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一章
9、電報
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「高瀬さん。電報です」
午後、うちの別荘に電報が届いた。
俺宛てだ。
なんだ? 学校から急ぎの用があるとも思えないし、親戚づきあいもないから、訃報でもあるまいに。
階段を上がり、俺は自室に入った。
翠子さんはベッドの敷布を直している。きっと俺は神妙な顔をしていたのだろう。慌てて俺に駆け寄ってきた。
「あの、電報ですよね。どうかなさったんですか?」
「思い当たる節がないな」
「『サクラサク』の時期でもないですしね」
まぁ、うちの女学校から女子大に進学する生徒もいないではないが。確かに、こんな夏に入試はない。
電報を開いて、俺と翠子さんは目を丸くした。差し出し人は深山文子さんだったからだ。しかも翠子さんではなく、俺に?
――テガミダシマス
「てがみだ、します?」
「『手紙、出します』ではないでしょうか」
首をかしげる俺の横で、翠子さんが指摘する。今日も朝から甘い香りをさせている。別荘暮らしなので洋装だが、乾燥花を胸元に忍ばせているのだろう。
「手紙を出すのに、前もって連絡がいるのか? 夏休みの宿題の質問だろうか」
自分で言っておいて、それはないなと結論づけた。うちの女学校にそこまで数学に熱心な生徒はいない。
「恋文だったらどうしましょう」
「へ? 深山さんから届く手紙のことか?」
突然何を言い出すのかと思ったが、翠子さんは困ったように両頬に手を当てた。
「だって意味深な電報ですもの。琥太郎さんのことを先生に相談している内に、文子さんの気持ちが傾いたのかもしれません」
「いやいやいや、それはないから」
だが、俺がいくら否定しても翠子さんはへたりとベッドに座り込んでしまった。
揃えた膝の上に手を置いて、うつむいているものだから、左右の三つ編みまでも元気なさそうに垂れている。
「わたし、文子さんとは闘えません。大事なお友達なんです」
「それはまぁ、そうだが」
「でも、旦那さまのことも譲ることはできないんです」
ぽつりとこぼす翠子さんの言葉に、俺は思わず顔がにやけてしまった。
いかん、いかん。本人は真剣なんだ。
いくら愛の告白をされても、悩んでいるあなたの前で口元を緩めてはいけないな。
多分この電報は、琥太兄がらみのことだぞ。
この別荘に電話はないが、近くのホテルにはあるだろう。そこから琥太兄に電話をして確かめてみるか。
まさかまた、深山さんに短歌を渡したんじゃないだろうな? と。
あの子が俺を頼るのは、それくらいしか思いつかないからな。
翠子さんはとうとうベッドにころんと横になってしまった。両手で顔を覆って落ち込んでいるものだから、エリスが彼女の頬を舐めて慰めている。
「あんた、なんでいじめてんのよ」とでも言いたげに、エリスが俺を一瞥した。
俺もベッドに腰を下ろして、翠子さんの頭を撫でる。
すると、あろうことかさらに背中を向けてしまった。
しょうがないな。
俺は人差し指で、翠子さんの背中のうなじから腰のあたりまで、すーっと線を引いた。
突然のことに驚いたのか、翠子さんは慌てて振り返った。
「く、くすぐったいです」
「よかった。こっちを見てくれて」
彼女の左の三つ編みを手に取り、その感触を指先で確かめる。艶やかで柔らかな黒髪。いつもよく撫で、手になじんだ感覚だ。
「怒っているわけではないんです。でも……」
「でも?」
「人の心を閉じ込めることはできないですから。それに文子さんは、琥太郎さんに気に入られるほど魅力的なので」
お嬢さま。どうして俺が深山さんのことを好きになる前提で落ち込んでいらっしゃるんですか?
俺、一度でも深山さんのことをそんな風に話したことがありましたっけ?
「上級生のお姉さま方と違い、文子さんは旦那さまにもっと近いんです。教師と生徒という感じではなくて」
「それは俺があなたの許嫁だから、気安く感じるんだろ」
それ以外に理由などないんだが。
まぁ、早いところ誤解を解くか。
「翠子さん。俺は出かけるが、一緒に来るか?」
「いいえ、いいのです。わたくしは一人でおりますから」
「根拠もないのに落ち込むのは、時間の無駄だぞ」
俺は彼女の背中と膝の裏に手を添えると、ベッドから抱き上げた。
すると翠子さんは俺の胸に顔を埋めてしまう。
シャツの布地を通して、彼女のぬくい体温が伝わってきた。
「わたくしだけが、旦那さまを独り占めしているのは心苦しいのです」
「うん。その気持ちは有り難くいただいておくが。深山さんは俺を独り占めしたいと決して思わないぞ」
「女心と秋の空です」
まったく、訳の分からんことを。それに多分、その言葉の用法も間違っていると思うぞ。
午後、うちの別荘に電報が届いた。
俺宛てだ。
なんだ? 学校から急ぎの用があるとも思えないし、親戚づきあいもないから、訃報でもあるまいに。
階段を上がり、俺は自室に入った。
翠子さんはベッドの敷布を直している。きっと俺は神妙な顔をしていたのだろう。慌てて俺に駆け寄ってきた。
「あの、電報ですよね。どうかなさったんですか?」
「思い当たる節がないな」
「『サクラサク』の時期でもないですしね」
まぁ、うちの女学校から女子大に進学する生徒もいないではないが。確かに、こんな夏に入試はない。
電報を開いて、俺と翠子さんは目を丸くした。差し出し人は深山文子さんだったからだ。しかも翠子さんではなく、俺に?
――テガミダシマス
「てがみだ、します?」
「『手紙、出します』ではないでしょうか」
首をかしげる俺の横で、翠子さんが指摘する。今日も朝から甘い香りをさせている。別荘暮らしなので洋装だが、乾燥花を胸元に忍ばせているのだろう。
「手紙を出すのに、前もって連絡がいるのか? 夏休みの宿題の質問だろうか」
自分で言っておいて、それはないなと結論づけた。うちの女学校にそこまで数学に熱心な生徒はいない。
「恋文だったらどうしましょう」
「へ? 深山さんから届く手紙のことか?」
突然何を言い出すのかと思ったが、翠子さんは困ったように両頬に手を当てた。
「だって意味深な電報ですもの。琥太郎さんのことを先生に相談している内に、文子さんの気持ちが傾いたのかもしれません」
「いやいやいや、それはないから」
だが、俺がいくら否定しても翠子さんはへたりとベッドに座り込んでしまった。
揃えた膝の上に手を置いて、うつむいているものだから、左右の三つ編みまでも元気なさそうに垂れている。
「わたし、文子さんとは闘えません。大事なお友達なんです」
「それはまぁ、そうだが」
「でも、旦那さまのことも譲ることはできないんです」
ぽつりとこぼす翠子さんの言葉に、俺は思わず顔がにやけてしまった。
いかん、いかん。本人は真剣なんだ。
いくら愛の告白をされても、悩んでいるあなたの前で口元を緩めてはいけないな。
多分この電報は、琥太兄がらみのことだぞ。
この別荘に電話はないが、近くのホテルにはあるだろう。そこから琥太兄に電話をして確かめてみるか。
まさかまた、深山さんに短歌を渡したんじゃないだろうな? と。
あの子が俺を頼るのは、それくらいしか思いつかないからな。
翠子さんはとうとうベッドにころんと横になってしまった。両手で顔を覆って落ち込んでいるものだから、エリスが彼女の頬を舐めて慰めている。
「あんた、なんでいじめてんのよ」とでも言いたげに、エリスが俺を一瞥した。
俺もベッドに腰を下ろして、翠子さんの頭を撫でる。
すると、あろうことかさらに背中を向けてしまった。
しょうがないな。
俺は人差し指で、翠子さんの背中のうなじから腰のあたりまで、すーっと線を引いた。
突然のことに驚いたのか、翠子さんは慌てて振り返った。
「く、くすぐったいです」
「よかった。こっちを見てくれて」
彼女の左の三つ編みを手に取り、その感触を指先で確かめる。艶やかで柔らかな黒髪。いつもよく撫で、手になじんだ感覚だ。
「怒っているわけではないんです。でも……」
「でも?」
「人の心を閉じ込めることはできないですから。それに文子さんは、琥太郎さんに気に入られるほど魅力的なので」
お嬢さま。どうして俺が深山さんのことを好きになる前提で落ち込んでいらっしゃるんですか?
俺、一度でも深山さんのことをそんな風に話したことがありましたっけ?
「上級生のお姉さま方と違い、文子さんは旦那さまにもっと近いんです。教師と生徒という感じではなくて」
「それは俺があなたの許嫁だから、気安く感じるんだろ」
それ以外に理由などないんだが。
まぁ、早いところ誤解を解くか。
「翠子さん。俺は出かけるが、一緒に来るか?」
「いいえ、いいのです。わたくしは一人でおりますから」
「根拠もないのに落ち込むのは、時間の無駄だぞ」
俺は彼女の背中と膝の裏に手を添えると、ベッドから抱き上げた。
すると翠子さんは俺の胸に顔を埋めてしまう。
シャツの布地を通して、彼女のぬくい体温が伝わってきた。
「わたくしだけが、旦那さまを独り占めしているのは心苦しいのです」
「うん。その気持ちは有り難くいただいておくが。深山さんは俺を独り占めしたいと決して思わないぞ」
「女心と秋の空です」
まったく、訳の分からんことを。それに多分、その言葉の用法も間違っていると思うぞ。
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