【第ニ部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

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四章

18、夕暮れのお風呂【1】※文子視点 後半、琥太郎視点

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 先にお風呂に入るようにと琥太郎さんに言われ、わたしは浴室へと向かった。
 幸い、というか夕食の時間なので脱衣室にも浴室にも人の姿はない。

「うわっ。これは……」

 わたしは、自分の胸に残る噛み痕を見て息を呑んだ。
 痛みはないのだけれど。これまで犬や猫を飼ったこともないから、何かに噛まれたことがない。

 それなのに、胸に痕が残っているなんて生まれて初めてで。しかも、琥太郎さんの執着のようなものが、はっきりと分かったから。

 そっと胸の傷に手を当てて、瞼を閉じる。

 あんなにも淡白そうで、高瀬先生以外の他人に興味がなさそうなのに。
 わたしは……あなたの中で重要な位置を占めていると自惚れてもいいのね?

 この避暑地での滞在が終わっても。これからは秋になっても冬になっても春になっても、琥太郎さんに会いたければいつでも会えるんだわ。
 そしていつか……彼の妻に。
 琥太郎さんを「あなた」と呼んで、手を繋いで。

 うわ、うわわわっ。恥ずかしいっ。
 人が入っていないから、脱衣所に湯気が流れ込むこともなく、暑くもないのに。
 わたしは顔が火照ってしょうがなかった。

 夕暮れの浴場は、静かな藤色の光に満ちていた。
 窓が少し開かれているから、ヒグラシの声がよく聞こえる。

 翠子さんは今頃、どうしているかしら。
 夏季休暇日誌は、きちんと仕上げているかしら。
 
 あ、そうだわ。天気のことなら翠子さんに訊けばいいのよ。
 だってこのホテルと高瀬先生の別荘は近いんだもの。琥太郎さんにお話をして、先生の別荘に行かせてもらえばいいわ。

 琥太郎さんが訪れたら、また先生が嫌な顔をするかもしれないけど。
 でもね、宿題のことで何かあったら来なさいってわたしに仰ったもの。
 まぁ、夏季休暇日誌に必要なのは先生じゃなくって翠子さんだけどね。

 わたしは天井を見上げ、ぼうっとした。

 琥太郎さんに出会ったのは、この夏で。しかもエリスを拾った時のことだから、わたしは彼のことはほとんど覚えていなくて。
 なのに、こんなにも親しくなるなんて。

 今までで一番目まぐるしい夏季休暇だったわ。
 でも……きっと忘れることのできない夏休みね。

 うん。一生でいちばん鮮やかな記憶に残る夏休みよ。

 わたしは、琥太郎さんが痕を残した胸にそっと触れた。お湯で温まった所為か、傷痕が赤みを増して見えた。

◇◇◇

 なんでやろ。
 これまで三十二年生きてきて、こんなにも世界が煌めいて見えたことがない。

 文子さんと出会う前までは、普通やった景色やのに。
 こう感性が研ぎ澄まされたというか、いろんなもんがきらきら輝いとう。

 私は広い浴槽に浸かり、ぼんやりと暮れかかった空を眺めとった。
 紫水晶アメジストやら檸檬色の黄水晶シトリンの粒を光の中に散りばめたような美しい夕暮れ。

 森の木々の向こうの空は紅玉ルビィで染めたみたいや。
 それが風呂の湯気に霞んで、まるで紅玉色の霧がかかっとうように見える。

 紅玉……紅玉。なんか聞き覚えがあるな。
 ああ、思い出したわ。大学ん時のことや。
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