床を掌握してやる。汝は大陸の人間を皆殺しにし、その手で汝自身を処刑すればいい。依り代が妨害しようとも滞りなく実行できるよう手配してやろう」

 具体的な説明に、希望を見てしまった。
 太陽のように明るいものではなく、真っ暗な中でも目視できる闇のような暗い希望だ。
 大勢の人が彷彿させる希望からかけ離れた、悪逆な発想と行動。
 それでも、今の自分には手を伸ばしたくなるほど追い求めてしまう希望だった。


「では、汝の解を示せ」

 
 脳裏に、生きて欲しいと願ったウタネの顔が過ぎった。
 南の聖女を抱えて走り出したときの感情が蘇る。
 勇者の時の罪を繰り返したくない。そんな躊躇いだ。
 大きな傷となって残り、地獄に落ちてもその痛みに苛まれる。
 その恐怖から、体が小刻みに震える。

 わかっていた。これは愚かな選択だ。
 否定しないといけない。
 口で否定しようとしても声は出ない。
 首を横に振ればならないのに、それを拒む自分がいた。

 理由は明確だ。
 自分は復讐がしたい。
 その本心が邪魔をするのだ。

 死んだ後でも、捨てきれない欲が自分の中にあった。
 理性と本心が葛藤するように、上の歯と下の歯を強く噛んだ。

 ただ消えるだけ。復讐せずに終わるだけの自分に残された最後の機会。
 眷族となり、人間すら捨てた自分に残された最後の願い。
 終わった人生に対する未練だ。

 愚か者と罵られててもいい。無知で無能でもいい。無様と嘲笑われてもいい。 
 あのヒト達のためだけじゃない。
 自分の内にある悲しみと怒りを知ってしまった以上、勇者の時のように簡単に諦めることができない。
 否。自分は復讐に対して諦めていない。途切れてしまいそうになっても復讐を求め続けていた。


「……出来ぬのなら、乃公が引き継いでやろう。その意思に関係なく、乃公が改修がてらに皆殺しを行おう。後悔したくないと願いが勝る、簡単に諦められる復讐で良かったな」

 答えが、決まってしまった。
 板挟みになっていた感情が、大きく揺らいで答えに傾いた。
 

 駄目だと止めようと震える体で、自分は小さく頷いた。
 恐怖に抗うために、理性を押さえ込むように、下唇を強く噛みしめた。
 
 誰かに奪われるより、後悔を恐れてここで終わるより、後悔するとわかって罪を重ねてでも復讐に縋りついて、独りで嘆きながら詫びたい。

 ここに、互いの目的のための協力関係が結ばれた。

 結局、この赤い目は誰なのだ。
 それがわからずじまいだった。

「我に真の名は無し。しかし、歴史という時間の中で別称として付けられた名はある」

 自分の中で、魔神の力が割れた。
 ガラス玉を割ったように砕け、内側から焼かれるような激痛が襲った。

 自分は言葉になっていない悲鳴を上げた。
 熱さから逃げようと藻掻きたくても、両手両脚もなく、握られていて、何もできなかった。  
 視界いっぱいに映る赤い目を背景に、黒みかかった蒼い炎が映った。

 頭の中に、これからの計画が流れてくる。頭の中にこびりつく。

「原初の片割れにして黒い神。それが乃公を示す名である」

 そして、グチャリと大きな肉の塊を挽き潰す音と、バキリと大量の骨を砕き割る音がすぐ近くから聞こえ、熱さを感じなくなった。



 両方の瞼が崩れた。
 両方の義眼が落ちた。
 両方の目の周りから熱いものが流れ落ちる。

 自分の命を燃料にして、黒みかかった蒼い炎が燃え上がる。

 見覚えのある処刑場。
 見慣れた雪景色と、重たい灰色の空。

 自分は、赤い目がいた暗闇から戻ってきたのだ。


 目の前に、本来の姿の魔神の姿があった。
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