After story/under the snow

黒羽 雪音来

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20.3-4 参戦と邂逅

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 この空気を破ったのは、背後から聞こえてきた鎖の音だった。
 
 自分が振り返るよりも先に、鎖達は自分の横を通り過ぎて魔神に向かった。
 
「ああああああ‼ 嫌になってくるぅっ‼」
 魔神は悪態付きながら、膝を曲げるように体を低めて、小さな砂嵐を足場に真っ直ぐ上に跳んだ。

「白神に手酷いお仕置きするだけで終わらねぇって気はしてたけどぉ‼」 

 上空へと追尾する鎖達を、横からやってきた乾いた砂の塊が覆い被さって埋めた。
 魔神も上へと逃げていなければ巻き込まれていた。それほどの砂の量だった。

「ちゃっかり、『聖剣の苗床』に干渉してんじゃねぇっ‼」

 こちらに接近する魔神に対し、自分は鎖を数本伸ばす。
 魔神の持つ黒い剣に絡みつかせて、遠心力をつけずに投げ飛ばす。遠心力をつけている間に対策を講じられるからこその、苦肉の策だ。
 着地地点はない。足でも背中でも、どこかに落ちるより前に砂嵐を使って移動されるのがわかっていた。

 鎖を作り出して伸ばすために作り出した魔力が、自分の意思とは関係ない、別の方へと流れていった。
 先ほど追尾していた鎖達が、自分たちを埋めた砂を纏って飛び出してきた。より太く頑丈に、より凶悪な貫通力を持ったそれらが、魔神へと押し寄せる。 

「ゲエェ‼ 逆に干渉されたっ‼」 

 魔神は大声で出しながら、その姿を覆った砂嵐と共に姿を消した。
 対象がいない空間を通過して、鎖はまとっていた砂嵐と一緒に工場の上に落ちた。そして、工場の中へ引きずり込まれるように、黒に溶けて消えた。

 魔神はどこかに移動した。
 そう判断できても、姿が見当たらない。
 どこだと、周辺に目を配り始めた時、腕に絡まっていた鎖が自分の体を強引に引っ張った。

 勢いのせいか。コートの内側から、腐っていく体のどこかの部分が、大きめの肉塊として落ちていった。


 上空から見下ろして、砂嵐で移動して再び工場に狙いを定めた魔神の姿を捉えながらも、それに気づいた。

 雪を溶かすのを妨害していた砂が波打つたびに増えていき、鎖を巻き込んで移動していく。
 その先には、工場があった。

 工場から生えている鎖の鏃部分が開き、黒い光を帯びた蒼い炎を砂の波に向けて噴射する。
 砂は燃えないはずなのに、その炎は砂粒すら形を残さずに燃やし尽くした。その火力に鎖が耐えきれず、輪郭から崩れていく。


 その炎を使うのは、計画ではもっと後のはずだった。
 雪を溶かして右手に触れた後、さらに妨害を強めてくるであろう魔神に対して、接続が完了するまでの防衛に使うはずだった。

 黒い光を帯びた方が威力が上がる分、魔力の消耗が激しい。
 この時点で使えば、最後まで復讐が達成できない。

 すぐに止めようと指示を出すも、鎖達は全く指示を聞いてくれなかった。

 鎖の鏃が黒い光を帯びた蒼い炎を吐き出し始めてから、自分の生命力が魔力変換機関に膨大かつ急激に流された直後、体の中で外側に向かっていく衝撃をあった。
 突然、息ができなくなった。目の前がちかちかと明暗する。
 痛みと苦しみはない。だが、体が何かを求めるかのように、抉って凹んだ喉に左の義手が勝手に動いた。触れている感覚がないからわからないが、喉を覆うように当てている気がした。

 たぶんだが、粗悪品の肺が破裂を起こした。
 
 すぐに粗悪品の肺が作られ、血管に繋がった。
 
 ようやく息ができた。
 息が上がっていてもいいはずなのに、自分の呼吸は全く乱れていなかった。思考にも悪影響はなかった。


 工場に狙いを定めていたはずの魔神の姿はどこにもなかった。
 粗悪品の肺に支障が出ている間に、どこかに移動したという痕跡はない。
 幻術だ、と解答を導き出した。


「お前ぇも──」
 すぐに声が聞こえた横に視線を向ければ、剣を振り下ろす魔神の姿あった。
 幻術に欺かれ、本物の魔神の接近を許してしまった。

「──大概にしろよなぁ!!」
 振り下ろされた黒い剣を、鎖達が分厚い盾となって防いだ。
 鉄と鉄が擦れ合う音ではなく、鉄とは違う重たい物質がぶつかり合う重音が響いた。

 勝ったのは、黒い剣を持った魔神だ。
 魔神の力押しなのか。何かの魔法でもあったのか。分厚い盾は元の鎖に解けた。

 砂の爪を纏った魔神の手が、自分に向けて突き出される。

 この一撃で、自分は殺される。
 確実に終わらせるなら頭を狙うはず。そう解答を導き出し、自由の利く左手を顔の前に出した。
 目的のための犠牲だ。


 この大陸の人間を皆殺しにする。それは絶対にこなさなければならないのだ。


 魔神の砂の爪が引き裂いたのは、黒い神が用意した右腕だった。
 自分が目を向けるより先に、右腕は工場の中に落ちて沈んだらしく、表面に波紋が広がっていた。 

 ばさっ、と音を立てて纏っていた砂が落ちた。手を横に動かし、自分の左腕を掴んだ。

 理解できなかった。
 終わらせられる好機をみすみす逃がすなんて、魔神らしくなかった。

 左の義手が根元から落ちた。
 南の魔神が折ったのではない。右と同じ黒い手が生えたのだ。

「マジかよっ!!」
 落ちた左の義手を握ったまま、南の魔神が目を見開いて声を上げた。
 自分の背後から飛んできた鎖を、黒い剣で器用にいなした。だが、鎖はしなりを利かせて横に振りかぶり、黒い剣を前に掲げて身を守った魔神を打ち飛ばした。
 
 
 体を支えていたものが消えて、自分は工場へと落ちていく。
 考えられる想定の中で、工場の中に落ちるのだけは回避しないとならない。
 もう一度、鎖に指示を出す。

 今度は言うことをきいた。
 掴もうと左手を伸ばすが、飛んできた鎖は自分の右足に巻き付いた。体が逆さまのままで、左右と上へとでたらめに振り回せれながら後退させられた。

 視界が安定しない。
 止まるように指示を出しても、鎖は自分を振りまわし続けた。

 再び吐血した。
 否。何度も何度も吐血した。
 抉れた喉を通って、逆さまで下になった上顎と歯の間に血を溜まっていく。反射的に口に当てた左手の指の間から血が飛び散る。あるいは、指を伝って流れて落ちていった。
 
 眼下で繰り広げられていた、黒い光を帯びた蒼い炎を噴出させる鎖と砂の波のぶつかり合いは、引き分けに終わっていた。鎖と砂が魔力に戻って消えていった。

 だが、すぐに再開された。
 黒みを帯びた蒼い炎が吐かれるたびに、吐血が激しくなった。
 
 飛ばされた魔神を見た。


 魔神は雪の上を転がりながらも、すぐに態勢を直した。掴んでいた義手をマントの中に押し込んだ。
 向かっていた鎖を、横切るようにやってきた乾いた砂が横断し、そのまま砂嵐と変わって巻き上げていく。

 魔神の背後に、ピエロが体を低くして降り立った。
 ピエロを追っていた別の鎖達を、魔神が黒い剣で斬り捨てた。

「あんにゃろうぅ……どんだけ搾取主義で気ぃ短けぇんだよ……」

「わーお。めっちゃ怒ってるな。凄み利かせすぎだろ。あと、わなわな震えすぎて怖いんだけど」  

「これに激怒しねぇで何に怒れと……? あと幻術は一度中止だ」

「なんで? 効いてただろ?」

「攻略のためだけに、依り代に負担をかける方法を取りやがったからだぁ」

「はいよ。……で、火に油注ぐようで悪いんだが……」

「ああ?」

 魔神が凄みを利かせた声を上げながら、ピエロの方を向いた。
 
「要石壊された……」

 ピエロの両手には、乾いた砂より色の濃い小さな塊が何個も乗っていた。
 その塊はボロボロと崩れてさらに小さくなり、粒状に変わっていく。

「のわああああああ‼」

 魔神が金色の目を大きく見開かせて、大声を上げた。
 先ほどまで怒っていたのなら、今は驚いている。そう判断できる古典的な反応だった。

「どーすんだよこれぇ⁉ 8年かけたのにぃ‼」

「結界作るのに8年かけたの?」
 
 ピエロの手の中から、塊は消えて全て砂へと変わった。

 魔神達の背後から離れたところに、半透明の板が姿を現した。それにひびが走ると、魔族語とは似ても似つかない重たいが長く響く鈴の音が何重にも鳴り続ける。 
 ひびは亀裂に代わり、自分と魔神達を大きめに取り囲む円柱の仕切が出現する。
 
 亀裂はすぐに円柱に広がり、膨大な乾いた砂となった雪の上に落ちた。
 話の流れから、この円柱は結界で、ピエロが見せた塊が結界の要石だった。そう判断した。
 

「悪いか⁉ 悪かったな‼ 結界作るの苦手だしそもそもセンスもねぇよっ‼ 人間だって苦手があるんだから魔神にだって苦手があってもいいだろうっ‼」

 あれも操れるのかと予想はあったが、砂は雪の水分を含んで色濃くなった。
 記憶という情報を読み返せば、魔神が操る砂は全て乾いていた。対象外だと判断できる証拠だ。

 結界が消えたことで、雪を溶かす砂が届かない遠くの場所へ、鎖達が湾曲を描いて移動を始めた。 

 もうすぐ復讐が果たせるのに、この心には何もなかった。
 吐血しながら、ただただ鎖達を眺めることしか、自分にはできなかった。


 風を切りながら近づいてくる飛行音が、聞こえた。
 自分の上を、横に広がった大きな翼と長い尾だとわかる影が通り過ぎた。

「で、修復できる?」

「出来るかっ‼ やればできる子でも2度目は無理だぁ‼ ただでさえ連戦で魔力と体力が底着きそうなのに依頼人守りながら上司の対応は1人でこなせるもんじゃねぇぞ普通っ‼」



「────結界を張れば良いのだな」
 上空から、聞き覚えのある声が降ってきた。
 
 円柱より広範囲で、北の果てという区間を覆うようにオーロラのように輝く帳が降りた。


 その帳の下で、1つの巨大な影が旋回する。


 鳥のような翼をしていながら、鳥の大きさでは収まらない巨翼。
 蜥蜴と蛇を足したような全身に翼を生やした影の姿は、翼竜に似ていた。
 北の大陸で、翼竜と呼べる存在は1体しかいない。 

「儀式を執り行い安泰と思った矢先、何をしているのだ南の・・・・・・?」

 この北の大陸の悪役であり、南の魔神と同じ大陸の維持を務める存在。

「まあいい。……我が手を貸してやる」

 本物の北の魔神が、自分の前に立ちはだかった。

 

 自分の中に起きていた、あってはならない変化に気付いてしまったのだ。

 あの時、消滅させてしまった罪悪感。
 消滅しても戻ってきてくれたことへの喜び。
 赤の他人のように、こちらを見てくれない寂しさ。

 あっていいはずの北の魔神に対する自分の感情がない。

 例え口調や性格、気配は変わってしまったとしても、あのヒトと変わらない声音と姿を見て、自分は何も感じなくなっていた。

 恨みや嫉みや怒りより先に始まった、自分の罪からの始まった復讐。

 あのヒト達を直接殺した自分を自分の手で殺し、独りで死にながら詫びることで、この復讐は終わりを迎える。

 目的は明確なのに、詫びるとはどういう感情なのかがわからなくなっていた。その重要な感情すら欠けてしまっていた。
 欠けたことに対する喪失感への恐怖すらなかった。
 処刑されるまで収監されていたあの時のように、何も感じなかった。

 心が死んでしまったかのように感じなかった。
 否。そう思ったあの時点で、自分は感情というものを既に感じなれなくなっていたのかもしれない。

 復讐を果たさなければ。そう突き進んだ。
 そう願っていたはずだった。
 だが思い返せば、課せられただけの仕事を黙々とこなす自分がいたことに気づいた。
 

 これで北の大陸の人間を皆殺しにしても、計画通りに復讐を果たしても、動機のない虐殺でしかない。自分はただ罪を重ねるだけの罪人で終わってしまうのだ。


 黒い神にその感情だけでも返して欲しいと頼みたい。
 しかし、もう自分の声は届かない。

 誰でもいい。自分にその感情を与えてくれと願った。
 そう願う声は、物理的になくなってしまった。

 願っているはずなのに、胸を焦がすほどの要求も、涙を流して必死に乞うほどの祈り。それほど恋い焦がれる望みが湧いてこなかった。
 自分自身、本当にそう願っているのかと疑いたくなるほど、欲しいという感情が全くなかった。

 欲しいという言葉をなんとなく使っている。そんな虚無すらあった。


 皮膚が、肉が、血が、雪の上に落ちていく。
 義手でなくなった左手を見て、黒い神の真意を確信した。

 この大陸から人間を皆殺しにするために、怪物が欲しかっただけなのだと。
 アルバーストのドラゴンより、自ら壊れて無駄死にするだけの名もなき怪物が必要なだけだったのだ。
 先程まであった右手と、今ある左手が、その証だった。

 互いの目的のための協力関係。そう思っていた自分の考えは浅はかだった。
 なのに、怒りと悲しみを感じなかった。

 ピエロを倒した後の、笑いと共にこみ上げてきた感情すら消えてしまった。


 自分の中に、自分の知らない誰かがいて、自分に命じる。
 皆殺しを。皆殺しを。この体が朽ちる前に皆殺しを。
 死ぬだけの体では引き返せず、立ち止まることもできない。
 形だけでも復讐を為せばいいではないか、と。

 復讐は、遙か彼方にある星のように届かなくなった。
 自分は愚かな罪人のまま、詫びることすらできずに死ぬのだと判断した。

 勇者の役割を背負わされながら、愚かな殺人者で終わりを迎えた。
 復讐者の役割を纏ったのに、愚かな大量殺人犯で終わりを迎えようとしている。

 何も変わっていなかった。
 人形に感情などない。作られた目的はあっても自分で定めた目的ではない。
 まさに今の自分だった。
 勇者の時の自分と何一つ変わっていなかった。
 自分の願いを叶えることより、自分がしたかったと行動するより、自分がこのヒトのために行動したいという気持ちより、自分を利用する誰かの命令通りに動くことを最優先された人形だった。

 もう、終わらせよう。
 あのヒト達に詫びることのできない自分は、この世で最も不要で、いる意味のない存在でしかない。
 それが自分だ。利用されるだけ利用され、求められただけを果たして使い捨てられる道具だ。

 あれだけ願っていた復讐を、自分は呆気なく手放した。
 その大事なものを失った。手を伸ばして掴むことすらできなくなってしまったのだから、手放すしかなかった。

 自分の命を魔力に変えて鎖を作り出だした。
 今度は指示通りだと増えていく鎖を見ながら、自分は終わりのない吐血を繰り返していた。
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