After story/under the snow

黒羽 雪音来

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20.4-4 憧憬の存在

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 復讐を捨ててから、何かが広がっていく。
 蔓延。侵略。蹂躙。
 自分であったものが、そんな風に勝手に塗り替えていく。
 自分の意識はまだあるのに、自分でなくなっていくあの感覚。
 教会の地下よりも、罪人として捕まってから処刑されるまでのあの頃に近い。

 そこに自分の意志などない。
 そこに自分の意思などない。

 2体の魔神が前にいるのも、処刑場行きの馬車まで雪道を歩かされたのも、自分にとってはさほど変わりない。

 その目的地は、願いを叶えた誰かの始発点。
 その目的地は、自分の死だけが用意された終着点。

 それまで動け。ただ動け。そう自分の頭を抑えつけられている何かに言われるがままに、自分はそれを実行するしかない選択肢がなかった。

 終わった自分の命を、朽ちて崩れていく自分の死体を、真っ白な雪が埋めてなかったことにする。
 命を刈り取る白き大地の上では、人間など容易く死んでしまうちっぽけな存在でしかない。
 自分に約束された死の刻限。
 それが時計の針が少し動いたら訪れる。それだけだ。


 神にだって変えられない摂理。
 全てを引っかき回し、全てを巻き込んで、予想外の展開を起こす存在がいなければ、起きることのない必然。
 縋り付く奇跡も願いもない自分は、ただただ死へと自ら歩き出すしか許されない。


 ───と語った記憶が蘇った。
 伝承にそれを起こす存在はいた。神とは全く異なる存在。何事にも縛られない自由な振る舞い。親近感を与えるような隣人であり、恐怖の対象として遠ざけられる破壊者。
 
 けれど、現実にはいない。
 だってあれは、昔話という題名が作り出した幻想だ。

 感情がなくなってから、余計な雑念が消えたことで、ようやく気付いた。
 あれは憧憬だったのだ。
 自分も、あんな存在になりたかった。叶わないとわかって手を伸ばすのを止めたにも関わらず、その姿を追うように文字と絵を追い続けていたのだ。
 もう、どうもこうもない無意味な発見でしかなかった。




 北の魔神はその場で滞空し、氷の翼を横に大きく広げた。

「ちょっ‼ 待てま────」

 南の魔神の静止の声は無視された。

 これから行われるのは、北の魔神と怪物の殺し合いだ。
 もう、あの時の北の魔神と北の大陸の勇者の関係には戻れない。言葉にして謝ることすらできない。

 ただ翼を動かしただけで、氷柱のように鋭い氷の羽根が自分に向かって飛んできた。高さと横並び関係なく、でたらめに、しかし広がって逃げ場がない。
 北の魔神から見れば、殺すべき怪物としか自分を見ていない。それがこの攻撃の理由だ。
 
 壁や盾のような防御に特化した形状は悪手。 
 北の魔神と戦ったからこそ、知っていた。
 攻撃は受け止めてはいけない。全て躱すか魔力を纏わせて弾いた後に張り替えるなどをしなくては、当たった部分から広がって氷結してしまうからだ。

 数十本の鎖を前に移動。それ以外の鎖を出現地である黒い工場へと引っ込める。残された鎖の鏃部分が開き、蒼い炎を放出。自分に向かってくる氷の羽根だけを燃やして溶かす。
 最も効果のある対策を頭の中で組み立て、操作を試みる。

 自分の指示をまた聞かなければ、それでもいい。

 勇者の自分は自分の願いのために、あのヒトを殺した。
 今度は、あのヒトと同じ姿である北の魔神の願いのために、自分が殺される番が来た。

 けれど、自分は北の魔神に殺されたくない。
 こんな罪人を殺す手間を、北の魔神にかけさせたくない。
 黒い神の望みを叶えた頃には、勝手に自分は終わっている。もしくはそれすら果たさないまま、中途半端に終わるかもしれない。
 
 結果はどうでもいい。自分なんぞの肉や血を浴びるのは、自分だけで十分。それだけだ。 

 自分の指示通りに、鎖が動いてくれた。蒼い炎を噴射させる。

 炎など諸ともせずに、氷の羽根が突き進んだ。
 蒼い炎の高度から溶かせると予測したが、北の魔神の使う氷は自分の予測を超えていた。
 否。自分の知っていた北の魔神と名乗っていたあのヒトより、獅子頭の南の魔神に近い存在なのだと、認識を改めさせらた。

 鏃が、鎖が、氷の羽根に貫かれ、その断面から氷結していく。

 反射的に、守りのための攻撃に出た。
 大賢者が放った光の帯を、鎖で模倣して作り出す。
 工場の中から、幾重本の鎖を重ね絡ませて太い柱のように束ねた。それを回転させながら下から放った。氷の羽根、そして北の魔神を横切った。黒い鎖達の帯が生み出した風圧に、氷の羽根の軌道が逸れ、北の魔神の態勢が崩れた。
 
 鎖の帯は結界に直撃し、氷の羽根は自分の体を傷つけ、傷口を凍らせた。
 風圧に煽られて軌道がずれたことで、突き刺さる、体に穴を空けるように貫いて死ぬ結果は免れた。

 大量の魔力を消費した反動がやってきた。
 びちゃ、と左手に血が飛び散りぶつかる音が何度も聞こえた。 


 北の魔神が結界を足場にして、鎌首を持ち上げてこちらに向け、口を大きく開いた。

 見覚えがあった。
 氷の礫を飛ばしてくる。

 北の魔神は、白い吐息のような色をした強風を吐き出した。
 全く知らない攻撃だった。


 黒い鎖の帯に魔力を使い過ぎて、自分を支えている鎖を動かすのが間に合わない。
 
 その見たことのない攻撃は、自分ではなく黒い工場の一部を凍らせた。
 湖の表面が凍った様子だった。だが、その範囲はゆっくりと広がって工場を覆った。

 右翼に何重も厚く氷を纏わせ、北の魔神は何も躊躇い無しに急降下する。翼を羽ばたかせることなく、一直線に落ち、その凍らせた部分に右翼を叩きつけた。

 鈴の音とは異なる澄んだ音が空気を震わした。
 その部分から円を描くように、氷がさらに幾重に重ねかけして分厚く硬くなり、鎖は樹氷のように凍結した。
 北の魔神が凍った工場の上に足を着け、長い尾でその氷を強く叩いた。
 足と尾を起点に、針地獄のような先端が鋭利な氷柱に足場が変わっていく。
 
 北の魔神は鎌首をもう1度上げ、自分に標準を合わせた。

 鎖の帯という脅威を先に無くす。それを優先した結果だとすぐに判断できた。
 安定した足場を得た北の魔神は再び口を開けて、氷の粒が舞う冷気を溜め始めた。

「話聞けっ‼」
「っが‼」
 南の魔神はそう叫びながら、北の魔神の右脇腹に蹴りを入れて吹き飛ばした。
 
 着地する前に、空中で砂嵐に包まれて南の魔神の姿が消えた。入れ違うように、黒い光を帯びた蒼い炎が、下から氷そのものを消しながら柱のように立ち、凍結していた工場が再び起動した。

 自分はその炎を使う気はなかった。
 また勝手に魔力が大量に持っていかれて、量を増して自分の体から血が無くなっていった。

 蹴られた北の魔神は、工場の外に出ていたため黒い光を帯びた蒼い炎から免れていた。

「何故我を蹴った⁉」
 北の魔神は目を吊り上げて怒鳴り声を上げた。

 斜め横に砂嵐が出現し、中から南の魔神が姿を見せた。

「お前が話聞かねぇからだろうがっ‼」
 南の魔神も怒鳴り返した。

 実際は、黒い光を帯びた蒼い炎から遠ざけるつもりだろうと推測できるが、それを指摘する声は自分にない。
 魔神に対して口を挟める存在がいないから、魔神達が言い合い争いを始めた。

「どう見てもわかるではないかっ!!」

「わかってねぇからなっ!!」

「あれをどうにか殺せば良い!! それだけのことであろう?!」

「全然違ぇから!! 俺の依頼人だから!!」

「なんと‼ まだあんな悪趣味続けていたのか!?」

「これ解決したらその口黙らせてやらぁ!!」

「返り討ちにしてやろうではないか!!」

 2人の魔神は互いに罵りながらも、自分が操作して差し向けた鏃の鎖を粉砕していく。

 先ほどの結界に穴は空いたが、目を向ければ埋まっていた。
 結界は、雪の上にも張られてたいた。
 蒼い炎では無理でも、あの鎖の物量と瞬間的な高威力で壊せるなら、黒い光を帯びた蒼い炎なら、継続的に損害を与えられるうえにすぐに修復は難しい。そう答えを出した。

 蒼い炎より、黒い光が帯びている方が魔力の消費量が多い。
 あの光を帯びた炎は、自分の指示を聞いてくれない。けれど、工場が危険に晒された時は勝手に発動する。

 魔神たちが工場に攻撃を始めた瞬間、自分の指示で放射先を指定できるか。それが可能であれば、雪を溶かす要員に回せられる。命を削るなら、道具として目的を果たすなら、これが1番早い。

 痛みがないから、あとどのぐらい意識を保てるほど、生きていられるのかわからない。
 早く終わらせられるなら、その方が良かった。

 魔族語で言い争う魔神達に、さらに数を増やして鎖を飛ばす。
 
 言い争いの声量と勢いは変わらない。
 南の魔神は黒い剣で、北の魔神は氷を厚く重ねた両の翼で、上左右から襲いかかる鎖を粉砕していく。

 何度も何度も鎖を向ける。
 自分にできるのは、求めている状況が来るように攻撃を続けるふりをするだけだ。

 北の魔神が咆哮のように魔族語を発した時、纏っていた翼の氷を打ち放った。氷の羽根を鋭くも厚くしたそれらが、上に向かって湾曲を描きながら下降してくる鎖達を貫いて行く。


 待っていた攻撃が来た。


 配置させておいた鎖達で、氷の羽根を横から殴って威力を弱らせる。殴った鎖は凍り付いた。続くように伸ばしていた鎖の鏃でそれを咥えさせ、凍り付きながらも工場にむけて投げた。

 自分の右足に絡む鎖を、自分の指示が通る別の鎖の鏃で砕き割った。自分の左手でその鎖を掴み、魔神達の逆の方向に放り投げさせた。
 その攻撃が工場に当たったのを空中で見届けて、自分は雪の上に転がり落ちた。

 さらに自分の命が削られ、作られた魔力が一気に持っていかれた。
 血を吐きながらも、自分の想定通りの光景があった。

 工場の中から、新たに大量の鏃付きの鎖が出現し、その場から自分の方に向けて黒い光を帯びた蒼い炎を放出する。

 自分の指示で使えないなら、自分が的になればいいだけだ。工場から作られた鎖だけを向けても、攻撃判定にならない。むしろ、指示を無視して止まる可能性の方が高いと推測し、北の魔神の遠距離攻撃を利用した。
 協力関係なら絶対に不可能だったが、利用する側と使用される側の関係だ。今までと同じで、使えないとわかれば要らないと破棄する。破棄するために攻撃してくるとわかっていた。


 南の魔神の砂の波の塊が、黒い光を帯びた蒼い炎と自分の間に入ってきたが、一瞬で燃やされて、砂粒は火の粉となった。

 勢いは劣ることなく、自分を含めて雪の大地ごと埋め尽くした。
 仰向けだったから、雪崩のように押し寄せるそれが視界いっぱいに埋め尽くした。

 あの時のような、内側から焼かれるような激痛が感じなかった。
 自分の左手以外が燃えていく。黒い物質で作られたかのように変わり果てた自分の体は輪郭から、ボロボロと落ちていく肉塊と共に炭すら残らずに焼き消えていく。義足は熱に耐えきれずに溶けてしまったらしく、自分の体からなくなっていた。


 そんなことより、雪が溶けた状況の方が大事だった。
 
 雪なんて、初めからなかったかのように溶けていた。初めて見るむき出しの大地は、鉱山の中で殺してきた魔物の血を含んだ、暗い洞窟の床のように赤黒かった。 


 手を伸ばす必要もない。そのまま大地に置くように当てた。
 視覚的には何も変化はない。
 左手を通して大地の方に波紋のように、自分の魔力と、別の誰かの魔力が流れていく感覚が確かにあった。

 何かが動き出す。歯車が回転し始めたようにも、人間が呼吸するようにも感じる、何かだ。
 触れた場所から、大気中のマナやナーマが吸い込まれていく。

 触れていたからこそ感じ取れた。魔力源は魔力に変換させずに大陸へと行き渡りつつ蓄積されていく。
 ようやく、無差別殺人の全貌が見えてきた。

 勇者として処刑された自分もやろうとしていたことだった。
 体という容器に、魔力源をため込み続ける。行き場のなくした魔力源が、周りに巻き込むように消滅させる。
 
 ただ、それが人間か黒い神かの違いだ。
 人間なら、行った側も確実に死ぬ。
 大陸の維持を重要視する黒い神が、最も優先して守らなければならない大陸を消滅させることはない。おそらく内側からの破壊を、外側のみに向かうようにできるのだろう。
 魔族と魔神、そして人間で魔法に違いがあるなら、黒い神はさらに上を行く。そう考えれば、それぐらい可能と確信に近い予想はついた。


 それだけだ。わかったからといって、自分にはもう関係ない。 
 ようやく、この体という道具が壊れ、この命という動力は底を尽く。
 嬉しくもなければ、悲しくもない。これは結果に対する事実でしかない。

 誰かが頑張って睡眠や休憩などの時間を削ってまで労力を振るっても、結果を出すのは当たり前で、結果が出なければ咎められる。そんな程度のものだ。結果さえ出せれば、労力を必死に振るった者がどうなろうが、誰も気にしないのがこの世の中だ。

 終わるはずだった体だ。
 終わるはずだった命だ。
 終わるはずだった感情だ。

 生まれ変わった体ではない。生まれ変わった命ではない。生まれ変わった感情ではない。勇者の時と何ひとつ変わらないのは至極当然だった。

 状況が違うだけで、方法は同じだった。
 処刑の日と同じように、自分の命を使って、この大陸の人間を皆殺しにしようとするだけ。
 生き延びたことで、止まっていた時間が再び動き出しただけだ。
 何ひとつ変わっていなかった。

 自分という、誰かに決められた人生の地続きを歩いてだけに過ぎなかった。
 随分と遠回りしたのだと結論を出した。

 否。結果の有無関係なく、死という報酬がある今の自分はまだいい方なのかもしれない。
 利用されるだけの日々に、この手を汚し続ける日々に、絶望することはないのだから。

 
 左腕を見続けていたら、黒い何かが横切った。
 それが南の魔神が持っている黒い剣で、黒い光を帯びた蒼い炎の中を突っ切って、自分の左腕を切り落とした。
 その一連の動作に気づいた時には、南の魔神の腕が透過するように、自分の体を貫いていた。右手から腕に入れ墨のような光る模様が入っていた。
 
 南の魔神が、荒々しい飛沫を立てる水の膜で左手から腕までを覆った。
 その手で、再び真っ黒な手を作り出そうとする自分の左手を掴んだ。

 左腕が拒絶反応を起こしているかのように、黒い物質から細くて短い鎖となって分解していく。鎖状になって水の膜から逃れようとするそれらを、南の魔神は1本たりとも逃がさないと水の膜を大きくする。

「自ら降りれないなら、そうなるわなぁ……」

 轟轟と周辺で燃える黒い光を帯びた蒼い炎に焼かれながらも、南の魔神は勝ち誇った表情をしていた。

「主体的行動と状況の把握をこいつにさせ、自らの力の溜め場の自動防衛と魔力変換機関から力を送り出すパイプ役を『聖剣の苗床』に……いや、白神が機構化させた冬の聖剣にやらせるっ‼ 白神より無駄がねぇ仕組みだ‼ 流れ作業だったら完璧と称賛の言葉と拍手を送ってやるほどだぁ‼」

 感覚で分かった。
 南の魔神の右手が握ったのは、眷族に必要な譲渡された力だった。
 それは自分の魔力変換機関に直接接続されている。無理やり剥がそうとすれば、故障ではなく穴あき状態で二度と使い物にならなくなる。

 右腕と両足、下顎がない自分では、抵抗することができなかった。 

 自分の魔力変換機関の接続部分が軋む。
 この部分が取られたら、今度こそ自分が自分で無くなる。

 自分ではない誰かが、そう思ったかのような不安があった。
 それを自分のことのように感じ取れない。相手の表情を読み取ってこう思っている。そんな、他人目線からの伝わり方に似ていた。

「聞こえているか。冬の聖剣‼ 大陸の救済であろうが害為すのは悪役である俺ら魔神の仕事だっ‼ 今回は俺が引き継いでやっから永久退職しちまいな‼ 北の奴から壊す許可は貰ってからよっ‼ 安心して砕けやがれってんだぁ‼ ぎゃははははっ‼」

 左手の細い鎖の数が減った。
 それの分を回してきたかのように、自分の右腕が再び黒い腕が形成される。

 南の魔神はそれを予期していたかのように、水飛沫をあげる右足で踏みつけた。

 同時だった。自分の粗悪品の臓器がいくつか消滅した。消滅したことで余った魔力が魔力変換機関に送られた。ガタガタと壊れかけの音を立てながら、さらに強度のある魔力が作られる。
 魔力変換機関を握っていた南の魔神の手が、弾かれたかのように出てきた。
 右手に描かれていた入れ墨が音を立てて崩れた。
 今更だが、何かの魔法の術式だったのだと気づいた。

「っ、‼」

 南の魔神は踏ん張るよう、弾かれた手で自分の魔力変換機関を再び掴んだ。一瞬で入れ墨のような術式が書き直されていた。
 否。その模様はさらに複雑になっていた。書き足したのだと一目で理解した。

「……聖剣の付属品化は、勇者が持つ強靭あるいは豊富な生命力を無理やり使うためのリミッター外しだ」

 南の魔神は冷静な声で、自分に語り掛けてきた。
 自分が聖剣に選ばれた理由は生命力だけ。
 
 感情がある前の自分なら、その真実に悔しくて悲しくて声を荒げていたかもしれない。
 今は違う。そうか、という程度の認識だった。

「前にも言ったが、人間の体はよくできてやがる。そのひとつが脳だ。こいつのおかげで、自らの命を削って魔力を作り出すなんてやらねぇように抑制してる。聖剣は生産ラインを人間の倍に増やしてナーマを吸収して魔力を作っているが、魔神を殺すには物足りねぇって自覚してこの手段をとる。……勇者の感情や自我などを支配していき、人形のような廃人になったら大気から吸収して作った邪魔な魔力を全て吐き出させて、生命力を魔力に変換、俺たち魔神を殺そうとする。それでも叶わねぇと判断したら、その魔力だけを持ち逃げし、勇者そのものを切り捨てる……」

 ああ。だから自分の中にあったマナから作り出した魔力を、全て使い出させたのか。そう自分は納得していた。
 納得したからと言っても、何かが起きることはない。

 自分は体のいい道具だったと、また再認識しただけだ。 


「ちっとは抗え復讐者‼」

 南の魔神が、咆哮を上げるように怒鳴った。 

「お前みてぇに途中で投げ出す奴はわんさかいたっ‼ 俺のやり方が気に食わねぇ奴もいたっ‼ だがな‼ 勇者でも偉人でもねぇ一般人が復讐心だけで、人間性を奪っていく聖剣の自我を汚染して奪う離れ業を起こしたっ‼ 己の全てを薪とし復讐の炎を燃やし、神すら殺そうと命を賭けた奴がいた‼ 勇者でありながら復讐者になったお前が、聖剣なんぞに負ける弱ぇ復讐心でいんじゃねぇって話だっ‼ ふざけんなこの糞聖剣ぐれぇって罵るほどの怒りや恨みもって抵抗しやがれってんだっ‼」

 もう、それは無理な話だった。
 激しい火のような感情は、もう自分の中には残っていない。

 もう、死にたい以外の考えがない。
 そのために、雪の下の大陸に触れて多くの人間を殺す。それだけだ。

「南の」

「なんだ北──何やってんだぁお前はぁ⁉」

 振り返った南の魔神が、先ほどまでの怒りと苛立ちが吹っ飛んでしまうほどの、貫高い驚愕の声を上げた。

 振り返った際に体の位置がずれたことで、その光景が入ってきた。

 こちらに向けて吐かれる光を帯びた炎を、北の魔神が受け止めていた。
 たぶん、結界を何度も張り直しながらだ。距離が遠いと張り直しが間に合わないからだろう。

「あと数回張り替えたら、この消去の炎に我は倒される」
 他人事のように、北の魔神は自らの終わりを告げた。
「炎の持ち主を知ってしまった以上、我は貴様を妨害する側に回らなくてはならん。だが、恩知らずな行動は北の魔神として恥だ。故に、ここで退場させてもらう。眷族はいるから次は安心しろ」

「待て待て待てぇ‼ せっかく俺が直したのに何言ってのお前っ⁉」
 南の魔神は驚愕と怒りを混ぜ込んだ大声を出した。

「……正直言うと、これが落ち着いたら復活をやり直すつもりだった」

「遠回しに止めろって言ってんだよ俺はっ‼」
 南の魔神が狼狽していた。その反応は正当なものだ。戦力が減るからだ。

「正規の魔神復活ではないから、バグみたいなのが喧しくてな。……やれ私は神なのだから人間を幸せにしなくてはならないのだ。やれ可哀そうな勇者を幸せにするなら私が全力で悪役を遂行するのだ。やれ全力で戦って勇者が勝ったのなら幸せに生きるという戦利品を渡すのだ。やれ復讐に取りつかれた哀れで愚かな勇者を救ってあげなくてはならないのだ。……とにかく、そんなどうでも良い綺麗事ばかりの我の声が、我の頭の中に響いて億劫としか言えん……」

「まさか──」

「それ以上は言うな。南の……。1番理解している貴様に言われたら、我は怒りと羞恥で発狂して、手当たり次第壊すぞ」

 北の魔神の方から、氷が砕けるような音が何度も聞こえてきた。

「とてつもなく迂愚な代役よ。我らは神であっても魔神という悪役。悪が滅びれば勝手に平和と幸福が訪れるなど、幼児の思考だ。それらは、悪を倒すことで与えられるものではない。当事者が作らなければならぬもの。大人が平和と幸福を望むなら、そうなるように自ら動き、多くの者達を集って成せば良い。子が平和と幸福を望むのなら、誰かの耳に届くまで声に出して願い続けるが、自身が大人になるまでにどうすれば良いのか学べば良い……この大陸ではそれをする意識がないうえに自ら動くこともせん。それ故、我はこの大陸の人間を嫌っているのではあるのだが……とりあえずそんなものだ。それと、勝手に勇者を憐れんで勝手に情けをかけただけの分際で、その結果が納得できんと憤る。この代役は、そこまで勇者を見下してまで何がしたかったのか我には理解も共感もできん。助けたかったのなら匿えば良かった。味方になりたいのなら全てを敵にして守れば良かった。それをしないのは、ただただ勇者を使って「自分はすごい存在」という死後の称賛で承認要求を満たしたいだけの愚者の行いである」

「し、辛辣だなぁ。前からだけど……」

「それが我の意見であり、こんな白い神じみた代役が我の中にあるのが我慢ならぬ────我の記憶の型枠は、南の記憶だったものだ。提供したものを無下に」

 最後まで言い切れずに、その姿が黒い光を帯びた蒼い炎に飲まれた。
 結界が、音を立てて壊れ始めた。


「だあクソっ‼ 俺もしんどいって──あ? お前ぇと話している時間……ちょいと待てっ‼ 勝手に────」
 悪態から嫌悪、嫌悪から狼狽。南の魔神は1人で劇をする役者のように感情を変えた。

 突然、気を失うかのように頭を下げた。
 左手と右足に、纏うように水飛沫をあげていた水の膜が消えた。右の指先から腕に、纏っていた入れ墨のような術式が弾けて消えた。

 何か起きたのかわからない。
 大丈夫かと声をかけたくても、もう声はでない。

 その間に、右腕が再形成された。

 その右腕が、むき出しの大地に触れた。その直後に、南の魔神は自分の体を上空へと投げ飛ばし、壊れ始めた結界の縁まである、巨大な砂嵐を再び起こした。

 見間違いでなければ、南の魔神は金色の目をしていなかった。
 一瞬だったけど、ダイコウという存在とは何かが違う、真っ赤な目をしていた。
 
 その目をしかと確認する間もなく、南の魔神の姿が砂嵐の奔流に隠された。


 二人一組で踊る円舞曲のように、砂嵐と黒い光を帯びた蒼い炎が荒れ狂う

 視界が遮られるほどの砂嵐の中で、骨が軋み、肉を引き裂き、血を啜る。そんな獣の食事を彷彿させる音が響いた。


 その音が止んだ数秒後。砂嵐が突然止んだ。
 世界を真っ黒に塗りつぶすかのように何かが走ったが、目の錯覚と思うほどすぐに消えた。
 膨大な砂が、魔力の粒となってすぐに消えていく。


 魔力の粒子が煌めきながら飛んでいく景色の中に、さらに巨体となった変わり果てた南の魔神がいた。

 角の生えた黒色の山羊の頭蓋骨。
 真っ黒な皮膜の巨翼を背中から広げていた。
 皮膚のように、黒みを帯びた蒼い炎が燃え続けていた。
 足と手にはあらゆるものを切り裂く程の鋭利な爪と、あらゆるものを握りつぶし踏み潰すほどの圧があった。 

 そして、血を垂らした満たしたような深紅の目。

 教会の地下墓廟の床に描かれていた悪魔の絵そっくりだった。


 証言も証拠もない。どうしたら悪魔の姿になるのかわからない。
 しかしあれこそが、本物の南の魔神の姿なのだとわかった。


 ダイコウが言っていた依り代とは、やはり南の魔神のことだった。

 
 自分の中にいる何かが、恐怖で震えるような気配があった。

 それが抗うかのように、自分の命を削ってさらに魔力に変えた。
 自分の影から伸びた鎖。その先端の鏃が悪魔の体を突き刺した。

 悪魔と化した南の魔神の深紅の目が自分を捉えた。
 黒みを帯びた蒼い炎を零しながら、黒い皮の胴体に突き刺さる鏃に見向きもせずにだ。
 
 新たな鎖が飛ぶよりも、その先端の鏃が開いて炎を吐くよりも、間を切り取ったかのように自分の目の前にいた。
 否。気づけば、自分の下には工場があった。
 悪魔は瞬きより早く移動を2回行い、自分をこの工場の上まで連れてきた。そう考えるしか説明がつかない。

 自分の意志とは関係なく、工場から無数の鎖が生産させるも、その工場の支配権を悪魔に奪われていた。
 それを認知させるかのように、伸びていた全ての鎖が工場の中に引っ込んだ。
 否。引っ込めたのではなく、鏃の先端が工場に触れた途端、工場そのものが破壊された。亀裂が走り、黒い物体という部分ごとに割れて液体状になり、真っ白な雪に溶けていくかのように消えた。
 
 南の魔神と北の魔神が苦戦していた工場の破壊を、悠々と行った。
 どのような手段を使ってもひっくり返らない現実を実感させる、圧倒的な強さだった。

 勝てる手段も逃げる術もない。
 それがわかっていたからか。どうやって支配権を奪ったのかと、仮説を立てる余裕があった。
 
 自分だって、影の鎖を使って相手の影に干渉していた。
 干渉の上位変換の支配。これが悪魔の魔法と言う名の能力なのだろう。
 自分が影なら、悪魔は闇でも扱えるのだろうか。そうでないと、先ほどの一瞬の真っ黒は何だったのか説明できず、大きな面積のある工場を支配下に置くことはできない。


 そう考えれば、南の魔神の不思議な反応も理解できた。

 眷族の力が発言した時に、我を忘れるほど驚いた。
 あれは、悪魔としての南の魔神の力の下位変換だったからだ。

 なんで悪魔がこんなことをしたのか。
 なんで悪魔に工場の支配権を奪われたのか。
 なんでここまで仮説を立てられたのか。

 そこまで、自分が考えられたのはわからなかった。それらの仮説を立てられる要素が少なすぎるからだ。
 もしかしたら、恐怖で震えている気配とは別の誰かが、教えてくれたのかもしれない。そう思えるほどだった。

 
 感情がない分、冷静に判断できた。
 だが、そんな自分の中にいる別の誰かはさらに恐怖で震え、拒絶するように自分の命を削って魔力に変えて、この状況を変えようと藻掻く。

 冬の聖剣の方が感情が豊かだ。
 あるいは、付属品化に伴って自分の感情や意識を奪っていくうちに、聖剣の方に自分の感情が移ってしまったのかもしれない。


 けれど、怯える必要はもうない。
 あっという間に、終わるからだ。


 呆気ない人生だったと思うほど、自分の体は呆気なく引き裂かれた。
 裂けた体から、飛び出る贓物はない。ただ、黒い霧のようなものがこぼれていく。

 大賢者のあの時と一緒だった。
 大賢者も、命を削って魔力に変えていた。

 体験して理解した。これは一時しのぎ。終わりはすぐに来る。
 文字通り、大賢者は命を懸けてあの願いを叶えたかったのだ。
 その願いが叶った未来が見れなくても、平和と幸せのある日々を求めた。
 結局。自分が妨害し、南の魔神が壊した。

 そして今。復讐という願いを諦めた自分が、悪魔によって壊された。

 視界がぼやけ出す。音が遠くなっていく。

 悪魔が自分の中から何を掴んで、嫌な音を立てて強引に引き抜いた。
 たぶんだが、魔力変換機関だろう。

 黒い神の力が接続された魔力変換機関が、自分の元からなくなった。
 これにて、全てが終わった。

「これにておしまい」
 すぐ近くだったから、ピエロの声がはっきりと聞こえた。
 すぐ近くから、しゅるりと布が解ける音が聞こえた。

 ぼやけていた世界が、死後の世界の真っ暗闇に沈む手前。
 深紅の目が灰色に変わり、すぐに色褪せて消えていった。 






 南の魔神は悪魔だった。
 それを教えたかったな。 
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