4 / 6
キャンドルの揺れるワインバー
しおりを挟む
ロマノスとディナーに行くことになり、お互いのスケジュールを合わせたところ、水曜日の夕方と決まった。私が翌日仕事だとわかると、彼は私のアパートから徒歩5分のところにある、フレンチのワインバーを提案してきた。
片道30分以上かけて、わざわざ私の最寄り駅まで来てもらうのも、なんだか申しわけなくて、「お互いの中間地点で会うほうがいいのでは?」とメッセージを送ったら、「そんなこと全然気にしないで!」と明るい返信が来た。
ロマノスは翌日は休日だし、なんたって若いから、それくらいの心遣いは甘えてもいいか、と思った。
それでも、やっぱり嬉しい。
男が、時間と労力を費やして、自分に会いに来てくれるというのは、なんともくすぐったい快感だった。
おしゃれなフレンチのワインバー。
だからと言って、色気付いた服装はダメだと思い、ショルダーにマーガレットの花刺繍のある濃紺の薄手のセーターに、ブルーのスリムジーンズ、チョコレート色のロングブーツを合わせた。フューシャピンクに黒の唐草模様が全面に施されたコートを着る。髪はちゃんとブローしたので、さらさらのストレートだ。ピアスだけ、ちょっと夜っぽい雰囲気を出すデザインのものを選ぶ。クリスタルガラスビーズがキラキラするシルバーの長いチェーンが二本、耳たぶから揺れるタイプのもの。
ケバくならない程度にきちんとメイクして、ほんのり香るくらい、お気に入りの甘めの香りのパフュームを手首と首筋につけて、準備完了。
待ち合わせは6時半、現地集合。
自宅から歩いて5分というワインバーには行った事がなかった。
まもなく到着というところで、ロマノスから「もう中にいるよ」というメッセージがラインに届いた。
私がネットで調べた時は、「ギリシャ人は時間にルーズ。平気で遅刻する」とあったが、ロマノスは違うっぽい。
薄暗くなり、キャンドルの灯りと暖色系のランプが灯った店内に入ると、入り口近くのハイテーブルにロマノスが居た。店内を見渡したところ、後方の普通のテーブル席は全部、埋まっているか予約済みで、このハイテーブルの席しか空いていなかったらしい。
店員さんは当然フランス人、カウンターに並ぶバゲットや数々のハムやチーズ、大きなワインセラーで冷やされているワインのボトルも全部、フランスのものっぽかった。
ハイチェアに座っているロマノスに近づくと、「Hi」と言いながら、ハグを交わした。私が苦労しながらハイチェアに腰掛ける間に、彼が私のコートやバッグをハイテーブル下のフックにかけてくれた。
「ここに座って」
勧められて座りながら、思わず笑ってしまった。
今回も、向かい合うのではなく、前回と同じく、テーブルの角を挟んで斜め横に座る形になっていた。この長いハイテーブルの反対の端には、二組のカップルが、向かい合わせに座っている。
こうして、テーブルの角を挟んで斜め横に座ると、距離が近くなるのは確かなので、これは確実に、ロマノスが意識してそういう座り方になるよう場所を選んでいるに違いなかった。
すぐにウェイトレスが来て、メニューを渡してくれた。
2人で一緒に見る。
チーズフォンデュなどもあったが、結局、二種類のオリーブと、各種チーズ、ハム類の盛り合わせプレート、バゲットを選んだ。ワインの事なんて全然知らない私は、赤でも白でもどっちでも良かったが、彼は白が好きらしく、ウェイトレスと少し話をした後、オススメの白ワインのボトルをオーダーした。
フランス人で目のくりくりしたウェイトレスは、とってもご機嫌な様子で笑顔を振りまいていた。
やがて透き通るようなワイングラスふたつと、氷がいっぱい入ったワインクーラーに入ったボトルがテーブルに置かれた。ウェイトレスがワインのボトルの栓を抜き、グラスに少し注ぐ。ロマノスがそれを静かに口に含み、テイスティングをした後、満足したように頷いた。
ウエィトレスが笑顔で、ロマノスのグラスに注ぎ足した後、私のグラスにも注いだ。
「Cheers!」と言いながら乾杯して、ロマノスが、日本語でなんというのか聞いたので、「乾杯」と教えてあげた。意味は、グラスを空にすることだって説明すると、にっこりして、「じゃぁ、君もたっぷり楽しんで」と笑う。
ウン年ぶりに口にしたワインは、甘辛く、冷たさがすっきりとしてとても美味しかった。
仕事の話やらしていると、注文したおつまみの盛り合わせやバゲットがテーブルに並ぶ。冷えたワインと、オリーブや濃厚なチーズ、熟成したハムは最高の取り合わせだった。食べ物の話やアルコールの話などに花を咲かせる。
ロマノス曰く、昔、友人達と、酒や煙草で散々遊び回っていて、ある時、ものすごく具合が悪くなったのをきっかけに、ぱったりとそういう集まりから身を引いたらしい。もう、煙草を止めて10年くらいで、アルコールも、ビールは仕事の付き合い上断れない時は飲むけれど、好きではないらしい。ロングドリンク(カクテル)もずっと前から飲んでいなくて、ともかく、アルコールではワインが好きらしい。
騒々しい場所、つまり、クラブやアルコールオンリーのバーには行かず、こういったワインバーや、レストランでワインを楽しむのが好きで、出かけても、夜の11時には帰宅する生活スタイルだとのこと。
ワイン好きが高じて、いつかギリシャでソムリエコースを受けてライセンスを取ろうとも思っているらしい。
32歳くらいだったら、まだまだクラブなんかでガンガン遊んでいそうな年齢だが、彼が落ち着いて見えるのは、この説明を聞いて納得した。
多分、よほど昔遊びまくったせいで、飽きるのが早かったということだろう。
1時間ほど過ぎたところで、ようやく私のグラスが半分くらい減ったのをみて、ロマノスがからかう。
「僕ばっかり飲んでいるよ。もっと飲んで」
「わかってる!美味しいけど、アルコールは飲み慣れてないから、気をつけないと酔ってしまうから」
「酔ったら困ることでもある?」
「そうね~、笑い上戸になって、止まらなくなるとか」
「だったらいいじゃないか。さぁ、飲んで!」
背中を抱かれて、励まされてしまった。
さっきから、話の合間に、何気なく彼の手が、私の膝を撫でたり、背中を撫でたりしている。
大きく温かい手の平の感触に、胸がときめくのを感じていた。
目の前に灯されたキャンドルの柔らかい灯りが、文字通り、ロマンチックな雰囲気を醸し出しているのは間違いなかった。
お洒落でロマンティックなワインバー。
若くてハンサムな男と肩の触れ合う距離でグラスを交わしている。
調子に乗って、つい、残りのワインをくいっと飲んでしまう。
頬が熱くなる感覚がしたが、頭の中は別におかしくはなっていない。
空になったグラスに、ロマノスが更にワインを注いでくれた。
確かに、美味しい。
濃厚なチーズや熟成したハム、上質なオリーブとの相性も最高。
若干、笑いが止まらないモードに入ってしまったので、水を飲みながら話を続けた。
それぞれの国でのいわゆる「飲み会」の話題に移る。日本の会社では、飲み会で皆が酔っぱらうと、時に、くだらないゲームなどが始まって、無礼講になるんだよと話をして、「ギリシャではどんな感じ?」と聞いた。すると、ロマノスは一瞬、言葉を止めて私をじっと見つめたかと思うと、片手で私の背を抱き寄せた。えっ、と思った時、彼の顔が間近に迫っていた。彼は「ギリシャでは、こういう時、僕たちはキスするんだ」と囁いて、そのまま、キスをした。
息が止まるような強引なキスは、すぐには終わらなかった。
今日、キスされる予感があったから、驚きはしなかったけれど、まさか店内でとは思わず、若干動揺はした。
唇を離した後、ロマノスは私の頬や首筋にもキスを落として、やや放心状態になっている私の髪をゆっくりと撫でた。
沈黙。
私はじっとロマノスを眺めた。
10年ぶりかそれくらいのキスをした、14歳も年下の男。
酔っていないつもりでも、やっぱり酔っているのか、思考が回らなかった。
ふとカウンターのほうを見ると、若い女性2人が濃厚なキスをしているのが見えた。ドイツの大都市ではゲイカップルは少なくない。
ロマノスがこうして私にべたべたしているのも、周りの誰も気にも留めていないようだった。
「もう少し食べて」
残っているチーズやオリーブを勧めるロマノス。私が二杯目のワインを飲みきる事が出来ないとわかったのか、私のグラスに手を伸ばし、半分くらいを飲んだ。
その合間にも、すぐに肩を抱き寄せては、キスをしてくる。回数を重ねるごとに、最初は唇を触れ合わせる程度だったのに、どんどんエスカレートしていき、角度を変えて完全なディーブキス状態になってきた。熱い舌が強引に絡み付いて、呼吸さえままならなくなりそうになる。
自分が自分じゃないような、不思議な感覚。
まさに付き合い始めのカップルみたいな甘ったるいムードに包まれていた。
ワインも飲み終わり、8時を過ぎた頃、もうワインバーは満席になっていた。ロマノスがウェイトレスに勘定の合図を送ると、彼女が伝票を持ってくる。チップも入れて50ユーロくらい。25ユーロをテーブルに置いてお手洗いに行き、すっかり取れてしまったルージュを軽くひいて戻ってくると、テーブルに5ユーロが置いてあった。もしかしてチップを置いているのかと思って、そのまま自分のバッグを手に取ると、ロマノスがその5ユーロを私に渡した。
彼が30ユーロとチップの2~3ユーロ、私が20ユーロ払ったことになる。
ま、ワインの7割は彼が飲んだんだから、それを考えたら当然だっただろう。
14歳も年下の男に奢らせるつもりは毛頭なかったけれど、私が多めに払うとか、私が奢るなんて羽目になってたら、さすがに幻滅していたことだろう。
笑顔のウェイトレスに見送られながら、お店の外に出た。
気温が下がって来て、真っ暗な空に瞬く星を見上げてみたら、まだ間違いなく冬の夜。
人格が変わるほどに酔ってはいないものの、頬が若干熱く、ふわふわするような感覚がした。
ここから駅までは、7、8分の距離。
「こっちが近道だよ」
この周辺の地理に詳しい私が、道を差すと、にっこり微笑んだロマノスが、当たり前のように、私の肩を抱きよせた。すぐに、息が止まるようなキスが振って来た。
呼吸が乱れるほど情熱的なディープキスをしながら、彼の手が開いていた私のコートの下に滑り込んで、薄手のセーター越しに背中を抱きしめる。
静かな夜の住宅街、街灯の下で抱き合ってキスを交わすカップル。
まさか、この自分がその当人になることがあるなんて、思った事もなかった。
しばらくの抱擁の後、寄り添うようにゆっくりと薄暗い路地へと向かう。
街灯がぼんやりと辺りを照らす、静かな住宅街を無言で歩いていると、突然立ち止まったロマノス。あっと思ったら、また、ディープキスと抱擁。落ち着いたら歩きだし、しばらくしたらまた、立ち止まる。
たった徒歩7、8分の距離なのに、何度も立ち止まっているから、全然先に進まなかった。抱擁もだんだんエスカレートして、私はその勢いに押されて仰け反り、立つのもままならないほど圧倒されていた。ロマンチックだった雰囲気も、だんだんエロティックなものとなっていった。
体が完全に密着するほどにきつく抱きしめられて、ロマノスの手が背中だけじゃなく、私のお尻を掴んだり、挙げ句には胸を軽く揉むという、遠慮もなくなってきた抱擁。
夜の暗闇で、ほぼ人影もないとはいえ、まさか道ばたでこんな絡み合うようないちゃつき具合になるなんて、アメリカの恋愛映画でしかありえないと思っていた。
完全に素面だったら、私はどう感じたのだろうか。
少し酔っていたのと、ロマンティックなワインバーでのファーストキス、若く男らしいロマノスの強引さにすっかり参ってしまった。
恋をしているとまでは思わない。
恋している気分になりたいんだ。
それくらい、悪くないだろう。
別に、服を脱ぐわけじゃないし。
そんなことを思うと、妙にこのロマノスが可愛く思えて仕方がなかった。
私が日本で中学二、三年生の頃に、ギリシャで生まれたという、この14歳も年下の男の子。
こんなにキュートで、若く逞しい男が、どこまで本気かしらないけれど、この私に欲情しているのかと思うと、ちょっと笑いも出て来てしまった。
ようやく駅に到着したら、10分おきに来る電車が、すぐにやってきた。
手をつないでいた私達。
ここで手を放し、さよならすることも出来たのに、私は、離れ難い気持ちに襲われてしまった。
普段なら、それでも、じゃぁね、とさよなら出来ただろうに、すっかり恋人気分になってしまっていた私は、自分の気持ちを否定することが出来ず、「3駅ぐらい一緒に乗って見送るよ」と言ってしまった。にっこり微笑んだロマノスと一緒に、初めて一緒に電車に乗る。
人もまばらな車内。
ぴったりと寄り添うように座ると、ロマノスが片腕で私を抱き寄せた。彼の胸に背を預けると、すぐにまた、キスしてきた。頬や首筋、髪にも何度もキスしながら、「このまま僕のアパートまでくればいいのに」「途中でお預けなんて、完璧主義の僕にはきついよ」などと、冗談まじりの言葉を囁かれるのも心地よかった。
ロマノスはきっと、ベッドでは猛獣のような激しさを見せそうな気がする、と思った。
もう長年セックスとは無縁の私は、経験も浅く、いわゆるマグロ女だ。
若く性欲の強い男と、ほぼ引退している熟女。
相性悪そうだ。
そんなことを考えながら、自分が、ロマノスとベッドインする可能性を肯定しているのに気づき、びっくりする。
そうしている間も、何度も頭を引き寄せられてキスを繰り返していた。多くはないが、車内には他に乗客もいる。全くそんなことは気にもしていない様子のロマノス。
太く逞しい腕にきつく抱き寄せられ、後ろからすっぽり包み込まれるようにしっかりと抱きしめられている心地よさに、もう周りのことなんてどうでもいい気分になってしまった。
やっぱり、酔っているのかもしれない。
「次は僕がギリシャの家庭料理を作るから、アパートに来て」
アパートに来て、という言葉にドキンとしてしまう。
「貴方が料理して私に御馳走してくれるの?」
ギリシャの男は、お母さんや奥さんに料理してもらうから、家事なんてしないってネットで見たのだが、ロマノスは違うのか。
「料理は僕の趣味だから得意。いつ来れる?」
強引だけども、甘い声でそう誘われて、無理、と言えるはずもなかった。
私があのサイトに登録したのは、恋の相手を探していたからだ。
14歳年下だから、対象外、と思ってはいたけれど、もはやそんな年齢差は感じていない。
ひとときの恋として楽しむのもありじゃないか。
「後でスケジュールチェックするね」
そう答えたところで、ちょうど私がUターンしようと思っていた駅についた。
「じゃここで私はUターンして帰るね」
立ち上がり際に、触れるようなキスをして、私は電車から下りた。
恋愛小説の主人公になったような、浮かれた気分。
電車の扉が閉まり、ゆっくりと動き出す車両。
彼が座っている窓の方を目で追った。
きっとこちらは見ていないだろうな、後ろ姿を見送ろう、と思っていたら、彼はしっかりとこちらを振り返っていて、笑顔で手を振っていた。嬉しくなって、私も笑顔で手を振りかえす。
遠ざかっていく電車を見送りながら、昂る胸を両手で押さえ、深呼吸をしたのだった。
片道30分以上かけて、わざわざ私の最寄り駅まで来てもらうのも、なんだか申しわけなくて、「お互いの中間地点で会うほうがいいのでは?」とメッセージを送ったら、「そんなこと全然気にしないで!」と明るい返信が来た。
ロマノスは翌日は休日だし、なんたって若いから、それくらいの心遣いは甘えてもいいか、と思った。
それでも、やっぱり嬉しい。
男が、時間と労力を費やして、自分に会いに来てくれるというのは、なんともくすぐったい快感だった。
おしゃれなフレンチのワインバー。
だからと言って、色気付いた服装はダメだと思い、ショルダーにマーガレットの花刺繍のある濃紺の薄手のセーターに、ブルーのスリムジーンズ、チョコレート色のロングブーツを合わせた。フューシャピンクに黒の唐草模様が全面に施されたコートを着る。髪はちゃんとブローしたので、さらさらのストレートだ。ピアスだけ、ちょっと夜っぽい雰囲気を出すデザインのものを選ぶ。クリスタルガラスビーズがキラキラするシルバーの長いチェーンが二本、耳たぶから揺れるタイプのもの。
ケバくならない程度にきちんとメイクして、ほんのり香るくらい、お気に入りの甘めの香りのパフュームを手首と首筋につけて、準備完了。
待ち合わせは6時半、現地集合。
自宅から歩いて5分というワインバーには行った事がなかった。
まもなく到着というところで、ロマノスから「もう中にいるよ」というメッセージがラインに届いた。
私がネットで調べた時は、「ギリシャ人は時間にルーズ。平気で遅刻する」とあったが、ロマノスは違うっぽい。
薄暗くなり、キャンドルの灯りと暖色系のランプが灯った店内に入ると、入り口近くのハイテーブルにロマノスが居た。店内を見渡したところ、後方の普通のテーブル席は全部、埋まっているか予約済みで、このハイテーブルの席しか空いていなかったらしい。
店員さんは当然フランス人、カウンターに並ぶバゲットや数々のハムやチーズ、大きなワインセラーで冷やされているワインのボトルも全部、フランスのものっぽかった。
ハイチェアに座っているロマノスに近づくと、「Hi」と言いながら、ハグを交わした。私が苦労しながらハイチェアに腰掛ける間に、彼が私のコートやバッグをハイテーブル下のフックにかけてくれた。
「ここに座って」
勧められて座りながら、思わず笑ってしまった。
今回も、向かい合うのではなく、前回と同じく、テーブルの角を挟んで斜め横に座る形になっていた。この長いハイテーブルの反対の端には、二組のカップルが、向かい合わせに座っている。
こうして、テーブルの角を挟んで斜め横に座ると、距離が近くなるのは確かなので、これは確実に、ロマノスが意識してそういう座り方になるよう場所を選んでいるに違いなかった。
すぐにウェイトレスが来て、メニューを渡してくれた。
2人で一緒に見る。
チーズフォンデュなどもあったが、結局、二種類のオリーブと、各種チーズ、ハム類の盛り合わせプレート、バゲットを選んだ。ワインの事なんて全然知らない私は、赤でも白でもどっちでも良かったが、彼は白が好きらしく、ウェイトレスと少し話をした後、オススメの白ワインのボトルをオーダーした。
フランス人で目のくりくりしたウェイトレスは、とってもご機嫌な様子で笑顔を振りまいていた。
やがて透き通るようなワイングラスふたつと、氷がいっぱい入ったワインクーラーに入ったボトルがテーブルに置かれた。ウェイトレスがワインのボトルの栓を抜き、グラスに少し注ぐ。ロマノスがそれを静かに口に含み、テイスティングをした後、満足したように頷いた。
ウエィトレスが笑顔で、ロマノスのグラスに注ぎ足した後、私のグラスにも注いだ。
「Cheers!」と言いながら乾杯して、ロマノスが、日本語でなんというのか聞いたので、「乾杯」と教えてあげた。意味は、グラスを空にすることだって説明すると、にっこりして、「じゃぁ、君もたっぷり楽しんで」と笑う。
ウン年ぶりに口にしたワインは、甘辛く、冷たさがすっきりとしてとても美味しかった。
仕事の話やらしていると、注文したおつまみの盛り合わせやバゲットがテーブルに並ぶ。冷えたワインと、オリーブや濃厚なチーズ、熟成したハムは最高の取り合わせだった。食べ物の話やアルコールの話などに花を咲かせる。
ロマノス曰く、昔、友人達と、酒や煙草で散々遊び回っていて、ある時、ものすごく具合が悪くなったのをきっかけに、ぱったりとそういう集まりから身を引いたらしい。もう、煙草を止めて10年くらいで、アルコールも、ビールは仕事の付き合い上断れない時は飲むけれど、好きではないらしい。ロングドリンク(カクテル)もずっと前から飲んでいなくて、ともかく、アルコールではワインが好きらしい。
騒々しい場所、つまり、クラブやアルコールオンリーのバーには行かず、こういったワインバーや、レストランでワインを楽しむのが好きで、出かけても、夜の11時には帰宅する生活スタイルだとのこと。
ワイン好きが高じて、いつかギリシャでソムリエコースを受けてライセンスを取ろうとも思っているらしい。
32歳くらいだったら、まだまだクラブなんかでガンガン遊んでいそうな年齢だが、彼が落ち着いて見えるのは、この説明を聞いて納得した。
多分、よほど昔遊びまくったせいで、飽きるのが早かったということだろう。
1時間ほど過ぎたところで、ようやく私のグラスが半分くらい減ったのをみて、ロマノスがからかう。
「僕ばっかり飲んでいるよ。もっと飲んで」
「わかってる!美味しいけど、アルコールは飲み慣れてないから、気をつけないと酔ってしまうから」
「酔ったら困ることでもある?」
「そうね~、笑い上戸になって、止まらなくなるとか」
「だったらいいじゃないか。さぁ、飲んで!」
背中を抱かれて、励まされてしまった。
さっきから、話の合間に、何気なく彼の手が、私の膝を撫でたり、背中を撫でたりしている。
大きく温かい手の平の感触に、胸がときめくのを感じていた。
目の前に灯されたキャンドルの柔らかい灯りが、文字通り、ロマンチックな雰囲気を醸し出しているのは間違いなかった。
お洒落でロマンティックなワインバー。
若くてハンサムな男と肩の触れ合う距離でグラスを交わしている。
調子に乗って、つい、残りのワインをくいっと飲んでしまう。
頬が熱くなる感覚がしたが、頭の中は別におかしくはなっていない。
空になったグラスに、ロマノスが更にワインを注いでくれた。
確かに、美味しい。
濃厚なチーズや熟成したハム、上質なオリーブとの相性も最高。
若干、笑いが止まらないモードに入ってしまったので、水を飲みながら話を続けた。
それぞれの国でのいわゆる「飲み会」の話題に移る。日本の会社では、飲み会で皆が酔っぱらうと、時に、くだらないゲームなどが始まって、無礼講になるんだよと話をして、「ギリシャではどんな感じ?」と聞いた。すると、ロマノスは一瞬、言葉を止めて私をじっと見つめたかと思うと、片手で私の背を抱き寄せた。えっ、と思った時、彼の顔が間近に迫っていた。彼は「ギリシャでは、こういう時、僕たちはキスするんだ」と囁いて、そのまま、キスをした。
息が止まるような強引なキスは、すぐには終わらなかった。
今日、キスされる予感があったから、驚きはしなかったけれど、まさか店内でとは思わず、若干動揺はした。
唇を離した後、ロマノスは私の頬や首筋にもキスを落として、やや放心状態になっている私の髪をゆっくりと撫でた。
沈黙。
私はじっとロマノスを眺めた。
10年ぶりかそれくらいのキスをした、14歳も年下の男。
酔っていないつもりでも、やっぱり酔っているのか、思考が回らなかった。
ふとカウンターのほうを見ると、若い女性2人が濃厚なキスをしているのが見えた。ドイツの大都市ではゲイカップルは少なくない。
ロマノスがこうして私にべたべたしているのも、周りの誰も気にも留めていないようだった。
「もう少し食べて」
残っているチーズやオリーブを勧めるロマノス。私が二杯目のワインを飲みきる事が出来ないとわかったのか、私のグラスに手を伸ばし、半分くらいを飲んだ。
その合間にも、すぐに肩を抱き寄せては、キスをしてくる。回数を重ねるごとに、最初は唇を触れ合わせる程度だったのに、どんどんエスカレートしていき、角度を変えて完全なディーブキス状態になってきた。熱い舌が強引に絡み付いて、呼吸さえままならなくなりそうになる。
自分が自分じゃないような、不思議な感覚。
まさに付き合い始めのカップルみたいな甘ったるいムードに包まれていた。
ワインも飲み終わり、8時を過ぎた頃、もうワインバーは満席になっていた。ロマノスがウェイトレスに勘定の合図を送ると、彼女が伝票を持ってくる。チップも入れて50ユーロくらい。25ユーロをテーブルに置いてお手洗いに行き、すっかり取れてしまったルージュを軽くひいて戻ってくると、テーブルに5ユーロが置いてあった。もしかしてチップを置いているのかと思って、そのまま自分のバッグを手に取ると、ロマノスがその5ユーロを私に渡した。
彼が30ユーロとチップの2~3ユーロ、私が20ユーロ払ったことになる。
ま、ワインの7割は彼が飲んだんだから、それを考えたら当然だっただろう。
14歳も年下の男に奢らせるつもりは毛頭なかったけれど、私が多めに払うとか、私が奢るなんて羽目になってたら、さすがに幻滅していたことだろう。
笑顔のウェイトレスに見送られながら、お店の外に出た。
気温が下がって来て、真っ暗な空に瞬く星を見上げてみたら、まだ間違いなく冬の夜。
人格が変わるほどに酔ってはいないものの、頬が若干熱く、ふわふわするような感覚がした。
ここから駅までは、7、8分の距離。
「こっちが近道だよ」
この周辺の地理に詳しい私が、道を差すと、にっこり微笑んだロマノスが、当たり前のように、私の肩を抱きよせた。すぐに、息が止まるようなキスが振って来た。
呼吸が乱れるほど情熱的なディープキスをしながら、彼の手が開いていた私のコートの下に滑り込んで、薄手のセーター越しに背中を抱きしめる。
静かな夜の住宅街、街灯の下で抱き合ってキスを交わすカップル。
まさか、この自分がその当人になることがあるなんて、思った事もなかった。
しばらくの抱擁の後、寄り添うようにゆっくりと薄暗い路地へと向かう。
街灯がぼんやりと辺りを照らす、静かな住宅街を無言で歩いていると、突然立ち止まったロマノス。あっと思ったら、また、ディープキスと抱擁。落ち着いたら歩きだし、しばらくしたらまた、立ち止まる。
たった徒歩7、8分の距離なのに、何度も立ち止まっているから、全然先に進まなかった。抱擁もだんだんエスカレートして、私はその勢いに押されて仰け反り、立つのもままならないほど圧倒されていた。ロマンチックだった雰囲気も、だんだんエロティックなものとなっていった。
体が完全に密着するほどにきつく抱きしめられて、ロマノスの手が背中だけじゃなく、私のお尻を掴んだり、挙げ句には胸を軽く揉むという、遠慮もなくなってきた抱擁。
夜の暗闇で、ほぼ人影もないとはいえ、まさか道ばたでこんな絡み合うようないちゃつき具合になるなんて、アメリカの恋愛映画でしかありえないと思っていた。
完全に素面だったら、私はどう感じたのだろうか。
少し酔っていたのと、ロマンティックなワインバーでのファーストキス、若く男らしいロマノスの強引さにすっかり参ってしまった。
恋をしているとまでは思わない。
恋している気分になりたいんだ。
それくらい、悪くないだろう。
別に、服を脱ぐわけじゃないし。
そんなことを思うと、妙にこのロマノスが可愛く思えて仕方がなかった。
私が日本で中学二、三年生の頃に、ギリシャで生まれたという、この14歳も年下の男の子。
こんなにキュートで、若く逞しい男が、どこまで本気かしらないけれど、この私に欲情しているのかと思うと、ちょっと笑いも出て来てしまった。
ようやく駅に到着したら、10分おきに来る電車が、すぐにやってきた。
手をつないでいた私達。
ここで手を放し、さよならすることも出来たのに、私は、離れ難い気持ちに襲われてしまった。
普段なら、それでも、じゃぁね、とさよなら出来ただろうに、すっかり恋人気分になってしまっていた私は、自分の気持ちを否定することが出来ず、「3駅ぐらい一緒に乗って見送るよ」と言ってしまった。にっこり微笑んだロマノスと一緒に、初めて一緒に電車に乗る。
人もまばらな車内。
ぴったりと寄り添うように座ると、ロマノスが片腕で私を抱き寄せた。彼の胸に背を預けると、すぐにまた、キスしてきた。頬や首筋、髪にも何度もキスしながら、「このまま僕のアパートまでくればいいのに」「途中でお預けなんて、完璧主義の僕にはきついよ」などと、冗談まじりの言葉を囁かれるのも心地よかった。
ロマノスはきっと、ベッドでは猛獣のような激しさを見せそうな気がする、と思った。
もう長年セックスとは無縁の私は、経験も浅く、いわゆるマグロ女だ。
若く性欲の強い男と、ほぼ引退している熟女。
相性悪そうだ。
そんなことを考えながら、自分が、ロマノスとベッドインする可能性を肯定しているのに気づき、びっくりする。
そうしている間も、何度も頭を引き寄せられてキスを繰り返していた。多くはないが、車内には他に乗客もいる。全くそんなことは気にもしていない様子のロマノス。
太く逞しい腕にきつく抱き寄せられ、後ろからすっぽり包み込まれるようにしっかりと抱きしめられている心地よさに、もう周りのことなんてどうでもいい気分になってしまった。
やっぱり、酔っているのかもしれない。
「次は僕がギリシャの家庭料理を作るから、アパートに来て」
アパートに来て、という言葉にドキンとしてしまう。
「貴方が料理して私に御馳走してくれるの?」
ギリシャの男は、お母さんや奥さんに料理してもらうから、家事なんてしないってネットで見たのだが、ロマノスは違うのか。
「料理は僕の趣味だから得意。いつ来れる?」
強引だけども、甘い声でそう誘われて、無理、と言えるはずもなかった。
私があのサイトに登録したのは、恋の相手を探していたからだ。
14歳年下だから、対象外、と思ってはいたけれど、もはやそんな年齢差は感じていない。
ひとときの恋として楽しむのもありじゃないか。
「後でスケジュールチェックするね」
そう答えたところで、ちょうど私がUターンしようと思っていた駅についた。
「じゃここで私はUターンして帰るね」
立ち上がり際に、触れるようなキスをして、私は電車から下りた。
恋愛小説の主人公になったような、浮かれた気分。
電車の扉が閉まり、ゆっくりと動き出す車両。
彼が座っている窓の方を目で追った。
きっとこちらは見ていないだろうな、後ろ姿を見送ろう、と思っていたら、彼はしっかりとこちらを振り返っていて、笑顔で手を振っていた。嬉しくなって、私も笑顔で手を振りかえす。
遠ざかっていく電車を見送りながら、昂る胸を両手で押さえ、深呼吸をしたのだった。
0
あなたにおすすめの小説
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる