【第ニ部】没落令嬢は今宵も甘く調教される

真風月花

文字の大きさ
191 / 194
六章

1、帰ってきました

しおりを挟む
 高原の別荘を後にしたわたくし達は、高瀬家へと戻ってきました。
 寒いくらいに涼しかった気候が嘘のように、じめっとした暑い空気に辺りは包まれています。
 そうでした。海辺の街は湿気が多いんです。

 空の色も高原のように澄みきった青ではなく、滲んだような水色です。日光の直射を恐れてか、重そうに垂れたヤツデの葉の陰で、蝶が翅を休めているのが見えました。

 長い間、留守にしていた所為でしょうか。この家の時間が止まってしまったかのに、のっそりと澱んだ空気が満ちていました。

 お清さんと銀司さんが、ぱたぱたと走りまわっています。
 これまで風の入らなかった家の中は湿ったようなにおいがこもっていました。
 けれど、雨戸と窓が次々と開かれた瞬間。風がいっせいに吹き込んできて、わたしの髪をなびかせました。
 潮の香りの懐かしい匂い。ああ、そうです。帰ってきたんです。

「わたくしもお手伝いします」
「え? ぼくとお清さんで大丈夫ですよ」

 銀司さんはそう仰いますが。まぁ、任せてください。

 午後なのに仄暗い部屋に入り、縁側の雨戸に手をかけたのですが。動きません、ええびくともしないんです。
 
「うーん、うーん」

 眉間にしわを寄せて、両手に力をこめるわたくしを応援するかのようにエリスが足下をうろうろと歩き回りました。けれどまったく進まない作業に焦れたのか、しなやかな尻尾を揺らしながら部屋のあちこちの匂いを嗅いでいます。

 いきなり雨戸が軽くなり、わたくしが手を添えただけで全開になりました。
 まぁ、すごいわ。いつの間にか力持ちになっていたみたいです。

「何を感動しているのかな?」

 開いた窓から声をかけて来たのは旦那さまでした。静かな陽光に照らされて、上背のある輪郭が淡い金の色に縁どられています。

「いえ、軋んだ雨戸を簡単に開けられる腕力があるのなら、薪割りもできるかしらと思ったんです。うちでもお風呂に薪を使うでしょう?」
「そうか……夢は壊さないでいてあげるよ」

 旦那さまと銀司さんが手分けをして、中からも外からも雨戸を開けていきます。
 どこからか迷い込んできたのか、ヤモリが柱をのろのろと歩いていて。わたくしは「ひっ」と悲鳴を上げてしまいました。
 即座にエリスがやってきて、ヤモリに飛びつこうとします。

「ああ、駄目ですって。でも、外に出さなくちゃ」とおろおろとしていると、沓脱石くつぬぎいしから縁側に上がってきた旦那さまが「はいはい」と左手でエリスを抱っこしつつ、右手でヤモリを掴んでお庭に出しました。

 驚く様子でもなく、嫌がるでもなく、普通にですよ? エリスを小脇に抱えたまま、旦那さまは近くの木の葉にヤモリを置きました。

「離してよぉ」とばかりに、旦那さまの腕でもがいたり爪を立てたりするエリス。猫って車の振動は苦手でしょうし、長い距離の移動でしたのに。どうしてそんなに元気なのかしら。

「こら、やめろ。痛いって」
「ぶにゃーぁ」
「お前、品のない鳴き方をするなよ」

 わたくしは唖然として、戦いを続ける旦那さまとエリスを眺めていました。

「え? 触れるんですか、ヤモリ」
「え? 触れると変なのか?」

 逆に旦那さまに質問されてしまいました。首を傾げながら、旦那さまはやっぱりエリスを脇と腕の間に挟んだままで、井戸のポンプに呼び水を入れています。

 しばらくレバーを押し続けると、最初に濁った水が溢れました。濁りが薄れ水が澄んでから、さっきヤモリを触った手を洗っていらっしゃいます。

 水の飛沫がかかるのか、エリスは盛大に鳴いて文句を言っています。
 エリスはなんとか引っ掻こうとしているのに、爪がシャツに触れそうになると器用に旦那さまは体を避けたり、エリスを持った腕を離したりで、彼女の前脚は空を掻くばかりです。
 とうとう「シャーッ」と本気で怒ってしまいました。

「はいはい。お前の大好きな場所に戻してやるから、そう怒るんじゃない」

 背中の毛を逆立てて尻尾をぴんと立てたエリスを、旦那さまがわたくしに手渡そうとなさいます。
 困るんですけど。こんなに怒っているのに。

 おろおろしながら、縁側でしゃがみ込み、ためらいつつ両手をさしだします。
 わたくしの方をちらっと見たエリスは、とたんに尻尾をしゅんと下ろしました。
 急にごろごろと喉を鳴らして、わたくしの胸に頭をすり寄せます。

 それはまるで「ひどいのよー、いじわるされたのー」と訴えつつ甘えているかのようです。

「わーぁ、いいなぁ、エリス。俺も翠子さんに抱っこしてほしいよ」と、旦那さまが手拭いで濡れた手を拭きながら仰いますが。
 あの、どうして棒読みみたいに話すんですか?

 けれどエリスは得意げにあごを上げて、まだお庭にいる旦那さまを見下ろしています。
 
「まぁ、俺は大人だからな。今回は君に譲ってあげるよ」

 あの、何をですか?
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

密室に二人閉じ込められたら?

水瀬かずか
恋愛
気がつけば会社の倉庫に閉じ込められていました。明日会社に人 が来るまで凍える倉庫で一晩過ごすしかない。一緒にいるのは営業 のエースといわれている強面の先輩。怯える私に「こっちへ来い」 と先輩が声をかけてきて……?

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

世間知らずな山ごもり薬師は、××な騎士団長の性癖淫愛から逃げ出せない

二位関りをん
恋愛
平民薬師・クララは国境沿いの深い山奥で暮らしながら、魔法薬の研究に没頭している。招集が下れば山を下りて麓にある病院や娼館で診察補助をしたりしているが、世間知らずなのに変わりはない。 ある日、山の中で倒れている男性を発見。彼はなんと騎士団長・レイルドで女嫌いの噂を持つ人物だった。 当然女嫌いの噂なんて知らないクララは良心に従い彼を助け、治療を施す。 だが、レイルドには隠している秘密……性癖があった。 ――君の××××、触らせてもらえないだろうか?

愛し愛され愛を知る。【完】

夏目萌
恋愛
訳あって住む場所も仕事も無い神宮寺 真彩に救いの手を差し伸べたのは、国内で知らない者はいない程の大企業を経営しているインテリヤクザで鬼龍組組長でもある鬼龍 理仁。 住み込み家政婦として高額な月収で雇われた真彩には四歳になる息子の悠真がいる。 悠真と二人で鬼龍組の屋敷に身を置く事になった真彩は毎日懸命に家事をこなし、理仁は勿論、組員たちとの距離を縮めていく。 特に危険もなく、落ち着いた日々を過ごしていた真彩の前に一人の男が現れた事で、真彩は勿論、理仁の生活も一変する。 そして、その男の存在があくまでも雇い主と家政婦という二人の関係を大きく変えていく――。 これは、常に危険と隣り合わせで悲しませる相手を作りたくないと人を愛する事を避けてきた男と、大切なモノを守る為に自らの幸せを後回しにしてきた女が『生涯を共にしたい』と思える相手に出逢い、恋に落ちる物語。 ※ あくまでもフィクションですので、その事を踏まえてお読みいただければと思います。設定等合わない場合はごめんなさい。また、実在の人物・団体等とは一切関係ありません。

黒の神官と夜のお世話役

苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

処理中です...