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第34話 深夜の残業手当は出ませんが、敵は撃退しました
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午後10時。
俺は縁側に座り、暗闘する庭を眺めていた。
月明かりが薄雲に遮られ、敷地全体が墨を流したように沈んでいる。
普段なら虫の声が響く時間帯だ。
だが今夜は、異様なほど静まり返っていた。
「旦那、準備できたよ」
ハチさんが闘の中から現れた。
190cmの長身が、夜でもはっきりとわかる。
作業着姿のまま、額の汗を拭っている。
「落とし穴は予定通り三箇所。深さ3m、底には杭を仕込んであるよ」
「ご苦労さま。黒田は?」
「ぽぽぽ、あたいの部下はまだ穴の中で埋め戻しの準備さ。いい働きっぷりだったねえ」
ハチさんが親指を立てる。
その笑顔が、なぜか少し怖い。
黒田敬一。
元課長にして、現在は土木建築課の平社員。
今日だけで推定100立方メートルの土を掘らされたはずだ。
生きているだろうか。
「カイトさん」
ミレイが縁側に茶を置いた。
擬態の指輪のおかげで、彼女の口元は普通の女性に見える。
だが、その手には裁ち鋏が握られていた。
「スキマからの報告です。敷地の外周に、複数の気配があるとのこと」
「数は?」
「四つ。うち二つは、昼間の使役怪異と同じ匂いだそうです」
来たか。
御子柴の予告通り、夜の襲撃だ。
「ユキは?」
「玄関前で待機しています。タエさんは裏手を警戒中」
「タマは?」
「屋根の上で見張り中です。さきほど『来た』とだけ」
完璧な配置だ。
俺は茶を一口飲んだ。
正直なところ、不安がないわけじゃない。
御子柴は怪異ブローカー。
怪異の売買を生業にしている人間だ。
つまり、怪異の弱点も熟知しているはず。
だが、こちらには地の利がある。
ここは株式会社アマガミ・ラボの敷地内。
うちの怪異たちが最も力を発揮できる場所だ。
「全員に通達。侵入者は排除する。ただし、御子柴本人は生かして捕らえろ」
「かしこまりました」
ミレイが闇に消える。
俺は茶を飲み干し、立ち上がった。
さて。
深夜の残業開始だ。
-----
最初の異変は、東側の藪から起きた。
ガサ、と枝が揺れる音。
続いて、人影が三つ、敷地内に侵入してきた。
人の形をしている。
だが、動きがおかしい。
関節が逆に曲がっているのに、平然と歩いている。
使役怪異だ。
昼間に見た、あの壊れた怪異たち。
先頭の一体が、庭の中央に足を踏み入れた瞬間。
ズン。
地面が崩落した。
「ひぃぃぃ!」
悲鳴が響く。
黒田の声だ。
なぜか一緒に落ちている。
「おい、なんで黒田まで落ちてんだ」
俺は額を押さえた。
埋め戻しの準備中じゃなかったのか。
3m下の穴の底から、ハチさんの声が響いた。
「ぽぽぽ! ようこそ土木課へ!」
ドゴン、と鈍い音。
続いて、何かが砕ける音が連続する。
「あたいの部下が掘った穴だよ。感謝しな!」
ハチさんの怪力が、使役怪異を粉砕している。
物理攻撃が効いている。
つまり、あの使役怪異には「当たり判定」がある。
本物の怪異なら物理は透過するはずだ。
やはり、人工的に作られた何かなんだろう。
「ひ、ハチさん! 俺を踏まないで! 踏まないでください!」
「あんたは端っこにいな。邪魔だよ」
「はいぃぃ!」
黒田の悲鳴が哀れだ。
だが、生きているなら問題ない。
残りの使役怪異二体が、別ルートから侵入を試みる。
だが、そこにはタエさんが待ち構えていた。
風がうなる。
ターボババアの異名は伊達じゃない。
時速200kmで接近し、使役怪異の足を払う。
バランスを崩した敵に、ミレイの鋏が閃いた。
「お引き取りください」
シャキン。
使役怪異の腕が切断される。
だが、血は出ない。
切断面から覗くのは、黒い霧のようなものだけだ。
「カイトさん、この者たち、中身がありません」
「中身?」
「魂が、ないんです。器だけ」
ミレイの報告に、俺は眉をひそめた。
器だけ。
つまり、怪異の肉体だけを使っている。
御子柴の言葉を思い出す。
『壊して、使っている』。
あれは比喩じゃなかった。
文字通り、怪異を壊して、その抜け殻を操っているんだ。
「趣味が悪いな」
俺は低く声を漏らした。
怪異を商品として扱う。
その発想自体は、まあ、理解できなくもない。
だが、魂を壊して器だけ使うというのは。
それは、人材を使い潰すブラック企業と同じだ。
-----
四体目の使役怪異が、正面から突っ込んできた。
これまでの三体より、動きが速い。
たぶん、上位の素体を使っているんだろう。
玄関前で待機していたユキが、前に出た。
「ここは、ここは」
白い息が漏れる。
周囲の気温が、急激に下がり始めた。
「わたしの、わたしの、しょくば」
ユキの瞳が、青白く光る。
「こおれ。こおれ」
吐息が、使役怪異を包み込んだ。
パキパキパキ。
音を立てて、敵が凍りついていく。
一瞬で、氷の彫像と化した。
凍結した使役怪異が、ミレイの鋏で砕かれた。
四体、全滅。
「お見事」
声がした。
敷地の外、闇の中から。
御子柴だ。
スーツ姿のまま、塀の向こうに立っている。
営業マン特有の笑顔を浮かべたまま。
その姿を見た瞬間、背筋に嫌な汗が流れた。
スーツ。
整った笑顔。
人当たりの良さそうな声。
俺の本能が警告を発している。
こいつは、あの手の人間だ。
人を使い潰すことに躊躇のない、あの手の。
「素晴らしい連携ですね。さすがは野良の怪異たち」
「野良じゃない。うちの従業員だ」
俺は縁側から声を返した。
声が震えないように気をつける。
営業マンへの恐怖を、悟られるわけにはいかない。
「今日のところは撤退しますよ。ですが、これで終わりではありません」
御子柴の目が、月明かりに光った。
「あなたの怪異たちは、市場では高値がつく。特にあの雪女と八尺様は、億を超えるでしょうね」
「売らない」
「今はそう言っていても。いずれ、考えが変わる日が来ますよ」
御子柴が踵を返す。
「ところで、雨神さん。一つ忠告を」
振り返らずに、彼は言った。
「あなたの周りには、おしゃべりな人がいるようですね。お気をつけて」
闇に消えていく。
追跡は無理だ。
敷地外に出れば、うちの怪異たちは力を失う。
「おしゃべり、か」
俺は腕を組んだ。
御子柴は、うちの怪異の正体を全て知っていた。
擬態の指輪で隠しているはずなのに。
情報が漏れている。
内部か、外部か。
公安の監査は突破した。
桐生も山本主任も、怪異の存在には気づいていなかったはずだ。
なら、誰が。
屋根の上から、タマの声が降ってきた。
「終わった」
短い報告。
相変わらず最小限の言葉しか使わない猫又だ。
「ああ、終わった。ご苦労さん」
「ねむい」
それだけ言って、タマは屋根裏に消えていった。
見張りは完璧にこなしたらしい。
さすが警備部長だ。
「旦那あ! 穴から出してくれえ!」
黒田の声が響いた。
ハチさんに引きずり上げられる黒田は、泥まみれだった。
「黒田、今日はよく働いたな」
俺がそう言うと、黒田の目が一瞬きらりと光った。
背筋がピンと伸びる。
「え、あ、は、はい! ありがとうございます!」
社畜の悲しい習性だ。
上司に褒められると、反射的に喜んでしまう。
俺にも覚えがある。
「じゃあ、埋め戻しを続けろ」
「えっ」
黒田の顔が絶望に染まる。
「ま、待ってください! もう深夜ですよ!?」
「深夜残業だ。手当は出ない」
「ひぃぃぃ!」
ハチさんが黒田の首根っこを掴んで、穴に戻していく。
「ぽぽぽ、部下は大事にしないとね! 朝までに埋め戻すよ!」
「いやあああ!」
黒田の悲鳴が夜空に響く。
俺は縁側に戻り、冷めた茶を飲み干した。
防衛戦、勝利。
だが、問題は解決していない。
御子柴はまた来る。
そして、情報漏洩の謎も残ったままだ。
「カイトさん」
ミレイが隣に座った。
裁ち鋏を収め、静かにこちらを見ている。
「今夜は、お疲れさまでした」
「ああ。お前たちもな」
俺は夜空を見上げた。
薄雲の向こうに、星がかすかに見える。
御子柴の言った『おしゃべりな人』。
それが誰なのか、突き止めなければならない。
株式会社アマガミ・ラボの、次なる課題だ。
俺は縁側に座り、暗闘する庭を眺めていた。
月明かりが薄雲に遮られ、敷地全体が墨を流したように沈んでいる。
普段なら虫の声が響く時間帯だ。
だが今夜は、異様なほど静まり返っていた。
「旦那、準備できたよ」
ハチさんが闘の中から現れた。
190cmの長身が、夜でもはっきりとわかる。
作業着姿のまま、額の汗を拭っている。
「落とし穴は予定通り三箇所。深さ3m、底には杭を仕込んであるよ」
「ご苦労さま。黒田は?」
「ぽぽぽ、あたいの部下はまだ穴の中で埋め戻しの準備さ。いい働きっぷりだったねえ」
ハチさんが親指を立てる。
その笑顔が、なぜか少し怖い。
黒田敬一。
元課長にして、現在は土木建築課の平社員。
今日だけで推定100立方メートルの土を掘らされたはずだ。
生きているだろうか。
「カイトさん」
ミレイが縁側に茶を置いた。
擬態の指輪のおかげで、彼女の口元は普通の女性に見える。
だが、その手には裁ち鋏が握られていた。
「スキマからの報告です。敷地の外周に、複数の気配があるとのこと」
「数は?」
「四つ。うち二つは、昼間の使役怪異と同じ匂いだそうです」
来たか。
御子柴の予告通り、夜の襲撃だ。
「ユキは?」
「玄関前で待機しています。タエさんは裏手を警戒中」
「タマは?」
「屋根の上で見張り中です。さきほど『来た』とだけ」
完璧な配置だ。
俺は茶を一口飲んだ。
正直なところ、不安がないわけじゃない。
御子柴は怪異ブローカー。
怪異の売買を生業にしている人間だ。
つまり、怪異の弱点も熟知しているはず。
だが、こちらには地の利がある。
ここは株式会社アマガミ・ラボの敷地内。
うちの怪異たちが最も力を発揮できる場所だ。
「全員に通達。侵入者は排除する。ただし、御子柴本人は生かして捕らえろ」
「かしこまりました」
ミレイが闇に消える。
俺は茶を飲み干し、立ち上がった。
さて。
深夜の残業開始だ。
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最初の異変は、東側の藪から起きた。
ガサ、と枝が揺れる音。
続いて、人影が三つ、敷地内に侵入してきた。
人の形をしている。
だが、動きがおかしい。
関節が逆に曲がっているのに、平然と歩いている。
使役怪異だ。
昼間に見た、あの壊れた怪異たち。
先頭の一体が、庭の中央に足を踏み入れた瞬間。
ズン。
地面が崩落した。
「ひぃぃぃ!」
悲鳴が響く。
黒田の声だ。
なぜか一緒に落ちている。
「おい、なんで黒田まで落ちてんだ」
俺は額を押さえた。
埋め戻しの準備中じゃなかったのか。
3m下の穴の底から、ハチさんの声が響いた。
「ぽぽぽ! ようこそ土木課へ!」
ドゴン、と鈍い音。
続いて、何かが砕ける音が連続する。
「あたいの部下が掘った穴だよ。感謝しな!」
ハチさんの怪力が、使役怪異を粉砕している。
物理攻撃が効いている。
つまり、あの使役怪異には「当たり判定」がある。
本物の怪異なら物理は透過するはずだ。
やはり、人工的に作られた何かなんだろう。
「ひ、ハチさん! 俺を踏まないで! 踏まないでください!」
「あんたは端っこにいな。邪魔だよ」
「はいぃぃ!」
黒田の悲鳴が哀れだ。
だが、生きているなら問題ない。
残りの使役怪異二体が、別ルートから侵入を試みる。
だが、そこにはタエさんが待ち構えていた。
風がうなる。
ターボババアの異名は伊達じゃない。
時速200kmで接近し、使役怪異の足を払う。
バランスを崩した敵に、ミレイの鋏が閃いた。
「お引き取りください」
シャキン。
使役怪異の腕が切断される。
だが、血は出ない。
切断面から覗くのは、黒い霧のようなものだけだ。
「カイトさん、この者たち、中身がありません」
「中身?」
「魂が、ないんです。器だけ」
ミレイの報告に、俺は眉をひそめた。
器だけ。
つまり、怪異の肉体だけを使っている。
御子柴の言葉を思い出す。
『壊して、使っている』。
あれは比喩じゃなかった。
文字通り、怪異を壊して、その抜け殻を操っているんだ。
「趣味が悪いな」
俺は低く声を漏らした。
怪異を商品として扱う。
その発想自体は、まあ、理解できなくもない。
だが、魂を壊して器だけ使うというのは。
それは、人材を使い潰すブラック企業と同じだ。
-----
四体目の使役怪異が、正面から突っ込んできた。
これまでの三体より、動きが速い。
たぶん、上位の素体を使っているんだろう。
玄関前で待機していたユキが、前に出た。
「ここは、ここは」
白い息が漏れる。
周囲の気温が、急激に下がり始めた。
「わたしの、わたしの、しょくば」
ユキの瞳が、青白く光る。
「こおれ。こおれ」
吐息が、使役怪異を包み込んだ。
パキパキパキ。
音を立てて、敵が凍りついていく。
一瞬で、氷の彫像と化した。
凍結した使役怪異が、ミレイの鋏で砕かれた。
四体、全滅。
「お見事」
声がした。
敷地の外、闇の中から。
御子柴だ。
スーツ姿のまま、塀の向こうに立っている。
営業マン特有の笑顔を浮かべたまま。
その姿を見た瞬間、背筋に嫌な汗が流れた。
スーツ。
整った笑顔。
人当たりの良さそうな声。
俺の本能が警告を発している。
こいつは、あの手の人間だ。
人を使い潰すことに躊躇のない、あの手の。
「素晴らしい連携ですね。さすがは野良の怪異たち」
「野良じゃない。うちの従業員だ」
俺は縁側から声を返した。
声が震えないように気をつける。
営業マンへの恐怖を、悟られるわけにはいかない。
「今日のところは撤退しますよ。ですが、これで終わりではありません」
御子柴の目が、月明かりに光った。
「あなたの怪異たちは、市場では高値がつく。特にあの雪女と八尺様は、億を超えるでしょうね」
「売らない」
「今はそう言っていても。いずれ、考えが変わる日が来ますよ」
御子柴が踵を返す。
「ところで、雨神さん。一つ忠告を」
振り返らずに、彼は言った。
「あなたの周りには、おしゃべりな人がいるようですね。お気をつけて」
闇に消えていく。
追跡は無理だ。
敷地外に出れば、うちの怪異たちは力を失う。
「おしゃべり、か」
俺は腕を組んだ。
御子柴は、うちの怪異の正体を全て知っていた。
擬態の指輪で隠しているはずなのに。
情報が漏れている。
内部か、外部か。
公安の監査は突破した。
桐生も山本主任も、怪異の存在には気づいていなかったはずだ。
なら、誰が。
屋根の上から、タマの声が降ってきた。
「終わった」
短い報告。
相変わらず最小限の言葉しか使わない猫又だ。
「ああ、終わった。ご苦労さん」
「ねむい」
それだけ言って、タマは屋根裏に消えていった。
見張りは完璧にこなしたらしい。
さすが警備部長だ。
「旦那あ! 穴から出してくれえ!」
黒田の声が響いた。
ハチさんに引きずり上げられる黒田は、泥まみれだった。
「黒田、今日はよく働いたな」
俺がそう言うと、黒田の目が一瞬きらりと光った。
背筋がピンと伸びる。
「え、あ、は、はい! ありがとうございます!」
社畜の悲しい習性だ。
上司に褒められると、反射的に喜んでしまう。
俺にも覚えがある。
「じゃあ、埋め戻しを続けろ」
「えっ」
黒田の顔が絶望に染まる。
「ま、待ってください! もう深夜ですよ!?」
「深夜残業だ。手当は出ない」
「ひぃぃぃ!」
ハチさんが黒田の首根っこを掴んで、穴に戻していく。
「ぽぽぽ、部下は大事にしないとね! 朝までに埋め戻すよ!」
「いやあああ!」
黒田の悲鳴が夜空に響く。
俺は縁側に戻り、冷めた茶を飲み干した。
防衛戦、勝利。
だが、問題は解決していない。
御子柴はまた来る。
そして、情報漏洩の謎も残ったままだ。
「カイトさん」
ミレイが隣に座った。
裁ち鋏を収め、静かにこちらを見ている。
「今夜は、お疲れさまでした」
「ああ。お前たちもな」
俺は夜空を見上げた。
薄雲の向こうに、星がかすかに見える。
御子柴の言った『おしゃべりな人』。
それが誰なのか、突き止めなければならない。
株式会社アマガミ・ラボの、次なる課題だ。
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