女學生のお嬢さまはヤクザに溺愛され、困惑しています

真風月花

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八章

4、歩くようになりました

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 町さんと出会ったとんど焼きの夜から、一月後。
 お庭は雪に覆われ、真っ白い中に南天の赤い実と、まるで薔薇のように花弁が重なった薄紅の八重のさざんかが、鮮やかに目立っています。

 柔らかに降り積もった新雪は、あまりにも白が眩しくて。ほの青く見えるほどです。
 よくうちにくる猫が、足跡をつけるのが楽しいのか、勇ましく雪の上を歩いているのですけれど。
 猫って寒いのが苦手じゃなかったかしら?

「にゃあ、にゃあ?」
「ええ、そうね。猫っていうのよ」

 縁側に座るわたしのお膝に乗った琥太郎さんが、黒い尻尾を勇ましく立てて進む猫を掴もうとしています。
 もちろん、縁側とお庭ですから。無理なんですけれど。
 もし琥太郎さんが歩けたら……いいえ走れたら、猫を追いかけてぴんと立った尻尾を握って、それから力任せに抱っこする気がします。

 猫は、小さなお鼻を雪にふかっと突っ込んで、鼻先についた粉の雪を、ふるふるとふり払いました。
 銀粉のような雪が、黒い毛にふりかかり。ちょうど教会の鐘の音と同時だったので、空気を震わせて鳴り響く鐘に重なり、静謐な油絵のようでした。

「ごぉ? こぉん」
「教会の鐘の音よ。お母さんの……わたしの通っていた女學院で修道女シスターが鐘を鳴らしているの。お寺の鐘の音と少し違うでしょう?」

「にゃあ、こぉん」
「二つも覚えられて、えらいわねぇ」

 琥太郎さんが一番初めに話した言葉は「ま……ま」でした。
 わたしは感動して「そうよ。琥太郎さん、わたしがあなたのママですよ」と涙したのですけれど。
 蒼一郎さんったら「そもそもうちでは、そんなハイカラな言葉は使たことないで? ご飯のことちゃうん?」なんて、興醒めな指摘をするのよ。
 まったく、失礼しちゃうわ。

 琥太郎さんに一番初めに呼んでもらうのは、わたしにしたかったのに。
 それにうちでは「まんま」なんて言葉は使っていません……使ってませんよね?
 蒼一郎さんは、そんな赤ちゃん言葉を使うとは思えないんですけれど。

「おお、琥太郎はええ子やなぁ。まんま食べよな」と言いつつ、小さな匙に湯気の立つお粥をのせる蒼一郎さんの姿は想像できません。

 でも「坊ちゃんはええ子ですねぇ。まんまにしましょうね」と赤ちゃん用の白いふかふかのお煎餅をあげる波多野さんの姿は……困ったことに容易に想像できてしまいます。

 黒猫は、しみじみと感じ入るように空をあおいでは、柔らかな雪に足が沈むさまを楽しんでいるようです。
 そういえばこの子、お風呂場にもついてくるって蒼一郎さんから聞いたことがあります。

 昨夜はとても冷えたようで、なかなか目にすることのない氷柱つららが軒から下がっていました。透明に儚い氷の尖りを伝って、水のしずくがぽとりと落ちては新雪に穴を穿っています。

「んー、んー」と、琥太郎さんは唸ると、その静かにしたたる氷柱のしずくに触れようとしています。

「だめですよ。あれはね、とても冷たいの。可愛い手がしもやけになってしまうわ」

 縁側には火鉢が置いてあるので、窓を開いていてもさほど寒くはないんです。
 
 なのに琥太郎さんはどうしても触れたいみたいです。困りました、抱っこして触らせてあげたらいいのかしら。
 黒猫は「ジブン、過保護なんちゃうん?」とでも言いたげに、わたしの顔を見つめています。想像上でも口調が蒼一郎さんなのは、どういうことかしら。

 ふと、膝が軽くなりました。見れば、琥太郎さんがわたしの膝から降りて、縁側を這い這いしているんです。
 
「待って、待って。這い這いのまま雪の上は進めないですよ」

 まず沓脱石くつぬぎいしの上に落ちて、きっと頭を打って。その様子を考えると、わたしは「ひぃっ」と短い悲鳴を上げそうになりました。次に雪に体が沈み込んで、顔も埋もれて。
 しかも琥太郎さんの頭を、猫が踏んづけたりしたら……。
 ああ、駄目です。危険すぎますよ。

 おろおろとしていると、影が上方に動いたように見えました。
 自分の目に映るものが、一瞬遅れて脳に届きました。

 琥太郎さんが、柱につかまってすっくと立っているんです。
 まるではなから、立っていたかのように涼しい顔で。
 しかも今度は柱の側に置いてある長持の蓋の部分に手を置いて、ゆっくりと進んでいるんです。

 つかまり立ちと伝い歩きって一度にできるようになるんでしたっけ? 家事や育児について記されている『婦人宝典ふじんほうてん』にはどう書かれていたかしら?

「にゃあ」と、琥太郎さんは長持に胸やお腹をもたれさせながら、猫に手を振っています。

 我が子ながら愛らしくて、もしわたしに絵の才があれば今この瞬間を切り取ることができるのに……と、瞬きもせずに琥太郎さんを見つめていました。

「絲さん。えらい静かやけど、どないしたん?」

 廊下側の襖を開けて、蒼一郎さんがお部屋に入ってきました。
 そして伝い歩きをしている琥太郎さんを目にして、時が止まったように動かなくなってしまったんです。

「琥太郎が、歩いとう」
「そうなんです。すごいでしょう」
「あかん」

 蒼一郎さんがいきなり大声を出したせいで、琥太郎さんがぺたりと床に座り込んでしまいました。

「なんでや。歌が思い浮かばへん。せっかくの情景やったのに」

 いかにも残念そうに、蒼一郎さんはひたいに手を当ててうなだれています。
 なんだ「あかん」って、そのことでしたか。

 風が吹き、屋根に積もった雪がちらちらと散りかかるように落ちてきます。
 太陽に照らされて、それはまるで水晶の粒の煌めきのよう。
 前栽せんざいの木々の葉も、とけた雪の水滴に光を宿して輝いて見えました。

 琥太郎さんは猫に手を振っていると思ったのですけれど。実際には尻尾を掴もうと、小さな手を何度も開いたり閉じたりしています。

 そんなに尻尾が気になるのかしら?
 琥太郎さんは猫が好きなのね。でもきっと猫には好かれないかもしれないわ。
 なんとなくだけれど、琥太郎さんは猫に関しては片想いになる気がしたの。
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