女學生のお嬢さまはヤクザに溺愛され、困惑しています

真風月花

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八章

7、その子【2】

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 蒼一郎さんが、道の端で俥を停めている車夫に声を掛けました。
 代金を先に渡して、お清さんに俥に乗るように促します。

「いえ、そんな申し訳ないです。俥代は自分でお支払いしますから」
「あの様子やったら、奥さまは俥代なんか出してくれへんやろ?」

 図星だったのでしょう。お清さんは口ごもり、うつむいてしまいました。
 伏せた睫毛が揺らぎ、大事そうに、とても大事そうに抱っこしている坊やを見つめています。

 坊やは、またうとうとと眠りに落ちていきました。
 細くて小さな指が、お清さんの割烹着をしっかりと掴んでいます。
 この手を離さなければ、大丈夫なのだとでもいう風に。

 喉に何か結晶のようなものが詰まったように、わたしは苦しくなりました。
 もし、わたしがこの子のお母さんならば……子どもにひどいことなんてしないのに、きゅっと抱きしめてあげるのに。
 振り返りもせずに、置いて行ったりしないのに。

「なかなかったよ」と、坊やは言ったそうですが。長くて黒い睫毛には、陽の光にきらりと光る涙の粒が残っていました。
 泣かなかったのは、病院の治療中になのか。それとも母親に暴力を振るわれている時になのか。
 考えるだけでも、眉間に力がこもって唇を噛みしめました。

 琥太郎さんは「かわいいね」「がんばってえらいね」と、背伸びをしてしきりに坊やの顔を覗きこんでいます。

 消毒薬の匂いがするはずなのに。それを気にすることもなく、まるで彼を励ますお兄さんのようにふるまっています。

「おかーさん、なでてあげてもいい?」
「そうね。怪我が痛いでしょうから、撫でない方がいいと思うわ」

 こくりと頷くと、琥太郎さんは車に乗り込むお清さんと坊やに向かって「じゃあね」と手を振りました。

 何度も頭を下げて「ありがとうございます」と蒼一郎さんに告げたお清さんは、わたしと琥太郎さんに向かってもお礼を言ってくださいました。
 
 土埃を上げながら、去っていく俥。どうか振動で、あの子の傷が痛みませんように。優しい日々があの子に訪れますように。
 坊やはうちの子ではないのですから、そう願うことしかできないのです。

◇◇◇

 電氣鉄道のこじんまりとした驛舎から乗り込んだ汽車……いえ、電車は、官営の汽車よりも小さくて。当たり前ですが、機関車もなくもくもくと黒い煙を吐く煙突もありません。

 まるで玩具のような車輌は、線路の継ぎ目に合わせてことんことんと音を立てながら進んでいきます。

 普段なら、並行して走る官営鐡道の勇ましい汽車を目を丸くして見ているであろう琥太郎さんも、今日は肌触りのよいモケットの布が貼られた座席に、膝を揃えてちんまりと蒼一郎さんの隣に座っています。
 わたしは対面の席なので、琥太郎さんの表情がよく見えるのです。
 狭い眉間を、さらに狭くして。きゅっと眉根を寄せています。

「ほら、琥太郎さん。御覧なさい。海が見えてきたわ」
「……うん」

 白い帆をかけた舟が行き交う瀬戸内の海は、いつも見ている浜よりも広く感じられました。
 でも、琥太郎さんの頭の中はさっきの坊やでいっぱいのようです。
 ちらっと窓の外に目を向けたけれど、すぐに床に視線を落としてしまいました。

「まぁ、しゃあないやろな。ほんまは料亭にも寄る予定やったけど。今日は桜だけ見て、早めに帰ろか」
「ええ」

 蒼一郎さんの提案に、わたしは頷きました。
 
 本当のことを言うと、わたしも琥太郎さんと同じ気持ちでした。
 あの背中を向けて、一度も振り返らなかった華やかな母親……その冷たいきっぱりをした拒絶が脳裏から去らないのです。

 我が子は無条件に可愛い、というのは常識ではないのでしょうか。わたしの考えは甘いのでしょうか。
 それとも意に染まぬ結婚だとしたら、そうなるのでしょうか。
 
 かたんかたん、と規則的な音を立てて、電車は進みます。いつの間にか、わたしの膝に蒼一郎さんの手が載っていました。

「どうにもできへんこともないと思う。けど、よそ様のことに口出しするのも難しいんや」

 わたしは、こくりと頷きました。
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