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八章
6、その子【1】
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「今日はなー、官営鐵道やのうて、電氣鐵道に乗るんやで」
「かんえーてつど?」
蒼一郎さんに手をつながれた琥太郎さんは首を傾げながら、見上げています。
質問が好きな子なのか、好奇心が強いのか。ご本を読んでいてもお散歩をしていても、しじゅうこうして問いかけてくるんです。
「んー、国か民間かの違いなんやけど。なぁ、絲さん。どうやって説明したらええん?」
えー、困りますよ。わたしだって違いは分かっても、四歳に満たない子どもに易しく説明なんてできません。
「なんで? なんで?」とでも言いたげに、琥太郎さんが琥珀色の瞳で、わたしをじーっと見つめてきます。
どうしましょう。「おかーさんは、おばかなの?」なんて思われたら。
焦ってしまって、言葉が詰まります。
そんな大きな石でもないのに、道端に転がった石につまずいて、わたしはよろめいてしまいました。
「大丈夫か? 絲さん」
「おかーさん、だいじょぶ?」
「え、ええ」と笑顔を浮かべますが。やはり頭の中は、どう説明したらいいのかでいっぱいです。
大通りに出たので、さすがにいい大人が転ぶのも恥ずかしいですよね。
太平洋の覇者といわれるパシフィックメイル商會の、煉瓦造りの建物の前を過ぎます。車道には人力車と荷を引く馬車、土埃は多いですがやはり晴れた日のお出かけは心地よいものです。
その時、ざっざという音が聞こえました。車道ではなく、わたし達の近くで。
とても急いでいるような、そのせいで草履を引きずるような足音です。後を追う小走りな足音も。
「奥さま、お待ちください」
「うるっさいわね。あんた、子守りでしょ、指図しないでちょうだい」
「どうか……どうか、坊ちゃんを」
悲痛な叫びに似た声。わたし達は立ち止まり、真横を過ぎていくハイカラな女性を見送りました。
つんとあごを上げて、和装ですのに髪はコテを当ててあるようで、斜めに分けた前髪はなみなみとウェーブがかかっています。
後を追う女性は幼子を抱っこして、必死で後を追っています。白い割烹着のまま出てくるような場所ではないので、誰もが一斉に振り返っています。
「お清さんやんか」
「三條の旦那さま」
二人は顔見知りのようで、互いに目を丸くしています。
割烹着を着ていても、お清さんと呼ばれた女性は品のある方のようで、大人びた束髪がよく似合っていらっしゃいます。
以前、蒼一郎さんがちりめん山椒をお作りになった時に、お清さんとお店で会ったことがあるとのことでした。うちの料理番とお清さんは親しいのだそうです。
「ん? その子、もしかして地主のとこの子ぉか」
「はい……その、病院帰りなんです。ちょうど病院にお連れしたところで、奥さまにばったりと会ったので……せめて、一緒に帰ってもらえたら、と」
口ごもりながら、お清さんは愛おし気に腕の中の男の子を見つめています。
消毒薬のつんとした匂い。琥太郎さんはわたしの手をきゅっと握りしめながら、抱き上げられたまま眠っているその子を見つめています。
「けが、したん?」
「え、ええ。ちょっとね」
外から見た状態では分かりませんが。どうやら服の下の部分に怪我を負っているようです。
「大丈夫なんですか? あの、立ち入ったことを申し上げて済まないのですけれど。その、普通の怪我ではないのでは」
わたしの言葉に、お清さんはぐっと唇を噛みしめました。
その表情と、今にも泣きだしそうに潤んだ瞳で分かりました。
この子は、背中を向けて立ち去っていく母親に傷つけられたのだと。
「噂は聞いとう。あんまり走って追いかけても、その子の傷に障るやろ。もう帰った方がええんとちゃうか? 気持ちは分かるけどな」
蒼一郎さんの提案に、お清さんは小さく頷きます。その動きの所為でしょうか、男の子がゆっくりと瞼を開きました。
「おきよ。どうちたの?」
「どうもしませんよ、大丈夫です。お家に帰りましょうね」
「うん。ぼくね、なかなかったよ」
「ええ、ええ。坊ちゃんはお強いですからね」
かすれた声で一生懸命お清さんに話しかけ、無理に笑顔を作る様子があまりにもつらくて。
わたしは胸が塞がれたように苦しくなりました。
「かんえーてつど?」
蒼一郎さんに手をつながれた琥太郎さんは首を傾げながら、見上げています。
質問が好きな子なのか、好奇心が強いのか。ご本を読んでいてもお散歩をしていても、しじゅうこうして問いかけてくるんです。
「んー、国か民間かの違いなんやけど。なぁ、絲さん。どうやって説明したらええん?」
えー、困りますよ。わたしだって違いは分かっても、四歳に満たない子どもに易しく説明なんてできません。
「なんで? なんで?」とでも言いたげに、琥太郎さんが琥珀色の瞳で、わたしをじーっと見つめてきます。
どうしましょう。「おかーさんは、おばかなの?」なんて思われたら。
焦ってしまって、言葉が詰まります。
そんな大きな石でもないのに、道端に転がった石につまずいて、わたしはよろめいてしまいました。
「大丈夫か? 絲さん」
「おかーさん、だいじょぶ?」
「え、ええ」と笑顔を浮かべますが。やはり頭の中は、どう説明したらいいのかでいっぱいです。
大通りに出たので、さすがにいい大人が転ぶのも恥ずかしいですよね。
太平洋の覇者といわれるパシフィックメイル商會の、煉瓦造りの建物の前を過ぎます。車道には人力車と荷を引く馬車、土埃は多いですがやはり晴れた日のお出かけは心地よいものです。
その時、ざっざという音が聞こえました。車道ではなく、わたし達の近くで。
とても急いでいるような、そのせいで草履を引きずるような足音です。後を追う小走りな足音も。
「奥さま、お待ちください」
「うるっさいわね。あんた、子守りでしょ、指図しないでちょうだい」
「どうか……どうか、坊ちゃんを」
悲痛な叫びに似た声。わたし達は立ち止まり、真横を過ぎていくハイカラな女性を見送りました。
つんとあごを上げて、和装ですのに髪はコテを当ててあるようで、斜めに分けた前髪はなみなみとウェーブがかかっています。
後を追う女性は幼子を抱っこして、必死で後を追っています。白い割烹着のまま出てくるような場所ではないので、誰もが一斉に振り返っています。
「お清さんやんか」
「三條の旦那さま」
二人は顔見知りのようで、互いに目を丸くしています。
割烹着を着ていても、お清さんと呼ばれた女性は品のある方のようで、大人びた束髪がよく似合っていらっしゃいます。
以前、蒼一郎さんがちりめん山椒をお作りになった時に、お清さんとお店で会ったことがあるとのことでした。うちの料理番とお清さんは親しいのだそうです。
「ん? その子、もしかして地主のとこの子ぉか」
「はい……その、病院帰りなんです。ちょうど病院にお連れしたところで、奥さまにばったりと会ったので……せめて、一緒に帰ってもらえたら、と」
口ごもりながら、お清さんは愛おし気に腕の中の男の子を見つめています。
消毒薬のつんとした匂い。琥太郎さんはわたしの手をきゅっと握りしめながら、抱き上げられたまま眠っているその子を見つめています。
「けが、したん?」
「え、ええ。ちょっとね」
外から見た状態では分かりませんが。どうやら服の下の部分に怪我を負っているようです。
「大丈夫なんですか? あの、立ち入ったことを申し上げて済まないのですけれど。その、普通の怪我ではないのでは」
わたしの言葉に、お清さんはぐっと唇を噛みしめました。
その表情と、今にも泣きだしそうに潤んだ瞳で分かりました。
この子は、背中を向けて立ち去っていく母親に傷つけられたのだと。
「噂は聞いとう。あんまり走って追いかけても、その子の傷に障るやろ。もう帰った方がええんとちゃうか? 気持ちは分かるけどな」
蒼一郎さんの提案に、お清さんは小さく頷きます。その動きの所為でしょうか、男の子がゆっくりと瞼を開きました。
「おきよ。どうちたの?」
「どうもしませんよ、大丈夫です。お家に帰りましょうね」
「うん。ぼくね、なかなかったよ」
「ええ、ええ。坊ちゃんはお強いですからね」
かすれた声で一生懸命お清さんに話しかけ、無理に笑顔を作る様子があまりにもつらくて。
わたしは胸が塞がれたように苦しくなりました。
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