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初恋編
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長い夜が明け空が白み始める。
リゼルはふと目をさますと、足の間に気だるい愛の余韻を感じた。
筋肉質の硬い腕から伝わる温もりに包まれ、見上げると一晩中愛し合った疲れからか、静かに寝息を立てるカイルの顔がそこにあった。
褐色の肌。濃い金色の睫毛、すっきりとした鼻梁、引き締まった口元。
そのどれをとっても端正で美しい、私の初恋の人。
昨夜の激しい愛撫を思い出し、カイルに愛されたという喜びが湧き上がると、リゼルの瞳から涙がじわりと溢れそうになり目を瞬いた。
こうして、朝、愛している人の傍で目を覚ますことは、どんなに幸せなことなのだろう。
ただそれだけのことなのに、胸がきゅんと疼く。
リゼルは、カイルの引き締まった胸板に頬を寄せ男らしい匂いを吸い込んだ。
少しでも触れていたくて思わず唇を這わせ、思い切って舌先を出してペロリと舐めてみると少し塩からい味がした。
昨夜は、カイル様と最初に結ばれた後、すでに二度も愛されたー。
身体中を隈なく愛撫され、淫らな声をあげてしまったことに恥ずかしさがこみ上げる。
でも、その声をもっと聞きたいと言ってくれた。私が感じていた声を。
リゼルは夕べのことを思い出して、ひとり身悶えしながら、恥ずかしくなったり、嬉しくなったりしていた。
ふとカイルの肩越しにバルコニーへ続くガラス扉を見ると、雪がちらついていた。
初雪だわ…
そっとカイルの腕の中から抜け出し、ガウンを羽織ると、室内履きを履いてガラス扉からバルコニーに出た。
月の神殿の最上階のバルコニーからは、王都中が見渡せる。
降り積もる純白の雪が、王都中をくまなく覆い、一面の白銀の世界に生まれ変わっていた。
冬の凍てつく空気を吸い込むと、身体にぷるっと震えが走る。
空を見上げると小さな雪の結晶がいくつも束になっては、ひとつの雪の羽根となり、ふわりふわりと舞い落ちてきた。
掌を上に向けると、雪の羽根がじゅっと溶けてきらめく雫となった。
「リゼ、いなくなったのかと思った…」
ひどく声音を震わせながら、カイルが後ろから包み込むようにリゼルを抱きしめると、耳元で安心したように囁いた。
「カイル様、見て。初雪…。なんて綺麗なの」
「うん? 私にはリゼルの方が綺麗に見えるけど」
そう言ってリゼルの頬に口づけをする。
「さぁ、風邪をひくよ。戻ろうか」
カイルは妃となったリゼルを掬い上げると、ふわりと横抱きに抱き上げた。
「あ、神殿の鐘が……?」
ちょうどその時、神殿の大聖堂の鐘の音が高らかに、王都中に鳴り響いた。
神殿の鐘は、滅多なことでは鳴らない。
王族の誕生や婚姻などの慶事に限って鳴らされる。
前に鳴ったのは、カイルの弟王子が誕生した時だった。
数年ぶりの鐘の音が王都中に響き渡っている。
「この鐘はね、大神官に朝一番で神殿の鐘を鳴らすように言ったのさ。私とリゼルの結婚を王都に知らせるために。きっと王都中が驚いているだろう。何があったのかと」
「まぁ…!」
カイルは悪戯っぽく笑うと、リゼルを抱いたまま、くるりと一回りして、暖かな部屋の中に誘った。
***
一刻ほどの時間が過ぎたであろうか…
寝台に肘をついて、隣でぐっすりと眠るリゼルを眺める。
朝早く目覚めてから、また愛を交わした。
もう手に入れることができないと諦めていた私の愛しい人。
きっと何があろうと大切にする。もう、リゼルを手離すことなど考えられない。
こんなに愛してしまっているのだから。
今ここに夫婦の誓いを交わし、これからは新しい家族を作っていくのだ。
リゼルと共に……
「殿下……!カイル殿下、お開けください…!」
リゼルの頬を手の甲で愛おしそうに撫でていた時、扉をドンドン叩く音と大神官の声が響き渡った。
リゼルが目を覚ましてしまうではないか……!
カイルは舌打ちをして、急いで下履きのズボンだけ身につけると、これ以上ないくらいの不機嫌さで扉を少し開けた。
「なんだ、騒々しい。いま取り込み中だ」
「で、殿下…。大変です。さ、宰相様が。ダークフォール宰相様がお見えになって、お二人だけで結婚式を挙げられたことを、これ以上ないくらいのご立腹ようで…」
カイルは眉間に皺を寄せ顔を曇らせた。
あの煩いくそダヌキめ…!
あいつの渋い顔を見れば、リゼルとの甘い一日が不愉快になる。
「勝手に怒らせておけ」
カイルはそう言って扉を閉めようとしたが、大神官がそうはさせまいと扉に足をぐっと滑り込ませる。
「で、殿下。どうか私の立場もお考えください。宰相様のあのお怒りようでは、この婚姻を無効にされかねませんよ。私も罷免されてしまいます。どうか……」
「くそっ…。着替えてから参る。応接室にでも通しておけ」
まったく、面倒な奴め。カイルはため息をついて着替え始めた。
***
「一体、なんという事をされたのです!? 皇太子のあなたがこのように秘密裏に結婚式を挙げるなど…!」
ダークフォール宰相は、目の前に悠然と座り目の下にうっすらと隈をつくって、欠伸を噛み殺しているこの若者をみて忌々しげな表情を隠せなかった。
昨夜、一晩中、我が娘と何をしていたか一目瞭然だ。
父親である私になんの承諾もなく、人の娘を攫い駆け落ちのように結婚するとは。
「別に、結婚の法にはのっとっている。なんの問題もあるまい」
「殿下。王都は、今朝、鳴り響いた神殿の鐘で何があったのかと大変な騒ぎです。国民だけでなく、貴族一同も…」
「王都内には布告を出しておけ。貴族らには王都に戻り次第、貴族院を招集し、私から議会で宣言しよう。そのように取り計らうように。それより、ランスロットの容体はどうだ」
素早く話題を変えた巧妙さに眉をぴりりと震わせたが、諦めたように大きく息を吐いた。
「幸い、急所は外れましたので、失明は避けられました。ただ、視力が戻るのに時間がかかりそうです。今はフィオナ王女殿下が我が屋敷でつききりで世話をしてくれています」
「…そうか。リゼルの治癒魔法を使えば、治りが早まるかもしれないな…」
カイルは、ひとまず大事がなさそうな様子にほっと安堵した。
「ローゼンの状況は?」
「サミュエル将軍が滞りなく、平和的にローゼンを属国と致しました。国王は退位し、年若い王子が即位しましたが、成人するまで摂政を我が国から派遣予定です。宰相のリスコームは姿が消えておりましたゆえ、近隣諸国に布れを出して捜索させています」
「よろしい。間諜を多く放て。マリエンヌ王妃の様子は?」
「……未だ、錯乱が続いております。それも治るのかどうかもわからない状況です」
「なるほど。フィオナ王女が労しいな。当分の間、王妃の様子を見よう。そのまま咎人の塔に丁重に幽閉しておくように…」
カイルはダークフォールに視線を縫い付けたまま考え込んだ。
この男は、まったく油断ならない。
私に黙って裏で画策し、ランスロットとフィオナ王女を通じさせたに違いない。
「お前が仕組んだのだろう? フィオナ王女は懐妊しているというではないか。ランスの子を」
「…マリエンヌ王妃は、フィオナ王女に世継ぎができた暁には、陛下や殿下を暗殺し、我がエルミナールの乗っ取りを企てておりました。それ故、なんとしても魔法契約を無効にしなければならなかったのです。ひとえに我が帝国のためです」
「…お前たち、ダークフォール一族は、まったく油断がならないな。だが、私とリゼルの結婚に立腹しているのは何故だ。ただ秘密裏に結婚したせいだけではないだろう?」
カイルは、探るような目でダークフォールに視線を合わせた。
「…ひとまずは、リゼルの父として殿下にお礼申し上げます。娘の命を救って頂いたことに。あのままでは、我が娘は、きっと処刑されていたでしょう…」
宰相は、あの時の歯がゆさを思い出したのか、苦渋に満ちた顔になった。
だが、少しするとふぅーとため息を吐いた。
「ただ、私はリゼルを殿下に召し上げることには、ずっと反対して参りました。もちろん、甘やかされて育ったリゼルに皇太子妃が務まるとは思っていなかったことも理由の一つです。だが、すでに殿下がリゼルを妃としてしまったからには、お話しする他ないでしょうな……」
「申せ、ことリゼルに関して隠し事はするな。何一つ」
宰相はその赤く光る目でカイルを見ていたが、ふっと視線を外してさらに重いため息を吐いた。
「ただ単に、それだけの理由で反対していたのではありません。リゼルは殿下との間に世継ぎを儲けることは無理でしょう。いえ、世継ぎだけでなく、子供を授かるのは……お諦めください」
カイルは、予想もしていなかったダークフォールの言葉に、耳を疑った。
「ど…どういうことだ? 言え、包み隠さず」
「リゼルは強力な治癒魔法を有しております。代々ダークフォール一族には、強力な治癒魔法を有した女性が時折、誕生しておりました。ただ、その強い魔力ゆえ、子種を腹に授かっても浄化されてしまうのです。子が根付くことはないでしょう……」
「……っ」
すっと血の気が引くと同時に、心臓が抉られるような気がした。
万一、リゼルがこのことを知ったら……
「それは確かか?」
「代々、我が一族で治癒魔法を有した女性は全て、例外なく子供を授かっておりません。私の叔母もそうでした。彼女は伯爵家に嫁いだのです。相思相愛で。しかし何年たっても子宝に恵まれず、自ら姿を消しました」
「だが、なにか手立てがあるかもしれぬ…」
「確かにあるかもしれません。しかし、それは砂の中にある金の粒を探し出すようなものです。ですから、リゼルとの間に子を儲けることは諦めていただくほかないでしょう」
「………」
長い沈黙を破ってダークフォールが切り出した。
「我が帝国の宰相として、殿下には側妃を娶って頂くことをご承諾していただく他にはありません」
「……口を慎めダークフォール。そなたは私に指図できる立場ではない。側妃など考えられぬ。リゼル以外の妃を置くつもりなどない。それに私とリゼルの間に子ができねば、弟のエクターに後を継がせれば良い」
「殿下、国のためとあらば、不興を買うのは厭いません。それがわれら臣下の務めです。ですから敢えて申し上げます。殿下もご存じのはずです。我がエルミナール帝国は、建国以来ずっと第一皇子による治世が続いています。それは何故か…? 第一皇子は強力な魔力を有するが故です。その魔力で、我が国の自然災害や飢饉が抑えられているのです。エクター皇子も確かに強い魔力があります。でもそれは、殿下の半分にも満たない。もしエクター皇子が殿下の後継者となれば、エルミナールは災害や飢餓に見舞われることになるでしょう。何千何万という国民が命を落とすことになりかねません。国のためにも、どうか賢明なご決断を」
宰相が一歩も引かぬような声色で言い放つと、カイルは、すっと目を閉じてしばし考え込んだが、変わらぬ決心をダークフォールに告げた。
「……ダークフォール、もうこの件については話し合う必要は無い。今後何が起ころうとも、これだけははっきりしている。私はリゼル以外の妃を娶るつもりはない。リゼルは私にとって、唯一で、最後の妃だ。それに私はたとえ、世界中の砂をかき集めてでも、その金のひと粒を見つけてみせる。リゼルのために」
「ですが、そのうちリゼルも気がつくでしょう。なかなか子ができないのは、何故かと…。その時、自分の義務を自覚して苦しむのは、リゼル自身です。私の叔母もそれで苦しみ、自ら姿を消したのです。ですから…」
「もうよい、そこまでだ」
カイルは、宰相の言葉を強引に遮った。
「このことを他に知っている者は…?」
「いえ、誰も。我が一族でも今は、私しか知る者はおりません」
「では、他言無用だ。リゼルにも言うな。決して」
「殿下がそのようにおっしゃるのでしたら、今は何も言いますまい。だがリゼルに聞かれた時は隠し立ては致しません」
小さく一息ついて、ダークフォールが立ち上がった。
「では、私はこれで宮殿に戻ります。殿下もできるだけ、お早いお戻りを」
「わかっている。後からリゼルを連れて宮殿に戻るゆえ、ナディアにそう伝えておくように。リゼルは、今日から宮殿で暮らす。私の部屋で」
ダークフォールは、しばし黙り込んで何かを考えるようにカイルを見ていたが、一礼するとすぐに部屋を後にした。
***
月の神殿に戻ると、リゼルはまだ寝台ですやすやと寝入っていた。
……無理もない。
一昨日(おととい)は咎人の塔に囚われ、昨夜は私がほとんど眠らせなかったのだから。
カイルは寝台に腰掛けると、リゼルの絹糸のような髪の一房をとり、愛おしむように自分の唇にあてがった。
今朝、愛し合った時、これからリゼルと新しい家庭を作る未来を想い描いた。
リゼルを手に入れたあまりの幸せに、どうやら私は夢を見すぎてしまったらしい。
ふと窓を見ると、すでに雪は止み、垂れ込めた雲間から朝日が差し込んできた。
その光は金色のベールのようにリゼルをやさしく包み込んだ。
たとえ、二人の間に子ができなくとも、私の愛は変わらない。
ただリゼルが労しい。
きっと彼女は子供を欲しがるだろう…
王宮には、様々な思惑が渦巻く。
権力の甘い汁に吸い付こうと画策する者も出ないとも限らない。
皇太子妃となったリゼルはその渦中に身を置くことになるだろう。
リゼルは、私が守らねばー。
「リゼ、迷いも、悲しみも、苦しみも、二人で乗り越えていこう…」
カイルは夢見心地で寝息を立てるリゼルの髪を、あやすように撫で続けた……
このままリゼルの夢が醒めないようにー
…La fin…(完)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『漆黒の令嬢は光の皇子に囚われて』(初恋編)完結いたしました。ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。
続編につきましては、この次のあとがきでお知らせしています。
カイルとリゼルの恋の物語をお気に召していただけましたら、ご投票の応援をいただけると嬉しいです。
どうぞ宜しくお願い致します。
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リゼルはふと目をさますと、足の間に気だるい愛の余韻を感じた。
筋肉質の硬い腕から伝わる温もりに包まれ、見上げると一晩中愛し合った疲れからか、静かに寝息を立てるカイルの顔がそこにあった。
褐色の肌。濃い金色の睫毛、すっきりとした鼻梁、引き締まった口元。
そのどれをとっても端正で美しい、私の初恋の人。
昨夜の激しい愛撫を思い出し、カイルに愛されたという喜びが湧き上がると、リゼルの瞳から涙がじわりと溢れそうになり目を瞬いた。
こうして、朝、愛している人の傍で目を覚ますことは、どんなに幸せなことなのだろう。
ただそれだけのことなのに、胸がきゅんと疼く。
リゼルは、カイルの引き締まった胸板に頬を寄せ男らしい匂いを吸い込んだ。
少しでも触れていたくて思わず唇を這わせ、思い切って舌先を出してペロリと舐めてみると少し塩からい味がした。
昨夜は、カイル様と最初に結ばれた後、すでに二度も愛されたー。
身体中を隈なく愛撫され、淫らな声をあげてしまったことに恥ずかしさがこみ上げる。
でも、その声をもっと聞きたいと言ってくれた。私が感じていた声を。
リゼルは夕べのことを思い出して、ひとり身悶えしながら、恥ずかしくなったり、嬉しくなったりしていた。
ふとカイルの肩越しにバルコニーへ続くガラス扉を見ると、雪がちらついていた。
初雪だわ…
そっとカイルの腕の中から抜け出し、ガウンを羽織ると、室内履きを履いてガラス扉からバルコニーに出た。
月の神殿の最上階のバルコニーからは、王都中が見渡せる。
降り積もる純白の雪が、王都中をくまなく覆い、一面の白銀の世界に生まれ変わっていた。
冬の凍てつく空気を吸い込むと、身体にぷるっと震えが走る。
空を見上げると小さな雪の結晶がいくつも束になっては、ひとつの雪の羽根となり、ふわりふわりと舞い落ちてきた。
掌を上に向けると、雪の羽根がじゅっと溶けてきらめく雫となった。
「リゼ、いなくなったのかと思った…」
ひどく声音を震わせながら、カイルが後ろから包み込むようにリゼルを抱きしめると、耳元で安心したように囁いた。
「カイル様、見て。初雪…。なんて綺麗なの」
「うん? 私にはリゼルの方が綺麗に見えるけど」
そう言ってリゼルの頬に口づけをする。
「さぁ、風邪をひくよ。戻ろうか」
カイルは妃となったリゼルを掬い上げると、ふわりと横抱きに抱き上げた。
「あ、神殿の鐘が……?」
ちょうどその時、神殿の大聖堂の鐘の音が高らかに、王都中に鳴り響いた。
神殿の鐘は、滅多なことでは鳴らない。
王族の誕生や婚姻などの慶事に限って鳴らされる。
前に鳴ったのは、カイルの弟王子が誕生した時だった。
数年ぶりの鐘の音が王都中に響き渡っている。
「この鐘はね、大神官に朝一番で神殿の鐘を鳴らすように言ったのさ。私とリゼルの結婚を王都に知らせるために。きっと王都中が驚いているだろう。何があったのかと」
「まぁ…!」
カイルは悪戯っぽく笑うと、リゼルを抱いたまま、くるりと一回りして、暖かな部屋の中に誘った。
***
一刻ほどの時間が過ぎたであろうか…
寝台に肘をついて、隣でぐっすりと眠るリゼルを眺める。
朝早く目覚めてから、また愛を交わした。
もう手に入れることができないと諦めていた私の愛しい人。
きっと何があろうと大切にする。もう、リゼルを手離すことなど考えられない。
こんなに愛してしまっているのだから。
今ここに夫婦の誓いを交わし、これからは新しい家族を作っていくのだ。
リゼルと共に……
「殿下……!カイル殿下、お開けください…!」
リゼルの頬を手の甲で愛おしそうに撫でていた時、扉をドンドン叩く音と大神官の声が響き渡った。
リゼルが目を覚ましてしまうではないか……!
カイルは舌打ちをして、急いで下履きのズボンだけ身につけると、これ以上ないくらいの不機嫌さで扉を少し開けた。
「なんだ、騒々しい。いま取り込み中だ」
「で、殿下…。大変です。さ、宰相様が。ダークフォール宰相様がお見えになって、お二人だけで結婚式を挙げられたことを、これ以上ないくらいのご立腹ようで…」
カイルは眉間に皺を寄せ顔を曇らせた。
あの煩いくそダヌキめ…!
あいつの渋い顔を見れば、リゼルとの甘い一日が不愉快になる。
「勝手に怒らせておけ」
カイルはそう言って扉を閉めようとしたが、大神官がそうはさせまいと扉に足をぐっと滑り込ませる。
「で、殿下。どうか私の立場もお考えください。宰相様のあのお怒りようでは、この婚姻を無効にされかねませんよ。私も罷免されてしまいます。どうか……」
「くそっ…。着替えてから参る。応接室にでも通しておけ」
まったく、面倒な奴め。カイルはため息をついて着替え始めた。
***
「一体、なんという事をされたのです!? 皇太子のあなたがこのように秘密裏に結婚式を挙げるなど…!」
ダークフォール宰相は、目の前に悠然と座り目の下にうっすらと隈をつくって、欠伸を噛み殺しているこの若者をみて忌々しげな表情を隠せなかった。
昨夜、一晩中、我が娘と何をしていたか一目瞭然だ。
父親である私になんの承諾もなく、人の娘を攫い駆け落ちのように結婚するとは。
「別に、結婚の法にはのっとっている。なんの問題もあるまい」
「殿下。王都は、今朝、鳴り響いた神殿の鐘で何があったのかと大変な騒ぎです。国民だけでなく、貴族一同も…」
「王都内には布告を出しておけ。貴族らには王都に戻り次第、貴族院を招集し、私から議会で宣言しよう。そのように取り計らうように。それより、ランスロットの容体はどうだ」
素早く話題を変えた巧妙さに眉をぴりりと震わせたが、諦めたように大きく息を吐いた。
「幸い、急所は外れましたので、失明は避けられました。ただ、視力が戻るのに時間がかかりそうです。今はフィオナ王女殿下が我が屋敷でつききりで世話をしてくれています」
「…そうか。リゼルの治癒魔法を使えば、治りが早まるかもしれないな…」
カイルは、ひとまず大事がなさそうな様子にほっと安堵した。
「ローゼンの状況は?」
「サミュエル将軍が滞りなく、平和的にローゼンを属国と致しました。国王は退位し、年若い王子が即位しましたが、成人するまで摂政を我が国から派遣予定です。宰相のリスコームは姿が消えておりましたゆえ、近隣諸国に布れを出して捜索させています」
「よろしい。間諜を多く放て。マリエンヌ王妃の様子は?」
「……未だ、錯乱が続いております。それも治るのかどうかもわからない状況です」
「なるほど。フィオナ王女が労しいな。当分の間、王妃の様子を見よう。そのまま咎人の塔に丁重に幽閉しておくように…」
カイルはダークフォールに視線を縫い付けたまま考え込んだ。
この男は、まったく油断ならない。
私に黙って裏で画策し、ランスロットとフィオナ王女を通じさせたに違いない。
「お前が仕組んだのだろう? フィオナ王女は懐妊しているというではないか。ランスの子を」
「…マリエンヌ王妃は、フィオナ王女に世継ぎができた暁には、陛下や殿下を暗殺し、我がエルミナールの乗っ取りを企てておりました。それ故、なんとしても魔法契約を無効にしなければならなかったのです。ひとえに我が帝国のためです」
「…お前たち、ダークフォール一族は、まったく油断がならないな。だが、私とリゼルの結婚に立腹しているのは何故だ。ただ秘密裏に結婚したせいだけではないだろう?」
カイルは、探るような目でダークフォールに視線を合わせた。
「…ひとまずは、リゼルの父として殿下にお礼申し上げます。娘の命を救って頂いたことに。あのままでは、我が娘は、きっと処刑されていたでしょう…」
宰相は、あの時の歯がゆさを思い出したのか、苦渋に満ちた顔になった。
だが、少しするとふぅーとため息を吐いた。
「ただ、私はリゼルを殿下に召し上げることには、ずっと反対して参りました。もちろん、甘やかされて育ったリゼルに皇太子妃が務まるとは思っていなかったことも理由の一つです。だが、すでに殿下がリゼルを妃としてしまったからには、お話しする他ないでしょうな……」
「申せ、ことリゼルに関して隠し事はするな。何一つ」
宰相はその赤く光る目でカイルを見ていたが、ふっと視線を外してさらに重いため息を吐いた。
「ただ単に、それだけの理由で反対していたのではありません。リゼルは殿下との間に世継ぎを儲けることは無理でしょう。いえ、世継ぎだけでなく、子供を授かるのは……お諦めください」
カイルは、予想もしていなかったダークフォールの言葉に、耳を疑った。
「ど…どういうことだ? 言え、包み隠さず」
「リゼルは強力な治癒魔法を有しております。代々ダークフォール一族には、強力な治癒魔法を有した女性が時折、誕生しておりました。ただ、その強い魔力ゆえ、子種を腹に授かっても浄化されてしまうのです。子が根付くことはないでしょう……」
「……っ」
すっと血の気が引くと同時に、心臓が抉られるような気がした。
万一、リゼルがこのことを知ったら……
「それは確かか?」
「代々、我が一族で治癒魔法を有した女性は全て、例外なく子供を授かっておりません。私の叔母もそうでした。彼女は伯爵家に嫁いだのです。相思相愛で。しかし何年たっても子宝に恵まれず、自ら姿を消しました」
「だが、なにか手立てがあるかもしれぬ…」
「確かにあるかもしれません。しかし、それは砂の中にある金の粒を探し出すようなものです。ですから、リゼルとの間に子を儲けることは諦めていただくほかないでしょう」
「………」
長い沈黙を破ってダークフォールが切り出した。
「我が帝国の宰相として、殿下には側妃を娶って頂くことをご承諾していただく他にはありません」
「……口を慎めダークフォール。そなたは私に指図できる立場ではない。側妃など考えられぬ。リゼル以外の妃を置くつもりなどない。それに私とリゼルの間に子ができねば、弟のエクターに後を継がせれば良い」
「殿下、国のためとあらば、不興を買うのは厭いません。それがわれら臣下の務めです。ですから敢えて申し上げます。殿下もご存じのはずです。我がエルミナール帝国は、建国以来ずっと第一皇子による治世が続いています。それは何故か…? 第一皇子は強力な魔力を有するが故です。その魔力で、我が国の自然災害や飢饉が抑えられているのです。エクター皇子も確かに強い魔力があります。でもそれは、殿下の半分にも満たない。もしエクター皇子が殿下の後継者となれば、エルミナールは災害や飢餓に見舞われることになるでしょう。何千何万という国民が命を落とすことになりかねません。国のためにも、どうか賢明なご決断を」
宰相が一歩も引かぬような声色で言い放つと、カイルは、すっと目を閉じてしばし考え込んだが、変わらぬ決心をダークフォールに告げた。
「……ダークフォール、もうこの件については話し合う必要は無い。今後何が起ころうとも、これだけははっきりしている。私はリゼル以外の妃を娶るつもりはない。リゼルは私にとって、唯一で、最後の妃だ。それに私はたとえ、世界中の砂をかき集めてでも、その金のひと粒を見つけてみせる。リゼルのために」
「ですが、そのうちリゼルも気がつくでしょう。なかなか子ができないのは、何故かと…。その時、自分の義務を自覚して苦しむのは、リゼル自身です。私の叔母もそれで苦しみ、自ら姿を消したのです。ですから…」
「もうよい、そこまでだ」
カイルは、宰相の言葉を強引に遮った。
「このことを他に知っている者は…?」
「いえ、誰も。我が一族でも今は、私しか知る者はおりません」
「では、他言無用だ。リゼルにも言うな。決して」
「殿下がそのようにおっしゃるのでしたら、今は何も言いますまい。だがリゼルに聞かれた時は隠し立ては致しません」
小さく一息ついて、ダークフォールが立ち上がった。
「では、私はこれで宮殿に戻ります。殿下もできるだけ、お早いお戻りを」
「わかっている。後からリゼルを連れて宮殿に戻るゆえ、ナディアにそう伝えておくように。リゼルは、今日から宮殿で暮らす。私の部屋で」
ダークフォールは、しばし黙り込んで何かを考えるようにカイルを見ていたが、一礼するとすぐに部屋を後にした。
***
月の神殿に戻ると、リゼルはまだ寝台ですやすやと寝入っていた。
……無理もない。
一昨日(おととい)は咎人の塔に囚われ、昨夜は私がほとんど眠らせなかったのだから。
カイルは寝台に腰掛けると、リゼルの絹糸のような髪の一房をとり、愛おしむように自分の唇にあてがった。
今朝、愛し合った時、これからリゼルと新しい家庭を作る未来を想い描いた。
リゼルを手に入れたあまりの幸せに、どうやら私は夢を見すぎてしまったらしい。
ふと窓を見ると、すでに雪は止み、垂れ込めた雲間から朝日が差し込んできた。
その光は金色のベールのようにリゼルをやさしく包み込んだ。
たとえ、二人の間に子ができなくとも、私の愛は変わらない。
ただリゼルが労しい。
きっと彼女は子供を欲しがるだろう…
王宮には、様々な思惑が渦巻く。
権力の甘い汁に吸い付こうと画策する者も出ないとも限らない。
皇太子妃となったリゼルはその渦中に身を置くことになるだろう。
リゼルは、私が守らねばー。
「リゼ、迷いも、悲しみも、苦しみも、二人で乗り越えていこう…」
カイルは夢見心地で寝息を立てるリゼルの髪を、あやすように撫で続けた……
このままリゼルの夢が醒めないようにー
…La fin…(完)
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『漆黒の令嬢は光の皇子に囚われて』(初恋編)完結いたしました。ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました。皆様には、感謝の気持ちでいっぱいです。
続編につきましては、この次のあとがきでお知らせしています。
カイルとリゼルの恋の物語をお気に召していただけましたら、ご投票の応援をいただけると嬉しいです。
どうぞ宜しくお願い致します。
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翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
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慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
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保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
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